第16話 お倫、世話になった仁吉親分を訪ねる
道の先に連なる山々の木々が紅く色付き始めている。空は高く晴れ渡っていた。
お倫の足は軽かった。嘗て世話になった仁吉親分に久し振りのお目通りをしようと、お倫の心は晴れていた。
一年余り前、お店者を助けたお倫が不覚にも脚を挫いて難渋したところを、助けてくれたのが仁吉親分だった。あの時の恩義は決して忘れない。お倫は道すがら当時のことを反芻した。
表通りを右に折れた細路地の奥で遊び人風の男が二人、お店者と思しき四十路の男を痛ぶっていた。既に陽は西に沈みかけて辺りは薄暗かったが、夕陽の赤い残照が逆光線の中で男たちの争いを照らし出していた。
今日は月の晦日だった。お店者が手にぶら下げている掛取帳と中振りの袋から推して、集金帰りを襲われたようだった。遊び人の男二人は倒れた男をさんざん殴る蹴るしてから、その袋を奪い取って中を検め、顔を見交わしてにんまり笑った。二人はもう一度お店者を足蹴にし、それから、しめしめとほくそ笑みながら表通りの方へ歩き出した。
その様子を、偶々、表通りを通りかかって目の当たりにしたお倫は、つかつかと細路地に入って行って男たちの前に立ち塞がった。
行く手を遮ったのが鳥追い姿の女だったので、男二人は居丈高に怒鳴った。
「退け、邪魔だ!」
お倫は一人の男の腕を捩じ上げて突き倒した。
「何しやがる!」
もう一人が腕を振り回して殴りかかって来たところを軽くかわして、相手の顔面を三味線の竿の先で突き上げた。
「うっ、う~・・・」
倒れた男が起き上がって匕首で斬りかかって来たが、お倫は撥でその腕を薙ぎ裂いた。
「わ~っ」
お倫が鋭く男たちに言い放った。
「さあ、盗った金子をお出しよ」
男二人は、渋々、今し方手にしたばかりの虎の子を差し出した。
「これでお終いかい?」
「へい」
「そうかい。それじゃさっさとお行き!二度と堅気の衆を痛ぶるんじゃないよ!」
二人の男は不貞腐れた貌で互いを庇いながら逃げ去って行った。
お倫は、漸く立ち上がって着物の砂土を手で払っているお店者に取り返した金子を渡し、大丈夫ですか、と声をかけた。
お店者は、有難うございます、有難うございます、と何度も頭を垂れて礼を言ったが、助けてくれたのが旅渡りの鳥追いだと判ると、関わりになるのを恐れるかのように、名前も聞かずにあたふたと立ち去った。その言葉は丁寧であったし態度も慇懃ではあったが、お倫の胸には苦い思いが湧き上がった。
さて、と歩き出そうとして、お倫は顔を顰めた。
遊び人二人と立ち廻った際、不覚にも路地の割れ溝蓋に足を踏み入れて脚首を挫いてしまっていた。一歩踏み出す度に激痛が足首に走って、片足を引き摺っても歩くのには難渋した。
と、その時、露地に面した板塀の裏木戸が開いて、無職渡世と思しき精悍な顔付きの男が現れた。
「お女中、どうなすったね?足首を挫きなすったのか?そりゃ早速に手当てしなきゃならねえな」
男はそう言って再び木戸を開き、お倫を中へ招じ入れた。
「どうした?鉄」
木戸から庭を通って座敷に続く縁側で、此方に視線を向けて声をかけて来たのは、痩せた中背の五十絡みの男だった。
「そうか、足首を挫きなすったのか。それじゃ、早速に手当して差し上げな」
鉄、と呼ばれた三十四、五の男が直ぐに漱ぎを用意し、その家の内儀と思しき女が、冷たい塗薬と湿布で治療してくれた。
大きな商家か名主の家かと考えたお倫は、丁重に腰を折って礼を述べ、直ぐに暇乞いを言った。
「まあ、待ちねえ、その脚じゃ当分無理だ。暫く養生しなせぇよ」
「いえ、わたくしはしがない旅渡りの鳥追いの身、近辺に居て堅気の衆にご迷惑が及ぶといけません、これにて・・・」
「まあ、待ちなよ、お女中。なかなか筋のある見上げた心根だ。確かにお前さんの言う通りだぁな。よし、じゃこうしよう。これから俺のうちへ来ねぇ。おっと、申し遅れたが、俺ぁ久津川の仁吉って言うけちな博打打ちだ。遠慮するこたぁ要らねぇ。鉄、駕籠を一丁、此方さんの表口へ呼んでくれ」
「有難う存じます。わたくし、鳥追いの倫と申す未熟者にございます。ご厄介になりますが、宜しくお頼み申します」
「お倫さんか、俺の方こそ良しなに、な」
暫くして表口に着いた駕籠に乗せられたお倫は、鉄と呼ばれた代貸に付き添われて仁吉親分の家に草鞋を脱いだ。
仁吉親分の一家は居心地が良かった。親分と子分の間に言わずとも通ずる阿吽の呼吸があり、明るい笑顔が絶えなかった。代貸の鉄五郎が時折、鋭い目線と渋い表情で子分衆を窘めることはあったが、総じて皆、仲が良かった。
お倫は足の回復が捗捗しくなかったこともあったが、仁吉親分の「まあ、ゆっくり養生しねぇな」の言葉に甘えた。
結局、お倫が久津川の仁吉一家を旅立ったのは、一月余りも後のことだった。仁吉親分は五両もの草鞋銭を懐紙に包んでくれた。
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