第6話:高嶺の花に謝られた俺

【◇現実世界side◇】

***

 一日の授業が終わった。

 部活もやってないし、一緒に出かける友達もいない俺は、一人自宅に帰るのみである。


 通学カバンを肩に掛け、正門から外に出た。最寄り駅に歩いて向かう。


時任ときとう君!」


 背後から呼ばれて振り返ったら、そこにいたのはキリっと気が強そうな美少女、八奈出やなでさんだった。


「な……なにか用かな?」


 すごく厳しい顔つきだ。

 俺、八奈出さんに叱られるようなこと何かしたかな。

 一生懸命思考を巡らすが思いつくことはない。


「ネクタイが緩んでますよ」

「あ、ごめん」


 身だしなみのことだった!

 慌ててネクタイを締め直す。

 圧が強くて心臓がバクバク鳴って逃げ出したい。


 慌てすぎて、うまくネクタイを締められない。

 おたおたしていると、なんと八奈出さんが両手を伸ばして俺のネクタイをつかんだ。


「締めてあげますよ」


 顔が近づき、いい香りが鼻の周りに漂う。

 彼女の細くて綺麗な手で、きゅっとネクタイが締められた。

 学年一の美形女子にネクタイを締めてもらうなんて、まるで新婚さんのようだ。

 心臓が爆発しそうにドキドキする。


「な、何から何までごめんなさい」

「いえ、私の方こそすみません。そんなことを指摘するために声をかけたんじゃないのに、つい気になりまして」


 ──どういうこと?

 戸惑っていたら、突然八奈出さんが頭を下げた。


「今朝はごめんなさい」


 ──今朝のことをわざわざ謝りに来てくれたの?

 すごく律儀だな。


「いや。べ、別に気にしてないからいいよ」

「ちょっとお話してもいいですか?」

「よくないです」


 ああぁっ、しまった。

 女子と話すのが苦手だから、つい脊髄反射で断ってしまった。

 失礼だろ、俺のバカ。


 ゲームの世界なら美人でもあまり気負わずに話せる。

 だけど、どうも現実の女子相手にはうまくいかない。


「そうですか。時任君にはあんな迷惑をかけてしまったのです。私と話したくないのは当然ですね」


 あ、いや。そうじゃないんだよ。


「でも一つだけわかってほしいことがあります。あの時時任君の名前を口にしたのは、本当にあなたを疑ってのことじゃないのです。こんなことを言っても信用してもらえないでしょうけど」


 全然信用してるよ!

 だけど間近にキミみたいに美しい女性がいて、しかもなんだかいい香りが漂ってきたら、圧倒されて声が出ないんだよ。


「ちょっと事情があって、時任君と目が合った時につい名前を呼んでしまったのです」


 事情? いったいなんの?


「ああでも、そんなことは時任君からしたら聞きたくもないことですよね。わかりました。ごめんなさい。ではこれで」


 相変わらず俺は言葉が出ない。

 そんな俺を見て、八奈出さんは俺が怒ってると勘違いしたみたいだ。


 いつもきりっとした顏つきの八奈出さんが、今まで見たことのない悲しい表情を浮かべている。


 そして俺を置いて、駅に向かって歩き始めた。

 とぼとぼ歩く背中が悲しげだ。


 俺が女子と話すのが苦手だからという理由で、何も悪くない八奈出さんにこんな思いをさせたくはない。だけど簡単には声が出ない。


 ──勇気を出せ、時任ときとう 悠馬ゆうま


 ゲームの世界では高嶺の花の美人相手にちゃんと話せたじゃないか。


 八奈出さんの背中がどんどん遠ざかっていく。

 今声をかけられなかったら、後日声をかけるなんて気まずくて益々ハードルが高いぞ。


「や……や……」


 心臓がバクバク鳴ってる。

 喉がこわばっている。


 ──がんばれ俺!


「や、八奈出さん、待って!」


 既に少し離れていて、声が届くか少し不安だった。

 だけど彼女はまるで待ち望んでいたように、ぴたりと歩みを止めた。

 そして凛と背筋を伸ばしたまま、くるりと振り返る。


 艶々としたロングの黒髪が弧を描き、制服のスカートがふわりと浮いた。

 さすが学年一の美少女と呼ばれる八奈出さんだ。

 とても美しい所作と容姿に目を奪われた。


「は、話を聞こうじゃないか」


 ああーっ、俺のバカ!

 なんでそんな偉そうな言葉を吐いてしまうのか。

 地味男子の俺にそんな偉そうなことを言われて、きっと八奈出さんは呆れたに違いない。


 だけど学年一の美少女は、呆れた素振りなどまったく見せずに微笑んだ。


「ありがとうございます」


 なんていい子なんだよ。


***


 下校時間の通学路での立ち話は目立つから嫌だった。


「どこか場所を変えて話をしよう」

「そうですね」


 八奈出さんは快く応じてくれて、俺たちは少し離れた児童公園に移動した。

 人影まばらな公園の中で、俺たちは向かい合って話し始めた。


「時任君、まずは改めて謝罪させてください」


 きりっとした姿勢で俺の目を真っすぐ見る八奈出さん。


「今朝私があなたの名前をつい口にしてしまったせいでクラスの皆から疑われて酷いことを言われたこと、本当にごめんなさい」

「あ、待って。そ、そんな頭を下げないで」

「でもそれじゃあ時任君の怒りは収まらないでしょう」


 八奈出さんは単に俺の名前を口にしただけで、俺が犯人だなんてひと言も言っていない。

 決めつけたのはクラスの一部のヤツらだし、この人は何も悪くない。

 だから全然怒ってなんかいない。


「いや、そうじゃなくて。えっと……」


 うまく声が出ない。


 八奈出さんは、俺に迷惑をかけたと、謝罪のためにわざわざ声をかけてくれた。

 そんな誠実な彼女に悲しい思いをさせたままでいいのか?


 ──勇気を出せよ俺。


 ゲームの世界ではちゃんと女子とも話せていたじゃないか。

 あれを思い出せ。気負うな。

 現実でも同じようにやれると信じ込め。


 大きく深呼吸を一つ。

 それから口を開いた。


「八奈出さん、俺は全然怒っていないよ。だって今朝は八奈出さんは単に俺の名前を口にしただけで、俺が犯人だなんてひと言も言っていない。だから悪いのは勝手に俺を疑ったクラスのヤツらだ。それとクラスの皆にちゃんと説明できなかった俺も悪い。なのに八奈出さんにそんなに罪悪感を持たせてしまってかえって申し訳ない。謝るのは俺の方だ。ごめんなさい」


 うっわぁぁぁ、しまった!

 がんばりすぎて、早口でガッツリ喋ってしまった!

 さっきまで無口だった男の突然口数多いトーク。引くよな? きっと引かれたよな?


 ──と思ったのだけれども。


「ありがとうございます。良かった。はぁ〜」


 八奈出さんは安心したように大きく息を吐いた。

 どうやら俺の想いは伝わったみたいでよかった。


 そうなると気になるのは──


 さっきの『ちょっと事情があって、時任君と目が合った時につい名前を呼んでしまったのです』というセリフだ。


 ほとんど交流のない高嶺の花女子が、つい俺の名前を呼んでしまう事情ってなんだ?

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