第13話 イムリス平原の戦い(1)
翌――アレクシオス帝暦・一五九六年七月十八日。
「やぁっ!」
修業のためヴィルット山に山籠もりしているルワン王子の朝は早い。夏の暑さと湿気が増してくる前に外で体を動かしておこうということで、日の出と共に起床したルワンは今日もデーンダー僧院の広い境内でチャザットの練習に励んでいた。
「たぁっ! とうっ!」
「型が乱れかけております。もっと爪先まで気合を入れて!」
藤真の指導を受けながら、柔らかい藁人形を何度も繰り返し蹴りつける。八年前、六歳の時に火災の後遺症で右足が動かなくなってしまったルワンにとっては蹴り技が主体のチャザットは数ある武術の中でも特に難しいものだが、神経の麻痺を治すのに足の運動による作業療法は効果的ということで、侍医や父王らの考えで数年前から訓練を続けていた。
「あっ、アドゥルーだ」
クワァ、という甲高い鳴き声を発しながら、一匹の小さな飛竜がこちらに向かって飛んでくる。気づいて蹴りの練習を中断したルワンが片手をかざすと、アドゥルーと名づけられたその山吹色の美しいドラゴンは腕の上にひらりと舞い下りた。
「王都からの
手のように発達したアドゥルーの短めの前脚には巻物が握られている。ルワンがもう片方の手でそれを受け取ると、役目を果たし終えたこのドラゴンの子供は飼い主に褒めてもらいたそうに甘え声を上げて頬ずりした。ナピシムではティーラレウルスと呼ばれるこの温厚な小型飛竜の一種を家畜化して躾け、手紙などを空輸する伝書竜として用いているのである。
「よしよし。いい子だねアドゥルー。……フジザネ、ちょっと頼むよ」
「ははっ。では」
じゃれてくるアドゥルーを撫でるので手一杯になっているルワンから巻物を渡された藤真が書状を広げて読み始める。王宮の書記官が
「国王陛下はゾフカールへの臣従を拒否され、コサックは武力によるナピシム征服を宣言したとのこと……。彼らも同じように連絡手段に飛竜を使っているならば、今頃はもう国境地帯の方では戦が始まっているかも知れませぬな」
「兄上たち、大丈夫かな……」
ルワンが心配そうに北の空を見やると、それまで無邪気に甘えていたアドゥルーも主人の不安を察してじゃれるのをやめグルグルと喉を鳴らす。ナピシムの泰平の眠りを覚ます一大決戦の喚声が、風に乗って遠くここまで聞こえてきそうなほどであった。
「ナピシムの弱兵どもを馬匹で踏み潰す。三百年前の悪夢を今ここに蘇らせてやるのだ!」
英傑ビルグン汗の血統を誇る勇猛な遊牧民の騎馬軍団が、雪崩を打ってナピシム軍に攻めかかる。大地を揺るがし、砂煙を濛々と巻き上げて突撃する騎兵たちの勇姿は、前世紀までならば確かに農耕民族のナピシム人たちを大いに震え上がらせたことだろう。だが、西のアレクジェリア大陸から銃火器が伝来した今は以前とは状況が違っていた。
「来たな。鉄砲隊、構え!」
プラシット王子の隊が大きく左右に広がった横隊陣を敷き、その最前列に火縄銃を並べてバヤーグ軍の突撃を今や遅しと待ち構える。鉄砲の射程距離内まで敵を十分に引きつけてから発砲命令が下され、狙いを定めた数百の銃口が一斉に火を噴いた。
「放て!」
轟音と共に撃ち出された銃弾が、猛然と正面突撃を仕掛けてきたバヤーグ族の兵士と馬に襲いかかる。疾走していた騎兵の先頭集団が次々と落馬、あるいは馬ごと横転し、後ろに続く者たちにも衝撃と動揺が走る様子が遠目からでも見て取れた。間髪入れず二列目に待機していた銃兵が弾を撃ち終えた一列目の仲間と入れ替わり、怯んで失速したバヤーグ軍に再びの銃撃を浴びせて薙ぎ倒す。
「計算通りだな……。やはり時代は変わった。鉄砲さえあれば、騎馬隊の突撃など恐れる必要はない」
理論上は当然の結果とは言え、これほど大規模な鉄砲隊の実戦運用はナピシム軍も経験が乏しいため一抹の不安はやはりあった。外国産の飛び道具の猛烈な火力が敵の騎馬隊を圧倒しているのを見て安堵したプラシットは、いよいよ後方に控えていた傭兵のサムライたちを前へと繰り出す。
「傭兵隊、攻撃を開始せよ!」
瑞那人の傭兵たちは騎兵と歩兵の混成部隊で、主にその出身地によって東西南北の四隊に分けられている。総大将であるアピワット王子の采配でまずは先陣を務める西国勢のサムライ軍団およそ三千人が太刀や長槍を振りかざし、ナピシム兵が鉄砲で弱らせたバヤーグ軍を目がけて鬨の声を上げながら攻め出していった。
「東国勢、南国勢も順次攻めかからせよ。北国勢は遊撃部隊として待機し、側面に回ろうとする敵を叩くよう備えさせるのだ」
「心得ました。後は兄上の隊が敵の側面を突けば……」
ハムカの森林の中を密かに行軍しているセタウット王子の部隊はそろそろ敵の本陣の付近に出る頃だろう。王家きっての武勇で知られる彼が一気呵成、側面から不意打ちの突撃を仕掛ければ勝敗はそこで決するに違いない。
「しかし遅いですな。戦機を察するのに
戦意旺盛な西国勢のサムライたちは数に勝るバヤーグ兵を多数討ち取り、敵陣へと押し返しつつある。ゾフカール軍は増援のバヤーグ人部隊を続々と前線へ送り込み、次第に前がかりとなって後方の本陣が手薄になっていた。奇襲を仕掛けるには絶好の状況のはずだが、まだセタウットの隊が森の外に姿を見せる様子はない。
「存外に行軍に手間取っているのか、それとも何か考えでもあるのか……。森の中から見えるかは分からぬが、狼煙を上げて合図せよ」
「ははっ!」
敵軍が攻勢を強める中、このまま手をこまねいて好機を逃し続けていればいずれこちらが押し切られて劣勢となってしまう。焦れたアピワットは配下の兵に狼煙を上げさせ、弟に奇襲攻撃の開始を催促することにした。
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