麗愛に沈むきみとただ、

@narusenose

OverRode 1

「……………………………………ぁ、あ?」


 朦朧とした意識が開けていく。


「……………………………………っ、あ。ぅ」


 全身を余すことなく包む激痛に顔を顰め、その衝撃で目が覚めた。体が、動かない。まるで石膏で固められたかの様。全身の痛みも酷いけど、頭の痛みはより酷い。頭が割れている様な痛み。こんな状態で良くも寝れていたものだ。気絶……だと思うけど。


 天井が見えた。木造のどこかの民家……? 私はどうしてこんな所に居るのだろう。


「……………………………………………………、」


 息を大きく吸う。痛みと共に全身に空気が行き渡るのを感じる。生きている。そう言う風に全身が私に訴えかけているような。首を少しだけ持ち上げる。私が眠っていたのはベッドらしい。すぐ隣には机が置かれていて、液体の入った瓶が複数に、包帯やらなんやら治療道具が揃っている様に見える。状況を見るに、私の為に用意されているようだった。


「…………………………………………………………………………」


 思い出せない。私はどうしてここに居るんだろう。心臓が痛い。思い出そうと振り返ると痛みが激しくなる。急激な痛みに反射で右手で胸を抑えようとして気付く。私の右手は包帯でぐるぐる巻きにされている。正直、荒さが目立つけど、必死に巻いてくれたのだろうと伺える。


 声を出そうとして、違和感を覚えた。


「………………………………?」


 声が、出ない。正確には音は出るけどそれが声になっていない。空気が抜けるに際して音が出て、それが呻きの様に聞こえるだけだ。


「……………………。ぁ、っく」


 体を起こそうとして少し後悔。とても体を起こせる状態ではないらしい。関節が固まっているかのように動かないし、無理に動かそうと力を入れると激痛が走る。


 浮かした首を枕に戻す。それでまた一つ、気付いた事。左目が、見えていない。何か布で覆われている感覚はあれど、これは布の所為で見えていない訳じゃない。


「……………………………………っぅ、ぁ」


 言い知れぬ恐怖があった。片目が見えないし、全身は痛む。それに、何も思い出せない。ここがどこなのか、どうしてこうなったのか。私自身の名前も、出身も。何も思い出せない。まるで抜き取られたかのように、何も無い。


 落ち着け、私が今どういう状況にあるのか、とりあえずこの状況でも分かる事を集めよう。


 まず一つ目、私はほぼ再起不能なレベルのダメージを受けている事。何がどうしてこうなったのか。


 二つ目、木造の家。造りを見るにたぶんどこかの辺境。偏見だけど、国の中心みたいな場所なら、石造りが多いと思う。


 三つ目、私は攫われたという訳じゃない事。攫うのが目的なら私はここまでボロボロになっていないだろうし、なっていたとしても治療なんてしないだろう。


 動ける様になるまでじっと大人しくしていくのが賢明だ。


「………………………………ぁ?」


 違和感。


 部屋の扉が三回ノックされて、


「まだ起きてないのかな」


 という声と共に開かれる。少しくぐもった声。少女の声だ。


「…………、なんだ、起きてるじゃん」


 私の顔を確認して、彼女はほっと息を吐いた。彼女は私の事を知っているのだろうか。じゃないと、そんな安心した様な顔を私にするとは思えない。優しい顔で、彼女はすぐに心配そうな顔に戻る。


「自分が分かる?」


「……………………………………」


 声が出ないし、首も痛むから極力動かしたくない。黒色に薄い茶色の混じった髪の女の子が、私の顔をずいっと覗き込む。赤い瞳だ。じっと目があって、彼女はきっと返答を待っているのだろう。


「……あ、もしかして声が出ない?」


 はっと気付いて彼女は覗き込んでいた顔を上げる。そかそか、と彼女は頷きながら、机に並べられていた薬の様なモノを手に取る。


「だいぶマシになって来たけど、それでも酷い傷。一体どんな魔物に襲われたんだろ」


 魔物……? この辺りは魔物が出るのか。だったら私はそれに襲われて、こんな傷を? 恐ろしい魔物も居たもんだ。


「でも、良かった。きちんと目を覚ましてくれて。村に医師は居るけど、結局お国お抱えの医師達には知識も道具も敵わないし、出来る事と言えば薬の調合くらいだから、アナタの傷を診る事くらいしか出来なかったんだよね」


 そのあとがこのグルグル巻きの包帯か。それに、喉奥に若干残る苦味。これはたぶん薬によるモノ。


「これは痛み止め。……飲めそ?」


 悪いヒトじゃない事はすぐにわかった。もちろん、彼女は善意で良くしてくれている。


「……喋れないんじゃ返事も出来ないか。首も……痛みで動かせそうにないだろうし。飲めそうだったら、瞬きを一度してくれる?」


 ここは彼女の善意に甘えるべきだ。私には何も出来ない。体は愚か、首さえも動かせば激痛が走る。痛み止めだと言うのならこの痛みをどうにかして欲しい。実際藁にも縋る思いだ。声が出ないのはなんでか知らないけど、それよりも痛みをどうにかしなければ。痛みさえなくなれば、無理やり体は動かせられる。


 ────けれど、けれどさ、私は、そうやって無理して動く理由があるんだろうか。何があったかはもう覚えてない。思い出そうとすると心臓が痛む。だからもう思い出さない。だから、もう、私はこのまま……。


「飲めそうね」


 彼女は優しく微笑んで、瓶に入った液状の薬を少量小さな器に移して、私の口元へと運ぶ。スっと口に入ってくる薬は思わず顔を顰めてしまう程苦い。喉奥に残っていた苦さはこの苦さだ。


「……ん、く」


 あまり舌に触れさせないように飲み込む。すぐに痛みが引いていくわけじゃないし、この薬が有効なのかも分からない。


「効果が出るまでに時間があるから、どうする? もう一回寝る?」


 空になった小さい器を布で綺麗に拭き取りながら彼女は私に問う。残念ながら眠くは無い。この痛みはきっと私に睡眠を赦さないだろう。


「……そっか。うん。じゃあ私は……ここに居ようかな」


 優しい顔。彼女は私を心配してくれている。やっぱり攫われたとかそういうのじゃないらしい。それに、先ほど魔物に襲われたと言っていたし、記憶はその時脳に強い衝撃を受けてしまったのかもしれない。


「それにしても、アナタは魔法使いなんだね?」


 魔法、使い。


「この杖はアナタのでしょ? アナタの近くに落ちていたからそうだと思うのだけど」


 目だけ動かしてなんとか机の方を見る。先ほどは気付かなかったが、大きな杖があった。彼女と同じくらいの長さで、杖の先にはランタンが取り付けられ、今も淡く青く光っている。


 魔法使い。酷い言葉だ。誰だって魔法は使うだろう。適当に当てはめただけの意味の無い文字列。ただ羅列するだけの最低なモノ。騎士だとか、盗賊だとか、そういうモノの方が特別感があるのに、どうして魔法使いは魔法使いなんだろう。


「声が出る様になったら聞かせてくれる? 冒険の事。旅の者なんでしょ?」


 …………ぼうけん。たびのもの。そっか。彼女は私を知らないんだ。だったらどうしてこんなにも優しくしてくれるんだろう。私には何も無いのに。


「そうだった、わたしまだ名乗ってないね?」


 机の整理をしていた彼女がその手を止めて私をじっと見つめる。


「わたしはエリー。ようこそって言える状況じゃないけど、いらっしゃい、ガラググの村へ」


 彼女はそうにこやかに歓迎した。


 違和感。


「傷もそうだけど、旅自体の疲れもあるだろうから、ゆっくりしてね。ここは自由に使っていいから」


 机の整理を再開した彼女はその笑顔を絶やさない。眩しくて、眩しくて、私が眩む。別に今更だけど。


「動ける様になるまで私は毎日ここに来るけど、先に伝えておくね。痛み止めはこの瓶で、治癒のポーションがこれ。あまり効き目は無い……んだけど、無いよりマシだろうし。それで、こっちがエーテルのポーション。こっちもあんまり効き目は無いみたいだけど……無いよりはマシ、的な?」


 にひひ、と笑う。医師から聞いた受け売りで、私の知識じゃないんだけどね、と付け加えて、彼女は大きく伸びをする。


「ほんとに、死んでもおかしくない傷と消耗だったから、目を覚ましてくれて良かったよ」


「………………──────っ」


 どうして、彼女の瞳に涙が浮かぶのだろう。どうして彼女は見ず知らずの私にそこまで感情的になれるのだろう。よそ者だ。ただの赤の他人だ。それをどうしてここまで……。私には何も無い。記憶も無ければ名前も忘れた。思い出だってどこにも無い。


「…………っ、ぅ、あ」


 涙が浮かぶ。私は、どうして生きている? どうしてここに居る。何も分からない癖に、ただ虚しさだけが心の底を更地にしていく。涙が傷に染みて痛い。


 違和感。


「何も無い村だからさ。怪我人とは言え客人が来るのも珍しいんだよ」


 先ほどより痛みが引く。激痛だったのが鈍痛に。けれど、それでも全身の骨が砕けているかのような痛みは残っている。動けない程じゃなくなっただけで、極力動きたくは無い。


「って、どうしたの!?」


 彼女がチラリと私を見て、流れている涙に気付いたんだろう。


「い、痛い? 痛いよね、そりゃそっか」


 慌てた様子の彼女は、どうしようどうしようと若干パニックになっている。


「…………っ、く、ぅ、あ」


 首を横に振る。激痛が走るけど、それよりも彼女を安心させないといけない気がしたんだ。声が出るならば、大丈夫だと伝えていたのだけど。それは叶わない。


「……大丈夫? ……ほんとに……?」


 痛みはある。きっと後遺症だって残るだろう。というか記憶が無いのがそうかもしれない。でも、彼女には感謝しなきゃ。ありがとうといつか直接言わなきゃ。


「そか……良かった……」

「おぉ~い、エリーっ! 手伝ってくれー!」


 外から声が聞こえる。男性の声だ。


「はいはーい、ちょっと待って~っ!」


 と彼女もすぐに返事する。少しだけその声が体に響いた。


「ごめんね、ちょっと行ってくる。すぐ戻るから」


 彼女はそう言って、部屋を出ていく。手伝いに向かったのは明白だけど、手伝いがあるのに私の看病をしに来てくれたのだと思うと、申し訳ないと思ってしまう。


 何も、無いんだ。私には。


 違和感。ずっと覚えているこれは何だろう。痛みに慣れて、体に違和感を覚えている? 違う。もっと別の所。この家に対してでも無ければ、きっと私に対してじゃなく。


「……っ、ぁ、ぅく」


 痛み。相変わらず体を動かそうとすると激痛が走る。けれどその違和感の正体を知りたくてその身体を無理やり横にする。


 ようやく見えた部屋の全貌。至って普通の部屋でどこにでもありそうな内装だ。寧ろ少し物が少ないと感じる。


 問題はそこじゃない。


「……………………………………」


 杖。私は魔法使いだと言われて、納得した。だって杖がそこにあるんだもの。私の、杖────直感が否定する。違うんだ。あれは、私の杖じゃない。なんでか分からないけど、確かに大事なモノだけど、私のモノじゃない。あれは、あれは……っ。


「………………………………」


 とめどなく涙が溢れた。どうして私は泣いているんだろう。何も分からないけど、あの杖を見ると込み上げて来る。青白く光るランタンは優しい光。安心感さえ覚えてしまう。


「…………………………」


 あの杖は私のモノじゃない。そもそも私自身、魔法使いなのかさえ分からなくなった。けれどそれは確かに私の近くにあったのだと言うのなら。倒れた私の近くに転がっていたというのなら、一体、誰の杖だ……?

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