第23話 萌芽と策謀
オリヴィアは右手で胸を押さえながらずざっと後退る。
激しい動きでバランスを崩したジェイドが羽ばたきした。
うひゃあ。
叫びそうになるのをぐっとオリヴィアは堪える。
ドキドキと心臓が激しく動悸した。
その様子を見ていたローランドはハッとした顔になる。
「驚かせたか? そうか。馬も背後から近づかれるのは嫌がるからな」
そうかそうかと納得すると詫びを口にした。
「これからは気を付けよう」
判断基準が馬なのはどうなのか、とフィリップあたりがいれば指摘するところである。
しかし、それ以上に凄いことはローランドが詫びを口にしたことであった。
ようやく衝撃から立ち直ったオリヴィアはへどもどとしながら右手を振る。
「いえ、私がぼうっとしてたのがいけないんです」
ボーネハムの城に到着してからというもの、朝の日課で3頭のところに寄った際にローランドが出迎えをしないときは最後まで顔を見せなかった。
今日もそうかなと油断したところを不意討ちされたわけである。
少しずつ慣れていたが、いつ粗相をするかとビクビクしているオリヴィアにとっては不在の方が気楽ではあった。
それとあまり顔を合わせない方がいいのではないかという別の理由もある。
なにしろ朝日を浴びるローランドは豪奢な頭髪が光を反射して金粉をまぶしたように眩しい。
この美貌に慣れてしまうと夫を選ぶ基準が果てしなく上がりそうで怖かった。
そうでなくても婚期が遅れ気味のオリヴィアである。
少額の持参金でも良いとなる相手はそうでなくても条件が厳しい。
酒や賭け事に溺れておらず、暴力を振るわない爵位持ちであれば、それ以上の選り好みはできない立場であった。
とはいえ、夫婦として暮らしていくことを考えると、多少は相手の容姿も気になってしまう。
ただ、ローランドの容姿は多少の範囲には入っていないのであった。
オリヴィアはなんとか胸の鼓動を押さえようとしながらローランドに視線を向ける。
あまり顔を合わせないようにした方がいいとは思いつつも、実際に王族の目の前で視線を外して明後日の方角を見るなど許されることではなかった。
そこで傍と思い当たる。
そういえば私、ローランド様にお尻を向けていた?
なんという大胆で非礼なことをしてしまったのかとさあっと血の気が引く。
顔面蒼白になった姿を見てローランドは倒れてはいけないとさっと肘を掴んで支えてやる。
朝早くから治癒魔法を行使しすぎて魔力切れを起こしたのだと考えたのだった。
オリヴィアは歯の根が合わない。
無礼者を逃がさないために捕まえられたと想像している。
慣れないことをするとこうなるという見本であった。
オリヴィアは騎士団長が女性に親切にしている姿を見たことがないし、ローランドもローランドで一言声をかければいいのに咄嗟のことに声が出ていない。
さらにこの場には両者の間に入って通訳するガムランやフィリップも不在だった。
焦りまくってオリヴィアは変な声をあげかける。
「わ、わ、わ」
このまま推移すれば決定的なやらかしをしそうになったところで救いの手を差し伸べたのはジェイドであった。
「ロー、怖くないよ」
さらに羽根を伸ばしてオリヴィアの耳の後ろをくすぐる。
「ひゃあっ!」
弱点を正確に見抜くとはジェイドの慧眼であった。
聞きようによっては艶めいた声をあげてしまったことでオリヴィアは真っ赤になる。
今日の心臓は酷使されすぎであった。
「おい、ジェイド。悪戯をするな」
愛鳥に対してはスラスラと言葉が出るローランドである。
声を発したことで舌の動きも滑らかになった。
「大丈夫か?」
屈んでオリヴィアの顔を覗き込む。
明らかに気遣う声音にオリヴィアも落ち着きを取り戻した。
「だ、大丈夫です」
「そうか」
ローランドはオリヴィアの肘から手を離すとジェイドを自分の左腕に移らせる。
ドキドキする鼓動の音を耳の中で聞きながらオリヴィアは深呼吸をした。
改めて見ればジェイドを抱えるローランドの立ち姿はとても決まっている。
このとき、オリヴィアの頭は先ほどからの血流量の大幅な変化を盛大に誤って解釈した。
トクン。
あれ? こんなに私、胸が高鳴ってる。やっぱりローランド様のことが好きってこと?
いわゆる吊り橋効果というやつである。
初めて認識した気持ちにオリヴィアは困惑しながらも顔の火照りを感じていた。
「やはり具合があまり良くないようだ。今日は休んでは?」
治療師としてアックスの様子を観察し何か施術したのだろうと想像したローランドは休むように諭す。
オリヴィアは仕事を思い出し慌ててブレイズに触れながら呪文を呟いた。
「はい。至って健康ね」
与えられた責務を果たすとローランドにびょこんと頭を下げる。
「ご心配いただきありがとうございます。でも、本当に大丈夫なので」
そのまま後退ると10歩以上離れてから身を翻して駆け去った。
回廊を歩いているうちにオリヴィアもローランドが尻を向けたことで怒っていたわけではなさそうだという気がしてくる。
良く考えたら騎士団長にお尻を向けてブレイズに2人乗りをしたこともあるんだった。
仕事中はそういう配慮は不要とも言われていたんだっけ。
安心したのはいいが、胸のドキドキがなんだったのか、しばらく悩むことになった。
一方、風のように駆け去ったオリヴィアを見送ったローランドにジェイドが告げる。
「オリヴィ、アックス治した。ロー、褒めない、ダメ」
「ああ。うん」
想像していたように治療魔法を使っていたことを知ってもローランドの態度は煮えきらない。
少年の頃無理やり関係を持とうとされて以来、女性に対して抱いてきた嫌悪感というものが染みついていた。
その様子を離れたところから魔法で観察している者がいる。
水晶に映るローランドの姿は球面に合わせて少し歪んでいた。
それでも並みの男よりは断然美しい。
「なあ、おい、今の行動をどう評価する?」
水晶に手をかざして映像を消したガムランは期待に満ちた表情で問いかけるフィリップに顔を向ける。
「私には男女の機微は分かりません。そういうのはあなたの得意分野でしょう?」
「まあ仲睦まじいというほどではなかったな。まあ一足飛びに恋仲になりはしないだろうがもどかしいな」
「閣下の側に居られる貴重な女性と期待したのですが」
側近2人は顔を見合わせた。
ローランドが女嫌いで家庭を持つ気配の欠片すらないというのがガムランの悩みである。
この騎士団長は確たる武勲をあげているがこの国では伝統的に家庭を持ち子を成して一人前という風潮があった。
その一方で王位継承権を持っているということが事態を複雑化させている。
近視眼的な王太子の側近の中にはローランドが独身のままなのは、より大きな後ろ盾を得るためではないかと勘ぐっている者が少なくない。
ガムランにしてみれば口に出すのも憚られることだが、ローランドが王位簒奪を目論んでいるのではないかという疑念が渦巻いていた。
この疑いを晴らすのにはさっさと妻を迎えるのが1番なのだが肝心の本人にその気がない。
頭を悩ませているところに現れたのがオリヴィアである。
挙動不審なところはあるし、少々落ち着きがないが気質は悪くなかった。
しかも都合がいいことに勢力のない貧乏貴族サンバース家の子女である。
貴賤結婚を禁じた王室法に違反することもないし、実家の力がないので余計な疑念をかき立てることもない。
まことにもってうってつけの人材である。
関係性の発展を狙って騎士団付きになるように画策したが今のところ恋愛に発展しそうになかった。
「まあ、難しいよな。あれとあれじゃ。女嫌いと恋を知らない小娘だもん。まあ、オリヴィアの方はあれでいいんだけどな。下手にぐいぐいやると閣下が拒絶するだろうから」
「感心している場合じゃありませんよ。この千載一遇のチャンス。生かさなくては。浮名を流しまくっているあなたなら何か策はあるでしょう?」
「でもな。水場に連れていくことはできても無理やり水を飲ませることはできないんだぜ」
フィリップはそれらしいことを言うとお手上げというように両手を上げる。
「まさか、やる気がないのはあなた、実はオリヴィアに惚れたとかじゃないでしょうね」
「ないない。オリヴィアだけは100パーセントない」
フィリップは妙に真面目な顔でその疑いを否定した。
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