第3話 王子と外戚と傭兵(3)
ラハブジェリア大陸の東南部、熱帯雨林が生い茂る肥沃で温暖な海沿いの平原地帯にパトムアクーン朝ナピシム王国が成立しておよそ三百年。繁栄を謳歌するこの国の港には西のアレクジェリア大陸から数多くの船が訪れ、中でもジョレンティア王国とユリアント公国は商人や宣教師らを積極的にナピシムに派遣して貿易とロギエル教の布教を進めていた。
一方、東の島国・瑞那では天下統一が成されて長く続いた戦乱が終わり、武士――またはサムライと呼ばれる戦士階級は活躍の場を失って持て余され失業して浪人となる者も多かった。国内では既に余剰戦力と化していたサムライたちの一部は新天地を求めて海を渡り、はるか南のナピシムで王侯貴族らの傭兵として武芸の腕を振るうようになった。泰平の世が続いて兵が弱体化しつつあったナピシムでは、サムライの精強ぶりと死をも恐れない勇猛さは重宝され、次第に軍事力の中核を担うようになっていった。
アレクシオス帝暦一五九六年・盛夏。洋の東西から同時に打ち寄せる国際化の波に洗われて、歴史ゆかしきこの王国は新たな時代を迎えつつあったのである。
「何をしている! 早くサムライどもを片づけろ!」
ジョレンティア人の奴隷商人が繰り出してきた用心棒はサムライたちとほぼ同数。元は海賊や山賊や殺し屋だった者や凶悪犯罪者、あるいは仕事を選ばない食い詰めた若者など、ナピシムや近隣諸国の表社会からあぶれ出たならず者ばかりで、いずれも屈強で残忍だが、母国・瑞那の熾烈な戦乱で鍛え抜かれたサムライたちからすればその戦闘力は素人に毛が生えた程度でしかない。
「悪党め。同じナピシム人の子供が奴隷に売られてもおぬしは平気なのか?」
トゲ付きの棍棒を持って自分と相対した大柄なナピシム人の男に、藤真は怒りをぶつけて問い詰める。嘲笑うように肩を揺らしつつ、若い頃からずっとこの国の任侠の世界で育ってきたその男は答えた。
「綺麗事ばかり言ってんじゃねえよ。おサムライさんよ。人身売買ほど楽に稼げる商売もなかなかねえぜ。特にジョレンティア人たちは植民地で労働力に使うからって、奴隷をいくらでも買ってくれるからな。昔から世話になってきたお得意様って奴さ」
「そうか……ならば我らサムライの
「ざけんじゃねえっ!」
野太い唸り声と共に猛然と襲いかかってきた男の棍棒をひらりとかわし、敵の懐へ飛び込んだ藤真は振り上げた刀を一閃する。左肩から右腰までを深々と斬り下げられて、男は血を噴水のように噴き上げながら仰向けに倒れて絶命した。
「おらおら、その程度かテメエら! 奴隷貿易なんて悪どい商売してるようじゃ、ロギエルとかいう神様のご加護も得られねえようだな!」
一方の景佑も華麗な太刀捌きで用心棒たちを次々と斬り伏せ、いつもの滑らかな毒舌で敵の不甲斐なさを煽る。盤渓も薙刀を振り回して怪力で敵を薙ぎ倒し、康繁はやや離れた場所から矢を放って仲間を背後から襲おうとする者を次々と射抜いていった。
「諦めな。こうなっちゃもうテメエらに勝ち目はねえ」
たちまち全ての敵を討ち果たし、骸と化した彼らをゴミのように貨物室の床に散らかしたサムライたちはハメスと奴隷商人らを包囲した。
「大人しく縄につけば、命だけは助けるぞ」
藤真が太刀を向け、ハメスらに降伏を迫る。だが次の瞬間、それまでずっと退屈そうに戦闘を眺めていた先ほどの細身な会計役の若者――エルナン・カシージャスはフンと嘲るように鼻を鳴らし、持っていた筆と契約書を足元に投げ捨てて言った。
「こうなったら俺様が相手だ。全員薙ぎ倒してやるぜ」
「おいおい、何の冗談だ? いや、面白くねえとは言わねえがよ」
今度は景佑が噴き出すように笑う番だった。藤真もあまりの発言に、虚を突かれて唖然としている。見たところ丸腰で、体格も華奢なこの軽薄そうな見かけの青年がたった一人でサムライたちを相手に戦えるなどとは信じられない。しかしエルナンはそうした反応も最初から予測済みだったようで、哀れむような目で景佑らを見ながらにやりと哂うのだった。
「例え神のご加護がなくても、神から奪った力で戦うって手もあるぜ。その意味が分かるか? 間抜けなミズナ人さんよ」
「何だと」
刹那、奇怪な現象が起こった。両手を広げて立つエルナンの体から青い光が煙のように立ち昇り、徐々に勢いを増していったのである。サムライたちの間にどよめきが起こる中、貨物室の薄闇の中に眩しく輝くその魔力の波動は詠唱された短く簡潔な呪文を合図として、彼の全身に吸い付くようにして実体化した。
「――
それは人体を隙間なく覆う、魚を模した硬く分厚い鎧。無数の魔力の粒子が凝固してできた、怪物のような形状の全身装甲であった。一瞬の内に、エルナンは魔法の力で魚を擬人化したような異形の姿――
「なるほどのう。一番弱そうな奴が実は隠し玉だったという訳か」
盤渓がそう言って苦笑いし、康繁も弓を構えながら警戒してゆっくりと後ずさる。慄きつつ迎撃態勢を取るサムライたちに、スコンベルゼノクは切れ味抜群の刃となっている両手のヒレを向け、禍々しい魚の仮面を嗜虐的な笑みに歪めて襲いかかった。
「死ね! 生意気なサムライども!」
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