第13話 借り6

ー放課後ー



「瑛一ってさ、私に借りを作らないと気が済まないわけ?」



シャーペンを走らせながら七篠が煽ってきた。非常に頭にくる。



「今回に関しては、俺は頼んでいない。」



そうだ。全ては担任の飯倉のせいだ。あの人がちゃんと仕事をしていれば、俺がこんな無意味な放課後を過ごし、目の前の女子生徒にマウントを取られることもなかった。

つい1時間ほど前、俺は帰宅の準備をしていた。6限の授業を半分意識を失いながら聞き、HRから爆睡をかましていた。


そのため、起きたら教室に残っていたのは俺一人。と担任の飯倉。

何やら学級委員にやってもらう仕事を頼み損ねたらしい。そこで、華奢な体の教師は俺に申し訳なさそうにその仕事を頼んだ。内容は、ここ1ヶ月のクラスの様子や活動内容をまとめる書類らしい。


知ったこっちゃない。

そう言って帰ることもできた。だが、2年目の気の弱い新米教師に頭を下げて頼まれて断れるほど、割り切れた性格ではなかった。そしてサポートに飯倉が連れてきたのがなぜか、今俺の目の前にいる七篠だった。



「ふーん。ぼっちでかわいそうな生徒の手伝いをしてあげる超絶美少女の優等生。普通なら5万は取れそうじゃない?瑛一が羨ましいわ。」



どんなオプションを付けたら学校資料の作成報酬で5万も取れるんだよ。



「わかった、感謝してる。だから今回の借りは1にしといてくれ。」



その借りは本来飯倉のもののはずだが、ここは甲斐性を見せておくとしよう。

そんなことつゆ知らずニヤリと微笑む自称、超絶美少女。



「いいけどさ、今借りが6まで膨らんでいるから早めの返済をお願いね。」



リボ払いかと思うくらい借りが減らない。今後俺に子どもが出来たら、リボと七篠からはなにも借りるなと教えねばならなくなった。

そもそも、七篠がこちらにお願いをしないのだから減るわけがない。そしてたまにすごく面倒なことを頼んでくるのだから非常に厄介だ。



「あ、そうだ。せっかくだし借りを返してもらおうかしら。」



早速面倒事が始まりそうだ。ごねてもしょうがないので俺は無言で聞くことにした。



「今日、変なことがあったのよ。」



「と、いうと?」



目の前の女子を刺激しないように返答をする。手を動かしながら耳を傾ける。



「うちのクラスに甘鷺さんっていう女の子がいるんだけど、今日すごく様子がおかしかったの。ちなみに、結構顔が可愛いわ。」



どこかで聞いたことのある名前だな。七篠のクラスは4組で、4組との合同授業は存在しない。となると、俺はどこでこの名前を聞いたのか。

七篠が前にも話題に出したか、可愛いと言ってるくらいだからとんでもなく有名人かのどちらかだろう。



「事の発端は昼休み。彼女、授業が終わってすぐ教室を飛び出して行ったわ。いつも学食に行っているから、そこに関してはなんの疑問も持たなかったわ。ただ、今考えてみるといつもより急いでいたように見えたわ。」



今日の日替わり定食が好物で、売り切れる前に確保する必要があったのだろう。うちの学食はかなり人気で、全校生徒の約4分の3が利用しているからな。

俺は基本弁当だが、学食もたまに利用する。



「それで?」



「私は弁当だから、早く済ませて次の化学の授業の予習をしようと思っていたの。」



休み時間まで勉強か、精が出るね。心で最小限の賛辞を送る。



「そしたら甘鷺さん、5分もせずに戻ってきたのよ。」



「それは、忘れ物をしたとか、急用を思い出したとかではなく?」



「違ったわ。だってあの時の甘鷺さん、妙に落ち着いていたもの。」



確かに。学食へ行くにあたって何よりも大事なのはスピードだ。5分も遅れたらもう間に合わない。急いで学食に行ったことと整合性が取れなくなる。



「それに、甘鷺さんなぜか国語の教科書を持っていったのよね。」



おそらく現代文の教科書だ。七篠の口から「国語の教科書」と聞くと、中学の頃の名残がまだ消えていないことを感じる。

現代文の教科書を持ちながら学食?よほど勉強好きか面白写真でも撮るつもりなのか。というかもう学食に行っても間に合わないよな。



「次の授業が現代文だったのか?」



「違う、5限は化学ってさっき言ったでしょ。それで私、咄嗟に思ったのよ。「甘鷺さんは化学室に教科書だけ先に置いてこよう」と思ったのだと。」



咄嗟に思ったことに異論を唱えてもしょうがないが、学食を犠牲にしてまでそちらの行動を優先することに疑問を覚える。

そんなことをしたら学食には絶対に間に合わない。こればっかりは本人の意思だから確かめようがないが、多数派の考えではないと断言できる。



「それで、出ていく寸前に甘鷺さんに声をかけたの。「教科書をまちがえているんじゃない?」ってね。」



わざわざ声をかけたのか。本当に俺以外には優しいやつだな。

進めていた資料は3分の1を書き終えた。



「ただ甘鷺さん、「「いえ、これで合ってます。」って言ってそのまま行っちゃったの。」



なんだか不思議な話ではあるが、結局それは七篠の考えすぎな気がする。急いで教室を出たから食堂に行ったというのがそもそもの間違いで、本当は誰かに現代文を教えにでも行ったのではないか。俺の中では結論がついた。



「問題はここからなの。」



悲報、まだ本題に入っていなかったらしい。じゃあ今までの前置きはなんだったのだろうか。



「化学の授業が終わって教室に帰ってきた後、甘鷺さん急に怒鳴り始めたの。」



その発言で俺は思い出した。

そういえばどこかの教室で誰かが叫んでいたな。あれは七篠のクラスだったのか。清々しい感じの叫びではなく、金切り声に近い声だったので、同じクラスだったのならさぞ不快な音だっただろう。

少し同情する。



「「私の教科書はどこ?誰か私の国語の教科書知らない?」って最初は穏やかな感じだったんだけど、誰も名乗り出ないと次第に甘鷺さんは怒りを露わにし始めたわ。「いるんでしょ!私の教科書盗んだ奴!出てこい!!」って言って、周りの机の中身をくまなく見ていったの。見つからないからさらに甘鷺さんは激昂、誰も手をつけられなくなったわ。星野先生も教室に居たんだけど、彼女の気迫に押されてか、なにも言えなかったみたい。」



随分頼りない教師だ。星野は穏やかで肥満型の体型をしている。外見だけ見ると、将来ああなりたくないという典型的反面教師だ。星野の尊厳を保つために注釈を入れるが、内面は非常にいい人だ。



「だから代わりに、私が彼女に言ったわ。「さっき、どこかに持ち出していなかった?」ってね。」



すごい度胸だな、俺絶対言わないわ。怖いし。



「そしたらものすごい眼光で私を睨みつけてきたわ。「寝言は寝てから言えよ優等生!しゃしゃってんじゃねぇぞ!」って。」



なんだか不良のようだ。最初の印象からだいぶかけ離れたせいか、なぜか残念な気持ちになる。

怒っている原因がたかが現代文の教科書の紛失というのも時代を感じる。甘鷺という人間についてわかってきたところで、俺は少しシャーペンを置く。



「甘鷺さんが続けて声を荒げたわ。でも、途中で何かに気づいたように携帯を眺め始めた。そしたら甘鷺さん、急にみんなに謝り始めたの。私にも深く頭を下げて。みんなキョトンとしてしまったんだけど、甘鷺さんは気にせずロッカーを開けて現代文の教科書を取り出したわ。」



ん?ということは最初から教科書はロッカーの中だったのか。まったく人騒がせな奴だな、その甘鷺っていう人間は。



「でも不思議な話じゃないかしら?」



不思議というより不可解に近いか。と言っても2つの単語の意味を正確に理解しているわけではないので、使い方が合っているかは分からない。


数秒の静寂が訪れる。

大きく息を吐いて顔を上げると、目の前の七篠は首を傾げてこちらを見ている。

どうやら俺に話せと訴えているようだ。



「不可解な点は3つ。1つは甘鷺がなぜ化学の授業前に現代文の教科書を教室の外に持ち出したのか。2つ目はロッカーも調べずになぜ誰かが奪ったと断定してしまったか。最後はなぜそこまで怒ったのか、だ。」



やんわりと笑う目の前の顔面。美しいとは言いたくない。



「そうね、私も同意見だわ。じゃあ、その謎をあなたに推理してもらおうかしら。」



「いいや、俺が推理するより簡単な方法がある。」



「どういうこと?」



俺はポケットから携帯を取り出す。



「さっきのお前の発言から察するに、甘鷺は間違いなく携帯の何かを見たことでロッカーに教科書が入っていることを把握した。それはなんだったのか、甘鷺に聞けばいい。そうすれば他の疑問も明らかになると思うぞ。」



明らかに不貞腐れたような顔でこっちを見ている。俺の完璧な主張はお気に召さなかったらしい。



「それじゃあ意味ないじゃない。何の面白味もない。普段の瑛一とおんなじよ。」



面白味のない人間で悪かったな。



「あと、呼ぶなら名前で呼んで。私、”お前”って呼ばれるの嫌いなの。」



そりゃ失敬。どうも俺は呼び方に困ると”お前”を使いがちになる。よくないことはわかっているが、どうも癖が治らない。



「椿羽でいいわ。何気に、結構長い付き合いなんだし。」



俺は生唾を1つのみ、今一度目の前の顔を見つめる。

七篠、改め椿羽は客観的に見ればおそらく相当顔が整っている部類だ。今までだって意識したことが無いと言えば嘘になるが、名前を呼ぶとなるとその意識はより鮮明なものになりかねん。俺は喉でつっかえている言葉を吐き出す。



「わかったよ、椿羽。」



そう呼ぶと、彼女は俺を見て固まってしまった。目が見開いており、かなり驚いているように見えた。

しかし、すぐに視線は手元の資料に移る。



「で、瑛一はこの謎解けそう?」



俺のシャーペンは再び動き出す。



「勘違いだった、とか?」



「私も勘違いであなたを殴りそうだけど?」



こいつのなかで、いったいどういう勘違いが起こったんだろうか。とりあえずもう少し考えるのが身のためだと悟る。

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