第6話 巨大な影
「良いかアキヒト。相棒であろうと宝を渡す以上、立場の違いは分かってもらわねばならん。これから儂のことは『九鬼様』と呼ぶように」
「え、嫌だけど」
「何でじゃ!」
「呼びにくいだろ九鬼様って。九鬼の方が親しみがある」
「むぅ……」
九鬼は不服そうな顔を浮かべたが、やがてため息を吐くとそっと
意外とチョロイやつだな。
「……まぁよい。約束は約束じゃからの。ほれ、受け取れ」
「お、おぉ……」
想像以上にあっさり手渡されたそれを受け取ろうとする。
すると九鬼が首を捻った。
「あ、でもこれ人に渡しても良いのかのぉ?」
「あっ? 何でだよ?」
俺が怪訝な顔をしながらそれを受け取ると――
「だってこれ、人に力を与えるじゃろ?」
「はっ?」
そういうことは早く言え、と言う前にアーティファクトが俺の手に乗る。
その時だった。
アーティファクトから放たれた光が急激に強まったのは。
「な、何じゃ!?」
「お兄!」
「えっ?」
驚く間もなく光は拡散し、俺を包み込む。
瞬間、俺の視界は白に染まった。
◯
一面が真っ白の部屋に、俺は立っていた。
「どこだよここ……」
広いホールに居るように声が響く。
歩こうとするも、足が動かなかった。
根が生えたように地面に張り付いている。
不意に、人の気配を感じた。
いや、人じゃない。
俺を囲むように、八体の巨大な影が立っている。
逆光になってそれが誰かは分からない。
そこで初めて、この部屋が光に包まれているのだと知った。
眼の前に居るのは人間じゃないと本能的に感じる。
人間よりももっと上位の存在。
天使? 悪魔? いや、もっと上の……。
神。
何となく、そんな言葉が思い浮かんだ。
そいつらは、俺のことを指さしていた。
巨大な八本の指が俺に向けられている。
妙な儀式に参加させられているような、不気味な気配がした。
不意に、そいつらの指先から何かが俺の心臓に入り込むような感覚がした。
「やめろ……!」
抵抗しても虚しく、どんどんそれは体に入り込んでくる。
体が満たされる。
侵食される。
……。
……暗い。
どうなったんだ。
「――ヒト」
どこか遠くから声がする。
「――アキヒト」
誰だ俺のことを呼ぶのは。
「おい、起きぬかアキヒト!」
不意に広がったその声にハッと目を覚ました。
見慣れたリビング。
そして俺を覗き込む、九鬼とコハルの顔が目に入る。
「あれ……俺、どうなった?」
「気絶したんじゃ。さっきの宝を触った途端にな」
「ビックリしたんだから! 家に帰ってきたら倒れたお兄を九鬼ちゃんが背負ってきて!」
「倒れたお主を儂が運んだんじゃ。ちょっとは感謝せえ」
体を起こし、手を開いたり、握りしめたりする。
確かに俺の体だ。
何の違和感もない。
でも、何故だろうか。
自分の心臓の辺りに、異物感がある気がした。
それは俺の体を満たすように存在している。
「アキヒト、何ボーッとしとるんじゃ。お主大丈夫か?」
「お? おぉ……」
九鬼がひょいと俺の視界に入り込んでくる。
俺が呆然としていると、九鬼は何かに気づいたように眉を
「妙な力を感じる……。お主、やはり『受け取った』のか?」
「えっ?」
「これじゃよ」
九鬼はテーブルの上に置かれたアーティファクトを手にする。
ダンジョン内で仄かな光を放っていたアーティファクトは、今やただの箱と化していた。
「元々この箱からは何かの力を感じていた。しかしお主が触れた時、その力がお主の中に入り込んだのがわかったんじゃ。今、この箱には何の力も感じん」
「じゃあ何だ? 俺はこのアーティファクトから得体の知れねぇ力を渡されたってのか」
「かもしれん、と言っておる。確証はないがな」
「マジかよ……」
しん、と沈黙が立ち込めた後。
俺は「うん?」と眉を
「つまりこの箱、今は空ってことか?」
「そうなるのぉ」
俺は両手で九鬼の頬を鷲掴みにした。
彼女の顔がひょっとこみたいになる。
「何でそれ最初に言わねぇんだよ! お前のせいで数千万がただの箱になったじゃねぇか!」
「言う前にお主が受け取ったんじゃあ! 儂は悪ぅない!」
「俺は得体の知れねぇ力が欲しかった訳じゃねぇんだよ!」
「おごごごごご! 揺らすでない! あがががが!」
揺さぶっていると力が切れたのか九鬼の体が縮み、元の小型犬みたいなサイズの九尾の狐姿になってしまった。
情けなく目を回す九鬼を見て起こるのも馬鹿らしくなり、俺は九鬼を解放する。
「何のために俺は約束したんだ……」
「今更約束を反故にするとか無しじゃぞ?」
「する訳ねぇだろ。それに、そんなことしたらどうせお前、暴れんだろうが」
「まぁのう」
ふふんと悪ガキみたいな笑みを浮かべる九鬼に思わず呆れる。
「せっかく大金持ちになれると思ったのにな」
「お兄、何だかよくわからないけど、世の中そんなに美味しい話はないよ?」
「分かってるよ」
すると九鬼が「よかろう」と胸を張った。
「確かにこのままでは哀れじゃ。儂が特別にもうひと肌脱いでやろう」
「あぁ……?」
◯
次の日。
バイトを終えた俺は、九鬼と庭先のゲートに入っていた。
道を進み、九鬼のねぐらのある大部屋から繋がる通路を前にする。
「なぁ、本当に進むのかよ」
「言ったじゃろう? 儂が守ってやると。せっかくの宝が無駄になったからのう。苦学生のお主が稼ぎを得られるよう儂が手伝ってやるといっておるのじゃ。この最強の九鬼様がな。感謝せい」
「へいへい……」
九鬼の提案はシンプルだった。
俺が冒険者としてダンジョンに関する依頼をこなしていく。
そして九鬼が用心棒として俺に同行するというものだ。
昨日の氷室の話が頭に残っていたのだろう。
ただ、確かに悪い話ではないと思った。
数十体の
その力を貸してもらえるなら、ダンジョンに関連する仕事も楽に行えそうだ。
ただ、本格的に冒険家稼業をまだやると決まったわけじゃない。
一度お試しでダンジョンに潜ってみよう、ということで今に至る。
「この道の先は何があるんだ?」
「また道じゃ。道の先にはまた道。その先にはまた道。迷路みたいになっておる」
「それって大丈夫なのか? ちゃんと帰れるんだよな?」
俺が尋ねると「さあのう?」と九鬼は悪びれもせず肩をすくめた。
「儂もあそこから歩き回るのは初めてじゃからのう。この辺りの地理には疎い」
「はぁ? 頼むぜ」
「まぁ、儂こう見えて鼻が利くから大丈夫じゃろ。ねぐらの匂いくらい辿えるわい」
「本当かよ」
どうも適当にごまされている気がしてならない。
まぁいいか。
長いコンクリート製の通路をひたすら真っすぐ歩く。
もっと迷宮みたいな構造をしているかと思ったが、予想に反してずっと一本道だった。
俺たちの足音が壁に反響する。
魔物の姿も、人間の姿も見当たらない。
「なぁ、一つ聞いていいか?」
「何じゃ?」
「どうしてここまでしてくれるんだ? 何か理由があるんだろ?」
俺が尋ねるとしばらく九鬼は俺の顔をジッと見つめた後、サッと顔を逸らした。
「アキヒトとコハルの暮らしが良くなれば儂の待遇もより良くなるじゃろ。お主たちの家は居心地が良い。手を貸せば儂の利益にもなるというわけじゃ」
「本当にそれだけか?」
「何じゃ、儂を疑っておるのか」
「何か腑に落ちないんだよな。普通の人間なら、いくら好感度が高くとも、大した見返りもないのに出会ったばかりの奴に危険を犯して力を貸してやろうだなんて思わないからな」
「むぅ……」
九鬼は不服そうに唇を尖らせる。
「正直言うと、理由は儂にも良くわからん。ただ、何となくお主の頼まれごとを聞くのが得に思えてのう。お主の金儲けに手を貸すことが、儂の利益になると思った」
そう話す九鬼は、本当によく分かっていないようだった。
高位の魔物が持つ直感的なものなのだろうか。
「まぁいいか……」
俺が何となく納得しようとした時だった。
「ちょっと、放しなさいよ!」
どこか遠くから、叫び声が聞こえてきた。
それはこの道の先から聞こえている。
俺と九鬼は顔を見合わせた。
「今の聞いたか?」
「おなごの声じゃったのう」
「行くぞ!」
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