第68話 ロスナー家~カーティス・ロスナー公爵の最愛③

 カーティスは潮時だと思った。 


 サミュエルは賢く、したたかに育った。アダムよりずっとうまくロスナー家を継げるだろう。


(アダムだけではなく、私もロスナー家を継げる器ではなかったのだ)


「いや、不満はない。私も相応の責任を取るべきだと思っていた。お前に家督を譲る」


 カーティスの言葉にサミュエルが意外そうな顔をした。


「ごねるとでも思ったか。確かに私は愚かな父親だ。サミュエル、その本棚の一番上に並んでいる左から三番目の本を押してみろ。そこに隠し扉があり相続の書類が入っている。すべてお前のものだ。私が承認しよう」


 サミュエルは部屋の右手の壁にある本棚に近付き、左から三番目の本を押した。


  ずずっと音を立てて本棚が左右に開く、サミュエルが隠し扉に踏み込んだ瞬間、彼の頭と胸と腹の部分を目がけて数本の剣が襲ってきた。


 カーティスはサミュエルが倒れる姿を目の当たりにした。

「サミュエル!」


 カーティスは叫んでサミュエルに走り寄る。

 彼は頭から血を流していた。

 見れば、腹にも背にも刃物が刺さっている。

 そして背に刺さるのはロスナー家に伝わる宝剣。

 これを管理しているのはアダムだ。疑うまでもない。


「誰か! 医者を呼んでくれ! サミュエルが重症だ! それから役人を呼べ」

 カーティスが叫ぶと、使用人たちが集まって来た。


「おい! 医者を呼べと言っているだろう。貴様ら何を見ている!」

 怒りに駆られているカーティスのもとに、笑いながらアダムがやってくる。


「父上、甘いですよ? 家督を簒奪しようとするなんて極刑にあたいする」


「アダム! お前は自分が何をしたのか、これまで何をしてきたのかわかっているのか! これを仕掛けたのはお前だな。なんて卑劣な真似を!」


「卑劣? 正当な相続者たる私以外の者がその扉を開けたら、発動するように魔法道具を仕掛けておきました。次期当主として、そのくらいの備えは当然でしょ? むしろ褒めていただきたい」

「貴様! 絶対に許せん!」

 カーティスが怒りに震えて叫んだその時、サミュエルがむっくりと起き上がった。


 その場にいた全員が「ひっ!」と悲鳴を上げる。


「ったく、ああ、痛ってえ。こんな姑息な仕掛けでくるとは思わなかったな」


 まるでこの状況を楽しんでいるかのようなサミュエルの無邪気で緊張感のない声に場が凍る。


 彼は無造作に腹と背中と胸に刺さった刃物を引き抜いて放り投げた。


「この化け物が! 毒でも死なないからおかしいと思っていたんだ! 貴様、ナタリーと同じ魔族の血をひいているだろう!」


 サミュエルは準備運動でもするように、こきこきと頭を回して立ち上がる。


 すると彼の周りには、砕けちった魔石のかけらがぱらぱらと落ちた。恐らく壊れたアミュレットだろう。


「何を馬鹿げたことを言っているんだか。体中にアミュレットを装着していただけだよ。アダム、お前と会うのも今日が最後だ。お前は廃嫡だからな。で、今生の別れにお前が十二歳の頃に見たと言いはった魔力暴走を見せてやるよ」

 サミュエルは心底呆れたような口調で、感情のこもらない視線をアダムに向けた。


「は?」

 アダムがあっけにとられている。ほかの使用人たちも同様だ。 

 カーティスだけが嫌な胸騒ぎを覚えた。


「まあ、どうしてもこの部屋にいたいならいいけど、本当の魔力暴走だから、誰も守ってやらないよ? 死にたくなかったら離れたほうがいい。以上警告終わり」


 そう言ったサミュエルの足元から風が渦を巻き、書類をまき散らす。


 彼の金色の髪がふわりとなびく。ただならぬ気配を察した使用人たちが怖気づいて後退していった。


 一緒に逃げ出そうとするアダムの襟首をカーティスが掴んで叫ぶ。


「アダム! 貴様は、ここで見ていろ!」

 サミュエルはそんなカーティスを見て笑った。


 その刹那ドスンと地響きがして、暴風があれくるう。カーティスは廊下の壁に嫌と言うほど、背を打ち付けられて息が止まりそうになる。


 何とか息を整えて顔をあげると、窓も窓枠も壁も丈夫な執務机も消えていて、半壊していた。


 目の前にほとんど壁はなく、ぽっかりと大きく開いた穴からは、青空と庭園が広がっている。


 カーティスのそばには、アダムや好奇心にかられて逃げ遅れた使用人が幾人か転がっていた。


 身じろぎすると背中を強く打った痛みに悲鳴を上げそうになる。

 サミュエルが窓側に魔力を放ったので、彼らは助かったのだ。


 いつの間にか顔を上げたアダムは、恐ろしさにガタガタと震えている。


「こいつ、化け物だ。魔族だ!」


 サミュエルはアダムには構わず、カーティスに射るような視線を向ける。


「父上、ご覧になりましたか? これが本当の魔力暴走です。つまり制御されていない魔法だ。魔力の総量は赤ん坊の頃から決まっている。魔力の弱いあなただって、そのことはご存じのはずだ」

「……」

 カーティスが愕然とする横で、ほとんど魔力を持たないアダムは腰が抜けたのか、ずるずると地べたをはって逃げようとしている。


 サミュエルは言葉を続けた。


「母上は四階から転落した。その母上の遺体の上や周りに壁や窓ガラスや棚や照明、そんなものの破片が散乱していませんでしたか? 四階の部屋の壁やドアは無事でした?」


 今、執務室は半壊している。


「では、なぜ母上は四階から転落したのか。アダムは、なぜ俺が魔力暴走を起こしたなどと見え透いた嘘をついたのか。父上、あなたの目は曇っているようだから、乳母のメアリと当時の執事を連れて来ましょうか? 面白い証言が聞けるはずだ」


 氷のように冷たい笑みを浮かべるサミュエルを前にして、カーティスはすべてを悟った。


 自分が目をそらし続けていたものを……。サミュエルの乳母の行方を捜して証言を求めるまでもない。


 カーティスから最愛を奪った邪悪な者は、今目の前にいる。


 床に転がる宝剣がカーティスの目に入った。その瞬間カーティスは宝剣を握りしめていた。


「貴様! よくも私のナタリーを殺したな! 死ね!」

 カーティスは、恐怖に顔を引きつらせ逃げ出すアダムの背に宝剣を突き立てた。 


「痛っ……くそっ、なんで私が! やはりサムの味方をしたな。この裏切り者が、金色の瞳を持つ魔族など人ではない! 私は邪悪な者に鉄槌を下したまでだ!」 


 アダムは叫ぶと、別の刃物を拾い上げカーティスの脇腹をさす。


 突然始まった親子の殺し合いに血しぶきと悲鳴が上がり、ロスナー家は騒然となった。


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