第三章 姉妹で恋のさや当て

第13話 綾香と純と謙二の三人

 銅版画や木版画、シルクスクリーンやリトグラフの作品などを照らしていたライトが消え、数台のカメラの動きが静止した。スタジオ内に流れていた緊張感が溶けて、スタッフの間に微かなざわめきが起こった。

副調整室のスタッフが本番終了を告げると、ディレクターの吉岡謙二はゆっくり立ち上がって、椅子の背凭れに架けてあった上着に腕を通しながら、スタジオへの階段を降りて行った。

 謙二がスタッフの一人と話しながらスタジオから出ると、三原純が廊下の壁に凭れて立っていた。純に気付いた謙二が訊ねた。

「よおォ、何しているんだ?」

「ちょっと、寄ったの、あなたが暇なら、お茶でも飲もうかと思って・・・」

「劇団の方、やっている?」

「まあまあね、やっているわよ」

 二人が入ったのは「京都テレビ」近くの喫茶店「マリヤ」だった。見るからにテレビ人間と思しき連中がそれぞれの席を占めていた。

テーブルに向かい合って座った謙二が純のネックレスに眼を留めた。

「良く似合うね、そのネックレス」

「これっ?」

胸に吊るしたネックレスを指で持ち上げながら純が答えた。

「そう?どうも有難う」

謙二は話の継ぎ穂を探すべく水を一口呑んだ。

「ねえ、あなたは私のこと、どう思っているの?」

「どうって?何を?」

「もう、嫌やになっちゃうなぁ。私のことを女として認めない男は、あなただけだわ」

「そうかい、そいつは失礼申し上げたね」

そう言いながら謙二が煙草を取り出すと、純がライターの火をすっと差出した。

「おい、止せよ」

そう言いつつも彼は、煙草にその火を点けて、話を続けた。

「男にライターの火なんか差出すのは、バーのホステスみたいで、余り良い感じじゃないぞ」

「あっ、そう。そういう言い方は全く関心の無い女には、普通、男はしないわよね」

「何だって?」

「だって、どうでも良い女なら、気に入らないネックレスをしていようが、ホステスの真似をしようが、気に障りもしないでしょう」

「さあ・・・」

「だからさ、あなたは少なくとも私に無関心じゃない、って考えてもいい訳だわ」

「おいおい、勝手な断定は下すなよ」

「何処が勝手なのよ。こんなことを言い出すのは、あなたがあんまりいつまでも私を子供扱いするからよ。もういつでも恋のお相手だって出来る年頃ですよ、って宣伝しているのよ」

「誰にしているんだ?」

「この人に」

純は真直ぐに謙二を指差した。

「ねえ、私、そんなに魅力無い?女として」

「おい、おい、あまり吃驚させるなよ」

「嫌や、誤魔化さないで!」

純の顔は笑っていなかった。真顔だった。

「ずっと前から好きだったわ。あなたも好きになってよ、私を!」

「よし、解かった」

 そこで謙二は不意に腕時計を見て立ち上がった。

「ちょっと、局へ電話を入れるよ。居場所を知らせておかないと、な」

彼は純の方を見ずにカウンターの向こうへ姿を消した。

謙二が席へ戻ると純が言った。

「じゃあ、又、来るわ」

「そうか・・・」


 その夜、仕上がって来たセーターを持って三原綾香は烏丸御池に在る吉岡謙二のマンションを訪れた。

彼は早速に腕を通して言った。

「暖かそうだな、有難う!色と言い、柄と言い、着心地と言い、流石にファッションデザイナー三原綾香の作品だね」

「どう?お気に召した?」

「気に召さぬも何も・・・」

謙二はそう言いながらそっと後ろから綾香を抱き締めた。

「駄目よ、謙二さん。今日はセーターを届けに来ただけなんだから・・・」

謙二がぐいっと綾香の両肩を捉まえた。

「何を今更、躊躇うんです?純ちゃんにですか?それとも、三原綾香と言うファッションデザイナーの名前にですか?」

「・・・・・」

「それとも、あなたが僕より歳上だからですか?尤も、歳上と言ったって三つしか違わない。そんなのは歳上の部類に入りませんよ」

彼は綾香を自分の方へ向き直らせ、両肩から腕を撫で擦った。

「何度言えば解かるんです?」

「だって、姉と妹が、同じ人を愛するなんて・・・」

「そんなこと、僕があなたを愛する障害にはなりません。僕はあなたが好きなんです、あなたの全てが欲しいんです」

唇が重なり合い、閉じた綾香の眼から涙が流れ出た。譫言のように彼女が言った。

「続かないわ、きっと・・・」

唇を離した謙二が綾香を諭した。

「あなたがそんなに気にするのなら、純ちゃんには僕からきちんと話しますよ」

「駄目、駄目・・・それだけは・・・」

綾香が声を抑えて消え入るように拒んだ。

「駄目よ、ね、駄目よ」

灯が消され、謙二の手が綾香を抱き上げて、二人は寝室へ入って行った。

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