第38話:未来と破滅の輪舞―覚
――マスターの中で眠っているもう一つの神剣を覚醒させるわ。
この戦いが始まる前の夜、剝界が提示した勝利の方策。
フラクの中で、カノジョの命を繋げるために眠りについた神剣を
――あのオンナ……不落が十分に機能を果たせるようになれば、あんたの精神とリンクして意図的に前にアリスとの戦いで見せて力を行使できるようになる。
――でも、そのためには不落が表に出てこれるだけのナノマテリアルボディとあんたを延命させているナノマシンの制御核を外に露出させる必要があるわ。だから……
――わたしのナノマテリアルボディの一部を、マスターの躰を構成しているナノマテリアルボディと入れ替える。でも……
――たぶん、あんたの躰に相当の負担を強いることになるわ。既に神経と接続されている躰の一部を、強引に別のものと入れ替えることになるんだもん。きっと、相当の激痛をマスターは味わうことになる。最悪、ショック死もありえるわ。
――それでも、やる?
……愚問だった。
勝つための手段があるのなら手を伸ばす、それで自分の躰がどれだけ苦痛に苛まれたとしても……
なにより、
……全てを、この手に取り戻せるのなら!!
たとえ地獄の業火にこの身を焼かれようと、全身を穿たれ、刻まれ、肉片の一片に至るまで甚振られようと、全てに耐えて見せよう。
――わかった。一気にやるとたぶん拒絶反応が出るから、今夜から少しづつナノマテリアルボディを置換していくわ。
――同時に、不落の核の代わりになる疑似核を生成する。
――マスター、ごめんなさい……どうか、耐えて……お願い。
・・・
「「ッ――!! 対象カラ別の識別コードをカクニン――銘――」」
神剣:不落。
黒い花嫁は光の奔流に後退し、目の前で起きている事象にエラーを吐き出す。
知らない、データにない、こんな事象も現象も、過去の出来事には存在しなかった。
ならコレはなんだ?
ジブンは今、いったい何を目の当たりにしている。
なぜ――対象から
初めて戸惑いのような表情を浮かべて見せる花嫁。
「「変異触媒ガ、無力化サレテいる……ッッッ!!!」」
異形と化した半身の触手をでたらめに振り乱し、光に向けて叩きつけ、刺し穿つ。
が――
「「
その悉くは、光に触れた瞬間に分解され、黒い粒子となって溶けていく。
「「しらナイ……しらないしらないしらないしらないしらないしらないしらないしらない!!!!!」」
こんなもの、ジブンは知らない!!
発狂したように触手を伸ばす花嫁。だがどれだけ攻勢を仕掛けようと、全てが防がれ、届かない。
ソレは、恐怖していた。これまでずっと自分の優位性を疑うことなく、ひとの自滅という未来を遂行するための障害などないに等しい。
懸念だった神剣も使い手の異常により真価を発揮できない。
確実に遂行できた
それなのに、
「「ナンなのヨっ、ソレ――!!!!!!!!!!」」
仮面を剥がされたように、幼い少女のように叫びを上げる花嫁。
光の中、それ『ら』はいた。
見えていた、花嫁の
『フラク……』
『姉さん……』
『また、お姉ちゃんを手に取ってくれる?』
『ああ……ああ、もちろん! たとえ姉さんが手を放しても、何度でも!!』
『ちょっと! わたしもいるんだけど!?』
『分かっている――さぁ、俺たちの……全員の未来を奪還する!!』
勝利の鍵は全て揃った。
光が収束し、中から
漆黒だった髪は銀に、瞳は蒼と新緑に――それは、在りし日に失われ、決して戻るはずのなかったフラク・レムナス本来の姿。
――男性として成長したフラクが、そこにいた。
カレに付き従うように、左右に立つ二人のショウジョの姿があった。
ひとりは青みを帯びたシルバーブロンドの髪を靡かせる神霊――剝界。
そして、もう一方……
その髪は夜の闇を宿したかのような美しい黒髪に、紅の瞳をした、もうひとりの神霊……
髪色や瞳の色も違う、元の姿を比べるとかなり小柄になっているが、この場にいるフラクの縁者ならば見間違えるはずがない。
かつて、神童とうたわれた幼きフラクと契約し、獣王との戦い以降その姿を消した――
「また、一緒に戦えるわね、フラク」
不落。
カノジョはフラクの手を取り、変わらぬ微笑みで最愛の契約者を見上げた。
「行くわよ、マスター」
「さぁ、あなたの真価を示しましょう」
ショウジョたちはその身を剣に変え、フラクの手の中に納まった。
剝界は純白の剣に、不落は以前とは違う、漆黒の剣に。
「全力で行く、ふたりとも、頼むぞ」
『『イエス・マイマスター』』
ずっと灰色だった不落の柄には紅玉のような核が輝く。
フラクは剝界の柄をギリっと握りしめ――駆けた。
『フラク、今はあなたへの躰をわたしたちを使うのに最適な状態にしているわ』
『でも、長時間の稼働は躰がもたない』
『もって5分……それまでに』
「ケリを着ける!」
花嫁へと走るフラク。
「「ッッッ!!」」
花嫁は突っ込んでくるフラクへと真っ直ぐに触手を伸ばして迎撃する。
しかし、
「――
「「ナッ!?」」
それはフラクの手前でまるで壁に阻まれたかのように弾かれ、触れた先からボロボロと崩れて形を失う。
剝界の鞘に宿る結界能力。外界とを断絶するその力は、魔剣の変異触媒の侵入を防ぐだけではなく、その機能さえも停止させてしまう。
「「……クルな」」
花嫁はかぎ爪の生えた四肢を伸縮さえ、大きく飛び上がる。
部屋の壁に縦横に這い回る
膨大な質量がフラクへと降り注ぐ。
あの結界がどれだけ強固だろうと、これだけの質量に押しつぶされれば、
「――
フラクが、跳んだ。
その姿は花嫁の視界から掻き消え、次の瞬間には眼前にまで迫っている。
「「ヒッ――」」
いや、恐れるな。自分には相手の神剣と同じだけの防御力を誇る結界が展開されている。
如何に神剣の力で以て繰り出さる一撃だろうが、そう簡単に突破できる代物では――
「――
しかし、花嫁の希望的観測は、フラクが抜き放った剝界の刃によってあっさりと覆される。
四本の腕のうち、一本が結界ごと両断され、黒い泥をまき散らして落下した。
「「aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa――!!!!」」
ひび割れた絶叫が部屋を満たす。
錐もみ状に落下していく花嫁。
床に叩きつけられたそれは、残った腕で触手の塊を持ち上げ、血走った殺意の瞳をフラクに向けてくる。
「「
花嫁は相も変わらず触手を伸ばす。同時に黒い杭も発射し、視界を覆いつくすほどの漆黒に染め上げた。
その攻撃は見境なく、触手によって拘束されたアリスたちさえ巻き込もうとしていた。
「――
フラクはカノジョたちと黒い奔流の間に立ちはだかり――
剝界と不落、二本の剣を同時に構え、
「――
刹那、無数の白と黒の軌跡が宙に描かれ、そこに触れた全てが両断される。
黒い触手も杭も、軌跡の前にバラバラに刻まれ、フラクたちへ到達する前に落下し、ボロボロと消失していく。
「「ナンで……ナンデまた!
花嫁が黒い泥を全身から更にあふれさせ、先ほどよりもより強固な結界を展開する。ドロドロとカノジョを覆うソレは、高濃度の変異触媒と化したナノマシンの集合体だ。
『マスター……あれはわたしでも触れたらちょっとヤバいかも』
剝界の能力は分子レベルまで使用者、あるいは攻撃対象を一時的に分解し、疑似的な瞬間移動を可能にしたり、護りを突破するというものだ。
そして、不落の能力は――
「なら、姉さん……久しぶりに」
『ええ、アレね……でも、そう何回も使えないわよ。撃てて五回……さっき一回使ったから、残りは四回……そのうち、二回は最低でも残しておかなといけないでしょ』
「それで、十分だ」
『なら、わたしの一芸、あの子に見せてあげましょう』
フラクは剝界を一度鞘に抑え、フラクを構える。
フラクと不落の唯一にして最強の技、
「――
――キンッ。
それは、この場において非常に静かな音……
漆黒の剣閃がフラクと花嫁の間に弧を描く。
それはさながら、黒い三日月。
断剣――不落から繰り出される一撃は、三次元の技術領域を一時的に超え、
分子を分解し相手の防御を崩す剝界の力と酷似しているように見えて、まったくの別物。
その剣は、たとえ相手が遥かな彼方、大陸の外へ逃れようと、どれだけ堅牢な防御を敷こうと――時間さえも超えてあまねく全てを断ち切り、
先程、フラクは不落の力を使い、背後にすり抜けた花嫁の一撃を見ることさえせず、全て斬ったという結論だけを引き寄せた。
そして今、不落から放たれた斬撃は、花嫁の結界を空間ごと両断し、触手の塊も超えて背後の壁さえ断ち切ってみせた。
「「―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」」
それは音もなく絶叫し、触手をのたうち回らせる。
ひとのような神経は通っていなくとも、カラダの一部が欠損したことにアレはかつて失ったはずの痛覚を思い出していた。
・・・
全身を浸食されたエンティが、懐かしい光景を目にしていた。
ハッキリとしない視界。
それでも気配で分かる。
今、愛してやまない兄が、かつての愛剣を手に戦っている。
……ああ、わかります、お兄様。
まるで迷いのない、幼き日に見た憧れた最強の剣。
兄と最強たらしめた繋がりが、戻ってきた。
……ちゃんと見えないのが、残念です。
懐かしいジョセイの声音と共に、どこか聞き慣れない、しかしとても身近に感じられる男の声が聞き取れる。
白と黒の軌跡が視界の中を踊っている。
醜悪な黒を打ち払い、切り裂き、祓う――
……うそつき。
兄は、大ウソつきだ。
……それで弱いなんて、大ホラ吹きも、いいところです。
浸食による全身の激痛に苛まれながらも、エンティは口の端を持ち上げた。
体の痛みなんかよりも、今は一秒でも長く、兄の勇姿を肌に感じていたい。
カレの繰り出す剣技、神剣の力を使いこなす戦闘技能。
……ああ、やはりお兄様は、最高です。
学院の生徒たちを守る立場にある自分が、兄を前にしてはただ守られるだけの女になってしまう。
しかし、それを不快になど思わない。
むしろ、そうして
……惚れなおしちゃいます。
妹は恋をする。
・・・
フラクは暴れる触手の群れの中へと飛び込み、花嫁の本体……ヴァイオレット・バルバスへと肉薄、
「――
不落をカノジョの胸の中心に露出した黒い結晶へと突き入れた。
「「――ヤメっ!!!」」
それはヴァイオレットの肉体を傷つけることなく、魔剣の核による浸食だけを断ち、
ドポンッ、と音を立てて、ヴァイオレットの体が触手の塊から吐き出された。
「……全員で、生きて帰るって言っただろ」
その中には当然、『彼女』も含まれている。
フラクはヴァイオレットを抱えて大きく後方に飛び退き、エンティとアリスの下へと降り立つ。そして振り向きざま、全身に深い浸食を受けた二人に、フラクは漆黒の剣を振り抜き、
「待たせて、すまなかった」
最後の断剣を使い、浸食を断ち切り二人を触手の拘束から解放した。
剝界と不落がひとの姿になり、力なく倒れ込む二人を受け止める。
「フラク……」
「おに、さま……」
二人とも、かなりボロボロだが僅かに意識がある。
浸食は断ったが、内部の変異触媒を完全に除去できたわけじゃない。
急いで医務室に運び、安静にした状態で聖霊に異物を排除してもらう必要がある。
それは、ヴァイオレットも同様に。
……おそらく、彼女もまた魔剣に。
エンティを精神支配したくらいだ。おそらく、彼女も魔剣に魅入られ、心を操られていた可能性がある。
「――エ、シテ」
ヴァイオレットを横にすると、背後から
ひどく耳障りで、悲しい音。
「――カエシテ!! カエシテ!!!!」
触手の塊の中、流動する黒い泥の中から、ひとの顔が浮かび上がった。
それは幼女のように、老婆のように、妙齢の女性のように、男性のように、老人のように、とめどなく形を変形させて、触手を動かしてにじり寄ってくる。
フラクは剣を手に、触手の塊へと近づき、
「――おねえちゃん!! 返して!!!」
一気に膨張した黒い泥の中へと飲み込まれた。
・・・
泥の中。
フラクは剝界の結界に守られながら、奥へと進んでいく。
耳に響くのは怨嗟の木霊。
痛みに苦しみに悲哀に絶望に嘆く呪いの坩堝。
どこまでも広がるかのように思えた苦悶の濁流。
それは、かつて人間たちによってその命を弄ばれ、命付き、あるいは生きたまま永劫の責め苦を味わう亜人たちの叫び。
どこまで続くのかも分からない深い闇の中、ソレはいた。
膝を抱え、蹲り、両手で耳を塞ぐ、巨人族のショウジョ。
流動的な亜人の亡霊たちがひしめき合う中、カノジョの姿だけがハッキリとそこにある。
「やめて……痛いの、イヤ……苦しいの、ヤダ……なんで、誰も助けてくれないの……わたし、わたし……なんで、ヤダ、ヤダ、ヤダ……やめて、痛くするの、もうやめて……」
カノジョこそ、魔剣の核……
かつて、ひとの勝手な都合ににより生み出され、勝手な都合で躰を弄ばれた末に魔剣へと成り果てた、原初の武霊。
最初に、ヴァイオレットによって黒い泥の中へと吞まれた時、カノジョの存在もフラクは知覚していた。
そして、どうにかカノジョに触れる機会がないかも探っていたが……
フラクはカノジョへと近づく。
巨人族は幼い時から体が大きく、成熟までが早い。
幼いカノジョも、外見はフラクたちとそう変わりないように見えた。
「タスケテ……誰か……お姉ちゃん……」
きっと、カノジョの精神と、巨人族の血が混じったヴァイオレットが共鳴したのだ。
故に、彼女は魔剣の主となり、魔剣としてひとの願いを叶えるための存在となった。
「タスケテ……」
ひとに翻弄された憐れなショウジョ。
フラクは不落を手に、名も知らぬカノジョを背後から抱きしめた。
「さぁ……帰ろう。みんな、外で待ってる」
「……誰?」
「君を外に連れ出しに来た、ただのお節介焼きな男だよ」
「……もう、痛いのも、苦しいのも、なくなる?」
「ああ」
「……そっか。終われるんだ、わたし」
「……ああ」
フラクは、漆黒の剣を手に、ショウジョをこちらに振り向かせる。
そこで目にしたカノジョの顔は、ヴァイオレットにそっくりだった。
「ありがと……わたしの大嫌いな、神剣使いさん」
フラクは、剣の切っ先をショウジョの胸の中に沈め、
「――断剣」
と、呟くように、不落の最後の力を使い、魔剣の核に封じ込められたショウジョの意識と記憶を断ち切った。
・・・
――その後、騎士隊やイーラ教官たちが遺跡の深部へと辿り着き、倒れていたエンティ、アリス、ヴァイオレットを保護。
フラクは、ジョセイの姿で倒れているところを発見され、エンティたちと共に医務室へ搬送され……三日三晩、生死の境を彷徨ったという。
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