深窓の令嬢、ご当地令息に出会う。

つこさん。

1話 深窓の令嬢、田舎へ引っ越す。

 イマは人生に退屈していた。なぜなら彼女の人生にはおおよそ彩りと言えるものがなかったからだ。

 一日の大半を病床にて過ごし、気分がよくても庭の散策すらほとんど許されない。両親はイマが幼いころに外遊びで風邪をこじらせてしまった件を、未だ重くとらえている。そして外の風に当たるのは命を縮める行為だと固く信じているのだ。そこで死んでしまう可能性もあったらしい。さらに、イマは食が細く、体調を崩しがちなことも災いした。

 週に何度か来る家庭教師に、常時控えている医師。それに身の回りの世話をするメイド。――それが彼女の世界のすべてだった。


 しかし、昨年。彼女の人生に朱を差すことになる事件が生じた。その出来事によってイマは存えていると言っても過言ではない。過言かもしれない。


「……ああ、もうすぐね」


 イマは暦を数えながらその日を思う。そして、思うだけではなく行動しなければと考えた。この想いを。――願いを、形にしなければ。


 ――イマ・ファン・レースト、十八歳。死なずに成人したので、そろそろ外を見てみたい。


「ねえ、先生ドク、お願いがありましてよ」

「お嬢、それはいけません」

「まあ、まだ口にしてすらおりませんのに」


 一昨年からイマの主治医となったヨーズア・メールディンク氏は、前任の高齢医師の、約十番目の弟子だ。

 他の弟子を差し置き、ぎっくり腰で退任したおじいちゃんの後任にはヨーズアが選ばれた。それは彼が腕のいい医師であるとともに、金にしか興味のない男だからだ。白金の長い髪の毛に空色の瞳、白磁の肌――美しく年頃の女性であるイマにかけらも関心がない。よって両親は彼をとても信頼している。


「わたくし、先日成人いたしまして」

「よく存じておりますよ」


 とても興味がなさそうにヨーズアは言った。丸メガネの中の飴色の瞳はそっぽを向いている。


「個人資産の銀行口座から自分で出金できますのよ」

「なんなりとお申し付けくださいませイマお嬢様」


 彼はイマの足元に片膝を着き薄茶色の頭を下げた。

 イマもヨーズアを信頼している。金に対してとても誠実だから。


「では、わたくしの言った通りに診断書を書いてくださいません?」

「おおせの通りに」


 そうして、イマは『すぐに田舎の土地へ療養に出ないと夢見が悪くなって衰弱する』病気にかかった。衰弱演技はさすが堂に入っていた。

 さて、診断書には具体的な地名もあった。それによると方角的にその地方は気分を晴れやかにする効果を見込めるとの所見だ。イマの家は名のある資産家なので、一人娘を溺愛している両親は、すぐさま人を遣りそこで一番立派な屋敷を買い上げ抜かりなく整備した。よって、イマは次の月の頭にはそちらへ移住できたのだ。


「なんで俺までいっしょに」

「あなたはわたくしの主治医ですから」


 当然のごとく、イマの両親はヨーズアをイマへ帯同させた。出発時も移動時もずっと文句を言っていたヨーズアは、到着した街の様子を馬車の窓から見て首を振る。


「――なんですか、これは。畑ばかりじゃないか。信じられない、俺は帰ります」

「きっとこちらではお金を使う場所がなくて、貯金が捗りましてよ」

 

 すかさずイマが言うと、ヨーズアは「それも一理ありますね」と納得した。イマは金に誠実な彼を信頼している。


 ところで、その土地の名はイブールという。町おこし事業が盛んな温暖気候の地方町だ。イマは昨年、メイドが暇つぶしにとくれた週刊誌でその存在を知った。そして、今は夏である。


「――ああ、ああ、イブール!」


 万感の思いでイマは町を眺めた。とても活気づいている。きっといつもより賑わいがあるのだろう。そう察せる理由は、イブールが町として国に認定された町政記念日を明日に控えているからだ。イマはその日までの暦を指折り数えて来た。

 記念日。――ならば、祭りである。古今東西そういうものだ。

 実家から着いてきたメイドや召し使いたちは、都会のあくせくした空気から逃れたくて志願した者たちばかりだ。それに、イマのいささか奇妙な言動に理解もある。両親が手配した屋敷に全員で無事にたどり着いたのち、荷解きもそこそこに、イマは皆の顔を見回して言った。


「みなさま。わたくしとともに、イブールの地へ来てくださってありがとう。さっそくですが、みなさんに慰安休暇を差し上げたく存じます」


 そして町にひとつしかない銀行の頭取を呼びつけた。イマの個人資産から出金し、それぞれに小遣いを渡すためだ。

 あとは「遊んでいらっしゃい」と言うだけで十分だ。なにせ、年に一度の大きな祭りの期間。もちろんヨーズアへも。都会の本邸では伸ばせなかった羽を、すべての者が全力で伸ばしに行ったのをイマは見届けた。


「もちろん。……わたくしも」


 そして、イマは冒険に出た。

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