第66話 ロスナー家~カーティス・ロスナー公爵の最愛①

 サミュエルの父カーティス・ロスナーは、広大な公爵家の二階にある執務室で、豪奢なマホガニーの執務机に座り深く項垂れていた。


「何もかもがうまくいかない。なんてことだ。サミュエルは……」

 役所に出頭するはずだったサミュエルは、もっとも彼らしくない行動に出た。逃げ出したのだ。


 カーティスは恥をかかされ、アダムは怒り狂っていた。


 サミュエルには出頭と言っていたが、本当は彼の刑は内々に断頭台と確定していたのだ。


 出頭から三日後に処刑される予定だった。


 あまりにも重い処分にカーティスは躊躇したが、魔物討伐での危険行為はこの国では絶対に許されないとのことだった。


(だが、ロスナー家の権力を使えば減刑出来た……)

 カーティスはそれをしなかったのだ。


 それに処刑が早まったのは、アダムが家の恥は早急に処分すべきだと強く主張した結果だ。


 しかし、最初に証言した学生は首を吊り、未だに意識がなく。サミュエルと同じ班の四人は次々とこの国から逃げ出すように姿を消した。


 つまり証言は残されたが、証人が消えたのだ。


 伯爵家まで、この国から逃げ出してしまった。これは異常事態である。


 そしてさらに魔法騎士団でたった一人の目撃者が先日の討伐で死んだ。嘘の証言をして仲間に粛清されたのではと噂が流れている。


 激しい討伐の最中ではそのようなことは起こるらしい。

 カーティスは嫌な予感がした。


 アダムが家の権力を使いよからぬことをしでかしたのではと……。


 時を同じくして、周りも騒ぎ始める。サミュエルは日頃から学園でも人望があり、人気者だった。


 そのせいか学生たちの間でサミュエルは嵌められたのだと噂になり、やがては広がり教職員や学園長に訴える生徒まで出てきた。


 下級貴族の子息だけではなく高位貴族の子息も騒ぎ始めたので収拾がつかなくなり、学園の教職員にもアダムやロスナー家に対して不信感を持つものが増えてきた。


 そのうえ、サミュエルと手合わせをしたり、討伐にいったりしたことがあるという魔法騎士たちが「彼は強いからわざわざそんなことをしなくとも簡単に討伐数は稼げるはずだ」と言い始め、サミュエルの無実を訴える署名が続々と集まってきている。


(もしも、サミュエルが逃げなかったら……)


 もっとひどい騒ぎになり、悲惨な結末となっていたことは想像がつく。

 

 こうなってくるとアダムが主導となり、家の権力を使ってサミュエルを陥れたとしか思えない。


 不正を働く愚弟を許せない、一族の恥だと言って早期の処刑を強行しようとしたのはアダムだ。


 証人たちはアダムに脅されたか、あるいは金品につられたのだろう。


 この分だと遅かれ早かれ、消えた証人たちが前言を撤回するために戻ってくるはずだ。


 このままでは、アダムを廃嫡にせざるを得ない。


(実際、アダムを役人に引き渡すしかないのだろう。長男が継ぐという過去の戒めからくる厳しいロスナー家の掟……それももう限界だ)


 しかし、そうするとロスナー家を継ぐ者がいなくなる。

 サミュエルは行方不明だし、三度目に結婚した妻もアダムと財産で争って出て行った。


 今まさに裁判の最中である。


 そのうえサミュエルの代わりに、アダムをジョシュアの手伝いにいかせたが、翌日にはミスも多く仕事も出来ないからいらないと断られてしまった。



 カーティスは深いため息をつき、サミュエルの母、ナタリーが亡くなった日のことを暗い気持ちで思い出す。


 あの日は朝から雨が降っていてジメジメとした嫌な天気だった。

 カーティスが二階の執務室で仕事をしていると、ズドンと地面に何かが落ちる大きな音が響き、慌てて窓の外を見た。


 地面はすでに血だまりで……雨に流される血……見覚えのあるドレス。

「馬鹿な……そんな、馬鹿な」

 死に物狂いで駆け出した。どうやってそこまでたどり着いたのか覚えていない。

 ナタリーのもとに駆け寄ると、血が雨で流され、ぱっくりと割れた頭が目に入る。

 

 もう生きていないと一目でわかった。


 カーティスは変わり果てた最愛の妻の姿に呆然とし、泣き叫び暴れ、意識を失った。

 

 きっとこれは悪夢なのだと……。


 その後、葬儀は行われたが、カーティスの記憶はほとんどない。その日から彼の世界は灰色に染まってしまった。


 失意のうちに、カーティスは何度もサミュエルの部屋に訪れた。

 愛らしく綺麗な寝顔が愛妻によく似ていて、再び涙があふれ出た。


「サミュエル、かわいそうに。お前の母親は逝ってしまったよ」


 カーティスはサミュエルのやわらかい白金に近い髪を撫でていると、そこへ十二歳になる長男で前妻の子のアダムが入って来た。


「父上、少しお話したいことがあります。廊下に来ていただけませんか?」

 カーティスはこの長男があまり好きではなかった。


 陰気で子供らしさがなく、赤ん坊だったサミュエルを抱っこすると言って、落としたことが何度もある。


 子供のやきもちにしては陰湿だと思った。

 しかし度重なるお家騒動から、ロスナー家を継ぐのは長男だと決まっているので、カーティスはしっかりと教育を施していた。


「どうした、アダム」

 ドアの外に出ると、サミュエルの乳母メアリがいた。

 彼女はがっくりと項垂れている。


「ほら、メアリ、言いなよ。私が父上に口添えしてあげるから」

「なんだ。どうかしたのか? まさか乳母をやめたいのか?」

 メアリはナタリーが自ら選んだ乳母だ。


「はい、旦那様、私は乳母失格でございます。どうか首にしてください」

「どうしたんだ、いったい?」

 サミュエルは健やかに育っている。

 何の問題があるのかさっぱりわからない。


「実は奥様が屋敷の四階から落ちた日、サミュエルお坊ちゃんが魔力暴走を起こして、それを奥様が止めようとして窓に打ち付けられて……」

 乳母は震える声で告白すると、そのまま泣き崩れた。


「ほら、最後まで言いなよ」

 アダムがせかす。


 そうサミュエルは母似で、生まれた時からけた外れの魔力を持った子供だった。


 カーティスの心臓がどくどくと嫌な音を立てる。


「申し訳ありません。旦那様、私がお坊ちゃまの魔力暴走を抑えられなかったばかりに、奥様が……命を落とされました」


 その後、カーティスは何かを喚いた気がするが、覚えていない。


 ただ、サミュエルの顔が見られなくなった。


 愛しい人の子供であり、愛しい人を殺した子供。


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