第10話 お迎え

「何するのよ。もったいないじゃない。食べ物を粗末にするとモッタイナイお化けが出るのよ」

 ほっぺをぷくーと膨らませたオリヴィアが抗議する。

「は? モッタイナイお化け? なにそれ?」

 周囲の治療師たちは思い切り馬鹿にした表情になった。

 

「食べ物を大切にしない人間の枕元に現れるのさ」

 急に聞こえてきた男性の声に皆は一斉に振り返る。

 そこには瀟洒な服に身を包んだフィリップが佇んでいた。

「私もこういうことは感心しないなあ」

 スープをぶっかけた治療師を冷たい目でひと撫でする。

 たちまちのうちにその女性は真っ赤になった。

「あの、その……」


 これで一人脱落ね、周囲の治療師は心の中でライバルから除外する。

 オリヴィアは鉢を取り戻すと底にへばりついていたものをパンで拭って口に入れた。

 コップに残っていた牛乳を飲み干すとトレイを持って返却口に返しに行く。

「どうしてこちらにいらしたのですか?」

 その後姿から視線を戻すと治療師の長はフィリップに問いかけた。


「オリヴィアを連れてくるように主に言われているんでね」

 そう言い残すとオリヴィアを追いかける。

「美味しかったです」

 係のおばちゃんにトレイを返したオリヴィアの肘をフィリップは捕まえた。

「ローランド様がお呼びだよ。それじゃあ行こうか?」


 そこに神殿長の側近が現れる。

「オリヴィア。その格好はなんですか? ローランド様にお詫びしにいくのにそのような薄汚れた服でいくつもりなんですか?」

 非難の声にオリヴィアは首を縮こまらせた。

「すいません。でも、訪問用の制服はこれ1枚しか持っていなくて」

「食事をしてから着替えればいいのに、あなたという人はこんなことも……」


 なおも糾弾しようとするのをフィリップが止める。

「ローランド様をお待たせするわけにはいかないのでそれぐらいにしてもらっていいですか? 閣下はこれぐらいの汚れは気にしないと思いますよ」

 数歩進んだところで振り返った。

「そうそう。それにこの汚れはあそこにいる方が故意にスープをかけたのが原因ですよ。責めるならあちらの方じゃないかな」

 言い終えると体の向きを変えオリヴィアを引っ張るようにして食堂を出ていく。


 神殿長の側近は治療師の集まっているところにいくと怖い顔をした。

「オリヴィアにスープをかけるなんて馬鹿な真似をしたのは誰です?」

 皆の視線が1人に集中する。

 犯人は抗弁を試みた。

「オリヴィアが生意気なことを言ったからちょっと懲らしめてやろうとしただけなんです」


 半人前のオリヴィアよりは立場が上であることから大したことにはならないだろうと高をくくっていたが、その希望的観測を側近は打ち砕く。

「オリヴィアはローランド様に非礼を詫びにいくところだったのですよ。これでご不興をかったときはあなたにも連帯責任を負ってもらいますからね」

「お詫びというと、何があったのでしょうか?」

 治療師の長はおずおずと質問した。


 側近はため息をついてからオリヴィアのしでかしたことを指折り数えてみせる。

 ローランドのブーツを汚し、治療途中で失神した上に、声をかけられた際に隠れ、さらにはローランドの足を蹴とばした。

 側近は林檎の件は他のことに比べれば些細なことだと考えていたので割愛する。

 話してきかせた内容だけで時と場合によっては無礼者と斬り捨てられてもおかしくない内容だった。


 話を聞いた治療師の長の顔が青ざめる。

 とんでもない無礼の数々であった。

 オリヴィアがローランドによってどのような罰を与えられても構わないが、話を聞くところでは、上司の責任も問われかねないことをしでかしている。

 昨日は治癒魔法でかなり貢献したつもりだった。

 しかし、非礼の相手は王族であるローランドである。

 どこまで功績を斟酌してくれるかは心許なかった。


 膝が震え立っていられなくなって治療師の長はストンと椅子に座り込む。

「ああ……」

 手で顔を覆って、係累が自分にも及びませんように、と神様に願い事をした。

 一縷の望みがあるとすればフィリップが一緒にいることである。

 昨夜あれだけ親しく感謝を示してくれたのだから、私たちに話が及んだら助け舟を出してくれるかもしれない。

 その考えは少しだけ治療師の長の気持ちを軽くした。


 そのフィリップは食堂を出るとオリヴィアの肘を掴んでいた手を放す。

「ごめんね。痛くなかった?」

「大丈夫です」

 と言いながらオリヴィアは反対の手で肘をさすった。

「あ、やっぱり痛かった?」

「実はちょっと……」


 その返事にフィリップはケラケラと笑う。

「相変わらず正直でいいね」

「それで私が呼ばれたのはお叱りを受けるためなのでしょうか?」

「んー。それはどうだろうなあ。ローランド様が何を考えているか知らないし、仮に知っていても君に話すわけにはいかないだろうね」

「そうですよね。変なことを聞いちゃってすいません」


 フィリップはすれ違った相手の会釈に手を振って応えた。

「別に謝ることはないよ。君が質問をするのは自由だからね。オレが答えられないってだけで」

 オリヴィアはチラチラとフィリップに視線を送る。

「あれ? オレの顔に何かついてる? パンのかけらとか?」

「あ、すいません。私の知っている人に似ているなと思って……」

「そうなんだ」


「はい。兄の若いころにそっくりです。えーと……」

「あ。オレの名はフィリップだよ。そういえば正式に名乗るのはまだだったね」

「私はオリヴィアです」

「うん、知ってる。それでオレはオリヴィアのお兄さんに似ているんだ」

「兄は私より6つ上なのでフィリップ様の方がずっと若いですけど。ただ顔とか雰囲気が良く似ているんです」


 フィリップはにやあっと笑った。

「軽薄でお調子者っぽい感じとか?」

「あ、いえ、そういうわけでは……。確かに兄も出会った人とその日のうちに親友のようになれる人でしたけど」

「そっか。それで、オレのことはフィリップでいいよ。様とかつけなくて。そうしてくれた方が嬉しいな」


「さすがにそういうわけにはいきません」

「えー。遠慮しなくっていいじゃない。ローランド様には色々とやらかしたのにそういうところは気を遣うんだ?」

 オリヴィアの顔がぼっと火が付いたように赤くなる。

「あの。いえ、私もわざとやったわけじゃなくて、なんていうか事故のようなもので。確かにあまり礼儀作法とかよく分かってないですけど」


「もうこうなったら1つぐらい増えても一緒だよ」

「いえ。もうこれで打ち止めにさせてください。本当に……」

 オリヴィアが困り切った顔をしているのを見てフィリップはフフフと笑った。

「フィリップって呼んでくれたら、いい事教えてあげようと思ったんだけどなあ」

「いい事ってなんですか?」

「なんだろうねえ。まず、オレの頼みを聞いてよ」


「それは……」

「はい。『フィリップ教えて』って言ってごらん」

 オリヴィアはあ~う~と言っている。

「早くしないとローランド様のところに着いちゃうよ。御前に出る前に私の話を聞いておいた方が絶対にいいと思うけどなあ」

 ようやく覚悟が決まったのか、オリヴィアは言いつけに従うことにした。

 2、3日もすれば騎士団は引き上げるのだし、フィリップとはどうせ今後も顔を合わせることはないだろう。

 

 オリヴィアの台詞を聞いたフィリップは手を打って喜ぶ。

「それじゃあ、いい事を教えてあげるね。昨日さ、オリヴィアはブレイズに林檎をあげたよね。ローランド様は自分の愛馬に他人が餌付けするの好きじゃないんだよね。オレが人参あげようとしたらひったくられたもん。あ、着いた」

「ぜんぜんいい話じゃないじゃないですか!」

 抗議の声をあげるオリヴィアの目の前で厩舎の扉が開き、渋面を作るローランドの顔が目に入ってきた。

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