第15話 からあげ狂奏曲

 図書館で俺は借りた本を鞄に入れて、歩いて家に帰っていく。

 普段は結構ギリギリに家を出るので自転車で通っているのだが、今日は成瀬がウチに来たため徒歩だった。


 普段自転車で駆け抜けていく街並みをぼんやりと眺めながら歩いて帰る。薄暗くなる街の中で、ぽつぽつとだけ灯っている家の光が景色に温かみをもたらしていて、無関係の俺も、なんだか温かい気持ちになれる。


 しかし、今日に限っては熱源はもう一つ。


 俺は携帯をだし、LIMEの「友達」欄を開く。数少ない「友達」欄には涼川などの友人に前島さん、家族などが並ぶ上に煌々と「成瀬麻衣香」の文字列が並んでいた。


「おお……」


 今日何度見たか分からないその画面を見つめながら、俺は両手で握った携帯を空に掲げる。仕事と家族以外でLIMEを交換したのなんていつぶりだろう……。


 成瀬はパスタ丸だから実質仕事相手だろとか、お前図書館のあれを食らっといて喜べるの凄いなとか、そんな怨嗟の小言が聞こえてくる気がするがノーダメージ。女子と連絡先を好感したというその事実が俺を強くしてくれる。右下で実績が解除された王冠すら見えている。


 ピロリロリロリロ


 そんなことを思っていると、スマホが鳴りだす。あわてて取り落としそうになるが、見ると母さんからだった。


「もしもし?」

「もしもし、夕君?」

「どうしたの?突然電話なんて」

「いや、お母さん今日早めに仕事切り上げて帰ってきたんだけど、夕君帰るの何時くらいになりそう?」

「あー、今日自転車じゃなくて歩きだから、もう20分くらいかかると思う。」

「あっ!そうよね!今日は自転車使わなかったものね?」


 母の声を聴いたのは朝ぶりだったが、どことなく声が浮ついている。


「どしたの?なんか楽しそうだけど、仕事でいいことあった?」

「ん?いや別に、仕事では何もないけど~?」

「何その言い方、絶対何かあったでしょ」


 しかし、母さんは「ん~」と言って躱される。


「それより、一応確認なんだけど今日の晩御飯、3人分で大丈夫よね?」

「3人って、俺と母さんと陽毬の分だよね?別にそれでいいと思うけど……。」


 父さんでも帰ってきてるのだろうか、にしても俺に聞く意味が分からないが。俺がそう答えると母さんは少し焦ったように答える。


「そ、そうよね、いきなり晩御飯は早いものね。ええ、そうよね」

「ちょっと母さん、さっきから何の話してんの?」

「じゃあ母さん今日の料理の仕込みしないといけないから、電話切るね」


 結局詳しい話を聞くことは出来ないまま電話は切られた。


「何だったんだ今の」


 俺は困惑しつつも、家路についたのだった……。


 ******


「ただいまー」


 家に入ると、非常にいい匂いが漂ってくる。匂いを嗅ぐだけで、全身が腹が減ったと主張してくる。


「夕君、おかえり!」


 キッチンの方から母さんが出迎えてくれる。エプロンをかけたまま片手にはお玉というなんともな姿だ。


「今ちょうどご飯できた所だから、さっさと着替えちゃって」

「ん、オッケー」


 靴を脱ぎ家の中へ入っていくとより一層匂いは強くなってくる。この匂いは……から揚げか!

 大好物が食卓に並んでいると分かり、一層テンションが上がってくる。なるほど、母さんが嬉しそうだったのはこれか、母親は子供が喜ぶものを作ってるとテンション上がってくるって聞いたし。ウチの母さんもそうなんだろう。


 俺は納得して手洗いうがい、着替えを済ます。部屋着を着てリビングのドアを開けると、テーブルには既に二人座っていた。


「お兄ちゃん、遅い」

「陽毬、もう帰ってたのか」


 口を尖らせて不満そうにするこのショートカットの少女は神野陽毬じんのひまり、中学2年で現在はテニスにご執心。俺と違いオタク趣味もない健康的なスポーツ少女だ。


「帰ってたどころか待ちくたびれちゃったよ。今日も部活あってお腹ペコペコ~。」

「すまんすまん」


 部活で散々走って疲れたはずの足をばたつかせる陽毬を横目に、俺は席に着く。


「「「いただきます」」」


 俺と陽毬は我先にとから揚げの大皿に手を伸ばす。普通よりかなり大きめのから揚げは一口齧ると中から肉汁がじゅわっと出てくる。やけどしそうになるので注意しながらゆっくり咀嚼する。鶏肉にはしっかりした味がついており、忙しいながら丁寧に作ってくれていることが伝わってくる。


「うん、やっぱり美味しいよ母さん」

「そう?良かったわ~」

「私も~!いくらでも食べれちゃう」


 陽毬は嬉しそうにから揚げと白米を交互にパクパク食べている。


「急いで食べると太るぞ……いてっ」


 陽毬はテーブルの下で蹴ってきた。こいつ、中々いい蹴り持ってるな……。


「私はお兄ちゃんと違って運動してるから大丈夫なの。」

「そうかいそうかい」


 どうせ俺はインドアな運動不足ですよ。


「しかも、鶏肉は低カロリー高たんぱくだから、いくら食べても太んないんだよ?知ってた、お兄ちゃん?」


 陽毬は挑発的な態度を取り、そう言ってガブリと次のから揚げにかじりつき、非常に幸せそうな顔を浮かべる。すげぇ、一口で半分いった。


「うーん、美味しい。」

「そりゃ良かったな。」

「こんなに美味しいのに太らないなんて、から揚げって罪な食べ物だよね~」


 嬉しそうにから揚げをほおばる妹。幸せそうな彼女に俺は真実を言ってもいいものか分からず、母さんの方を見る。すると、母さんは重苦しい表情でこくりと頷く。よし……


「あのね、ひまちゃん……」

「何?」

「陽毬、ちなみに多分お前が言ってるの、多分間違ってるからな?」

「ん?ああから揚げの話?いやでもこないだウィーチューブでマッチョのお兄さんがそう教えてたよ?」

「それは鶏むね肉、お前が今食ってるのは鶏もも肉だから、全くの別物」

「うっそ……」


 残り半分のから揚げをつまんだまま、硬直する陽毬。


「第一、万一鶏むねだったとしても揚げてる時点で低カロリーなわけないだろ」

「ぐぬぬ」


 初めて見たな、リアルでぐぬぬっていうやつ。


「じゃあ、私の見たマッチョのダイエット講座は無駄だったってこと……?」

「いや、まあ無駄ってことは無いだろうけど」


 っていうかやっぱりダイエット気にしてたんかい。


 陽毬はから揚げをつまんだまましばらく悩んだかと思うと、勢いよく口に放り込んだ。ゆっくりと咀嚼して、ゴクリと飲み込む。


「ちなみに、野菜から食べた方が脂肪の吸収は抑えられるらしいぞ」

「……そう、別に私には関係ないけど」


 せめてもの情けとしてアドバイスをしてやると、無言で陽毬はから揚げの下に敷かれたレタスを食べ始める。素直じゃねぇなぁ……。昔はもっと可愛げもあってお兄ちゃんお兄ちゃん言って付いてくるような奴だったのに、時の流れは残酷だ。


 俺が悲観している間も、妹はすました顔でレタスを食べている。俺は大量に盛られたから揚げに手を付ける。陽毬の恨めし気な表情が見えるが、気にしない。


「ちなみに夕が言ったべジファーストってやつ、あれも正しくは無いらしいわよ。」

「「え!?そうなの!?」」


 俺と陽毬がおもわずハモる。母さんは苦笑いをしながら話す。


「皆勘違いしてるみたいだけど、あれは別に野菜食べたら太りにくいってわけじゃないのよ。」

 まあ健康にいいのは間違いないけど。と母さんは告げる。兄弟そろってメディアに踊らされ、こっぱずかしくて俯く。


「ま、まあでも、野菜の方がから揚げよりは健康にいいしな!」

「そ、そうだよね!やっぱ食べるなら野菜だよね~」


 どや顔で妹に説明した情報が間違っていた恥ずかしさを感じている俺と、信じた情報すべてが間違っていたと信じたくない陽毬の意見が一致した瞬間である。


 陽毬はもはやどういう感情か分からないが、一層真剣に野菜を食べている。いくつか食べられた後のはずのから揚げは、まだまだ十分な量が皿に残っていた。


「にしても母さんから揚げたくさん作ったね」

「確かに、3人分にしては量多いよね」


 陽毬もレタスを齧りながら同意する。すると母さんはあははと照れくさげに笑う。


「いやぁ、ついに夕君にも春が来たかと思うと、お母さん嬉しくてね~」

「……お兄ちゃんに春?」


 陽向がいぶかしげに尋ねる。瞬時に、俺の体中を嫌な予感が駆け巡る。これ以上喋らせるなと体が警告を鳴らす。しかし、俺の制止もむなしく母さんは陽向にその事実を伝えた。


「あのね、今日女の子が夕を迎えに来たのよ」

「……はい!?」


 こちらを見つめながらレタスをごくりと飲み込む陽毬の目が、ゆっくりと見開かれていった。

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