第13話 挨拶
「オリヴィア殿、フィリップ殿は団長閣下との意思疎通ができる貴重な方だが、こういう悪戯をする悪いところがある。これからは気を付けた方がいいよ」
「はあ」
何をどう気をつけろというのだろうかとオリヴィアは考える。
どうも下働きをするわけではなさそうだが、一介の治療師と騎士団長の腹心の部下では立場に違いがありすぎた。
「その言いぐさ酷くない?」
一応形だけは抗議しているがフィリップは全く気にしている様子がない。
うーんと伸びをした両手をおろし頭の後ろを支えるようにした。
「ところで、荷物ってどれぐらいあるの?」
問われたオリヴィアは両手を広げてみせる。
「これぐらいの鞄2つぐらいです。だから、私1人で持てます」
「別に遠慮しなくていいからね」
「でも、申し訳ないです」
「ほら、どうせ神殿の偉い人とかに事情を話さないといけないでしょ。そのついでみたいなもんだよ。だいたい1人で事情を説明できる?」
「できますよ」
オリヴィアは胸を張った。
「そりゃ話すのはできるかもしれないけど、納得させられる? 自分でもまだ飲み込めてないのに」
「それはそうですけど……」
「信用されなくて、嘘をつくなとか理不尽に怒られるのも嫌でしょ? 逆に嫉妬にかられた誰かに刺されるても困るし」
フィリップはヘラヘラと笑いながらとんでもないことを言う。
さすがにそんなことは無いと言いたいところだったが、制服にしみ込んだ赤黒いスープの跡は不吉な予感をかきたてた。
「それはそうですけど」
オリヴィアの態度は煮えきらなかった。
私なんかのために3人もの騎士の手を煩わせているというのが申し訳ないと同時にこそばゆい。
これじゃまるで私が重要人物みたいじゃないの。
実際のところ、3人もの騎士を従えているという姿はとても目立っている。
すれ違った人々が目を見張っていた。
恥ずかしさのあまりオリヴィアは首をすくめ体を縮まらせて目を伏せる。
神殿に着くとフィリップはすぐに神殿長への面会を求めた。
少しも待たされることなく4人は応接室に通される。
「何事でしょうか?」
背後に数人を従えた神殿長は3人の騎士と小さくなっているオリヴィアに交互に視線を走らせた。
騎士の人数からするとかなりの大事だと想像できるが吉凶の判断ができない。
フィリップは人好きのする笑みを浮かべる。
「お忙しいでしょうから手短に言いますね。ランスタットの神殿付き治療師オリヴィア・サンバースは狼牙騎士団に移籍となりました。これは騎士団長の権限に基づくものです。貴重な治療師を引き抜かれて困ると思いますがそういうことですので御理解ください」
神殿長は内心ほっとした。
オリヴィアがやらかしたことで神殿の責任を追及するというのであれば大事である。
どういう目的かは分からないが、騎士団付きになったということであれば、今後オリヴィアのことで何か言われる心配はないということだった。
治療師が1人減って現場が苦労するということはお偉いさんには関係ない。
後ろに控える中間管理職は腹の辺りを手で押さえる。
治療師の長との今後の話し合いを考えると胃が痛んだが黙って唾を飲み込んだ。
「そうですか。騎士団長権限で命じられるとなれば異存のあろうはずもございません」
神殿長はオリヴィアの方に向き直る。
「ここに居たのは2年ほどでしたか。今日までご苦労様でした。騎士団でもここでの経験を生かして頑張りなさい」
型通りとはいえ慰労と励ましの言葉をかけることさえした。
「あ、はい。ありがとうございます」
オリヴィアは顔を上げて礼を言う。
「移籍の件、確かに承りました。御用向きの件は以上ですかな?」
にこやかに神殿長はフィリップに向き直った。
そろそろお引き取りを、と遠回しに告げたつもりである。
ところがフィリップは片手を上げた。
「それに関してもう1点。オリヴィアへの慰労金、この場で払ってもらってもいいでしょうか?」
治療師として働いているのは奉仕活動の一環である。
衣食住を丸抱えする代わりに給金の支払いは無い。
患者から払われる喜捨は丸々神殿のものとなるわけで、莫大な利益をもたらしていた。
ただ、その一部は積み立てられており、神殿を離れるときに慰労金として支払われることになっている。
決して大きな金額では無かったが、これが有るか無いかでその後の生活は大違いであった。
神殿長は後ろを振り返る。
「用意できるかね?」
出納を管理する者は渋い顔をした。
「急に言われましても難しいですね」
フィリップは口を開こうとするオリヴィアを手で制する。
それから、さも実直そうな顔を作った。
「送金の手間と費用を考えるとこの場で払った方が楽だと思ったんだけどね。まあ、そちらの都合もあるか。じゃあ仕方ないからその金額は騎士団で立て替えておくよ」
「はい?」
「そりゃそうでしょ。環境が変わるのに先立つものが無ければ困るじゃない? 騎士団は現物支給じゃなくて現金払いだもの。最初の給料の支給日まで水だけ飲んでいるってわけにはいかないだろうからね」
出納の責任者は慌て出す。
相手がオリヴィアなら慰労金を有耶無耶にすることも難しくない。
しかし、相手が騎士団ともなればそうはいかなかった。
払わないでいたら、後に利子をつけて請求されることだろう。
「あー、今すぐは難しいというだけです。荷物をまとめる時間や各所への挨拶もあるでしょう。その間には用意できるんじゃないでしょうか」
「そう。忙しいところ申し訳ないですね。それじゃあ、オリヴィア。先に荷物をまとめに行っておいで」
フィリップに勧められてオリヴィアはおずおずと席を立った。
ペコリと頭を下げる。
「どうもお世話になりました」
それに合わせて騎士2人も立ち上がり部屋を出ていくオリヴィアに従う。
「どうもすいません」
恐縮していると騎士たちはそんな態度を取る必要はないと安心させるように笑った。
「大切な相棒を救ってくれたオリヴィア嬢のお役に立てるのなら、この程度のことはお安い御用だ。なあ?」
同意を求められた若い騎士も良く日焼けした顔を綻ばせる。
「私の相棒は今回の戦いではかすり傷で済みましたが、次もそうとは限らないですからね。腕の良い治療師の方が居て下さると安心です」
「いえ、私は本当に治療師としては半人前で、今回はたまたまというか……」
年配の髭もじゃの騎士はそんなに謙遜しなくてもいいのに、という優しい目でオリヴィアを見ていた。
「それで、あの、大変申し訳ないのですが、準備ができたらお呼びしますので、それまではあちらの礼拝堂でお待ちいただけますか?」
右手の大きな建物を手で示す。
「ああ、これは気が回らなくて申し訳ない。もちろん若い女性の居室にお邪魔するつもりはありません」
「なるべく早く済ませますから」
ペコペコと頭を下げてオリヴィアは裏手の宿舎に向かった。
階段を駆け上がると屋根裏部屋に入ってクローゼットを開ける。
そこから古ぼけた旅行鞄を取り出し、私物を詰め込み始めた。
実家から全てのものを持ちだしてきたので結構な量になる。
少しくたびれた下着類を手にしたときは、この場に騎士が同席してなくて本当に良かったと思った。
まあ、向こうもこんなものを見せられても困惑するだけでしょうけどね。
酷いものは継ぎを当ててあるものもある。
履いていると縫い目がちょっと肌に当たって気になるような代物だった。
これからはお給金が貰えるんだわ。
新しい下着ぐらいは買えるかもしれない。
期待に胸が膨らんだ。
外出用の制服を脱ぎ、色褪せた私服に着替える。
脱いだものを含め貸与品をきれいに畳んでから、私服姿を姿見に映すと野暮ったさに目を覆いたくなった。
ランスタットの町の年頃の娘が着ているものと比べるといかにも田舎くさい。
とりあえず準備ができたので両手に鞄を持って部屋を出る。
階段を下りて外に出たところで同僚の治療師たちにばったりと出会ってしまった。
ちょうど昼休憩の時間らしい。
同僚たちはオリヴィアの様子を見てあざ笑う。
「あら、その恰好からすると首になっちゃったの。お気の毒さま」
「なんの取り柄もないのが生活費を稼ぐのは大変よ」
「まあ、大人しくド辺境の修道院でつつましい生活を送るのがお似合いね」
ここぞとばかりに悪口雑言を浴びせまくった。
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