第四十四話 颯太の左足

「ストライク! バッターアウト」



 拓郎が籠崎工業の九番バッターを空振り三振に抑え、三回の裏が終了した。


 両チームとも無得点。そして、一人もランナーが出ていない。


 颯太は電光掲示板に表示されているスコアを眺め、やや険しい表情を浮かべる。



 四回の表のトップバッターは颯太だ。



「二巡目……もしかしたら、弱点を見抜かれているかもしれない。まだまだ、左右への揺さぶりを克服できていない。もしかしたら、大きく揺さぶってくるかもしれないな……」



 一塁側ベンチ内に向けた颯太の視線の先では、優次郎が紙コップを傾けていた。


 優次郎は水分補給を終え、紙コップをビニール袋に入れる。


 それからすぐ、籠崎工業の先発マスクを被るキャッチャーが優次郎の元に歩み寄り、言葉を掛ける。


 颯太は優次郎が小さく頷いてからすぐ、三塁側ベンチ方向を向く。



「ここからじゃ、何も聞こえない。見てるだけじゃ、情報は何も入ってこない。俺は、第一打席で得た情報を頼りに、バッターボックスに立つだけだ」



 颯太は力強く言葉を発すると、小走りで三塁側ベンチ内に赴いた。


 


「二巡目。ある程度、こちらの情報は得ているはずです。もしかしたら、一打席の中で、弱点を見抜いている可能性もあります。甘い球がきたら、振りにいきましょう」



 雄平の言葉に、彼の左隣に立つ良和が小さく頷く。


 颯太は雄平の言葉からすぐ腰を上げると棚の前に赴き、ヘルメットを右手に取る。


 そしてヘルメットをゆっくりと被ると、バットスタンドから赤褐色のグリップを右手で引き抜く。


 

「第一打席は外、真ん中、やや内の順番だった。きっと、第二打席では配球を変えてくる。初球は何で入ってくるか……」



 木製バッドのヘッド部分に尋ねるように囁いた颯太は、ゆっくりとネクストバッターズサークルに赴き、滑り止めのスプレーをグリップに噴霧した。



 

「四回の表、台府銀行の攻撃は。一番、セカンド、京極。セカンド、京極」



 関東ドームに、颯太の苗字がアナウンスされる。


 内野スタンドから起こる、微かな拍手を受けながら颯太はゆっくりと右バッターボックス内に入り、足場を作る。


 二巡目ということもあって、白線はやや消えかかっていた。


 颯太はホームベース側の白線手前で構え、マウンド方向を見つめる。



「さあ、初球は……」



 そして、キャッチャーと球審に届かない声量で言葉を発し、初球を待つ。

 


 優次郎はキャッチャーのサインに一度、首を振る。


 二度目で頷くと、静止する。


 颯太は眼光をやや鋭くさせ、優次郎の動作を注視する。


 

 数秒後、優次郎はゆっくりと左足を動かす。


 左膝を高く上げ、そこから踏み込む。


 スパイクの底がマウンドの土を踏んでからすぐ、優次郎は右腕を思い切り振る。


 白球が優次郎の右手指先から放たれると、颯太の左足が無意識にほんの少しだけ浮く。


 意思とは正反対の動作に、颯太は戸惑いの表情を浮かべる。



 白球はホームベース二メートル程手前まで迫る。


 その瞬間、颯太はスイングを始める。


 颯太の意思によるものではない。



 なんで……。


 颯太が心の中で言葉を漏らしてからすぐ、打球音が関東ドームに響く。


 

 颯太の木製バットが捉えた打球は、センターに飛ぶ。


 その打球は、颯太の理想に近い軌道だった。



 颯太は木製バットをゆっくりと置き、ファーストベースに向かって駆け出す。


 センターを守る選手が白球を追う。


 

 颯太は「越えろ」と言葉を発するように口を動かす。


 颯太の念のようなものに押されたのか、白球は飛距離を伸ばす。


 颯太はファーストベースの二メートル手前まで迫る。


 白球は伸び続け、センタを守る選手を追い抜く。



「出塁……!」



 低く、力強く言葉を発したと同時に、颯太の右足にファーストベースを踏む感覚が伝わる。


 そして、土を踏む感覚が颯太の右足に伝わった次の瞬間、関東ドームのスタンドから拍手と歓声が沸き起こる。


 颯太は拍手と歓声が耳に届いた瞬間、引き締まった表情の中に、僅かな笑みを含ませ、加速する。


 セカンドベース、三メートル程手前まで到達すると、颯太は徐々に速度を落としていく。


 そして、セカンドベースを右足で踏んだ数秒後に、白球は中継に入ったショートの選手に送球される。


 

 ツーベースヒット。


 両チーム通じて初めてのヒット、初めての出塁となった。


 拍手と歓声が大きくなる。


 颯太はヘルメットを右手で取ると、左手首の辺りで額の汗を拭う。


 再びヘルメットを被ると、三塁側ベンチから颯太に向けて言葉が贈られる。



「ナイスバッティング!」


 

 台府銀行の複数の選手の声が重なる。


 颯太は言葉にこたえるように、三塁側ベンチに体の正面を向け、ヘルメットのつばを右手の親指と人差し指でつまむ。


 そして、セカンドベースを見つめながら、第二打席のことを思い出す。



「なんだったんだろ、あれ……左足が勝手に……」



 颯太の頭の中に、左足が浮いた瞬間の映像が流れる。


 やがてスイングし、木製バットが白球を捉えたところで映像が終了した。



 それからすぐ、関東ドームの天井を見つめる。



「そんな能力、あるはずないのにな……」



 一瞬だけ、ありもしないことを想像した颯太は視線をゆっくりとマウンド方向に向ける。


 そこに映るのは、悔しげな表情で颯太を見つめる、籠崎工業の先発ピッチャ―の表情だった。

 

 


 

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