第12話 転職
「本当に何もいらないです。お気持ちだけで」
オリヴィアは頑なに断る。
お礼の多寡で治療の内容や優先順位が左右されてはいけないので、職業倫理として高額な贈り物を受け取ることは奨励されていない。
オリヴィア自身が自分は半人前と思っていることもあり、ここは譲れないところであった。
ローランドはムスッとしている。
不愉快ということではない。
単に何もいらないと言われたときのことを考えていなかったのだった。
望みがあれば、後はガムランに任せればいいと雑に考えていたツケが回った形である。
正直なところ、これ以上あまりよく知らない人間との会話を続けることが面倒になってきていた。
このままでは埒があかないとガムランが提案する。
「とりあえず今日のところは引き取って頂いて褒美は改めてということにしては?」
フィリップがすかさず反応した。
「それはあんまり良くないと思うんだよな。オリヴィアの格好を見てもらえば分かると思うが」
ローランドは片眉を上げ、ガムランは憂慮した顔になる。
「次はスープをかけられるのではすまないということですか? つまりオリヴィア嬢はあまり良い待遇を受けていないと?」
「そりゃまあ、嫉みや妬みもあると思うぜ。抜け駆けして騎士団長閣下の覚えがめでたいということになりゃな」
「くだらん」
ローランドが吐き捨てた。
オリヴィアはビクッとする。
ここは誤解を解いておかなくてはならないと勇気を振り絞って口を開いた。
「あのう。あの人たちが勝手に誤解をしているだけで、私は全然そんなことを考えてません。そんな推測をされるだけで不愉快でしょう? 閣下が私なんか相手にされてないのは十分に分かってますから。ですので不敬罪は御容赦ください」
たまらずフィリップが吹き出す。
「どうしても処罰される前提で話をするんだね? あまり繰り返していると本当は痛い目に遭わされたいのじゃないかと思っちゃうぞ」
オリヴィアは飛び上がった。
「そんなことはありません。痛いのは嫌です」
そんなやり取りを白い目で見ていたガムランがローランドに何やら耳打ちする。
「それでいい」
承諾を得てガムランはフィリップに向き直った。
「そういうことであれば、今日からこちらに居てもらいましよう。ただ、オリヴィア嬢の私物もあるでしょうから、あなたが騎士の2人ほどを連れてついていってあげてください」
「別に構わないが、それなら最初からそうしておけば良かったな。行ったり来たりはちと面倒だ」
ガムランは申し訳なさそうな表情になる。
「治療師の内情にまで想像が及ばなかったのは私の落ち度です。まあ、オリヴィア嬢も今の職場への未練も名残を惜しむ相手もいないでしょうし、ある意味良かったかもしれません」
オリヴィアはきょとんとしながらローランドの側近2人の顔を見比べた。
「ええと。どういうことですか? 私には話が良く見えないのですが」
ガムランは笑みを浮かべる。
唇がまくれ上がり鋭い犬歯が覗くその姿は他人の目にはかなり迫力があるのだが、少なくとも本人の意識では笑みのつもりだった。
「オリヴィア嬢、今後は貴女には騎士団で働いてもらいます」
「はい? そんなの初耳です。神殿長も何も仰ってませんでしたけど」
「そうでしょうね」
「えーと、神殿に要らないから追放されたということでしょうか?」
クビにされたと考えたオリヴィアの声が震える。
半人前とはいえオリヴィアが着任する前の神殿は人手が足りず多忙を極めるのが常態であった。
オリヴィアが加わることで多少はその忙しさの緩和はできている。
それにもかかわらず、治療師の先輩たちはオリヴィアに対して感謝を示すことはなく、出来損ないと罵倒することが多かった。
折に触れてここから追い出されたら行く場所はないんだからね、とも脅されている。
神殿がその権威を維持するために治療行為を独占しているので、原則的に治療師が独立して開業することは極めて難しい。
長年の貢献があって初めて特別に許可されるものである。
治療師の働く場としては騎士団もあったが実力と縁故がなければ潜り込めなかった。
また、この年まで特に職業訓練も受けていないオリヴィアは他の仕事に就くことも困難である。
本人はあまり苦痛に感じていないということもあったが、先輩たちからのぞんざいな取扱いにも関わらず神殿で治療師を続けてきたのにはこういう事情があった。
「違いますよ。神殿長はこの話を知りません」
この発言でオリヴィアは閃いてしまう。
一思いにバッサリと処刑すると苦しみは一瞬でしかない。
騎士団付きにしてしまえば何をしようが自由である。
食事抜きで重労働をさせられたり、半ば腐った残飯を食べさせられたりするかもしれない。
悪い想像の内容が特定の方向性を有しているのはオリヴィアらしかった。
神殿はそこそこのものがたっぷりと食べられるという点で幸せな職場である。
オリヴィアはおずおずと切りだした。
「それはこれから調整が始まるということでしょうか?」
「いえ、決定事項です。閣下が決めたことですからね」
嫌あああ~。
オリヴィアは声にならない悲鳴をあげるが、当然声なき声には気がつかないガムランはパンと手を打つ。
「それでは善は急げと言います。早速、私物を引き取ってきてください。閣下と私は引き上げのための調整がありますので」
言うべきことは終わったとローランドはガムランを連れて厩舎を出ていった。
残されたオリヴィアをフィリップは外に連れ出す。
その辺を歩いていた騎士2人に声をかけ、一緒についてくるように命じた。
しょんぼりとするオリヴィアに一方の騎士が話しかけてくる。
「オリヴィア嬢。昨日は私の相棒の傷を治して頂きありがとうございました。お陰で今朝は元気に飼い葉を食べていましたよ」
「それは良かったです」
「あまり元気が無いようですが、やはり相当お疲れですね」
「ええ、まあ」
昨日とあまりに変わった意気消沈ぶりに騎士はフィリップに視線を向けた。
「オリヴィア殿が元気が無いようですが……」
言外に疲労している人間を無闇につれまわすんじゃないという非難の響きがある。
日頃の言動から、オリヴィアに良からぬちょっかいをかけているのではないかと想像していた。
「まあ、オレも閣下の命令で動いているだけだからねえ」
「ちなみに、これからどこに? まあ神殿なのでしょうが、何をしにいくんです?」
「オリヴィアの私物の引き取り。細腕に大きい荷物を持たせるわけにはいかないじゃん?」
「ということは、オリヴィア殿は今後騎士団付きの治療師となられるのですか。それは心強いですな」
騎士は喜色も露わに弾んだ声を出す。
「そうだね」
フィリップが返事をするのに大きな声が被さった。
「え? そうなんですか?」
オリヴィアが訝しそうな表情をする。
「話を聞いてなかったのか?」
「騎士団で働くというから……」
「閣下の側仕えをするかと思った?」
「いえ、それは全然まったくこれっぽっちも思ってません。薪割りとか水汲みとか、そんな下働きをするのかと思ってました」
「なんでそうなる?」
「だって、本当はローランド様は怒っているんですよね?」
「違うと言っただろ」
「あー、フィリップ殿」
今まで黙っていたもう1人の騎士が声をかけた。
「その話をする間、団長はずっとどんな感じでした?」
「いつも通りだったぜ」
「ムスッとした仏頂面だったでしょう? 我々は慣れていますが、初めての方には刺激が強すぎだったのでは?」
「刺激が強いね。つまり怖いってことか。まあ、見慣れるまではローランド様はいつも不愉快そうにみえるもんな。あれで、良く観察すれば単に面倒くさいだけなのと区別がつくんだけど。ということで、別にオリヴィアのことは本当に怒ってないから」
「そ、そうなんですか? じゃあ、私が騎士団で働くというのは治療師としてというのも本当ですか?」
ぱっと顔を明るくしかけたが、すぐにオリヴィアは疑いの目を向ける。
「なんだよ。その目は?」
「だってさっきもいいことを教えてやるって言った中身が、ローランド様は他人からブレイズに食べ物を与えるのは嫌いって話だったじゃないですか。あのせいで凄く緊張したんですからね」
「いや、オレが言いたかったのは、それなのにオリヴィアのことをローランド様は怒ってないから大したもんだってことだぜ」
「そんなのそこまで言わないと分かるわけないじゃないですか」
「そう?」
すっとぼけるフィリップに騎士2人はやれやれというふうに首を振った。
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