第24話 自由市にて

 城内を行き交う人が増えてきた中をオリヴィアは治療院の建物に向かう。

 仕事場につくと誰もいない倉庫で薬草などの在庫を確認し、器具の状態を点検した。

 少ない魔力でも治癒魔法の効果を上げるために併用することもあるし、魔法が効きにくい体質の人もいる。

 そういうときのために薬草は欠かせない。

 また、例えば、体内に矢尻が残った状態で傷を塞ぐわけにはいかないので、切開して取り出すための鋭利な刃物も必要だった。


 備えあれば憂いなしというのがオリヴィアの信条である。

 前の職場の神殿でもこういった品々の整理整頓をやっていた。

 騎士団付きになってもその習慣は抜けない。

 珍しく早めに出勤してきたニーメライはオリヴィアのしていることを目撃すると眉をひそめる。

 オリヴィアは不安そうに尋ねた。


「あの、余計なことでしたでしょうか?」

「いいや。整理の仕方も間違っていないし、やってくれたこと自体はとても助かるよ。ただねえ、私としては君の立場でこういうことをするのは同意しかねるなあ」

「何か問題でしたでしょうか? ベテランの方がすべきで新人がするべきでないとか?」

「ああ。違うよ。そうじゃない。管理者としての問題だね。気付いた人がやるだと気付かない人はやらない。それでは不公平だ。それに善意は全員に通ずるわけじゃないから。君が親切でやっているのに、もしできていなかったときに自分のことは棚に上げて君を責める人間が出かねない。それはとても非生産的だ」

「でも、皆さんはあまり薬草を使わないのではないですか?」


 ニーメライは腕組みをする。

「私は必要もないものを職場に置いておくつもりはないよ。今はまだそのときが来ていないだけだ。そうだな。とりあえず、消耗品などの整理と在庫管理は正式にオリヴィアの業務とする。その埋め合わせは当面の間は手当の支給ということで帳尻を合わせよう」

 オリヴィアは目をパチパチとさせた。

「追加でお金を頂けるということですか?」

「ああ、本来は全員でやるべきことを君1人にやらせているんだ。当然だろう?」

 ニーメライは事もなげに言った。


「当番制にしてもいいが、オリヴィアがやった方が行き届きそうだ。そうそう、物品整理に限らず、これからは何か手を出す前に私に言いなさい」

「分かりました」

「では、いつものように治癒魔法の復習をしよう」

 オリヴィアはニーメライから基礎を一からたたき直されている。

 郷里のすでに引退した治療師に育成されたためオリヴィアの治癒魔法には無駄が多かった。

 ほとんど我流のようなものであり、改善の余地は大きいとニーメライは考えている。

 ただ、矯正するには少々どころではなく年を取り過ぎている面もあった。


「5年、いや、せめてあと2年私のところに来るのが早ければもっと腕を上げることができただろうに」

 ニーメライは悔しそうに言う。

 対するオリヴィアはあっさりしたものだった。

「まあ、仕方ないですよ。過去は変えられないんですから。それにニーメライさんのお陰で魔力の使い方が凄く上手になった気がします」

「まあ、君が満足しているならそれで構わないが……」


 実際のところ、毎朝、馬の面倒をみているのにオリヴィアは全然魔力が尽きる気がしない。

 今日も午後からボーネハムの町に往診に出かけるが不安は全くなかった。

 相変わらず人の治療には手こずることが多いのだが、本人は前よりは伸びていると前向きに考えている。

 訓練を終えるとオリヴィアは同僚の治療師たちと昼食を取りにいった。

 かつてと異なり1人孤独に食事をすることはない。

 年輩の治療師が話すバカ話に笑い転げる。


 昼食後は皆で少し仮眠を取った。

 これは心身をリフレッシュさせ効率よく治療師としての業務を執行するためにニーメライが考え付いた習慣である。

 オリヴィアもお昼寝の後は気力が回復したような気がしていた。

 ボーネハムの町から馬車が差し向けられてくる。

 オリヴィアはニーメライともう1人の治療師と共に馬車に乗り込んで、町の広場を訪問した。


 広場では自由に商売ができる市が立っており人々で賑わっている。

 ただ、ものの売り買いは午前中が中心であり、露店の中には早くも店じまいしているところもあった。

 ニーメライが馬車から降りるとすぐに人だかりができる。

 治療師長の腕前は市中でも、つとに有名だった。


 自由市の立つ日に騎士団付きの治療師が広場で診察と治療を行っている。

 料金については、無産者は無料ということになっており、金を払えないものたちにとっては貴重な治療の機会となっていた。

 全員無料ということにしてしまうと神殿や独立開業した治療師の活動の邪魔になってしまう。

 料金が支払われる場合も騎士団にではなくボーネハムの町に還元されていた。


 ニーメライたちはただ働きということになってしまうが、騎士団からは十分な報酬を得ている。

 そのため、腕前を衰えさせないための訓練だと割り切っていた。

 オリヴィアは初参加であるが、神殿での経験が役に立ちまごつく様子はない。

 ニーメライの配慮でオリヴィアは動物を優先的に診ることになった。


 北方の中心都市であり裕福な者も多いことからボーネハムには小鳥などの愛玩動物を飼っていることも珍しくはない。

 また、自由市に荷物を運ぶロバや乗馬、番犬などもいる。

 事前にオリヴィアが想像していたよりも盛況になった。

 これには従来は動物の診察をしにくかったという事情が影響している。

 治療師長をするだけあってニーメライは人畜ともに診ることができるが、さすがに顔面蒼白な子供が待つ中で、小鳥の食欲が落ちているとは相談しづらい。

 動物優先となれば、そういう遠慮はしなくてすみ、オリヴィアの前に診察を待つ長い列ができた。


「ウチのロバが古釘を踏んでから足を引きずるようになったんで、へえ」

「どれくらい前?」

「10日ほど前のことで」

 こういう傷ができると口をきちんと開くことができなくなり高熱を発して亡くなることがある。

 オリヴィアはロバに触れると全身を検査した。

 体内に病変を起こしそうな異物はない。

 ほっとするとロバを寝かせてもらって足裏を改める。

 蹄との境目にできた傷は塞がり方が良くなく変に引き攣れていた。


「ちょっと痛いけど、すぐに楽になるからね」

 周囲の人にロバの体をしっかり押さえてもらっておいてから、オリヴィアは前かがみになると桶に入れておいた浄化済みの水で傷痕を洗う。

 それから傷口を包み込むように両手を添えると呪文を唱えた。

 引き攣れていたかさぶたが落ちて新たな肉芽が盛り上がる。

「はい。これでもう大丈夫よ」

 周囲の人々が手を離すとロバは立ち上がりノソノソと歩いた。

 もう足を引きずる様子はない。


 オリヴィアは立ちあがりロバの飼い主に向き直る。

「今回は傷痕が痛んで歩きにくかっただけのようです。だけど運が悪いと亡くなることもありますからね。怪我をしないように気を付けてあげてください。それとこれからは早めに診せに来た方がいいですね」

 おじさんは喜びながら帰っていった。

 その後も半べそで鳥籠を抱えた女の子や歯が欠けたという犬を連れたお爺さんなどの相手をする。

 てんてこ舞いでオリヴィアは患畜の診察と治療に追われることになった。

 結局、全部を診ることができないうちに夕刻となる。


 最後はニーメライが手を貸したものの、それでも連れてきた動物の診察を待つ人が残ってしまった。

「じゃあ、残りは5日後の次の市のときに来て」

 ニーメライが宣言するとまだ20人ほど残っていた飼い主たちから落胆の声が上がる。

「ちょっと待ってください」

 オリヴィアは患畜の中をちょこまかと動き回った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る