第14話 イムリス平原の戦い(2)
ゾフカール帝国からの宣戦布告を受けて、ラプナールの王宮は異様な緊張感と慌ただしさに包まれていた。既に北の国境地帯に展開している三王子らの軍勢だけでは対処しきれなかった場合に備えた兵の追加動員が発令され、部隊の編制、兵糧や武器弾薬の調達、それらの財源となる国家予算の捻出といった各種手続きが大急ぎで進められる。ただそうした目が回るような多忙さの中であっても、メクスワン六世には父親として忘れる訳にはいかない大事な案件が一つあった。
「ラットリーよ。役目ご苦労であった。どうじゃ。ルワンは達者であったか」
メクスワンは王の執務室にラットリーを呼びつけ、作成された命令書に目を通す傍ら昨日のルワンの視察についての報告を受ける。見るからに忙殺されている様子の王や秘書官らの前で恐縮しながら、ラットリーは王族の中でも特に親しい間柄にあるルワンと会ってきた印象を王に上奏した。
「殿下はまことにご壮健で、修業にもとても一生懸命に励んでおられるご様子でした。右足の麻痺はまだ完治には程遠いですが、以前より確実に動かせるようになっており、チャザットの蹴り技もなかなかの形で繰り出せるまでになっておられます」
「そう……それは良かったわ」
メクスワンよりも先に、隣で父王を補佐しているピムナレットが安堵の声を漏らして嬉しそうに微笑む。人質として王家に預けられて育ったラットリーは、幼い頃から実の姉のように慕ってきた王女の優しげな笑顔に釣られて自分も頬を緩ませた。
「あの子も頑張っているようですね。父上」
「うむ。一時は歩くことさえ困難だったのを思えば格段の前進じゃな。ラットリーよ、これはそちとフジザネの多大なる忠勤の賜物であろう」
「勿体なきお言葉。全ては殿下の並々ならぬご努力の成果に他なりません」
謙遜しつつも、ルワンのここまでの成長には一緒に付き添ってきたラットリーとしてもやはり感慨深いものがある。ルワンが出家した理由の一つには足が不自由で武将としてまともに戦えないからというのもあったのだが、ここまで来たらいつかは戦場に立てるようになることも現実的な目標として考えても良いのではないかと、彼女としては遠からず機会を見計らって王に進言してみたいところである。
「ところでラットリーよ。此度のゾフカールとの戦にはそちも父君と共に出陣いたせ。余が率いる本隊の右翼の指揮をマノウォーン家に任せる」
「ありがたき幸せ。必ずや武勲を立ててご覧に入れます」
大切なルワンを侵略者の手から守るためにも、絶対に負ける訳にはいかない。王都から向かう援軍の一翼を担える栄誉を、ラットリーは思わず小躍りしそうになるくらいに喜んだ。
「武勇抜群のそちが味方に加われば、アピワットやセタウットらもさぞ心強いであろう」
人質というのはもし実家が反逆すれば容赦なく首を刎ねられてしまう身ではあるものの、王家の外戚でもあるラットリーの場合はいとこにあたる王子や王女らに特に温かく迎えられ、叔母である亡き王妃にも目をかけられてとても可愛がられてきたという実感がある。敬愛するパトムアクーン王家の人々のためにも必ず役に立ってみせようと、ラットリーは心に誓った。
「急げ! あと一息だ」
薄暗い原始林の中を、セタウット王子の隊は息を潜めて行軍していた。地元の住民と軍の関係者だけが知る、細く曲がりくねった獣道。こんな抜け道があるとは知るはずもない敵のコサックたちは、突如として本陣の目の前に現れたナピシム軍の奇襲に慌てふためくに違いない。
「もう少しだ。出口は近いぞ!」
セタウットが配下の将兵たちを鼓舞し、馬の速度を更に上げようとしたその時、深い茂みの中で不意に銃声が響いた。飛んできた銃弾はセタウットの頬を掠め、背後の木の幹に命中する。
「何っ……!?」
切れた右頬から血を滴らせながら、驚愕したセタウットは馬上で素早く周囲を見回した。刹那、二度目の銃声――今度は複数――が轟き、彼の周囲にいた兵たちが数人まとめて薙ぎ倒される。
「この森が貴様の墓場だ。セタウット王子よ」
森に響く不気味な声と共に、左右の茂みから飛び出してきたコサック兵たちが銃剣を突き上げ一斉にセタウット隊に襲いかかる。予想だにせぬ展開に、精強を誇る彼の部下たちもたちまち混乱に陥り次々と討たれていった。
「おのれ、なぜ敵がこの道を……?」
組みついて自分を馬から引きずり降ろそうとしてきた敵兵の肩に剣を力一杯叩きつけ、振り落としたセタウットが想定外の事態に歯噛みする。次の瞬間、樹海の薄闇の中に赤い閃光が走り、左胸に熱い痛みを覚えてセタウットは吐血した。どこからか発射された光線が彼の鎧の胸板を貫き、心臓を撃ち抜いたのである。
「ば……
ゾフカール人やバヤール族の者たちが以前からこの抜け道を知っていたとは思えない。にも関わらず、現にこのように待ち伏せを受ける結果となったという事実は一体何を意味しているのか。思考を巡らせてその疑問の答に辿り着くと同時に、落馬して地面の柔らかい腐葉土に身を沈めたセタウットの視界は暗転した。
「よくやった。カゲツナよ」
絶命したセタウットの頭を鉤爪の生えた奇怪な足で踏みつけながら、
「ナピシム軍の本陣への奇襲、先鋒はこの景綱にお任せを」
景綱は立ち上がると魔力を高め、自身も禍々しい緑色の蛇の魔人セルペンスゼノクに変身する。寝返ってゾフカール軍にこの秘密の抜け道を教えたのは、他ならぬ彼らサムライたちだったのである。
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