第三十一話 どれだけ活躍しようとも

「そうか、明日からか」



 七月十三日の金曜日、午前十時七分。


 六階の社長室内で、颯太はテーブルを挟み、正面の椅子に構える株式会社ウォーグ社長、宮田正康みやたまさやすの言葉に真剣な表情で「はい」とこたえる。


 颯太から見て左の椅子には史俊、右の椅子には俊一が構える。


 

 正康は腕を組み、小さく頷くと目を閉じる。彼の瞼の裏には、ある映像が浮かぶ。しばらくし、正康はゆっくりと目を開け、颯太を見つめる。


 

「全国の舞台に立つには、険しい道が待っている。全国の舞台に立ったら、全国の強敵が待ち構えている。更に険しい道が続く。だが、険しいからこそ、進んでみたくなる。そうだろ?」



 颯太は正康の問いに「はい」とこたえ、小さく頷く。


 正康は颯太の目を見据え、微かに笑みを浮かべる。


 

「私は大学まで、野球をさせてもらった。全国の舞台を経験することなく、競技生活に別れを告げた。自身の能力に限界を感じてね。だから今度は、誰かの活躍をサポートしたいと思い、そういった仕事に就こうと思った。候補は幾つもあった。その中から、スポーツ用品製造を選んだ。きっかけは、地元の隹海町で営業していたスポーツ用品店が閉店すると知った時だった」



 隹海町に住む、颯太は無意識に前傾姿勢をとる。


 正康は昔を懐かしみながらも、寂しさを滲ませた表情を浮かべ、視線を天井へ移す。


 

「私はそのお店の野球用品を愛用していた。とても、手に馴染む感覚があって、他のメーカーの野球用品を買おうとしなかった。閉店を知った時、私はショックを受けた。続けてほしいと店長にお願いしたが、首を縦に振らなかった。その時、私は無理も承知で店長にこう話したんだ」


 

 その言葉からすぐ、正康は正面を向く。


 そして、力強さが感じられる声でこう続ける。



「『将来、僕が会社を設立して、お店の魂を受け継ぎます』ってな」



 そしてこの時、正康は自身が創業した株式会社ウォーグは、五十人を超える従業員を抱えるまでに成長した。


 しかし正康にとってはまだ、夢の途中の状態だ。



「県内に本社を構える、小さな会社だ。県内では、それなりに名前を知っていただけているが、全国的には無名。ただの、スポーツメーカーの一つだ。私としては、大手メーカーさんと上手く渡り合いたい。そのためにはまず、知名度を上げなければならない」



 颯太は正康の言葉にゆっくりと頷く。


 

「君は、我が社のお取引先様でもる、台府銀行さんの補強選手に選出された。全国の舞台ともなれば、メディアは大きく取り上げてくれるだろう」



 正康の言葉に史俊と俊一は小さく頷くと、視線を颯太へ向ける。


 颯太は真っすぐに、正康を見つめる。



「仮に、メディアで我が社の名が紹介されたとしても、それはおまけだと思っている。メディアに載らなくとも、名前を知ってもらう方法などいくらでもあるからな」



 史俊と俊一は正康の言葉に、再び小さく頷く。



「私は、君が全国の舞台で活躍することを願っている。君が大きな活躍を見せることができれば、京極颯太という名前が一気に全国へと知られる。その代わり、風当たりが強くなるリスクも伴う。それは、会社も同じことだ。有名になった者の宿命だ。だが、そういった風に吹かれたら、それは一流という証拠だ」



 颯太は表情を崩すことなく、正康の言葉に耳を傾ける。


 

「もし君が活躍すれば、プロ球団スカウトの方も注目してくれるかもしれない。それは、嬉しいことでもあり、寂しいことでもある」



 正康の言葉からすぐ、颯太の頭の中に千恵の姿が浮かぶ。


 颯太には、正康が千恵の気持ちを改めて伝えているようにも聞こえた。


 だが、颯太の気持ちは決まっている。


 どれだけ活躍しようとも。


 どれだけ注目されようとも。



 僅かに寂しげな表情を浮かべた正康を真っすぐに見つめたまま、恐る恐る颯太は言葉を発する。



「社長……私はどれだけ全国の舞台で活躍したとしても、どれだけ注目されたとしても、この会社のために任務を全うします。夢と希望を胸に、この業界の門を叩きましたから。まだまだ、夢への道の途中。夢が叶ったら、この会社で次なる夢のために邁進まいしんする。そして、会社に貢献する。ただ、それだけです」



 颯太が力強い声を発すると正康、史俊、俊一が一斉に目を閉じる。そして、三人同時に頷く。


 最初に目を開けた正康は安堵が窺える眼差しで颯太を見つめる。


 それから少し遅れて史俊と俊一は目を開け、颯太へ視線を移す。


 彼らの眼差しは、颯太に感謝の気持ちを伝えているようだった。



 少しの沈黙の後、正康は力強い声で颯太に言葉を掛ける。



「活躍を期待しているぞ、京極」



 颯太は一瞬だけ目を閉じると、ゆっくりと頷く。



「はい……!」



 そして力強く、重みのある声で正康の言葉にこたえた。




 


 迎えた七月十四日の土曜日、午前八時五十七分。


 颯太は台府銀行野球場のマウンドを背に、立つ。



「今日から補強選手として、一緒に練習させていただく、隹海クラブ所属の京極颯太です。名もなき私にこのようなお話が来るとは、夢にも思いませんでした。選んでいただいた以上、勝利、そして優勝のために私が持っているものすべてを注ぎ込みます。短い間ですが、よろしくお願いします」



 台府銀行の選手の目の前で挨拶をし、頭を下げた瞬間、台府銀行野球場を大きな拍手が包む。


 颯太は拍手を受けながらゆっくりと顔を上げる。


 彼の正面に立つ翔太は笑顔で頷く。


 そして、ゆっくりと右手を颯太へ差し出す。


 颯太は翔太の目を見つめ、口元を緩める。


 それから少しの間の後、右手を伸ばす。



「よろしくお願いします。京極さん」



 翔太のやさしい声が耳に届くと、颯太は翔太の右手を握る。



「こちらこそ、よろしくお願いします。豊島さん」



 それからすぐ、颯太を歓迎するかのように上空の太陽は颯太を照らす。


 翔太の目には、太陽にも負けないほどに眩しい、京極颯太の笑顔が映っていた。


 

 

 

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