Ⅰ-11

前山は夢心地な顔をして突如画面から消えると、ガラス戸を開ける音がした。その音は前山の部屋から出ていることが青い枠の点滅で解る。前山がすぐに戻ってくる。  

と、動きからはっきりとさっきより酔っていることがわかる。そして彼は少々迂闊な画角にボトルを置いてしまっていた。

その何となく持ってきたワインの銘柄を、野島が当てた。

『いやドンペリかよ!』

『……知ってんの?』

『解るわそんくらい』

前山はそこで自分がラベルを隠したつもりになっているのを知った。

『ラベルのデザインがさー矢みたいなのじゃん。それ三万くらいする奴』

『スゴ!高くね』

野島が合いの手を打った時、翔太はそれに多少引っ掛かりを覚えて野島に聞いた。

「自分で買ってきたの?」

と言うと、前山は多少気まずい感じを出して答えた。

『んー、まあな』

『芋の水割りばっかりカラオケで頼んでたやつが?』

『やめろよ。ちょっとずつ飲もうと思ってちびちびやってんだ』

 嘉納がくすぐると、前山はより気まずそうな顔をしたが、それにしたってもう何かを決めたような表情は変えていない。しかし野島は、その前山の様子も目聡くわかっているように、鋭く言った。

『お前コルク抜いてそのまま棚に入れてるだろ』

『そうだけど?』

『ああ!マジでなんも分かってねえわ。どのくらい経った?』

『二週間くらいかな』

『開けたら一週間くらいで飲まないと悪くなるぜ。あと氷入れるな』

『マジで?知らんかった』

『ネットで調べるだろ、普通』

『いや、別においしく飲めればよくない?』

『だからその飲み方が美味しくねえんだって。お前みたいな奴一番嫌いだわなんも調べない癖ついてる奴』

 なぜここまで野島がムキになるのか、翔太が少しわかり始めたのと、前山が、ああ、と気のない返事をするのは同じタイミングだったように思う。

 嘉納が話を元の線路に戻そうと大声で言った。

『いいよいいよそんな酒の飲み方なんて人それぞれだろ?ビールなんて本場じゃぬるいほうがいいらしいって聞くしさあ』

 と嘉納が言って、とりあえず野島も矛を収めることになった。若干空気が悪くなる中、嘉納はそのまま別の話題へとスライドを試みた。

『そういえばさ。翔太なんか知ってる?スピリットの奴がどうなったか』

 聞かれて翔太は、あらかじめ考えておいた話を口に出してネタにすることとした。

「中村杏子っていたでしょ。一学年下の」

『あー、何かいたよね』

『翔太仲良かったよな』

「彼女結婚して子供産んだんだ。正月の年賀メールもらって分かったんだけど」

『へえーっ。知らんけど』

と嘉納が話を終わらせた。

 あんまりウケなかった。その間ずっと前山は何かきょろきょろと周りを見回すような素振りを見せていたが、野島はずっと前山の異変に気付いていた。

「お前言う事あるんだろ、前山」

前山は何かの意を決して唇を横に引いた。何か主人公にでもなり切ったように、何かを告げる時が来たかのように、急にかしこまり、呼吸を整えた。

『このテンションでちょっと言ってなかったこと言っていい?』

『どうしたシゲル』

 嘉納の無邪気な声に唇が若干ためらい、しかしもう後には引けないというかのように、シゲルは言った。

『……嫁さんいます』

『えええええええええ、マジかよ、いついついつ?』

 嘉納は画面にぐっと近づいて目の玉を大きくしている。

『いや顔は?かおかおかお』

 と言って嫁の名前より顔を見たがっている。前山は酒のせいで一瞬喜んだ顔を見せたものの、無意味にもったいぶった。しかし野島のしかめた顔を見てからは何かこれ見よがしな感じでスマホをかざし、彼のZOOMカメラがノートPCであると気づく。

『可愛いじゃん』

嘉納が素直に言った。

『ありがとう』

『で、いつだよ』

野島が追及すると、前山は吐いた。

『二か月前』

『飲み始めてすぐじゃねえか……』

嘉納が口を横に向けて渋い顔をすると、野島は表情一つ変えない。

『いや嘉納鈍いだろ』

『お前知ってたん』

『絶対引き出物のワインだと思ったし。部屋の雰囲気で解るし、どうせ子供もいるんじゃね?』

前山は、バツの悪い顔で笑った。

『……子供います』

『もー友達じゃねえよクソシゲル!』

嘉納が一方的に叫んで酒をあおった。

『お前ひどくね?何で教えないの?』

 さすがに耐えかねたのか、わかるだろ、とかなんとか前山がぼそぼそと反論しようとした。翔太としては別に何の感情もないが、皆から祝ってほしいという感情が一ミクロンでもなかったわけでもなさそうだ。

『ウソだよ、おめでとうよ』

と嘉納が冗談めかして笑う一方で、野島は一貫して表情が同じだ。

『道理でワインの飲み方も分からねえんだ』

 何かそんな声がしたような気もするが、四人ともスルーして会話は続く。嘉納は好奇心を持ったのか、いろいろと尋ね始めた。

『えー奥さんは?』

『生まれたばかりなんで、一人しかいなんだよ』

『まあでもそんな時期かあ。男?女?』

 となってしばらく、ZOOMでは嘉納と前山の青枠だけが点滅を続けることになって、翔太と野島はだんまりだった。特に野島は、今までどんな飲み方をしていたのかはわからないが、先ほどの愚痴が遮られて明らかに不満げな顔のままだ。

『しっかしシゲルも子持ちか、早いねえ』

『いやいやお前、続けるのが大変なんだから!解る?』

 前山はその点を強調して話すとワインを飲み干した。俺もお前たちと一緒だよ。

大変だよという感じに聞こえる。少なくとも前山はそう表現したし、マスクのないその顔は懇願していたように、翔太には思える。


『俺はこのメンバーでつるめればいいんだ』

そう前山が、ぽつりと言った。

『もう十一時ですわ』

野島が時計を見た。

『そろそろお開きだなー、あーあ』

嘉納は照明のある天井を仰ぎ見た。

『翔太も仕事?』

前山に聞かれて翔太は何の迷いもなく、言った。

「うん。僕もそろそろかな」

翔太が言うなり、嘉納が言った。

『じゃあお互い切りますか?』

 野島がため息交じりの声で言う。

『女の子入れようや、スピリットの。お前後輩多いだろ嘉納、この際関係ねえよ。翔太ー、中村と友達なら繋がれるだろ?』

翔太としては、いや、杏子としか仲良くないよと返答しようと口を動かそうとしたが、その前に前山が、何とも言えない感じで言った。


『……嫌だよ、この仲だけでやりたいよ』

 やけに寂しそうに聞こえるその声に、嘉納が柔らかい口ぶりで別れの挨拶をした。

『じゃあ、お疲れさまな』

「うん、またね」

『またなんかあったら誘うわあ』


 前山の声が終わると画面が切れた。

翔太はあまり乗れなかった。

瑠海のこともよくわからなかった。

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