聖なる星の乙女と予言の王子

桜海

0.

なんてことないふつうの日

「ステラー、ステラー! ステラシアー?」


 南向きの日当たりの良い庭の畑で、野菜や薬草に水をやっていたステラシアは、屋敷の中から聞こえた声に顔を上げた。


「はーい! 師匠、どうしたのー?」


 返事をしながら、片腕のカゴに収穫期を迎えた薬草を摘んでいく。それが終わると、次は別の区画に移り、今日いっぱいの献立を考えながら野菜を収穫していった。

 季節は春たけなわ。先月、一年の始まりを迎えた暁星あかつきぼしの月にはまだ残っていた雪も、黎明星れいめいぼしの月となったいまではすっかり溶けて、木々や花が一身に陽の光を浴びている。

 ここ、ポーラリア星王国せいおうこくは北の大陸。冬がもっとも長く厳しい土地だが、春は穏やかで、夏はちゃんと暑くなる。


「さてと……」


 呼びかけたきり師匠からの返答がなにも無い。ステラシアは沈黙した背後の屋敷を見上げ、ふう、と小さく息を吐いた。

 森の中にあるとは思えないほど、大きな二階建ての屋敷。部屋は十を超えているが、住んでいるのは師匠とステラシアの二人きり。掃除もぜんぶの部屋を一日では終わらせられないので、ステラシアは一日ずつ部屋を決めて行うことにしていた。

 一日に掃除を終わらせる部屋は二部屋。十部屋を一週間(五日)で終わらせるには十分だ。それ以外に、水廻りや納戸の掃除もあるのだから、手が足りない。それでも、ここに働き手はステラシアしかいないのだから、やるしかない。


(師匠はまた、服が着られなかったのかなぁ)


 薬草の葉の状態を確かめてから立ち上がる。最後に、趣味で植えている花々を少しだけ摘み取って、野菜などと一緒にカゴに入れた。そのまま出入り口へと向かう。そろそろ師匠は、脱ぎ着のしやすい服に変えたほうがいいと思うのに。

 ステラシアがいる南の庭は、屋敷の左側にあった。畑以外にも薪小屋などがあり、冬でも陽が良く差し込む。南北に伸びた屋敷は、東側が出入り口で、西側が裏手。北側には特に何も無いが、まだ少し雪が残っているから滑りやすい。


「師匠ー! 本当にどうしたのー? こんどはなにやらかしたー?」


 玄関口から声を張り上げれば、かすかに「やらかしてないよ! まだ!」とくぐもった声が聞こえた。――と、同時に、バフン! という破裂音が屋敷中に響き渡る。


「まだ、ねぇ……」


 ずいぶんと遠くの方から声が聞こえた。ということは、二階の一番奥……師匠の部屋で、とうとうなにかをやらかしたらしい。

 やれやれと首を振り、玄関ホールを抜けた先の扉を開ける。厨房を抜け、手前の調理台にカゴを置き、ステラシアはさらに続きの扉に手をかける。

 ポワ……と光が浮いて、扉が自動で開く。そこにある布類をかき集めると、ステラシアは急ぎ足で階段を上っていった。


「師匠! こんどはなにをしたの!?」


 奥の部屋のドアを開けた瞬間、ぶわりと吹き付けてくる煙に咽せながら、ステラシアは慌てて窓に駆け寄ると思い切り全開にする。


「いやー、ごめんごめん。なんか失敗しちゃった」

 

「なんかじゃないよもぉぉ!」


 手にした布をバサバサ振って煙を外へと追い出す。ついでに真っ白に汚れた師匠の体も顔も別の布で拭いて清めていく。

 ふわふわの金髪。瑠璃紺色の瞳。ようやく見えてきたその顔に布をかぶせると、ステラシアはすぐに、掃除道具を持って戻ってくる。


「いやー、ちょーっとばかり、性別を変える薬を作ってたんだけどねー」

 

「性別!? なんでそんなもの作ってるの!?」


 乱れた金髪をグシャグシャとかき回す師匠の手を止めさせ、ステラシアは嘆く。

 本当にもう、なんだってそんなものを……。


「んー……まあ、ちょっとした――思いつき?」

 

「思いつきでそんな変なもの作らないで」


 鳥の巣のようになってしまった師匠の金髪を、掃除の手を止めて梳りながらステラシアは深くため息を吐く。

 ちなみに師匠、服はちゃんと着ていた。よかった。多少ボタンがちぐはぐなのは目をつぶることにした。


「あんまり変なことしないでよ師匠。師匠がいなくなったら、わたし泣くよ」


 ステラシアにはなにも無い。家族も、やっとできたと思った友人さえも、ステラシアの手にはなにも残らなかった。

 持っているものは、師匠がくれた大事な名前と、知識や作法や愛情だけ。

 小さな頃から一緒にいても、本当の親子にはなれくて、けれど、とても大事に育ててくれたということだけ。

 だから、この先なにがあっても、ステラシアは師匠がいればそれでいい。

 それしかないのだから、失いたくない。


「泣かれるのはイヤだなぁ……でも、きっとステラにも、もっといい出会いがぜったいあるよ」

 

「そんなのいらないよ。わたしは師匠がいれば、それで」


 そう、それでいい。それだけがステラシアの幸せだから。 

 だから――、ほかにはもう、なにもいらないの。


「まったく……バカな子だな」


 髪に触れる指先に猫のように瑠璃紺の瞳を細めながら、その人は寂しそうに笑っていた。


 このなんてことない普通の日常が崩れるなんて、ステラシアは思いもしなかった。


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