役立たずの治療師と人嫌い騎士団長
新巻へもん
第1話 治療師補の娘
「この程度の傷の治療にこれほど時間がかかるとは、本当に役立たずですね」
「申し訳ありません」
怪我をした子供に治癒魔法をかけていたオリヴィア・サンバースは頭巾に覆われた頭を下げる。
ここは王国のほぼ北端にあるランスタットの町の神殿内の1室だった。
治療の終わった子供は待合室にいる母親に引き取られ、部屋には治療師の長と2人きりである。
確かに子供の怪我は転んで両手両膝を擦りむいたぐらいで、見た目は痛々しいが命に関わるほどのものではなかった。
文句を言った治療師の長やオリヴィアの同僚は、オリヴィアが子供にかかりきりになっている間にもっと酷い怪我の治療に当たっている。
近くの森で冬越しに備え薪を取りにいっていた集団がモンスターに襲われて命からがら逃げてきたのだ。
骨折した者もいれば、頭を強打されて昏倒した者もいる。
より効果的に治癒魔法を行使できる同僚がそちらに手一杯でなければ、オリヴィアは子供の治療に携わらせてもらえなかっただろう。
ランスタットの町の神殿に勤め治癒魔法を使えるのは10名だが、その中でのオリヴィアの評価は低い。
治癒魔法を使えるか使えないかで言えば使えるのだが、その効果が余りに薄かった。
このため、オリヴィア以外の9名は治療師を名乗っていたが、オリヴィアだけは治療師補である。
本来は治療師補というものは存在しないのだが、正規の治療師と称するのはおこがましいでしょ、ということで長が新たな職位を設けていた。
当のオリヴィア本人は仕方ないかなと恬淡としたものである。
同じ治療効果を発揮するのに5倍近い時間がかかるものねえ。
患者からすればそれだけ痛みや苦しみに長く耐えなければならない。
ただ、オリヴィアは治癒魔法を行使する間、絶えず患者に声をかけ励ましている。
そのせいか実際に治療してもらった人からの苦情はなかった。
もっともこの点も一心不乱に祈りを捧げる同僚からすると真剣になっていないからだということで批判の対象になっている。
くどくどと治療師の長にお小言を食らって、オリヴィアはさすがにしょんぼりとして部屋を出た。
それでも夕飯を食べてベッドで眠ると一晩でケロリとしてしまう。
オリヴィアはサンバースという家族名を持っているように一応は貴族の出身であった。
ただサンバース子爵家は不幸が重なったせいで今では100戸ほどの村1つしか治めていない。
そしてオリヴィアは4人兄弟の長女であり、年上の長兄は俺は自分の力で生きていくと家を出ていったきりである。
そのため、1番年長の私がしっかりしなくちゃという思いが強い。
そして、20歳を過ぎているオリヴィアはとうに結婚適齢期を迎えていたが釣り合いの取れる家に嫁ぐには持参金が足りなかった。
弟が結婚すればそのお嫁さんの持参金をオリヴィアに回すこともできるが、まだ少年である。
それにオリヴィアの下に妹もいた。
普通であれば修道院に入って静かに朽ちていくのを待つ運命である。
活発なオリヴィアにするとそれは耐えがたい苦痛だった。
ただ、幸いなことに曲がりなりにも治癒魔法の才能があったことが幸いする。
神殿での奉仕活動で修道院での祈祷に明け暮れる生活に代えることができた。
似たような生活ではあるものの、神殿の外に出ることもできるし、年に2度里帰りも許されている。
治癒魔法は体力を使うので、豪華なものではないが食事はきちんと食べることができた。
というわけで、オリヴィアはこの生活に満足している。
ただ、客観的に見ればオリヴィアの扱いはそれなりに酷い。
目覚めたのは屋根裏部屋であり、町の北方にそびえる白竜山脈から吹き下ろしてくる隙間風が入ってきていた。
もちろん同僚の部屋のような暖炉はない。
起き出したオリヴィアは鼻に入ってくる冷気に小さくクシャミをしてブルネットの髪を揺らす。
木の窓を押し開けるとつっかい棒で支えた。
一気に冷気が部屋に満ちるが、それをものともせずに雪が積もった白竜山脈の威容を眺める。
毎日見ているがちっとも見飽きなかった。
うーんと伸びをする。
今日もいい天気。
夜着のまま実家に伝わる体操をした。
体を動かすと少しだけ温かくなる。
オリヴィアはお勤め着に着替えると朝食を取りに出かけた。
大食堂で出される食事内容は1品減らされたり量が少なかったりということはなく皆と同じである。
しかし、昨日のような大事件が起きた後に治療師が呼ばれる慰労会の存在は知らされてもいなかった。
そこで供されるご馳走を見たらオリヴィアは目を回しただろう。
他の治療師たちは昨夜食べたもののせいでお腹がまだ空いておらず、飲み物とごく僅かなものを口にしているだけである。
オリヴィアだけがモグモグとよく噛んで食べていた。
事情を知らない神殿の下働きはヒソヒソと後ろ指をさす。
「あれまあ、1人だけよく食べなさることで」
「他の方は慎ましいのにね」
食事が終わって治療部屋に向かおうとすると治療師の長に呼び止められた。
「オリヴィア。痺れ草が足りないの。薬草組合からもらっておいで」
昨日皆が居なくなった後に在庫確認をしているので、オリヴィアはまだ十分にあるはずと考える。
「あのう。乳鉢に20杯分はまだあると思いますが」
途端に長はムッとした。
「半人前のあんたに何が分かるんだい。とっとと行っておいで」
「分かりました」
支度部屋に寄るとバスケットを手にして出かけていく。
これは実は昨夜頂いた土産の菓子を食べることからオリヴィアを除け者にしようという企みだった。
そんなこととは知らないオリヴィアは門から外に出るとテクテクと薬草組合に向かって歩いていく。
街中を観察することができるのでお遣い自体は嫌いではない。
少々肌寒いが見上げればよく晴れた晩秋の空が澄み渡っていた。
役所の前を通ると中がざわついており、オリヴィアは好奇心に富んだ茶色の目で内部を覗き込む。
どうもモンスターが大量に湧き出たことを騎士団の駐屯地まで知らせにいく支度をしているところのようだった。
「あれだけの数、見たことないぞ」
「早く知らせないとこの町から出る街道も危ないんじゃねえか」
「一体何をモタモタしているんだ?」
騒いでいる人々のそばで鞍をつけた馬が木柵につながれていたが、オリヴィアを見つけると嬉しそうにいななく。
オリヴィアが近づいていくと馬は首を下げた。
「あなたが使者の乗馬に選ばれたのね。さすが駿足で鳴らしたシルバースターだわ」
たてがみを撫でてやると、目の間の部分に一掴みの灰色の毛が交じったシルバースターは目を細める。
「調子はどう?」
オリヴィアは呪文を唱えて馬体全体を走査した。
過去に何度も繰り返した相手のせいか普段の施術よりもずっと早く反応がある。
「至って健康。頑張ってね」
まるで任せておけというようにシルバースターはかっかと後ろ脚で地面を掻いた。
ちょうどそこに使者に選ばれた男がやってくると繋いでいた綱を解きシルバースターに跨る。
はあっ、と手綱を振ると勢いよく駆けだした。
人口約9千人のランスタットの町の運命は助けを求めるこの使者の成否にかかっている。
皆が案じたように途中の街道沿いにはモンスターが出没していた。
しかし、使者は3日3晩かけて駐屯地に到着する。
ただ、使者の功績というよりは栗毛の駿馬の疾駆のお陰だった。
半年ほど前に事故で脚を折り死を待つばかりだったシルバースターを救ったのはオリヴィアの治癒魔法である。
動物なりに恩義を感じていた。
そのオリヴィアに励まされ奮起したというわけである。
何はともあれ、王国北方の治安維持を司る狼牙騎士団がランスタットの危機を救うため動き出すこととなった。
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