第2話 アリシアの初恋①

 ――ウェルストン侯爵家の娘であるアリシアが六歳の時、その婚約は決まった。


 初めての顔合わせは王宮の庭園で、満開のバラが甘い香りを運んでくる中で、気の弱いアリシアはどきどきと緊張しながら、王太子ジョシュアの到着を待った。


(どんなお方なのだろう。優しい方だといいなあ)


 父のトマスはすぐ怒るし、怒鳴るので、アリシアはいつもびくびくしている。


 出来れば静かな優しい声で語り掛けてくれる人がいい。


 絵本にある王子様のような……、子供心にそんな夢を持った。


 だが、いくら待ってもなかなかジョシュアは現れない。

 父のトマスは王宮の侍従に呼ばれて席をはずしていまい、アリシアは独りぼっちになった。


「へえ、君が未来の王太子妃なんだ」


 明るく興味津々な子供の声が後ろから聞こえてきて、アリシアはびっくりして危うく椅子から落ちるところだった。


 振り返ると、アリシアと同じ年くらいの男の子で立っていて、金髪で綺麗なはちみつ色の瞳をしていた。


 ジョシュアは青い瞳だと聞いていたので、彼の訳がない。

(誰? どうしよう……)


 内気で人見知りなアリシアはもじもじしてしまう。

 男の子は無邪気に笑った。

「ねえ、王太子妃より、僕の花嫁になった方がきっと楽しいよ! お妃教育もないし」

「え?」


 アリシアが驚いて目を瞬いた瞬間、男の子は何かに気づいたように小さく叫び声をあげる。


「あ、しまった! じゃあ、またね!」


 男の子は風のように庭園の奥へのしげみへと駆けていった。

 アリシアが呆然として彼を見送っていると、ざわざわと多くの人が移動する音がしてきた。


 従者を従えたテルミアナ王国の王太子ジョシュアが現れた。

 銀髪に青い瞳をもつとても綺麗な人だった。


 アリシアは一目で恋おちた。


「私はジョシュア・ユアル・テルミアナだ。よろしくアリシア嬢」


 ジョシュアの話し方に柔らかさはないが、落ち着いていて静かだった。 


 アリシアはそれだけで、ほっとした。


 ジョシュアは気を使って話しかけてきたが、アリシアは緊張して、なかなかうまく話せない。


 二人で庭園を散歩したが、ジョシュアとはそれほど打ち解けることはできなくて、アリシアはちょっぴり落胆した。


(大丈夫、次はきっと……。私は殿下と仲良くなりたい)

 そんな期待を抱いた。




 婚約が決まった翌日から、すぐにアリシアのお妃教育は始まった。


 アリシアは真面目に授業を受けた。とても厳しいものだったが、ジョシュアが大好きになっていたので必死に取り組んだ。


 そしてご褒美のように月に二回のジョシュアとの茶会が王宮の庭園であった。


 二人きりになってアリシアは、何を話していいのかわからなくて毎回のように戸惑った。


 彼女は万事受け身で、内気だったのだ。だから、アリシアは聞き役に回ることした。


 今ジョシュアがどのような勉強をいているとか、どんな本を読んでいるとかそんな話をした。


 そしてジョシュアに話しを合わせるためにアリシアは、彼が読んだ本を王宮図書館で借りて必死に学んだ。


 彼と話を合わせるためにだ。たとえアリシアの方から話題を提供できなかったとしても、大好きなジョシュアの話しにいい加減な相槌は打ちたくない。


 ジョシュアは唯一アリシアを対等な人間として扱ってくれるひとだった。

 もちろん、アリシアの家族のように怒鳴ったりしない。


 だから、トマスが厳しければ厳しいほど、アリシアはジョシュアへの思いに縋るようになった。



 それから五年の時が過ぎアリシアが十一歳の時、ウェルストン家に義母デボラと連れ子の十歳になる愛らしい少女マリアベルがやってきた。


 マリアベルはこの国でも珍しい聖魔法の使い手ということで、ウェルストン家の正式な養女となった。


 アリシアの実母ジェシカは五歳の時になくなり、その後トマスはすぐにデボラを後妻として迎えようとしたが、祖父のエドワードと祖母のバーバラがデボラの出自が理由に反対した。


 ウィルストン家の入り婿であるトマスは、アリシアの母ジェシカが他界する前から、祖父母と折り合いが悪く別居状態だった。


 ジェシカが他界すると、その五年後にデボラと再婚し彼女の連れ子で実子ではないマリアベルと養子縁組した。


 この強引な結婚と養子縁組が原因となり、祖父母とは絶縁したが、家督をすでに継いでいるトマスにとってはどうでもよいことだったらしい。

 現在は祖父母は飛び地の領地であるヴォルト伯爵領に住んでいる。


 ここから本当の意味でアリシアの地獄が始まった。


 トマスは実子ではないマリアベルに夢中で彼女に優しかった。マリアベルが欲しいと望めば、アリシアのドレスやアクセサリーは奪われ、部屋さえ奪われた。


 最初こそ抗議したものの、マリアベルは今まで市井に隠され苦労して育ったと言われ、お前は思いやりがないと、トマスやデボラにひどくなじらた。


「そんなことでは将来の王太子妃になどなれないぞ」

 トマスの言葉は十一歳のアリシアの心を抉った。


 アリシアはジョシュアが大好きだったから、将来立派な王太子妃になるため、マリアベルにすべてを譲った。


 今では四階にある日当たりの悪い部屋で暮らしている。


 侯爵家の嫡女としては考えられない待遇だったが、アリシアは社交デビュー前の子供でそんな事すらわからなかった。


 アリシアが大人しいのをいいことに、トマスの態度がだんだん悪くなっていく。


 家督を譲り受け、祖父母と絶縁したことも彼の気を大きくさせたのだろう。


 トマスはアリシアを怒鳴りつけれるだけではなく、暴力を振るうようになった。


「お前は、本当にあの女に似て腹が立つ!」

 最初は「あの女」が誰をさしているのかわからなかった。

 だが、ほどなくして使用人たちの噂話から実母のジェシカをさしているのだと気づいた。


 トマスはアーベン男爵家の次男で、ウェルストン侯爵家のジェシカに一方的に好意をむけられた。

 逃げ回っていたものの、ジェシカが権力を持ち出し、当時恋仲だったデボラと別れされられたのだという。


 ウェルストン家はジェシカが成人したら家督を継ぐことになっていた。

 その家督を入婿であるトマスに譲るからとジェシカに口説かれて結婚したらしい。


 だから、アリシアが憎くてたまらないだろう。


 これはアリシアが、ウェルストン侯爵家の使用人たちから聞かされた話しだ。


 もともと気が弱く、親に庇護されないアリシアは、引きこもりがちになり、使用人たちにまで軽んじられるようになった。


 家の中で孤立し、辛いことを忘れるために部屋にこもり、ただひたすら勉強に打ち込んだ。アリシアの中では、勉強することだけがジョシュアとの唯一のつながりであり、絆だった。


 いつの日か結婚してこの家を出ていくことを夢見るようになっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る