8 忍び寄る影

明応大学の大学祭である明応祭が十一月の初めに開催され、数多くのサークルやクラブが活動成果の発表や模擬店の出店で盛り上がった。


私たちのミステリ研も、機関誌を何とかガリ版印刷し、さらに模擬店で売る串団子を明応祭当日の早朝に部室で作って出店の準備をした。


ちなみに機関誌の内容だが、まず兵頭 崇ひょうどうたかし部長(経済学部三年生、立花先生の従弟)が書いた「ミステリ研の活動記録」を載せた。


美波凪子みなみなぎこ副部長(文学部三年生)は「名探偵明智小五郎の変遷」という題名で、最初は野暮ったい格好の天才肌の名探偵だった明智探偵が、少年探偵団ものの展開につれて超人化していったことを論じた小論文を発表した。


山城 譲やましろゆずる先輩(理学部二年生)は、美波副部長の小論文に触発されたのか、「金田一耕助は名探偵か?」と題し、犠牲者が何人も出る前に犯人を特定することはできなかったのか?という内容の小論文を書いていた。


田辺凛子たなべりんこ先輩(法学部二年生)は本人が検事志望のせいか、『ユダの窓』や『情婦』(註、クリスティの短編『検察側の証人』のこと)など、法廷が舞台となる短編推理小説の書評を書いていた。


私と同じ一年生の神田一郎かんだいちろう君(商学部)はSFミステリー、仲野蝶子なかのちょうこさん(文学部)は『八つ墓村』の漫画の書評を書いた。


そして私は立花先先たちと一緒に解決した事件のうち、何件かを個人名をぼかして当たり障りのない範囲で紹介した。


機関誌と一緒に串団子を作って販売することになっていた。山城先輩と田辺先輩を中心に、私たちも手伝って準備した。まず白玉粉を水で練ってから細かく切って茹で(茹でるのには七輪を使った。一酸化炭素中毒にならないよう、換気には注意した)、串に刺してから砂糖醤油をまぶして網の上で軽く焼いた。焼いたのは、一緒に売る機関誌が汚れないように、たれを垂れさせないようにするためだった(シャレではありません)。


串団子一本十円で小売りもするが、一冊百円の機関誌を買った人にはサービスで一本付けた。そのせいか例年よりも機関誌の売り上げが良かったようだ。


立花先生も当然機関誌を買ってくれたし、島本刑事は家族で来て、機関誌一冊(串団子一本付き)と追加で串団子を五本買ってくれた(家族三人で二本ずつ食べるため)。


初めての明応祭はとても楽しかったが、終了すると何の名残もなく、すぐにいつもの大学生活に戻った。


今日もいつものようにミステリ研に顔を出した後、立花先生がいる法医学研究室がある医学部棟に入った。そして途中の廊下で見知らぬ男性が立っているのに気がついた。


男性としては小柄な方で、若干くすんだブレザーを着ており、学生ではなさそうだった。その男性は私に気づくと、にこにこしながら私に話しかけてきた。


「すみませんが、あなたは法医学教室の関係者かな?有田教授はご在室ですか?」


「私は学生で、法医学教室の教職員ではありません。有田先生が今どこにいるか知りませんが、どなたか教室の先生に聞いてみましょうか?」と私は答えた。


「いや、それには及びません。ありがとう」と言ってその男性は私とすれ違うと、医学部棟の出入口に向かって歩いて行った。


私は気にせずに廊下を進むと、法医学研究室のドアをノックした。すぐに中から「どうぞ」と立花先生の返事が聞こえた。


「こんにちは」と言いながらドアを開ける。笑顔で出迎える立花先生に私は言った。


「あの、今しがた有田教授に会いに来られた人がいましたが・・・」


「有田教授は今教授会に出席しているはずだよ。しばらくは戻って来ない。何も聞いてないけど、来客の予定があったのかな?」首をひねる立花先生。


「予告なく来られたのかもしれませんね。私が『誰かに聞いてみましょうか?』と言ったら断って帰られましたけど」


「どんな人だった?」


「小柄な男性で、二十代後半か三十代前半ぐらいのお年ですが、少し童顔めいていたような」と私はさっき会った男性の顔を思い出しながら言った。


私の言葉を聞いて青ざめる立花先生。すぐに書棚から日本法医学雑誌という学会誌を取り出して来た。


去年の全国集会のページをめくり、雑誌の一ページを開いて「その人はこんな顔じゃなかった」と私に聞いてきた。


立花先生が示したのは雑誌に印刷されている全体集合写真だった。学術集会では参加者が会場の座席に座っているところを壇上から写真に撮り、学会誌に掲載する習慣があるのだそうだ。


その中に写っているひとりの人物を指さしている立花先生。私はその人物の顔を見つめたが、小さく写っていたため、はっきりと識別できなかった。


「似ているような、似ていないような。・・・先生、この人は誰ですか?」


白神柏人しらかみはくとだよ」と立花先生が答えたので私はびっくりした。


「例の、一連の事件の容疑者ですか!?」


「そう。・・・警察の捜索を察知して行方をくらましたはずなんだけど、まさか・・・なんで・・・ここに来たんだ?」


「ま、まさか、一連の事件の解明を手伝った立花先生に復讐しようとでも考えているのでしょうか?」


「僕や一色さんが手伝ったことは警察内部にも公表されてないはずだよ。だから例の捜査会議に出席していた警察官から話を詳しく聞く機会があったとしても、僕や一色さんにはたどり着けないはず」


「あの時の会議では・・・。そうですね、有田教授が捜査に協力したことになってましたね?」


「そう。だから、有田教授に逆恨みしてここに来たのかも。・・・会議中で在室してなくて幸いだったよ」


「・・・殺人犯と一言とはいえ会話したなんて、恐ろしいです」と私は震えながら言った。探偵小説が好きと言っても、現実の殺人犯に会いたいわけじゃない。


「有田教授には後で警戒するよう言っておく。・・・今会ったばかりなんだね?医学部棟の周りにいないか見て回って来るよ」


「だ、大丈夫ですか、立花先生?」できれば行ってほしくない。


「白神に話しかけたり、まして捕まえようとするわけじゃないから安心して。一色さんは僕が部屋を出たら中から鍵をかけて待っていてくれ。僕以外の誰かが来ても鍵を開けるんじゃないよ」


「わ、わかりました」私はそう答え、立花先生が研究室のドアを開けて廊下の様子を確認してから出て行くと、すぐにドアに鍵をかけた。


ドアを離れて椅子に座ろうと振り返った時、ドアをノックする音が聞こえた。私は今出て行った立花先生が戻って来たのだと思って鍵を外し、ドアを開けた。


・・・そこに立っていたのはさっき出会った白神(らしき人)だった。


「おや、また会ったね?君は学生なんじゃなかったのかい?」と私を見つめながら聞く白神(らしき人)。


「い、いえ、私は本当に学生です。た、立花先生と知り合いなので、今日はたまたま訪問してました」と私はあわてて弁明した。嘘は言っていない。


「医学生なのかい?」


「いいえ、私はこの大学の文学部の学生です」


「文学部?・・・なら、法医学の知識はないか。立花先生の彼女かな?」とつぶやきながら私を値踏みするように見回す白神(らしき人)。


「あ、あの・・・有田教授は用事で外出しておられて、いつ戻って来るかわからないそうですけど」と私は言った。教授会がいつまで続くのか知らないが、万が一でも戻って来た有田教授と出くわしたら大変なので、すぐに帰ってもらうよう嘘をついた。


「そうかい?・・・ところでここの法医学教室で一番頭がいい人は誰か知ってるかい?」


「頭がいい、ですか?・・・私はこの教室の教職員の方を全員は知りませんので、よくわかりません」


「そうかい?まあ、いいや。邪魔したね」と言って白神は今度こそ立ち去ってくれた。


ドアを閉めると私の膝が急にガクガクと震えてきて立っていられずにうずくまってしまった。相手が白神本人だと知らなければ普通に対応できたのだろうが、殺人犯かもしれぬ相手と対面して平静を装えたのだろうか?


私は数分経ってからようやく立ち上がると、ドアの鍵をかけた。そして研究室内を振り返った時、机の上に学会誌の全体集合写真のページが開いたままだった。


白神は私(と立花先生)が法医学会の会員の顔を確認していたとは気づかなかったと思う。しかし、後で思い出したら、私が白神を知っていたことに気づくかもしれない。


とはいえ、さすがに白神も私が事件の推理を手伝っていたとは思わないだろう。


私は雑誌を閉じると、椅子に座ってぼーっと立花先生が戻ってくるのを待った。そして十数分経った時、ドアが再びノックされて私は身構えた。


「一色さん、僕だよ。開けてくれ」立花先生の声だった。


「はい」と答えてドアに駆け寄り、開錠してドアを開ける。そこには紛れもない立花先生が立っていた。


「先生・・・」その瞬間、私は思わず立花先生に抱きついていた。後で思い返すと顔が熱くなってしまうが、立花先生自身も私の猛烈な愛情表現?にとまどったことだろう。


「い、一色さん?」あせる立花先生の声。


「せ、先生、今、白神本人が来ていたんです」と私はやっとの思いで事情を告げた。


「白神が!?だ、大丈夫だったのかい?」私の体をそっと離して顔をのぞき込む立花先生。私の目は潤んでいたことだろう。


「先生がここを出てすぐにドアがノックされたんです。私は先生が何か忘れ物でもしたのかと思って鍵を開けたら、白神がここに立っていたんです」


「それで、何もされなかったんだね?」


「はい。・・・白神はこの教室で誰が一番頭がいいかと聞いてきました」


「頭がいい?どういうことだろう?」


「犯行を暴いたのが誰か知りたいということではないでしょうか」


「白神はその人に仕返ししようと考えているのだろうか?・・・それで何と答えたんだい?」


「よくわからないと答えました」


「それでいい。・・・とにかく白神が来たことを島本刑事に連絡しておこう。教授には戻って来てから報告するよ」と立花先生が言い、警察電話(警察内部の専用回線。法医学教室にも一台設置されている)がある部屋に二人で移動して、立花先生が島本刑事に連絡した。


「すぐに来るってさ」と立花先生は受話器を降ろすと私に言った。


「それまでひとりで出歩かないように、また、法医学教室内の他の先生にも言っておいてくれと頼まれたよ。僕がみんなに説明して回るから、一色さんはさっきの部屋でドアに鍵をかけて待っていて。僕が声をかけない限りドアを開けないでね」


「はい。わかりました」


研究室に戻って鍵をかけて椅子に座っていると、三十分ぐらい経ってから立花先生が島本刑事を連れて戻って来た。


「一色さん、大丈夫だったかい?怖かっただろう?」と島本刑事。


「はい。生きた心地がしませんでしたが、なんとか平静を保っているように見えたと思います」


「今、周囲を警察官が巡回して白神がいないか捜している。見つけられれば任意同行を求められるんだが」


「下宿にお兄さんが帰ってくるのはいつ頃だい?」と聞く立花先生。


「夜十時頃になることが多いですね。私はいつも夕食を作って待っているんです」


「今のところ白神が一色さんを狙う理由はないと思うけど、気をつけるに越したことはないな。・・・今夜、家に来ないかい?また夕食をごちそうするよ」と島本刑事が言ってくれた。


「・・・それとも、立花先生とずっと一緒にいてもかまわないけどね」とからかうような口調の島本刑事。


「島本刑事の家でも、どこかの食堂に行ってもいいけど、お兄さんの夕食はどうするんだい?」


「どこかで適当なお惣菜を買って帰ります」


その後どこへ行くかしばらく話し合ったが、結局島本刑事のお宅にお邪魔することになった。また、警察官の捜索でも白神は見つからなかったそうだ。


立花先生は白神の顔がおぼろげに写っている学会参加者の全体集合写真が載った学会誌を鞄に入れた。後で私の兄にも注意してくれるためだろう。


捜索の手伝いをした警察官には帰ってもらい、私と立花先生は島本刑事と一緒に大学を出た。途中、どこからか白神が私たちを見ているんじゃないかと気になったが、白神の姿は見えなかった。同じように警戒していた島本刑事や立花先生も気づかなかったようだから、白神はどこかへ行ってしまったのだろう。


島本刑事の家に着くと玄関を開けて島本刑事が奥さんに声をかけた。私たちが来ることは大学を出る前に電話連絡してくれていた。


「いらっしゃい、立花先生、一色さん」とにこやかに出迎えてくれる奥さん。


「またお邪魔します」とあいさつすると、家の中から島本刑事の娘のみちるさんがどたばたと走って来た。


「いらっしゃい、一色さん」


「こら、家の中を走るな」と注意する島本刑事。


「それよりね、さっき家の前で新聞記者にインタビューを受けたよ」とみちるさんが満面の笑顔で報告した。


「新聞記者のインタビュー?なんでお前が?」


「私じゃなくて、父さんのことを聞かれたんだよ。名刑事って噂を確かめたいって。でも私、父さんには強力な助っ人がいるって話しちゃった」とみちるさんが言ったので、私は嫌な予感がした。

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