吸血鬼傭兵物語 北方戦域編
ハークネス
第1話
欲望とは恐ろしいものだ。そのせいで人は奈落に落ちるのだ。他の種族からすれば、なんと哀れな存在なのだろう。彼らは人を見下していた。それもそうだ、欲の為に戦を起こす。それも何度も、何度も何度も。同族の戦争ほど虚しいものはない。彼らは分かっている。自分達は欲に支配されるような生き方は等に終わっている、それは長い寿命が為せる技。だが、人の一生は100年にも満たない。人々がそれらを学ぶには短すぎるのだ。
しかし、その欲望によって生きている奴らが居る。彼女もその一人なのだ。これは彼女が「バタイユビーブル」と呼ばれるようになるまでの物語。
ふーと息を吐く。その息づかいは鳥のさえずり、木々が擦れる音、川のせせらぎ、辺りの音にかき消されて吐いた本人にしか聴くことはできない。だが、本人はそんな音に興味など無かった。息が白くなり霧散する。
「まだ来ないのかな…」
彼女は何かを待っている。地面を両足で踏み締め立っており、その姿は木々によって隠されている。その周りには剣に、槍、クロスガンで武装をした男達が伏せている。地面や木に積もった雪にまみれながらじっと待っているようだ。皆真剣な眼差しで彼女を見つめている。
彼らは彼女が率いる兵士達。彼女はこの部隊の指揮官である。だが、彼女が男達を率いるに価するものなのか少し疑わしい。それは女性だからである。女性が兵士をするのは当然ではあるが、部隊を率いるのはあまり例がない。彼女が指揮官に値するのはこの後分かる。
男達の中の誰かが静かに呟く。
「まだでありますか?我々はいつまで待てば」
彼女は彼に一瞥するが、その問いには答えなかった。その代わりに隣に居た、とても髭を蓄えクロスボウを握りしめている男が彼に返事をする。
「若いの忍耐じゃよ。よーく辛抱して居れば必ず勝利を掴める。だから静かに待っておれ」
はぁ、そんなため息にも似た返事を返す。
発言した彼は、この戦いが初の実戦なのだ。体を震わせているのは寒さからなのか、それとも恐怖で震えているのか、彼にさえ分からなかった。
その時である。木々の向こうから何かが見えた。金属に反射した光、それが見えたのだ。光は続々と増えてゆく。肉眼で分かる距離になる。と言っても彼女の視力は常人では無かった。それ以前から見えていた。金属の鎧に身を包んだ集団。彼女達の目的は奴らだ。奴らがここの小川を渡るのはわかっていた。この辺りで川が浅いのはこの辺りしかない。敵はまさかここで攻撃を受けるとは思っていないのかそれほど警戒をしていない。
馬と徒歩で移動する敵。馬に乗っているのは騎士階級か、ピカピカに磨きあげられた胴体と頭のプレートアーマー、それ以外の箇所はチェーン・メイルを身にまとっている。徒歩に歩いている兵士も全身をチェーン・メイルをまとい、兜を被っている。
「さぁ来たぞ。我々の獲物が」
彼女は腰に携えた剣に手をかける。抜くには早いのか剣は鞘に入ったまま。男達も臨戦態勢をとる。今か今からと待ちわびている。
「執事…」
その声に彼女の近くに居る一人の男性が返事をする。
「何でしょう?お嬢様」
「帽子を預かってちょうだい」
「かしこまりました」
執事と言われた男は彼女から帽子を預かる。彼女の使用人。
そのようなやり取りをしている中、状況は刻一刻と変わってゆく。
敵の一人が川の深さを確認すると、その本隊が川を渡り始めた。
「今だ。行くぞ!」
彼女は走り出す。それに続き男達も走り出し後を追う。彼女はとても早い。防具を着けているとはいえ、大の大人の何倍もの速さで男達との差がどんどん開いてゆく。
敵が彼女達に気づいた時にはもう遅い。本隊は川の中、渡り切るにはもう時間が無い。
「敵だー!」誰が叫ぶ。
彼女は剣を抜き斬りかかる寸前であった。彼女の最初の獲物になったのは兜に赤い飾りを付けた人物だ。彼が剣を抜こうとした瞬間、彼が見た最後の光景は彼女の紅い瞳。直後、彼の頭は胴体と離れた。
一瞬の出来事。彼女は兜の隙間に剣を素早く差し込む。その動きは正確で手慣れているよう。そして、首を切り落とした。傷口から飛び散った血が彼女の顔に髪に掛かる。髪に掛かった血は一瞬にして吸収され艶が出る。彼女は顔についた血を拭ったりせず唇を緩ませ笑みを浮かべている。笑っている。敵はその光景を見て、自分達の運命を呪った。ここで終わりなのだと。
「さあ、次の相手は誰だぁ?」
その言葉に恐れる敵。だが、その中の一人が。
「敵は一人だ!囲んで串刺しにしろ!」
叫んだのが上級指揮官なのか、それとも下級指揮官なのか今の彼女には分からないが、骨の有る奴が居るとますます嬉しくなり頬が緩む。
「威勢は良いね。さぁ、かかってきなさい」
その場に居た敵は5人。彼女の周囲を取り囲む。そして鞘から剣を抜く。兜を被って全体は把握できないが開口部からは険しい目つきが覗いている。きっと顔全体もそのような表情をしているのだろう。
その目に気づいた彼女は。
「良い目をしているな!悪くないぞ。戦士の目だ!」
彼女は称賛している。これから殺し合いをする相手に敬意を持っているのだ。
それを聞いて彼らは思った。この状況で余裕を持っていると。
じりじりと敵は距離を詰めてくる。彼女は左手を後ろに当てる。裏のベルトには短剣が入った鞘がある。
ついに敵の一人が動く。剣を振り上げ斬りかかる。彼女は動く。この隙を待っていたのだ。素早く短剣を抜き、敵の首元目掛けて短剣を投擲する。
振り下ろす前に短剣がチェーン・メイルを貫き首元に刺さる。彼女の力ならばこの芸当を可能とし、とても人間離れした技だ。
刺された敵は口から出たと思えば、傷口からも血を吐き、両手から剣が離れる。残る4人は彼女の胴体を目掛けて剣を向けてく走ってくる。
このままでは4本の剣に刺され、上半身と下半身に分割されるだろう。彼女の無惨な死体が出来上がるか、この一瞬にかかっている。
まず彼女は一番近くに来ていた敵を次の獲物にした。敵が持つ水平に構えられた剣先を既のところで交わし、懐に飛び込む。彼女の剣は獲物の右脇腹に迫る。チェーン・メイルは彼女の斬撃に耐えられず、その使命を全うすることなく無惨に引き裂かれる。上下に別れたのは敵の方だった。上半身は崩れ落ち、下半身も数秒後には崩れ落ちる。
残るは3人。その剣先はすぐそこまで近づいている。背中に刺さらんとする剣先を彼女は、崩れ落ちかけた下半身を踏み台にして、そして宙を舞う。敵は呆気に取られた。飛び立つ寸前、宙を舞う時、敵は目が釘付けになった。きれいな放物線を描き3人の後ろに着地。着地と同時に体をねじり剣を振り上げる構えを取る。敵が後ろに振り向く前に剣を振り上げる。
左から右へ。剣は振られる。その刃の生贄になった最初の人物は、最初の戦死者のように鎧の隙間から剣が入り、そのまま頭を飛ばされる。勢いをそのままに2人目に斬りかかる。最初より斬撃の勢いは収まっているのも相まって鎧の隙間には入らなかった。しかし、それでも止められることはできず、剣によって兜がかなり凹んでしまう。中に収められている頭、つまり頭蓋骨がどうなっているかは、目で見なくても想像するだけでよいだろう。
残る最後の3人目に彼女の刃が向かうことはなかった。剣は凹んだ兜に引っかかり抜けないのだ。だが、彼女は焦るような表情を浮かべていない。それもそうだ、3人目の敵は地面に這いつくばり怯えていたのだから。すでに勝負はついていた。そして戦闘も。
彼女が残る3人を倒す頃に本隊も到着して戦闘に入る。剣に刺される者、槍に突かれる者、クロスボウに撃ち抜かれる者、ここは戦場となる。流された血は、遺体を離れて小川に流れる。死者は清水で洗い流され、流れる清水は鮮血によって犯される。この地で起こた出来事は、明日以降も増える死者の量の前では些細なモノでしかない。
男達の戦を背景に彼女は剣を抜こうとしている。
「生き残ったのは君か」
残る一人に話しかける。彼は怯えるだけ、兜で見えないが恐ろしい者を見る顔をしているのが分かる。股から生暖かい液体が流れ出ている。
やっと剣が抜けてまじまじと見つめる。
「これはもうだめだな…まあいいか。それで、感想はどうだ?」
「え…」
彼は疑問の声が上がる。
「わからないか。なら教えよう。さっきまで話していた戦友が血と肉の塊なった感想だよ」
「な、なんでそんな事を聞くんだよ」
彼は出来うる限りの声で彼女に問を投げかける。それに彼女は刃こぼれした剣を地面に突き立て、ツバに両腕の乗せて体重をかける。
「君が戦争処女だと思ってね。だから聞いたんだよ。それでぇ、感想は?とても恐ろしかっただろう?」
「こ、この。気狂いめ!人の心を分からぬ気狂いが!」
その答えに彼女は笑い出す。
「気狂いか。人間からしたらそうだろうな。褒め言葉としてもらっておこう」
「人間からしたら?」
彼は頭に疑問が浮かぶ。彼女は何を言っているのか、その真意を掴みそこねていたのだ。
そんな彼を尻目に彼女は剣から離れる。先程の戦闘で倒された男の一人に近寄って行く。右手でおもむろに頭を掴み、首元を口元に近づけ口を開く。紅い唇から覗くのは長く伸びた犬歯。邪魔であったのかチェーン・メイルを歯で噛みちぎり吐き捨てる。白い肌を露わにし、肌に歯を突き立てる。そこから何かを吸い取っていく。
その光景を見ていた彼はさらに驚く。先程の人間離れした戦闘と相まって、一つの結論に至る。
「お、お前。まさか。吸血鬼…」
「そうさ。見るのは初めてか?安心しろ、今はお前の血を吸ったりしないさ」
彼女らがそのようなやり取りをしているうちに戦闘は終わっていた。一方的な勝利だった。
倒れている敵から身ぐるみを剥がす者や負傷の手当をする者。ここには勝者しかいない。彼を一人を除いては。
川には敗者の血が流れ、清い水を汚し、我々の掌理を飾る。
兵士達に命令をすることなく吸血行為に夢中になる彼女。そこに近づいて来るのは帽子を持った執事。
「お嬢様」
そう言われた彼女は口を離す。吸血をやめる。
「どうしたの?」
「戦闘報告が出来上がりましたので持って参りました」
「分かった。読み上げて」
「敵はお嬢様が残した者を含めて2名を捕虜に、残りは殲滅しました。我々の被害ですが、負傷者12名、戦死者は出ませんでした。以上です」
報告を聞き、少し唇を緩ませる。
「ふむ。悪くない滑り出しだね。どう?どちらが勝ちそうかしら」
「装備の質からして、次男陣営は多くの貴族を抱き込んでいますな」
「長男より?」
「そうです」
「私達の雇い主は人望が無いのかしら?」
「病弱ですから。将来性を感じないのでしょう」
「ふむ…」
将来性と言う所に彼女は自分と重ねてしまう。吸血鬼は血を定期的に摂取しなくては生きてはいけない。その為、戦場に身を置くのも血を得るための一つの手段。その日暮らしのような日々を送っている彼女と長男は同じ境遇ではないかと勝手ながら思う。
2人が戦果を確かめ合っていると。捕虜となったもう一人を兵士2人がかりで連れてこられる。
「どうした通訳?」
「隊長。こいつが貴女と話したいと」
通訳と呼ばれた兵士の一人が彼女に伝える。彼女は執事との話を終えて捕虜に向う。
捕虜の姿は。この中でも階級が高いのか、装備が他の者より優れている。チェーン・メイルの上からサーコートを着用して、この部隊の指揮官である事が後にわかる。
「で、私に話とは何?」
通訳が捕虜に言葉を翻訳して伝える。彼らは少し話した後。
「隊長の名前を知りたいと言っております」
「私の名を?なぜ?」
「貴女の戦いに感銘を受けたと」
「ふん、感銘か…騎士階級らしい考え方だな」
騎士。この時代に舞い降りた聖人のような存在。と皆に思われている。名誉を重んじて、その為に死ぬ。だが、実際は権力に溺れた哀れな存在。
「鮮やかな奇襲、我々は体勢を整う前に殲滅された。この部隊の指揮官はさぞ高名な人物だとお見受けする。と言っております」
「私が高名な人物だとしたら、君は哀れな愚将だな。これは翻訳しなくていい」
彼女は皮肉を言った。自分達が全滅したのは敵が強大では無く、自らの無能が招いた、言わば必然。彼女はそれが言いたかった。彼らはいつもそうだった。奢った態度で物を見て、自分達の考え方がいつも正しいと思っている。そんなものだと教えられて来た。
「だから、教えてほしいと…」
「よしわかった、教えよう。私の名は『エルフリーデ・フォン・アイゼンシュタイン』。高貴なる吸血鬼一族の名だ」
それを聞き捕虜は驚く。アイゼンシュタインは3世代続く傭兵家業を生業としている。その3代目に当たる。そう彼女、エルフリーデが次期当主なるお方だ。
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