Ⅰ-10
前山は接着剤になりたいのだろう。翔太はそう思った。
『彼女もいねえのにそんなこと言うなよ』
嘉納はぶっちゃけという名目で物事を捻じ曲げ笑いを取るタイプだったが、根元が意地悪でないため悪印象はなかったと思う。大学時代、前山は酔うと誰かれ突っかかって軒先で安い青春ごっこをやっていたような記憶があったが、彼がいると落ち着くのは本当だ。前山がホストで進行なのだからそう立ち回っているだけなのかもしれないが、翔太を馴染ませようと頑張ってくれていることはよく解る。
その好意自体は嬉しいのだが。
『こっちゃ休み明けたら仕事なんだよクソだりい』
と言って野島は新年一発目に予定されているという仕事のプロジェクトの話をし始めた。耳を傾ければ、発注元とのスケジューリングと、作業する自分のチームの折り合いがつかないことをぶつぶつとぼやいていた。うんうんと頷いて聞いていたものの、その話題の文節が分かれたのを察して、素早く前山が別の話題を提供した。
『お前実家?』
『実家』
嘉納が所見を述べる。
『ようするにまたクソ上司の話だろ?めでたくないねえ』
『ああめでたくねえよ。仕事辞められたらめでたいんじゃね?』
『てかいい上司とかこの世にいんのかなあ?』
嘉納がさらに言うと、野島は釣られるかの如く天井に目を向けた後、画面に顔を向き直して答えた。
『いないね』
『でもさ、いないと思ったらいないわ。俺そう思ってきた』
前山が言う。何か分かってきたもん、俺。と言いつつ何かを話そうとしたとき、
『いい女なんているのかって話に近い』
野島がぼやいて前山の発言を塞ぎ、
『じゃあいないわ』
嘉納が続く。
『とにかくこの職場にはいないわ。ああ、転職してー!クソが」
『やるのはいいけど、躓くとやばいぞ今の時代』
前山が敢えて少し落ち着いた口調で言い、
『言うな』
野島が返し、前山が労わる。
『SEは大変だねえ』
『シゲル何の仕事してんだっけ?』
『車の営業』
『車好きだよなあ』
嘉納の声に、前山はぼやいたような声を出した。
『もう違う。なんていうか、商売道具って感じだ』
『マジ?あんなに金かけてたのに?』
『それなんだよ。もう改造とかなんとかも興味ないし、いくらあっても足りん。マジ商材だからさ』
『お前らしくねえなあ』
残念そうな声で野島が返す。
『らしいとからしくないとか、どうでもいいんだわ。毎日で精いっぱいよ』
『解るわ。もう夢とか無えしな』
嘉納がぼやいたように言うと、野島がすかさず言った。
『で、お前何の仕事してんだっけ?』
『便器を取り換える営業だよ』
二人が笑った。
『舐めんな!インセンティブええんやぞ!お前らの家の便器も取り換えんぞ!』
と言って嘉納は半ば自分の仕事がネタにされるのも問題ないとばかりに笑ってトリスのハイボールをあおると、グラスを置いた手が滑ったのかカメラが倒れて暗転した。悪い悪いと言いながらカメラが戻る途中で、七十型ほどの立派なテレビが見えて嘉納の顔に戻る。そして話題が尽きた沈黙がミーティング画面を襲った。野島はこのタイミングで枝豆を食べていた。セイコーの腕時計、アストロンを巻いた手首が光っている。
『翔太、何の仕事してんの?』
前山はビールを飲み干して言った。
何の仕事と言われると、スーパーでアルバイトしている。
『小売り』
以上のことは言わないでおく。野島がグラスを置くゴトリという音が全員に響く。そして画面の誰もがそれを察したようにしばし沈黙して、嘉納がまとめた。
『いや、どれもきつい仕事やねえ』
前山は少しだけ上ずった声で、翔太に言った。
『翔太、スピリットのライン入った?』
「いや、それは知らないな。皆どうしてるか知ってる?」
『分からねえけど、結婚して仕事してそれぞれよろしくしてんだよ。多分』
野島の声は、大分酒焼けしているように聞こえたが、嘉納の声はテンションを高めた。
『分かったぞお前翔太、どうせ瑠海ちゃんのことだろ?』
「別にそんなことないけど」
『はい、うそー』
嘉納が口を開ける。
『マジで一番可愛いかったもんな、でもラインにいないよね?』
『可愛かったか?』
『まあ、表情美人って感じ。そうだろ翔太』
『え、そう、そうだね』
画面に映る自分の顔を見ると、我ながら恐ろしく暗い。
前山はこう投げかけた。
『あの時ケイと付き合ってたって聞いたな。城木圭一よ、覚えてる?』
『女とヤンキーなんて言うまでもねえよ』
野島が不貞腐れたように口を挟み、嘉納が答えた。
『あーはいはいいたね!絶対こんな奴活動興味ねえだろってすげえ思ってたわ』
『そうそう、俺も最初は瑠海ちゃんがまた主催してたんだと思ってたんだけど、ふたを開けたら全然違ってさ、副幹事の田中とか白上が動いてただけだった。あいつらに聞いても全然わからなくってさー』
『マジそれや、それ。てかあのライン結構動いててうざいんだけど、抜けようかな』
嘉納も、野島の言うことに関しては共鳴したようだ。
『マジ未読三十とかになるだろ、何喋ってんだよって思ったら全然下らんし参るわ』
「何の話?」
翔太が聞くと、野島が先ほどの職場の話しをしたときと同じトーンで話す。
『今日の飯、ガキの自慢、ここに行ったとか、インスタでやってろやって感じ』
「そうか」
『しかも田部と恩田と島崎しか喋ってねえし!なんなん』
そこで前山がワインボトルを持ってきてグラスに注ぎながら訪ねた。
『皆で集まるんかね?』
『そのために作ったんだろうけど、皆集まってもコロナで厳しいだろ』
『確かになあ』
『俺地元で同窓会とかねえから、正直ワクワクしてたんだけどね』
前山の建設的な受けに、嘉納が合いの手を打つ。
『わかる!マジ消滅だろ』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます