第72話 深夜の時計塔~魔法の鏡に映るものは

 今夜は少しばかり冷える。


 アリシアは制服の上に黒い外套を羽織り、午前二時の十分前に時計塔に着いた。


 扉の前にはランタンを持ったジョシュアがすでに立っていた。


「殿下、ご足労ありがとうございます」

「いや、これでアリシア嬢の気が済むのなら、私は構わない」


「では時間も迫ってきたことですし、行きましょうか」

 アリシアが扉を開けて先導する。


 真っ暗な時計塔の中、壁に沿ったかねおれ階段を上る。足元を照らすのは二人の持つランタンのみ。


 無言のまま二人は階段を上り続ける。

 いよいよ四階に着いた。


「初めてくるが、ここは奇妙な場所だな。四階だけ通路のような長い踊り場がある」


「はい、この先に鏡があります。ぜひのぞいてみてください」

 アリシアがそう言って微笑んだ。


「もし、私が鏡をのぞいて呪われたらどうする?」

「殿下に限ってそのようなことはありません。きっと魔法の鏡は弱い心に付け込むのです」

 ジョシュアは珍しく声をあげて笑った。


「面白いことをいうんだな。だがアリシア嬢、約束してくれ、これを最後にオカルトじみたことはやめるんだ」

「そうですか? 私にはロマンチックなことのように思えます」


「やはり、そういうことか……」

 ジョシュアは納得したようにひとつ頷くと、やっと鏡の方向へ歩き始めた。


 アリシアは固唾をのんで見守る。


 彼は鏡の向こうにどのような景色を見るのだろう。


 ジョシュアが鏡の前にランタンをかかげた。


 アリシアの魔力は旅で研ぎすまされ、鏡の装飾が光を帯びていくのが見えた。


 時空を捻じ曲げる強い魔力が発生している。とんでもない魔法道具だ。


 ほどなくして鏡の前に立つジョシュアの姿に変化が見えた。


 彼は震えだし、やがて悲鳴のような声を上げる。

 

 アリシアはすぐには駆けよらずしばらく様子を見守った。


 しばらくすると彼はがっくりと膝をつき、項垂れた。


 それでもアリシアは声をかけないで、彼が動くのを待つ。


 すると突然ジョシュアは立ち上がり、アリシアを振り返った。


「君はなぜ、マリアベルに毒薬を飲ませた」

 やはり彼はアリシアが予想した通りの映像を見た。


 アリシアは一拍置いて冷静に返事をする。


 真実に迫るのはここからだ。


「殿下、私ではありません」

「しかし、証拠も証人も揃っていた。それに君もこの鏡をのぞいたんだろう? それとものぞいていないのか?」


 ジョシュアは焦ったようにしゃべり出す。

 よほど内容が衝撃的だったのだろう。


「もちろん、のぞきましたよ。私は冤罪で首を斬り落とされました。首筋にあたる刃物の感覚を覚えています」


「お前が何を言っているのかわからない。陰気で気味の悪い女だ」


「やはりそれがあなたの本音なのですね。そう思うのなら、どうか私との婚約を破棄してください。私は殿下が恐ろしいのです。あなたは子供の頃から何を言っても私の言葉を信じない。そんなあなたと私が、信頼関係を築けるわけがないのです」


「君は私に恋い焦がれているはずだ。事実、処刑される寸前まで私に愛をつげていた」

 アリシアは頷いた。


「やはり見えましたか……、鏡の中の私は、殿下に縋る人生を歩みました。しかし今の私は違います。どうか、マリアベルと幸せになってください」


「そんなことをいって、君は嫉妬からマリアベルを毒殺しようした!」

 ジョシュアが興奮すればするほど、アリシアは冷静になっていく。


「お待ちください。殿下の見た未来を教えてください。私とあなたは婚約者でしたか?」


「婚約者だった。そして、君は私をひどく慕っていた」


「今は全く慕っておりません。あんなものを見せられて、あなたを慕うなど不可能です。これが鏡の呪いです。私はあなたを愛せません。それどころか恐ろしくてたまらない」


「しかし、君と婚約破棄などしたら、私の名誉はどうなる」

「あなたの名誉ですか?」

 アリシアは首を傾げた。


「そうだ。私は周りから常に清廉潔白であることを求められている。君と婚約破棄をして、マリアベルと婚約をし直すなど無理だ。民や臣下から不誠実な浮気者だとそしりを受ける」


 ジョシュアは自分の評判を守るために、アリシアとの婚約を解消しなかったのだ。


「私が身を隠している間に殿下を支えたのはマリアベルではないですか? 周りにどう思われようともご自分を貫けばいいではないでしょうか」


「冗談ではない! 君は君の役目を果たせ!」

「私の役目ですか?」

 アリシアは挑むようにジョシュアの目をのぞき込む。


 役目と言って、道具のようにアリシアを扱う彼に怒りを感じた。


「そうだ。私に対して縋りついて詫びるのが普通だろ。それをヴァルト伯爵の庇護を受けてぬくぬくと生きて。なぜ泰然としていられる?」

 これが彼の醜い本音なのだと思うと、怒りを通り越し、悲しみを感じる。


「殿下、私は父が寮費をわざと滞納して、夕刻間近に突然寮を追い出された被害者です。すでに寮監は罰を受けたと聞きましたが、あなたにはどのように情報が伝わったのでしょう?」

 ジョシュアはアリシアの言葉に顔をまっかにして憤る。


「うるさい! 黙れ! お前は私に婚約破棄を迫るのに、正当な理由を与えない! そんな状態でマリアベルと婚約しろというのか!」


「正当な理由? まさか……あなたは私を婚約破棄できる完璧な理由がほしかったのですか?」

 アリシアは愕然とした。


「どういう意味だ?」


「私は処刑されて死んだのですよね。その後この国はどうなりましたか? あなたが鏡の中で見たのはその後の世界ではないのですか?」


 アリシアが質問を返すと、ジョシュアの顔がこわばった。


「自分がいなくなって、この国が滅んだとでも思っているのか? 思い上がりだ!」

 次々に彼の醜い本音が吐き出され、アリシアの胸は苦しくなる。


 ジョシュアはアリシアが邪魔なのだ。

 

 この婚約で、アリシアはどれほどの時間を無駄にしたことだろう。


「そんなふうには思いません。ただ、私が処刑されたことで、あなたが王太子の地位を追われるのではないかと思っただけです」

 ジョシュアの顔は怒りでどす黒く染まる。


「貴様、たばかったな。何が魔法の鏡だ! 私の見た幻覚を共有したのだろう? いや違う。これはお前が作った魔法道具だ。そうに決まっている。でなければ、私があのような卑劣な真似をするわけがないし、ヴァルト伯爵が反旗を翻すわけがない!」


 アリシアは祖父が反旗を翻すと聞いてびっくりした。


「お祖父様が反旗を? それは私の処刑が引き金ですか? ……殿下は、いったい私に何をしたのですか?」



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