第29話 入部届

 俺は入部届を貰うために、部室棟から職員室までの長い道のりを歩いていた。手続きをしないといけないという事実以上に、足取りはなんだか重たかった。



「美津島先生か……」

「はい、美津島先生です……」


 重苦しい沈黙が流れる中で、佐倉は一人事情を理解していなさそうにきょとんとした表情をしている。


「なんで二人ともそんな顔してるの?いい人じゃん、みっちー。ちっちゃくてかわいいし」

「いや、まあ確かにいい人なんだけど……」

「いい人なんですけどね……」

「ああ、そういや二人のクラス担任だっけ?何かあるの?」

「ああ、まあ、そんなところだな……」


 二人で顔を見合わせる俺達と一人納得がいかないような表情をしている佐倉だった



「失礼します」


 職員室の大きめな扉を開く。文芸部室のドアと違って非常にスムーズに開いた。そこそこ学生も多い職員室の人波を抜けて、たどり着いた座席には紙がうずたかく積まれていた。


「美津島先生、今大丈夫ですか?」


 背中に声を掛けるが、彼女は振り向いてくれない。切迫した様子に反して、のんびりとしたトーンの声を出す。


「えー、ちょっと待って、今仕事中だから~」

「どの位かかりそうですか?」

「ん~、一時間くらい?」


 そんな待ってたら部活の時間終わっちまう、俺は何とかしてくれないか。


「あの、入部届をもらいにきただけなんで、ちょっとだけいいですか?」

「えーなに、入部届?どこの?」

「文芸部に入ろうかと思ってます」


「文芸部」という言葉を聞くやいなや、美津島先生は初めてこちらを振り向く。椅子に座っているにしても低い、少しクマの出来た目線が俺の方に向く。大きい目だが、その視線はどんよりとしており、じっと見つめられると少し気圧される。


「文芸部?」

「はい、文芸部です。先生顧問ですよね?」


 そう答えると、先生はぎろっと見つめていた目をスーッと細めて、ゆったりといすの背もたれに体重を預ける。


「確かに私は文芸部顧問だが……。ええと、君は」

「神野です、神野夕」


 一応先生のクラスなんですけど、というセリフは言わなかった。ホントに忘れられてたら余計空しさが増してしまう。


「神野君、文芸部に入りたいという事だが……」


 椅子をギシギシ前後に揺らしながら、先生は足を組む。ただならぬ気配に、俺もごくりと唾をのむ。


「ぜひとも歓迎しよう!うちも丁度部員が減ってきてたところだったし、私としてはウェルカムだよ」


 そのまま彼女は椅子をぐるっと半周させて机の上に大量に置かれた紙束を漁る。


「えーっと、入部届は、っと……最近使ったからこの辺にあるはずなんだけど……」


 俺にギリギリ聞こえるくらいの声量で話しながら、ぽりぽりと頭を掻いている。スムーズに話が進みそうで、ほっと一息つく。


「お、あったあった」

「ホントですか?」


 するすると山の中から一枚紙を取り出す。一番上にはしっかりと入部届と書かれていた。


「成瀬には許可貰ってる?」

「はい、大丈夫です」

「オッケー、じゃあそれ今書いちゃって、そのまま申請しとくから」

「分かりました」


 ペンとバインダーをついでに渡され、俺は紙をはさみ名前を記入していく。


「ええと、2-E、神野夕。文芸部に入部希望……」


 ちまちまと書類を記入していく、先生は再び目を細めて、肘を膝に着けて下世話な表情をする。


「で、ちなみにどっち狙い?」

「……どういう意味ですか」

「とぼけんなよ、分かってるくせに~」


 先生の目は誤魔化せないぞ~と嬉しそうに話す美津島先生。クマが出来るほど仕事に追われていたはずのどんよりした目は、少女の様にきらめいていた。まったくこの人は……。


「別にそういうのじゃないですよ」

「いや、神野は見る目があるよ。成瀬も佐倉も二人とも可愛いもんね~」

「あなた先生ですよね……」

「何言ってんのさ、教師なんて生徒の恋愛見るしか楽しみ無いんだからさー」

「趣味悪いですよ先生……」


 およそ教職とは思えない発言が連発する先生。俺も思わずため気が出そうになる。


(やっぱ、こうなるか……)


 実を言うと、これが俺と成瀬の一番危惧していたことである。美津島先生は分かりやすい授業と可愛らしい様子で、学年でも人気の社会科教師。なのだが、生徒の恋愛事情に非常に興味津々という悪癖でも有名な教師である。


 また、彼氏は未だにいないらしく、よくホームルームでいい男がいないと愚痴っている。が、「人の恋愛に口出す暇あったら自分の事どうにかしろ」と言うのはウチのクラスでは禁句となっている。


 まあ、だから何かというと……


(……俺と成瀬の関係性がバレると非常に面倒くさい!)


 美津島先生が顧問の部活に入る以上、追及は免れないだろう。だが、ある程度は誤魔化してやっていきたい……。


「もともと文章を書くことには興味があったので、文芸部にしただけです。」


 これは嘘ではない、真実を語っているわけでもないが。


「ウチの文芸部、ほとんどそれらしいことしてないけどいいのか?」

「っ、こ、これからそういう活動もしていきたいなって思っています」

「はいはい、分かった分かった」


 俺は真剣なのに、あしらうような態度を取る先生。俺は一通り記入を終えて、紙を先生に手渡す。先生も用紙を見ながらハンコを取り出す。よかった、これで何とか入部手続きは完了か……


「あ、今入部ってことは、成瀬じゃなくて佐倉狙いか」

「いいからハンコ押してください!」

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