ドメーニカの物語
GiGi
出会いの章
01 出会い
西暦1808年、北イタリア、イタリア王国。
その国の首都、ミラノの近郊にある小さな街に派兵された軍服の男性、ファウスティは、足を引きずりながら街を歩いていた。
「……俺もいよいよ、お役御免か」
彼、ファウスティは、戦争において大隊長を務めていた人物である。
だが彼はとある戦いの最中、足に銃弾を受けてしまった。その後、こうして歩けるようになるまで回復はしたものの——彼の望んだ戦線に復帰することは叶わずに、この平和そうに見える街の治安維持に回されてしまったという訳だ。
(……俺は何のために、戦ってきたのだろうな)
ふと、そんなことを考えてしまう。いや、無論、今やフランス皇帝であり、この国の王位にも就いている陛下の為に、だ。
しかしこうして前線を離れたファウスティを襲うのは、ただひたすらな虚無感。
目の前の平和な光景が、まるで非現実の世界を見ているように思えてくる——。
そんなことをボーっと考えながら歩いている時。ファウスティの視界の隅に、人がうずくまっている姿が映った。
(……少女か?)
路地の傍でうずくまっているのは、長い黒髪、薄汚れた白いワンピース。そしてその体格から見るに、恐らくはまだ少女であろう姿。
——親は何をやっているんだ?
そんな事を考えてしまうが、まあ関係ない。次に通りかかった時にまだ居る様だったら、声でも掛けるか——ファウスティはため息をつき、その場を通り過ぎるのだった。
†
路地傍でうずくまっている少女。その彼女のそばに、二人組の男が近づいてくる。
男達は目配せをする。そして一人の男が少女に手を伸ばし——。
「おい。何をやっている」
その声にギョッとし、男達は背後を振り返る。
そこには軍服を着用している男性ファウスティが、冷たい視線で男達を刺していた。
「……チッ」
男達は舌打ちをし、その場を離れて歩き出す。
それを見送ったファウスティは息を吐き、屈んで少女に声を掛けた。
「君、こんなところでどうした?」
「……う……ん」
少女はファウスティの呼びかけに応え、身体を起き上がらせた。
その少女はファウスティを見上げる。そしてその背後を見て——
「危ない!」
——少女は叫んだ。自分に声を掛けてくれた男性の背後に、石を振り上げた男の姿があったからだ。
振り下ろされる石塊。目をぎゅっとつむる少女。
だが。
次に少女が目を開くと、そこには軍服の男性に組み伏せられている男の姿があった。
「まったく、すぐに『次に通りかかって』よかったよ」
「……ぐっ!」
「なあ、君。皇帝陛下の軍兵に手を上げたらどうなるか……分からない訳じゃあるまい?」
「!!」
男の顔が、みるみると青ざめる。ファウスティは息を吐き、男を解放した。
「……行け。次に俺に会ったら、終わりだと思え」
ファウスティの殺気が、男を貫く。男は震えながら頷いて立ち上がり、背を向けて駆け出していった。
ポカンとその様子を見つめる少女。その彼女に、ファウスティは出来るだけ優しく語りかけた。
「ご覧の通り、この街は治安がいいとは言い難い。こんなところに一人でいたら、攫われてしまうぞ?」
「——兵隊さん、すごい!」
ファウスティの言葉を無視し、キラキラとした瞳で少女は声を上げる。ファウスティは困惑し、咳払いをした。
「……君は、何故こんなところに? 親は何をしている?」
「……あのね、私、二日くらい前にお母さんと一緒にこの街に来たの。でも……お母さん、私を置いていなくなっちゃって」
「母親と? はぐれたのか?」
「うん。私を置いて、馬車に乗って行っちゃったの」
自分の置かれた状況を思い出したのか、寂しそうに語る少女。その話を聞きファウスティは眉をしかめる。
(……捨てられた、か)
心情的なものは置いておくとして、この様なことは特段珍しい話でもない。きっと少女の母親は、少女をこの街に捨てに来たのだろう。
——面倒ごとに巻き込まれたな。この街に、孤児院はあったか?
そんなことを考えながら、ファウスティは少女に手を差し伸べた。
「では、君の母親を探そう。ただ、あまり期待はするなよ?」
その差し出された手を見つめ少女は目を丸くしていたが、やがて少女は彼の手を取り、元気よく立ち上がった。
「ありがとう、兵隊さん!」
「俺にはファウスティという名がある」
「じゃあ、ファウスだね! ありがと!」
屈託のない笑顔を浮かべる少女。釣られてファウスティの頬も緩む。その時だ。突然、少女のお腹がぐうっと鳴った。
「あはは……お腹、空いちゃった」
無理もない。少女はこの二日間、ろくに食事を摂っていないのだろうから。
ファウスティは今日何度目になるか分からないため息をつき、少女に笑いかけた。
「……仕方ない、先に食事にするか。君、何か食べたいものはあるか?」
その言葉を聞き、口をもにゅもにゅさせていた少女だったが、やがて涎を拭いとって答えた。
「……お野菜のスープが食べたい」
「ミネストローネか。そうだな……美味い店は何軒か知っている。いくぞ」
「わあ、ありがとう! ファウス、いい人だ!」
彼の手を握り、ブンブンと振って喜ぶ少女。ファウスティは苦笑いを浮かべ、少女に尋ねた。
「どういたしまして、お嬢さん。それで、君の名は?」
「あ、そういえばまだ言ってなかったね。ごめんなさい!」
少女は慌てた様子で向き直り、ワンピースの裾を軽く持ち上げ頭を下げた。
「——私はドメーニカ。日曜に生まれたからドメーニカなんだって。よろしくね、ファウス!」
——これが後に『穴』に飲み込まれ、トロア地方へと転移することになる、ファウスティとドメーニカ、二人の出会いであった。
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