第3話 団欒

 リビングで先程の狐女と対峙する。

 俺の隣ではコハルが心配そうに俺と九鬼の間に視線を走らせていた。


「んで、お前何しに来たんだよ」

「せっかくお隣さんが出来たからのう。ちょいと挨拶に来ただけじゃ」

「何でそんな裸みたいな格好で来んだよ……」

「ちょっとしたサービスじゃよ。嬉しかったじゃろ?」

「うわぁ、お兄嬉しかったんだ……」

「嬉しくねぇよ!」


 俺は「ハァ……」とため息を吐くと、九鬼に向き直る。


「ダンジョンから魔物が出てくるとは聞くけどよ……。人間になるなんて初耳だぞ。大体お前、今朝は狐の姿してただろ」

「言ったじゃろ。儂は狐じゃ。正確には妖狐じゃ。妖狐にとって人の姿に擬態することなど朝飯前よ」


 ダンジョンに存在するのは神話に出てくるような魔物ばかりだと思っていたが、九鬼は妖怪の類なのかもしれない。


「じゃあお前みたいにダンジョンに住む狐は全員人間に変化するってのか?」

「それはないじゃろうなぁ」

「はぁ? 何でだよ?」


 俺が尋ねると九鬼はつんと誇らしげに胸を張る。


「人に擬態するのは高度な技じゃからのぉ。人の姿をして人間の言語を扱うなど下位の存在には不可能じゃ」

「じゃあ何だ。お前は他の魔物? 妖怪? かよくわかんねぇけど……。そいつらに比べて高位の存在だってのか?」

「当たり前じゃ。儂を他のゴミどもと一緒にするでないわ」


 ふふん、と九鬼は正座したままふんぞり返る。

 着崩した和服の隙間から胸の谷間が強調され、あまり直視出来ない。


「まぁいいや。んで、あのダンジョン何なんだよ。お前は一体何者なんだ?」

「そんなにポンポン質問するでないわ。そんなもの聞かれたところで儂もよくわからん」

「はっ? お前のせいでうちの庭にゲートが出来たんだろ?」

「そんなわけないじゃろう。あの空間は摩訶不思議じゃ。儂も住んで長いが、正直どう言う原理をしておるのかよくわからん。この家とも勝手に繋がったんじゃ」


「ただ」と九鬼は言葉を継ぐ。


「儂の住処に侵入してきたのは奴はお主が初めてじゃ。アキヒト」


 どうやらこいつはあんな不気味な空間にずっと一人でいたらしい。

 それはとても孤独なことのように思えた。

 色々気になることはあったが今は止めておくことにする。

 一度尋ねだしたらキリがなさそうだからな。


 すると何かに気づいたように九鬼は「いかん」と眉をひそめた。


「そろそろ限界じゃのう」

「限界?」


 その言葉と同時に、九鬼の体が見る見るうちに縮んだかと思うと。

 艶めかしい女性の姿が、九つの尾を持つ小さな狐の姿へと変化した。


「力が切れたようじゃ。ダンジョンの外で術を保つのは難儀じゃのう」

「力? 魔力とかか?」

「魔力が何かは知らんが、まぁ似たようなものじゃろうな。儂がおった場所――お主の言うダンジョンとやらか。あそこと違ってここには力がない。術もあまり長続きせんのじゃ」


 どうやらこれがこいつの本当の姿らしい。

 力が切れたと言っていたせいか、普通の狐よりもずっと小さな姿になっている。

 手乗りサイズの九尾の狐って感じだ。

 もふもふした毛並みで、ハッキリ言うとかなり可愛らしい。


 すると同じことを思ったのか、コハルが「わぁ、かわいい」と九鬼を抱き上げた。


「これ、急に抱きしめるでないわ! ビックリするじゃろうが!」

「だって可愛いんだから仕方ないじゃん!」

「止めぬか! 儂を誰じゃと思っておる! 顔をこすりつけるなぁ!」


 何だか一気に緊張感が無くなったな。

 俺はそっとため息を吐いた。


「おい、狐」

「九鬼じゃ」

「……九鬼。お前本当に、俺たちに何か危害を加えるつもりじゃないんだよな?」

「儂、無意味な嘘はつかんもん」


 そう言ってぷいと顔を背けた九鬼は何だか拗ねた子供みたいにも見えた。


「まぁ、いいか」


 何故だか、笑みがこぼれ出た。

 魔物なんて得体が知れないけれど。

 少なくともこいつは、悪い奴には見えない。


「うちに遊びに来るのは良いけど、妙なことはすんなよ。分かったな?」

「お主に言われんでも分かっておるわ。儂は九尾の狐ぞ?」

「いや、九尾の狐がどんなのか知らんけど」


 その時、誰ともなくぐぅ、とお腹の音が鳴る。

 考えてみれば、まだ晩飯も喰ってなかったな。


「とりあえず晩飯作るか……」

「お兄、今日カレーがいい!」

「へいへい」

「馳走を用意せい」

「お前も喰うのかよ。狐って何喰うんだ?」

「お兄、冷蔵庫にお揚げがあるよ」

「じゃあそれでいいか」

「儂を安く見積もっておらんか?」


 ◯


 真っ暗な闇の中に突如として浮かび上がる二つの巨大な赤い瞳。

 その瞳は、俺の体に伸し掛かってくる。


『よくも儂の住処に足を踏み入れてくれたな』


 そして体に掛かる、重たい物が乗る感覚。

 俺は必死で体を動かし、呻いた。


「やめてくれ……! 頼む、俺はまだ死ぬわけにはいかねぇんだ!」


 その声でハッと意識が覚醒した。

 天井の蛍光灯が目に入り、息が荒くなっていることに気がつく。

 前髪が汗に張り付き、心臓が脈打っているのが分かる。


「夢か……」


 あんな体験をしたのだ、無理もない。

 ふと見ると窓から空が白み始めているのが目に入った。

 まだ早朝らしい。

 体を動かそうとするも、不思議なことに伸し掛かる重圧だけは消えていなかった。


「にしても重てぇな。何だ一体……?」


 気になって目を向けると、俺に何かが覆いかぶさっているのが見える。


「ようやく起きたか、アキヒト」


 ムクリと体を起こしたそいつは、狐女姿の九鬼だった。

 端正な顔立ちと大きな胸が俺の寝ぼけた頭を一気に覚醒させる。


「なななな、何やってんだお前ぇ!」

「何とはずいぶんな物言いじゃのう。お主が起きんから寝顔を眺めとっただけじゃ」

「昨日ダンジョンに帰っただろ!」

「あそこは退屈なんじゃ」

「いいから早くそこからどけ!」

「良いではないか。別に減るものでもあるまい」

「良くねぇ!」


 俺が九鬼と格闘していると、部屋の入口がガチャリと開く。

 眠そうに目を擦ったコハルがたっていた。


「お兄、朝からうるさいんだけど……」


 姿を見せたコハルはベッドに横たわる俺と、その上に乗る九鬼を見て目を丸くした後、そっとドアを閉めた。


「……お取り込み中だね」

「おい、帰るな!」

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