第12話 過ちは家庭をより堅固にする漆喰にしなければ!

 数日後、凜乃は銀閣寺道の姉の家を訪ねた。

長姉の綾乃は京呉服「たつむら」の跡取り娘で、婿の高之は業界と一緒に衰退していた会社を盛り返して今の繁栄に導いた敏腕の経営者だったが、他方、その女遊びは取っ換え引っ換えで尋常ではなかった。妻と女の間を揺れ動く綾乃の精神的懊悩は並大抵ではなく、一歩踏み違えれば離婚の危機に晒されていた。だが、綾乃は自分のことはさて置いて凜乃の話に静かに耳を傾けた。

「今の話やけど、あんた、その水谷という人のこと、昭夫さんには何も言うてへんわね」

「うん、言うてへんけど・・・でも、わたし、女は不浄や、救い難い、という思いに捉われてしもう・・・」

「でもなぁ、話して終うてさっぱりすることよりも、話したい気持に耐えることで自分が豊かになるということも在るんやないか?」

「うん・・・」

「ちょっと、待っとり・・・」

綾乃は立ち上がるとリビングを出て奥の和室へ入って行った。

「?・・・・・」

凜乃が不審げな面持ちで待って居ると、綾乃は和箪笥の抽斗から取り出した和紙包みを両掌に載せて戻って来た。

「あんたも貰うたやろう?お母ちゃんの形見分け・・・長襦袢を」

綾乃はそう言って包みを開いた。

黄薔薇を思わせる綸子の地色に、薄墨一色で枝垂れ桜を描き上げたその長襦袢を、彼女は立ち上がって肩にかけた。

「艶やかな色模様やなぁ・・・良いわねぇ」

「夜の桜の下で、いきなりこの桜につつまれた女を見たら、男性はどんな思いがするやろうなぁ」

「ほんとうにねぇ。あの慎ましいお母ちゃんの心の奥にも、誰も知らない秘かな情熱や恋が隠されていたのかしら?だから、その華やぎや艶めきをこんな長襦袢の下に包み隠して、そっと生きて来たのかしらね」

「世間の目が煩い老舗の奥さんやったし、後家さんやったから・・・」

「苦しかったやろうなぁ。なんや、もう、お母ちゃんが可哀相になって来たなあ」

「あんた、もう、うちがこの形見で何が言いたいのか、解るやろう?」

「そうか・・・正直ぶって自分の荷を軽うしても、人を傷つけることもある訳やね。解った。昭夫には言わんでおくわ」

「あんたは一生苦しむかもしれへんけど、昭夫さんは幸せで居られるわ。こんな忠告めいたこと、今の私に言えた立場やないけど、な」

「ううん、嬉しいわ。来て良かったわ」

「人間は誰しも、決して他人には打ち明けられない秘密の一つや二つは持っているもんやし・・・それが必ずしも悪い結果にならへんことも在るんやないかしら、ね」

「そうやね、きっと・・・」

 

 数日後の午後、凜乃がスーパーの大きな買い物袋を抱えて帰宅すると、マンションの部屋の中で昭夫が新聞を読みながら彼女の帰りを待って居た。

「何を一杯、買い込んで来たんだ?」

「だって、今日は久し振りにあなたが昼間から家に居るんだもの。美味しいものを作るわよ」

「何だか急に世話女房になったみたいだな」

「当り前でしょう」

「この頃、原稿を書かないね。止めたのか?」

買って来た品物を整理していた凜乃の手がふっと止まった。

「原稿を書いていた時のお前の顔は、真剣で凄く綺麗だったよ」

凜乃は振り返って昭夫を見た。

「おい、どうしたんだ?泣いたりして」

彼女はいきなり昭夫にしがみつくと、わっと泣き出した。きょとんした表情で彼は凜乃を抱き締めた。

 凜乃は思っていた。

自分の中に潜んでいる脆さや汚らしさの全ては、どう逃げ惑ったところで、自分の責任でしかない。然し、人を元気に丈夫にする良薬にほんの微量の毒が含まれているように、自分の過ちは、夫との家庭をより堅固にする為の漆喰の役目にしなければならないのだわ・・・

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