1-2.契約

「──イッッッテェなアアアァ!!!」

 濁点の付いた叫び声が部屋全体を揺らした。

 橋切はしぎりペタ、今、目を剥き、傘を放り出す──。

 それは、大声量の赤和傘。呪われた、赤和傘。

 その正体は──?

「オ・マ・エェ!」

「はぅあ……!?」

 尻もちをついた私に、床に落ちた傘は怒鳴った。

「俺がダレだか、知っててやってんのかァ!?」

「……えっ……」

 まるで意味が分からない。

 こんなバケモノが、私の部屋にいること。言葉を発していること。体が縛られる、この感覚も──!

 逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ!

 来るな来るな来るな来るな!

 心で叫んだって、声にはならない。

 私が恐怖で涙を流しても、傘は構わず言葉を続け、言い放った。

「超エリート呪術師の────、ジュノマ様だよ!」

 その瞬間、私の脳が凍りついた。

 一瞬、目の前の全てが止まったように見えた。

 今までの全てを忘れてしまいそうなほどに、脳内を駆け巡る”その名前”──。

「……『白魔の呪い 根源』……」

 紙切れの文言を思い出した直後、全細胞が叫んだ。

 ──捕まえろ。絶対に逃がすな。

 次の瞬間には、私は傘に飛びついていた。

「あァ?」

 握り潰すほどの力で傘の柄を持つと、傘は周囲を切り裂くような甲高い悲鳴を上げた。

 だが、絶対に力は抜かない。

「……お前。……お前。……お前だな」

「グガァ……!?」

「お前だな!? 全部!! お前が私を────呪ったんだ!!」

 ”掠れた声”。絶対に治らないと思っていた、一番のコンプレックス。

 だが、室内に満ちた何かが、私の喉深くを潤していた。

「ずっと痛い!! 共感されない!! 生きるのをめたい!! こんな気持ちが!! あなたに分かる……!?」

 誰かに応援されたって、表面だけの自己満足にしか見れない。みんな、私の気持ちを知らないから。苦しみを知らないから。

 だから、私はみんなとは違う──。

 溢れ出た涙は、一晩中止まらなかった。


      *


 明くる朝、旅支度が終わったとき、姉さんが私の部屋に来た。

「──ペタ、どうしたの……? 昨日のことといい……」

 心配そうな顔を向ける姉に、私は「ちょっと出かけてくる」とだけ言い、さっさと家を出ていった。カバンと、赤和傘を持って。

 昨夜、赤和傘が出した大声量は、『ラジオの声』と誤魔化したものの、今回はさすがにバレバレだろう。しばらく帰らない。

 街の通りを歩くとき、私はずっとうついていた。もはや、誰とも目を合わせたくない。

 さっさとゲートをくぐり抜け、私は全く未練のない町を後にした。


 薄雲はくうんを被った太陽が、広い雪原を弱々しく照らす。

「俺はお前を許さない」

 街から続くレンガの一本道を歩き始めた矢先やさき、赤和傘──ジュノマがようやく言葉を発した。

「……なんで?」

 私は、掠れた声で聞く。もう、昨夜のような大声は出せなくなっていた。

「あれほどの屈辱くつじょくは初めてだ、多分」

「多分……?」

 聞き返したが、ジュノマはまた黙り込む。

「……あなた、私を呪っておいて、なんで被害者ヅラなの……?」

 その言葉も、独り言のように聞き流された。

 それからしばらく、無言で歩き続けた。

 道から外れれば、あるのは雪のみ。ヴァーラ大陸の寒冷地方は、街や施設が他より圧倒的に少ないうえ、インフラもかなり遅れている。だからこうして、遠いバス停まで歩いて向かっているわけだ。

 ジュノマが入っていた段ボール箱の中には、もう一枚紙切れがあった。

 ──『ヴァーラ中央都市 8丁目 4番地 インフィニス203号室』。

 そこに行く理由など、本来はない。

 だが、ジュノマに『白魔の呪い』を解かせる──これが、私の行動源となっていた。

 一度、普通に「呪いを解いて」と言ったが、もちろん無視された。

 具体的な目的地手がかりがある以上、こいつを煮ても焼いても意味がないことは分かっていた。 

 だから、私はそこに──ジュノマを私に押し付けた奴のところに、向かう。


 いつまで歩いても、果ての見えないレンガ道。

 冷たい風も吹いていたが、寒さは防寒具でしのぐ。

 ただただ単純に、道を歩くだけの時間が続く。


 何時間歩いただろうかと時計を見ると、時刻は昼を回っていた。

 そういえば、朝はパン一切れしか食べていなかった。

 急激にお腹が減り、私は道に座り込む。──が、すぐにお尻が冷たくなり、跳ねるように立った。

 昼食を取り出したのち、カバンを椅子代わりに座る。

「──あなたも、呪われたの……?」

 バタールのフランスパンを頬張りながら、脇に置いた傘に尋ねる。

 だが、返ってくるのは沈黙。

 仕方がないと、再びパンに歯を当てようとした時──

「──『ライラザ』」

「え……?」

 聞き返すと、ジュノマは静かな口調で言った。

「『ライラザ』」

「……その、ライラザに、呪われたの……?」

 ジュノマは、それ以上のことは言わなかった。


 バタールを食べ終え、よっこらしょと立ち上がると、私はジュノマに向き直り、話しかける。

「……ねぇ、私と、 ”契約”しない……?」

 相変わらず黙りっぱなしの赤和傘だったが、どこか軽蔑けいべつするような感情が感じ取れた。

 私は、構わず続ける。

「……私が、自分で動けないあなたをライラザのところに連れて行って、あなたの呪いを解かせる。……呪いが治ったら、あなたは私の病気を治す。……これが契約」

 それから10分ほど、かたくなに返事をしないジュノマだったが、根比べに負けたのか、「連れて行け」と返した。ボソッと。

「……それじゃ、決まり」

 傘とカバンを持ち、私は再びレンガ道を歩き始めた。

 ──それから十数分ほど歩くと、ようやく隣町の影が見えた。

 ついに、楽ちんなバス旅が始まる。


 ──そう思っていたのに。


「うまそうな娘が一匹ィ──」


 旅は、波乱万丈はらんばんじょうになりそうだ。

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