第25話 帰城
ニーメライのところに戻るとオリヴィアは頼みごとをする。
「あっちの2頭は5日後だと間に合わなくなります。今治療しては駄目でしょうか?」
「それを始めたら際限なくなっちゃうよ。私たちはあくまで補助で、あとは神殿か町の治療師に……」
ニーメライは舌打ちをした。
「人ならともかく、それほど重篤な動物なら彼らの手に余るか。仕方ない」
「ありがとうございます」
駆け戻ろうとするオリヴィアの手をニーメライが掴む。
「待て。私も手を貸す」
ぜえぜえと喘ぐ馬と小便ができないという犬に2人は治療魔法を施した。
先ほどまで赤々としていた太陽はもうすぐ地平線に姿を消そうとしている。
私の生き物も、と縋る人々をニーメライは一喝した。
「他の動物は5日後だ。我々も無尽に魔法が使えるわけではないのだぞ」
もう1人の治療師が後片付けを済ませていたので、ニーメライは後ろ髪を引かれているオリヴィアを半ば強引に馬車に押し込む。
向かいの席にオリヴィアを座らせるとニーメライはもう1人の治療師と並んで腰かけた。
背後の御者台に面した板を叩く。
「出してくれ」
ニーメライが御者に命ずると馬車は走り始めた。
腕組みをすると意気消沈したオリヴィアを諭す。
「先ほども言ったが、仕事は決められた時間内に終わらせるように」
「はい。すいません」
「夜は闇の眷属の時間だ。この地には夜間に彷徨う魔物も多い。日が暮れる前には安全な場所に戻るんだぞ」
「騎士団の城の近くなのにですか?」
「その慢心が危険だ。城が近かろうがその場に騎士が居なければ無防備なのは同じこと。ここなら安心だろうと油断したところを狙う狡猾な魔物もいる。ちなみに私は戦いはからきしだからな」
「同じく」
もう1人の治療師が手を上げてきょときょとと視線を動かした。
「なんか近くにいる気がする」
「もう。やめてくださいよ」
オリヴィアがそう言った途端に馬車の扉がノックされる。
ガラガラと騒々しい車輪の音に紛れていたが間違いなく外から叩いたものだった。
「ひゃあっ」
オリヴィアは思わず変な声を出してしまう。
ニーメライはふっと笑った。
「私の指示に逆らう強情なところがあってもそんな声を出すんだな」
窓にかかっているカーテンをずらすと、宵闇に包まれゆく中を馬に乗り併走している者の姿が見える。
「わざわざ魔物はノックをしたりしないよ」
オリヴィアはばつが悪そうにした。
「分かっていたなら脅さないでください」
「これに懲りて欲しいな」
ニーメライは身を乗り出す。
「ただ、君の見立ては正しかった。あの2頭、確かにあの状態で5日空けては命の危険がある。あの短時間で判断できるとはいよいよ獣の治療師を名乗る日が近そうだ」
オリヴィアはからかいの言葉を受け流した。
「それで、1つ考えついたことがあるんですけど、次回からは先着順ではなく、最初に重篤度の判断をして症状の重い動物から治療しようと思うんです。そういうやり方をしていいでしょうか?」
ニーメライは感心する。
「面白い発想だね。我々は本来お手伝いの立場だからその辺りは無頓着だったが、動物を診ることができる者はボーネハムの町に少ないからな。そうした方がいいかもしれない。夕暮れ時に慌てなくてもよくなるしな」
「今までとやり方が変わってしまうので混乱させてしまうかもしれないですけど」
「2、3回そのやり方でやれば慣れるだろう。うん、そのやり方は戦場での治療にも応用できそうだ。オリヴィア、凄いぞ」
褒められることに慣れていないオリヴィアははにかんだ。
「いえ、ほんの思い付きで……」
「考えるのに時間をかければいいというものでもない」
馬車が減速して誰何と応答の声が交わされるのが聞こえてくる。
跳ね橋を渡って馬車は城の中へと入っていった。
停止するとオリヴィアが立つよりも早くニーメライが扉を開けて先に降りる。
扉を開けたまま支えてくれるのにオリヴィアは恐縮することしきりだった。
「本当にすいません」
「まあ、これでも私はマナーは心得ているつもりだから」
ニーメライは胸を張る。
馬車から降りたところで並走していた騎士が振り返りオリヴィアは驚きの声をあげた。
「あ」
仮面を外しフードを下ろした騎士の見事な金髪はかがり火を浴びてきらめく。
騎士はなんとローランドだった。
金色の頭髪は宵闇の中ではいつも以上に輝いて見える。
「どうした? そんな声を出して」
ローランドが訝しそうにし、オリヴィアは慌てて腰をかがめた。
「殿下とは存じ上げず失礼しました。乗馬がブレイズではなかったので……」
ローランドはふっと笑う。
「ブレイズに跨っていては仮面の意味がなくなるからな」
ボーネハムの町にお忍びで出かけていたものらしい。
「他の馬に乗るとブレイズの機嫌が悪くなるのだが」
「そんな大事な用事がおありだったんですね」
そこにニーメライが割って入る。
「いつまでもここで立ち話というのも無いでしょう。私もご相談したいことがありますし、どこかに腰を落ち着けられては?」
「そうしよう」
ニーメライと連れ立って歩き出したローランドに頭を下げて見送ろうとしたオリヴィアだったが鋭い声をかけられた。
「何をしている?」
顔を上げればローランドがこちらを見て手招きをしている。
オリヴィアは右手で作った握りこぶしの親指を立てて自分の胸に当てた。
ローランドは大きく頷く。
ボーネハムに一緒に出掛けていたもう1人の治療師はにこやかな笑みを浮かべながら手を振って別れを告げた。
「いってらっしゃい」
すたすたと離れていってしまう。
いやあ、置いてかないで。
オリヴィアは縋るような視線を向けたが無駄だった。
騎士団のトップと自分の上司の話に混じるのは避けたいところだったが、確認してしまった以上は逃げられない。
小走りで駆け寄ると2歩ほど離れたところで立ち止まった。
ローランドはニーメライとの間の距離を空けて腕でその場所に収まるようにというような仕草をする。
オリヴィアがその位置に立つと2人はゆっくりと歩き出した。
両脇を挟まれるその姿は、まるで逃げないようにと連行されているようである。
顔見知りとなった騎士とすれ違い驚きの視線を向けられるとオリヴィアは首をすくめた。
「どうもすいません。お騒がせしています」
口の中でもごもごと言いながら、ローランドやニーメライに遅れないように足を動かす。
応接室に入りソファに腰を下ろすとニーメライが呼び鈴を振った。
小間使いが現れる前にローランドに確認する。
「夕食を取りながらでよろしいですか?」
了承が得られたので、ニーメライは小間使いに騎士団長が2人と共に応接室で夕食を取ることを告げ、それまでの繋ぎで飲み物を出すように頼んだ
そうじゃなくても、なんの用があるか分からないオリヴィアは自分の用件が済んだらさっさと退室しようと目論んでいたがそれは叶わないことを知る。
神殿にいた時分に治療師長が神殿長ら幹部との夕食会についてこぼしていた愚痴を思い出した。
「緊張のあまり、何を食べても砂のような感じがしなかったわよ」
一度姿を消した小間使いが茶器のセットを持ってきて、薫り高い濃い茶色をした液体と一口大の焼き林檎のタルトを置いて去っていく。
昼食後休みをとる暇もなく働いていたオリヴィアはお腹が空いていた。
それを見透かすようにローランドが言う。
「先に少し口に入れようか」
待っていましたとばかりにオリヴィアはタルトを摘まんで口に入れた。
甘酸っぱい味が広がる。
幸せそうに頬に手を当てると目を細めた。
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