【第一章】その微笑みは危険物

 ステラシアが目覚めたとき、目に飛び込んできたのは知らない天井だった。体はふわふわと柔らかな布に埋まり、ふかふかの掛布が首元まで覆っていた。ぼんやりとした頭で、いままでの人生でいちばんのふかふか加減だなーなどとどうでも良さそうなことが頭の中を駆け巡る。

 どうしてこんなところで寝ているのか。

 思い出さなきゃいけないことがあるような気がするのだけれど、よくわからない。

 とりあえず、畑に水をやって、朝ごはんを作って、師匠を起こして掃除をして、今日のぶんの薬草を摘んで選定して……だから起きなければ、と身を起こそうとして全身に激しい痛みが走り、ステラシアは呻き声を上げた。


(体が……動かない。いえ違うな。


 仕方がないので、首だけを動かして、ステラシアは周囲を見渡した。

 師匠の家でも見たことがない、天蓋付きのベッドが目に映る。降ろされることなく四隅に括りつけられたレースは、白い色をしている。

 頭の近くには、小物を入れる用のチェストがあり、天板にはなにも無い花瓶を載せている。さらにその近くには、小さなサイドテーブルと椅子が設えられている。奥に見えるのはソファとローテーブル……? なんだか、見るからにお値段の高そうな部屋だ。

 部屋が薄暗いせいで、今が何時かはわからないが、窓があるらしいゆるく引かれたカーテンの隙間から漏れる光で、夜ではないことを確信する。


(わたし……どれくらい寝てたの? というか、ここはどこ?)


 とても豪奢な知らない場所にひとりきり。不安が胸をざわつかせはじめた頃、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。

 どうぞ、という間もなく扉を開けて入ってきた人物を見て、ステラシアは、あっ! と声を上げそうになった。

 魔獣に襲われて逃げ出したこと、連れ去られた馬車もまた魔獣に襲われて死にかけたこと、助けが来たと思ったらまたもや殺されそうになったこと。灯りに照らされた淡い金の髪、星を宿したような紫の瞳。甘い顔立ちなのに眉間によった眉がその甘さを打ち消しているのもステラシアはしっかりと思い出した。

 部屋へ入ってきたのは、あの夜にステラシアを助け、そのまま殺そうとした星のような男だった。

 男はステラシアが起きているとは思わなかったらしい。紫の瞳が驚いたようにステラシアを凝視している。そのままスタスタとベッドのそばまで近づくと、ステラシアの髪を指先でそっと払った。

 男の後ろから一緒に入ってきた女性が、手に持っていたトレーをサイドのテーブルへと置く。そのまま窓際のカーテンを少し開けると、薄暗かった部屋が明るくなった。ステラシアを覗き込む男性の容姿も、先ほどよりもしっかりと目に飛び込んでくる。


「具合はどうだ?」


 ステラシアに問いかけながら、男は視線だけで、壁際に控えていた女性を退出させた。その仕草を見て、ステラシアは小さく肩を震わせる。


「大丈夫、です」


 目の前の男の高い身分を、見せつけられた気がした。答えるステラシアの声は驚くほど掠れていた。喉がカラカラに渇いているのかもしれない。


「本当に?」


 問いかけられ、うっと言葉に詰まる。感情のいまいちわからない紫の瞳でじっと見つめられ、ステラシアの背中をじんわりと汗が濡らす。ゴクリと滲み出た唾液をゆっくりと飲み下す。なにも言わない男の圧に観念したように、ステラシアは「全身がとてつもなく痛いです」と白状せざるを得なかった。


「まあ、当然だろうな」


 と、目の前の男は言いながら、ベッド脇の椅子に腰を下ろした。


「あの夜、あなたに施せたのは腹部の大きな外傷を塞ぐことだけだった。それ以外に、あなたは地面に投げ出された際の全身の打ち身や、裂傷があって、治癒ではなく医師が処方した痛み止めで抑えていたのだ。だから、動けなくとも仕方がない」


 あの馬車から投げ出されたのだろう? そう問われ、ステラシアはコクリとうなずいた。

 ついでに、腹部の大怪我でたいそう血を流したらしく、回復するまでに時間がかかったらしい。腹部の大怪我を治癒魔法で塞いだ関係で、再度の治癒魔法をかけることは体に負担がかかりすぎるという判断もされたとか。

 体の清めは魔法で行ってくれたらしい。そのことに心底からホッとする。


「あなたは三日間、目を覚まさなかった」


 ステラシアの頬を、男の長い指がゆっくりと撫でる。そこに労りを感じた気がして、ステラシアはキュッと唇を噛んだ。なんだか、あの夜とだいぶ雰囲気が違うような。口調とか。


「あ、の。助けてくれて、ありがとうございました……」


 あの夜、本当は殺そうとしたのに。死にたくないと言ったステラシアの意思を、このひとは汲んでくれたのだ。

 ステラシアの頬を撫で続けている男は、別に礼を言われるものでもないが……と呟いてから、眦を少しだけ緩めた。笑っているわけでもないのに、それだけで彼の持つ近寄りがたさが少し和らいだような気がする。


「そうだな。礼はいらないが……できるなら、あなたの名前を教えてくれないだろうか」


 ぱちり。ステラシアは瞬いた。


「な、まえ……?」

「ああ、名前だ。私は、あなたの名前を知りたい」

「名前……あの、わたしは、・エル=フィールドと言います」


 どうしよう、と逡巡したのは一瞬だけ。ステラシアはまっすぐに男の目を見つめ、そう答えた。紫の瞳が束の間見開かれ、すぐにスッと細められる。

 かすかな肩の震えに気づきませんようにと願いながら、ステラシアは男から目を逸らさなかった。

 師匠から教えられたは、ステラシアに馴染みのないものだった。

 それゆえに、ステラシアはいままでずっと「ステラシア・エル=フィールド 」として生きてきた。だから、嘘をついているわけではない。

 それに、師匠からも「おまえの本当の名は、おまえが本当に信用してもいいってやつにだけ、教えてあげな」と言われている。


(本当に信用できる人……この人が、なら、良かったんだけど……)


 出会い頭で殺しに来るような人は信用してはいけないと、思う。たぶん。助けてくれたけども。

 だから、「ステラシア」を愛称のほうに変えて教えたことも、どうか気づかず見逃してくれると、嬉しいのだけど。


「ステラ・エル=フィールド……?」


 ステラシアが名乗った名をオウム返しにつぶやいて、目の前の男は白い指先を顎に当てた。しかめた眉はそのままなにやら思案顔で、男は、探るような瞳でステラシアを見る。

 疑念の宿った瞳ではあるものの、表情の変わらない男の考えていることを読み取れず、ステラシアは戸惑って視線を彷徨わせた。


「ああ、失礼した。あなたに名を問うていながら、こちらが名乗らないのはいけないな」


 椅子に腰掛けながら、スッと居住まいを正すように背すじを伸ばし、男は自身の胸に手を当てた。容姿にばかり目が行っていたが、よく見たら飾り気はないがとても仕立ての良さそうな服を着ている。淡い金の髪には白い服がとても似合いそうなものだが、このひとは上から下まで真っ黒い。

 それでも、襟に取られた金の刺繍や、カフスにきらめく小さな銀の装飾が、さり気なく男を彩っている。華美ではないが仕草が洗練されているせいで、とても高貴な感じがする。


「私の名はアルトラシオン。アルトラシオン・ディア=ポーラリアスという」

「!? ポーラ……っツぅ!?」


 ポーラリアスぅぅぅ!?

 

「ああ、ほら。まだ痛いのだろう? 暴れるんじゃない」


 表情も声音も変わらずに、アルトラシオンは身悶えるステラシアを、優しくベッドへと押し戻す。

 へあ……と変な声が出た。思わず目の前の男を凝視してしまい、星を散りばめたような紫の瞳に捉えられ慌てて逸らす。


(まっ……待って待って待って。だって、ポーラ……ポーラリアスって、王家の……! え、アルトラシオン!? アルトラシオン・ディア=ポーラリアスって言った!? そ、それ……それってぇ!)


 ごきゅ、と喉が鳴る。変な汗が出てくる。もしかしなくとも、とんでもない人に助けを乞うてしまったのかもしれない。

 アルトラシオン・ディア=ポーラリアス。それは、この国の第一王子の名前だ。

 師匠の家や街にある図書館で暇があれば本を読み漁っていたステラシアは、ポーラリアスの名が王家を指すことも、その意味も、普通の人たちよりは詳しく知っている。それに、小夜星の月最後の日にある慰霊の日――六年前に起きた、国の西側にある二つの領内での魔獣大量発生で亡くなった人々を偲ぶ日――では、第一王子の名がとても良く囁かれる。

 アルトラシオンは若干十三歳で魔獣討伐騎士団に入団。その年のうちに例の魔獣討伐作戦に参加し、大きな功績を上げたが、同時に彼の進んだ道には魔獣どころか重症者すらいなかった、と。

 それは、この第一王子が、魔獣だけではなく人間も殺したからだと言われていて――付いた二つ名が「騎士団の死神」


(うーん、でも、本当のことかも)


 だってステラシアも殺されかけたのだから。

 納得はするけれども疑問は残る。

 なぜ、この人はそんなことをするのだろう。

 なぜ、そんなことをしないといけないのだろう。

 なんて。一介の平民には大それた問いかけだろうけども。でもまあ、いまはそんなことよりもなによりも。


「あ、あの……第一王子殿下とは知らず、その……ご迷惑をおかけしました。申し訳………んっ」


 不敬罪でこのまま処刑とかないよね!? せっかく殺されずに助けてくれたのにまさかね!?

 ステラシアの頭の中はもう混乱の極みだが、なんとか謝罪の言葉をひねり出す。

 申し訳ありませんでした、と続けようとした唇はしかし、伸びてきた指先に抑えられ、言葉が喉の奥に引っ込んでしまう。

  

「謝罪は必要ない。あなたの意識が戻ってなによりだ」

(……なに言ってるのこの人?)


 目の前の美貌は先ほどと何も変わらない。パチリと瞬いても、変わらない。そういえば、この部屋に入ってきてからもまったく変わってない。表情が変わらなすぎてなにを考えているのかさっぱりわからない。あの夜、ステラシアを問答無用で殺そうとした人間が、いったいなにを言っているのだ、と思っても、ステラシアにはこの第一王子のことはなにもわからない。

 ああ、でも、あの夜。彼はステラシアの最期の意思を聞いてくれた。「どうしたい?」と言ってくれた。


(それなら、そこまで問答無用でもなかった……のかな?)


 と考え、いやそんなわけないわ、とステラシアは内心で頭を振る。

 そんなステラシアを無言で見つめていたアルトラシオンが急にフッと口元を緩めたものだから、ステラシアの混乱は頂点に達してしまう。


(わ!? わらっ……!?)


 気難しそうに寄せられた眉がほどけ、感情のわからない紫水晶の瞳が星のように煌めき、まとっていた近寄りがたい雰囲気が顔立ちと同じ甘さに包まれる。

 目の前で繰り広げられたその一部始終を目の当たりにしてタラリと変な汗がこめかみから流れるのを感じる。

 思わず凝視してしまったステラシアと、一瞬で笑みを引っ込めたアルトラシオンの視線が交差する。

 王子殿下を見つめてしまったと慌てて視線を逸らすのと、彼が、ステラシアのまぶたを手のひらで覆うのは同時だった。


「今日はもう、おとなしく寝ているんだ。お腹が空いたら、メイドを呼んでなにか食べるといい。ああ、少しだけなら、持ってこさせたのだ。水もある。飲むか?」


 サイドテーブルに置かれたトレーを思い出し、ふるふると首を振る。本当はものすごくカラッカラに喉は乾いていたけれども。いやまさか王子殿下に水を飲ませてもらうわけにいかないだろう。


「そうか。では……また、明日も様子を見にここに来よう」


 耳元で諭すように囁かれる言葉は、声の良さと目元を押さえられている暗さが相まって、ステラシアの脳を変に揺さぶった。

 固まっている間に視界はクリアになったけれど動けない。パタンと閉められたらしいドアの音を聞いても動けない。実際は身悶えしたかったのだが、それをすると全身の筋肉が苦痛を訴えるものだから、ぜんぜん動けない。

 それでも。


「なん……っ、なんなの……っ」


 なんなの、アレ――――!?


 ボフン! と枕を叩いた衝撃でステラシアは全身をひきつらせ、ベッドの中で丸まることになった。


***

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2024年11月15日 20:00
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聖なる星の乙女と予言の王子 桜海 @minami_oumi

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