第7話 次に始まったのは居合いの稽古であった

 翌日から始まったのは、居合いの稽古であった。

この時は、身体の構えや腰の落とし方、その位置等を与一郎は最初に手本を示しつつ、お倫に教えた。如何に速く刀を抜くか、その鍛錬が又、始まった。与一郎と対峙して腰に差した木刀を抜くのであるが、先ずは上手く木刀が腰から抜けなかった。お倫が思った以上に木刀は長く感じられた。腰に巻いた帯に引っかかって抜けない。速く抜くことよりも如何に上手く抜けるようにするか、其処から始めなければならなかった。何度試みてもお倫が抜く前に与一郎の居合い抜きで胴や足腰を払われた。右太腿も右腰も打たれた痣で赤く膨れ上がるのに時間は掛からなかった。お倫は歯を食い縛って痛みに耐え、雨の降らぬ日には、来る日も来る日も庵の立木に向かって独りで居合いの稽古に励んだ。時折、十内がその様子を窺っていたが、お倫は気付く筈も無かった。

 季節が移って蝉の声が喧しくなって来た頃、珍しく夕刻に与一郎が庵に現れた。立木相手に一人稽古を積むお倫を見て与一郎が言った。

「お倫殿、居合いは速さが第一です。それも、疾風の如く、豹の如くです」

お倫は又、その日から疾風と豹を頭に描いて立木と対峙した。朝稽古では与一郎の存在を頭から掻き消して、己の動きだけに心を研ぎ澄ました、疾風の如く、豹の如くに・・・と。

速さは疾風の如く、動きは豹の如く敏捷に、とお倫は一心に稽古を積んだ。

 やがて、霜が降りる頃になって、十本に一本程度はお倫の方が与一郎より速く抜くことが出来るようになっていた。

一本取られた与一郎が言った。

「お倫殿、居合いは片手の刀で相手を斬ります。当然ながら、両手で持って振り下ろされる太刀ほどの力はありません。従って、相手に与える手傷の深さは両手斬りよりも浅くなります」

「と言うことは先生、如何に刀に体の重みを乗せるかが大事ということですか?」

「そうです、その通りです。足幅の広さ、腰の低さを上手く加減して、体の重みが十分に刀に乗るようにしなければなりません。敏捷さと同じように、足腰や手首を鍛えることもこれからの稽古です」

お倫は未だ未だ会得しなければならない剣の道の奥行きの広さとその深さを思い知った。

 お倫が剣の稽古に見たものは強靭なまでの孤高であった。単に技を極めるのみならず精神を鍛え人間を高めるその奥義であった。練達の技を極めるのは無論のこと、斬られて独り死ぬかもしれないという恐怖心を克服すること、謂わば、孤独な克己の強靭さが求められているのだとお倫は理解した。

 お倫が木刀を交え渾身の力で与一郎に対峙する瞬間、顔を緊張させ眼差しを刺し違えて激突する時だけ、お倫はその一つの行為の中で自分と全く等しい他の人間と、仮令それが師の与一郎であっても、合一することが出来た。

剣の稽古は、それを行った人間だけのものであった。これだけのことをやったという満足感や出来なかったという悔恨や焦燥といった感慨以外に、改めてその行為に加えることは出来はしなかった。行った後のこの率直な感慨の中でこそ、お倫は初めて独りきりになれた。それには、今一瞬を捉えることが出来た満足感と、危うく泣けて来そうな生命感が在った。それは決して観念ではなく、体中で支えて抱く陶酔の実体であった。それは他の誰もが立ち入れない、奪い取ることの出来ないお倫独りきりの世界であった。従って、お倫に必要なものは結果という小さな帰結ではなく、行為の一瞬一瞬やその全ての堆積の果てに、向かい合い乗り越え、獲ち得なくてはならないものが在るのだった。が、それが何であるかは未だお倫には解からなかった。

 唯、お倫は剣の世界の中では甦っていた。人は誰でも自分で自分を甦らせる場所を夫々持っている筈である。そして、その中では皆が独りきりである。独りきりだからこそそれが出来るのである、だれも其処に入り込むことは出来ない。その点では人は独りきりでしか在り得ない筈であった。

お倫は又、新しい想いで、居合いの稽古に立向かっていった。

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