大河ラノベ 与謝野アキコ

籠原スナヲ

第一章「1900年まで」

第01話 与謝野アキコ、生まれる

 これは、のちに近代日本文学史に名を残す、ひとりの歌人の物語である。


 与謝野アキコの本名は鳳(ほう)シヨウと言うらしいと記録に残っている。

 彼女は今でいうところの大阪府で生まれた。

 老舗の和菓子店「駿河屋」を営んでいる父、ソウシチと母、ツヤの間に生まれた三番目の女の子だった。

 駿河屋は当時、没落しかけていた。また当時、女の子が生まれるのは歓迎されなかった。

「おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ」

「チッ、なんだよ、また女かよお」

 そんな感じでシヨウは、両親から疎まれながら育ったと言われている。これは現代からすれば驚くべきことだが、実際そうなのだから仕方ない。

 鳳シヨウの道を開いたのは実の兄だった。名前を鳳ヒデタロウという。

 彼はのちに電気工学者になり、電気回路に関するテブナンの定理を独自に発見するほどの秀才であった。そのためテブナンの定理は、今でも「鳳テブナンの定理」という名前で呼ばれているらしい。

 テブナンの定理がどういうものなのか、それはここでは関係ないのだが――。

 さて、鳳シヨウはわずか8歳で漢学塾に入って、さらに琴も三味線も習った。今風に言えば、キーボードとギターを同時に教わったようなものだが、シヨウはそちらの道には進まなかったと知られている。

 音楽の才がなかったか、あるいは、別のことに意欲があったのか。

 たぶん後者だったのだろう。鳳シヨウは女学校に入るとすぐに古典、特に『源氏物語』に夢中になった。

 それは、シヨウにとって驚くべき体験であった。

「すごい! すごいや! 文字で書けばなにを言ってもいいんだ! 女の子だって、なにを言っても、なにを思っても許されるんだよ!」

 そう思った。

 ところで、皆は源氏物語がどういう物語なのか知っているだろうか。とても簡単である。

 ミカドとその女の間に生まれた男が、母親の愛情を知らないまま貴族の女と遊び回って、色んな子種を残しながら最後は孤独に死に絶える、という、まあそんな物語である。

 が、その描写の美しさはシヨウの胸を打った。

 それだけではなかった。シヨウは12歳か13歳のころから兄ヒデタロウの本棚を漁って、「柵草紙」や「文学界」といった文芸雑誌を読むようになっていたようだ。

 ヒデタロウは、そんなシヨウに声をかける。

「ようシヨウ、ずいぶん文学に夢中になってるじゃねえかよ、ええ?」

「うん!」

 シヨウは、

「めちゃくちゃ面白いよこれ、お兄ちゃん! あたしもね、あたしもこういうのを書いてみたい!」

 そう大声で言った。

 ヒデタロウはゲラゲラと笑って、

「カハハ、それじゃ、お前が新しい日本の紫式部サマになってくれるってわけだ! 頼もしいな!」

 と言った。

 そういう兄の言葉が嬉しかった。

 ちなみに、シヨウはこのころ尾崎紅葉、幸田露伴、樋口一葉などの作品を読んでいる。

 どれも、近代日本文学のなかではロマンチックな、心のありのままを描いた作品だったという評価がある。

 どうやらシヨウの文学的な好みみたいなものは、こういう兄との読書のなかで培われたものなのかもしれない。

 そして16歳のとき、シヨウは『文芸倶楽部』という雑誌に自分の詩を載せることになった。

 そのときのペンネームは、鳳アキコ。アキコという名前で短歌が載ったのである。

 彼女の才能は、誰にも気づかれず少しずつ芽を生やそうとしていた。


 のちの彼女の名前は与謝野晶子。これは、そんな物語である。

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