第22話 朝の仕事
オリヴィアはすぐに騎士団での生活に溶けこむ。
もともと神殿で規則正しい暮らしをしていたので、騎士団での寝起きは楽なぐらいだった。
早起きしてベッドから出ると体操をして体をほぐす。
それからボーネハムの町で買った新しい下着や肌着に着替えた。
縫い目がチクチクしないというだけで気分がいい。
その上に着る服は同じくボーネハムの町で購入した古着である。
新品ではなかったものの普段使いする分には問題がなかった。
枕元の台から真紅のスカーフを取り上げると首元に巻く。
これが騎士団付きの治療師であることを示す品だった。
ニーメライを筆頭に他の治療師は誰も身に付けていないが、まだ日が浅いオリヴィアはきちんとまとっている。
そうしないと城の中をうろちょろしている謎の女の子扱いされてしまうという切実な問題もあった。
ランスタットに派兵されていたのは狼牙騎士団の半数に過ぎず、それ以外の騎士や城勤めの者などオリヴィアの顔を知らない人々も多い。
歓迎会の最中に酔いざましのために夜風に当たっていたらもう少しでつまみ出されそうになったこともある。
神殿と違って揃いの制服があるわけではないので童顔でちょこまかとしているオリヴィアは治療師とは一目では分かりにくかった。
最後に左手の前腕に革製のガントレットを装着して食堂に行き朝食を注文する。
ここでは注文時に代用硬貨を箱に入れることになっていた。
騎士たちはお遣いや遠征で城を離れることも多いので、その負担の均衡を図るための制度らしい。
代用硬貨を手に入れるためには当然代金が必要で、フィリップが交渉してくれた慰労金がなければ日干しになるところだった。
湯気を上げるスープとパンの載るトレイを受け取ったオリヴィアはテーブルが並ぶ方へと振り返る。
「オリヴィア、こっちこっち」
夜勤明けらしい数人の騎士が手招きをした。
モンスターとの戦いの後で乗馬を助けてもらった騎士を含むグループである。
「お早うございます。不寝番お疲れさまです」
オリヴィアは挨拶をしながら席についた。
「お早う。冷めないうちにどうぞ」
「頂きます」
促されてオリヴィアは手を合わせると匙をスープに入れる。
肉や根菜がごろごろ入っておりとても食べでがあった。
にっこにこで食事をしているオリヴィアに騎士の1人が質問をする。
「その食事の前に手を合わせるのはなんのおまじないなんだい?」
もぐもぐとしていたオリヴィアはコクンと飲み込むと少しくたびれたハンカチーフで口元を拭った。
「えーと、女神さまへの祈りを捧げてから食事をするのは神殿での作法でしょう? ここは神殿ではないので、実家で家族が食事前にしていた仕草を私もしているんですけど、言われてみるとこれも他の方はしていないですね。意味は私もよく分からないです」
そう白状し、心底不思議な顔をする。
これには周囲の騎士たちもたまらず笑いだした。
ただ、その笑いには悪意はない。
パンを小さく千切って食べたオリヴィアはえへへと笑う。
「今度お給料もらったら実家に手紙を書くのでその時聞いてみます。たぶん父なら知っているはずなので」
「まあ、各家庭には謎のしきたりがあるよな」
「ある、ある。外に出て他人と話して初めて気づくんだよ」
そこまで話が進んで騎士たちは今までオリヴィアには知るきっかけとなるような気軽な会話がなかったことに思い当たった。
神殿ではつまはじきに近い扱いを受けていたことを思い出させかねない発言をしてしまったことに大いに焦る。
「うちにもあるぜ。父親がさ、家の中では下着1枚なんよ。友達の家に遊びにいったら友達の父が服を着ているから、これからお出かけですかって質問してすごく変な顔をされたことがある」
1人の騎士が体を張ったネタを提供して騎士たちは秘かに胸をなで下ろしつつ、それに乗ることにした。
「父親がそれかあ、きっついな」
「だろ? それに比べたら食事前に手を合わせるなんてのは普通だな」
「なんか敬虔な感じがするもんな」
「そりゃ、おっさんの半裸とは比べものにならん」
わいわいと話すのを目の前にオリヴィアは食事を続ける。
時折、クスリと笑ったり、一言合いの手を入れたりした。
こうやって誰かと話をしながら食卓を囲むことができてオリヴィアは内心嬉しくて仕方ない。
楽しく食事を終えると騎士たちに別れを告げる。
「それじゃあ私は厩舎を見にいってきます。皆さんはゆっくり休んでくださいね」
騎士たちは手を振って見送った。
オリヴィアの姿が見えなくなると夜勤明けの騎士たちは他の騎士が朝食を取る邪魔にならないようにと食堂を出る。
廊下を歩きながら先ほど実家の恥を晒した騎士が口を開いた。
「さっきのはいいフォローだっただろ? ということで、オリヴィアにデートを申し込むのは俺が1番な」
「そりゃ関係ない。だいたい交際が上手くいったとして実家に連れていったらパンイチのオヤジがいるんだろ? それは見過ごせねえな」
「その時までにはなんとかするさ。つーか、うかうかしていると他の騎士にも彼女の良さがバレちまうじゃねえか」
「まあ、そうだな。しかし、さっきの会話のフォローだけで決めるのは納得いかねえ」
「なんだよ。それじゃあ、俺が恥の晒し損じゃねえか」
議論に結論が出る前に宿舎の建物に着く。
夜勤明けというのに若さに任せてそのまま談話室で激論を交わすことになった。
騎士たちと別れて厩舎に向かったオリヴィアは数百頭の馬に出迎えられる。
この数日の間にすっかりオリヴィアに懐いていた。
虻に刺されたところが痒いということから訓練中の事故による裂傷まで快癒させてくれるのだから当然である。
診察ついでにブラシもかけてくれるものだから具合も悪くないのに柵を鳴らしてアピールする馬もいるほどだった。
厩舎には専属の馬丁もいるのだが、いくらプロでも体内の不具合までは見通せず、オリヴィアに頼るようになっている。
馬房から顔を出す馬に触れながらオリヴィアは瞬時に馬の体内の不調の有無を探っていった。
ぐっすりと眠り朝食もしっかり食べて体調万全ではあるが、1日で全頭を調べ治療を施すのはさすがに難しく概ね3分の1ずつを順繰りに確認している。
無理をすればもう少し多く確認することもできるのだが、この後にまだ別の業務も控えていた。
他は3日に1回の回診だが、自分の乗馬ということでオリヴィアもシルバースターは毎日様子を見ることにしている。
鼻の穴を広げてふふんと鳴らすとシルバースターはオリヴィアに甘えた。
他の馬からは狡いといわんばかりの抗議の鳴き声があがるが、目の間の部分に一掴みの灰色の毛が交じった栗毛の馬はどこ吹く風である。
「はい。今日の毛並みもいいようね」
たてがみをひと撫でするとオリヴィアは厩舎を離れた。
それから回廊を巡って別の棟に歩いていく。
目的地は騎士団長の居室のある建物で石造りの本棟の横には木造の小屋が建て増しされていた。
バサバサという羽音と共にジェイドが舞い降りてきて差し出した左腕に止まる。
「オリヴィ、おはよ」
「お早う」
オリヴィアは右手で胸元の羽根を整えてやりながらさっと体調をチェックした。
「少し体重が増えているわ。寒くても飛んだ方がいいかも」
「オリヴィ、いじわる」
「え~、私、ジェイドのこと考えて言っているんだけど」
そう言うと同時にオリヴィアの右脚にアックスが体を押しつける。
前屈みになりアックスの耳の間を撫でてやった。
「あら、何か踏んだのね。ほら前脚出して」
アックスは大人しくごろんと腹を見せる姿勢になる。
とげとげした栗の実が刺さった肉球に右手を添えてオリヴィアは呪文を唱えた。
実を引き抜いて傷を塞いでやるとアックスは嬉しそうに起き上がり、オリヴィアの手をペロリとなめ尻尾をパタパタと振る。
背中をそっと押す感触がありブレイズの悪戯ねとオリヴィアは体を起こしながら後ろを見ようとした。
口を開きかけたところで秀麗な面輪と至近距離で向き合う。
ブレイズの首に手をかけたローランドがそこに立っていた。
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