邂逅①

2023年12月9日午前10時38分


灰色がかったコンクリートで作られている無機質な階段を、タッタッタッと小気味よい靴音を場内に小さく響かせながら、赤星未来は神経を集中させて駆け上がっていた。

靴底が硬く作られている段に当たるたび、建物内にわずかに響く音が、彼の緊張を高めていく。

その緊張からか、段を踏みしめる感覚が、いつもよりもずっしりと重く感じることに小さく息を吐きながらも、彼は振り返ることなく、柔らかいベージュカラーに淡いラベンダーの色味を混ぜた色の短い髪をゆらゆらと踊らせながら、そのペースを維持していた。

目指すは築35年物の古びたアパート『ラクールシモカワ』の306号室。

彼が今抱えている緊張の原因である任務──殺人事件の調査がそこで待っている。


目的の3階までを上り終え、ひと息つくこともなく、急いで部屋のドアまで廊下を駆けて向かうと、そこにはスーツ姿のアフロヘア―男が立っていることを黒色の瞳がとらえる。

その黒のアフロは、まるで夜空のように深く、光を吸い込むような漆黒の色合いをしていた。

ボリュームたっぷりに膨らんだ髪の一房一房がしっかりとカールされており、大きく綺麗な丸を帯びたその雄大なシルエットは強い存在感を放っている。


相変わらず目立ちやすくて、見つけることに関しては本当にありがたい髪型だ。

未来が心の中でそのような評価を抱いているとはつゆ知らず、薄く微笑みながらスーツのアフロ男がこちらに向かって口を開いた。

「到着まで早かったですね。お待ちしていましたよ赤星さん」

「御影さん、ご無沙汰しています。別件の捜査でたまたま近くにいたものでして。──ところで事件の方は」

アフロ男──御影と呼ばれた男は緩めていた表情を引き締めて未来に説明を始める。

「10時12分頃に『悲鳴が聞こえた』と隣の住人からの通報が発端です。遺体には何か所も刺し傷がありましたので、最初は刺殺の体で進めていたのですが、状況的に能力者絡みの疑いがあると踏みました。ただあくまで『疑い』ですので、最終的な判断はあなたたち異策の方々に委ねるしかないといったところです」

「状況的に、というのは?」

「犯人が逃走した形跡がないのです。周囲の目撃情報も有力なものは特になく、お手上げといったところでして」

「なるほど……」と未来がぼやいたように呟くと、御影は軽くうなずき「こちらです」と部屋の中に入っていった。未来はそんな御影に続く形で306号室に足を踏み入れる。


──今日は家をでたときから、一点の曇りもなく文句ひとつない快晴だった。空はどこまでも澄みきった柔らかな藍色で広がっており、まるで空自らが「今日は洗濯日和だぞ!」と叫んでいるように感じていたことも思いだす。

「今日1日を過ごして何が一番印象に残りましたか?」とインタビューをされたら、少しクサい台詞を言ってる気がして照れるが、間違いなく「空が青かったことです」と答えただろう。それほど文字通り清々しい朝だった。

「被害者の名前は飯田 昭雄。歳は35、付近のIT会社に勤めていたとのことです」


──乱雑に血の色で塗られ、床に横たわっている遺体をこの眼に映すまでは。


そのやせこけた体型に着古されたのか、ヨレヨレの皺が入っている白いシャツには、いくつもの赤黒い染みが広がっており、その布地を荒々しく貫いた無数の刺し傷が、無数に刻まれている。

いくぶん肉の落ちた顔に備わっている目は虚ろに見開かれ、そこに生気は残っていないことを物語っていた。

冷えた空気の中に漂う微かな血臭が自身の心を深く沈める。


これだけは──これだけは完全に馴れることはできないだろう。

そう頭によぎった瞬間、心臓がきゅっと軽く締めつけられ小さく痛んだ。

胸の奥にうっすらと滲む重みを感じながらも、その思いを押し殺し、静かに息を整える。


『せめて、最期は苦しむことなく、一瞬でありましたように』

未来はそう願いを込めるように、そっと目を閉じて静かに祈った。

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