第十三話 ヒットメーカーになり得る男

 午前十一時五十八分。


 ボールペンを右手に持ち、用紙と睨めっこしていた颯太は顔を上げ、時計へ視線を向ける。



「もうこんな時間か……あっという間だったな……」



 そう呟くとボールペンを机上へ置き、背伸び。腕をゆっくりと下ろすと、文字を記した二枚目、三枚目の用紙を右手に取り、読み返す。



「今の段階では、こんな案しか浮かんでこなかったけど、休憩中に何か閃くかな……」



 颯太は自身が考えた案にどこか物足りなさを感じていた。この段階では、どこにでも販売しているなんの特徴もないスパイクの案だった。


 

「グラブの案が採用されたからこそ、次のプレゼンで落差が生じてしまうかもしない。『結局、その程度』と思われる可能性だってある。そんなこと、思われたくはない。採用はそれなくとも、課長と部長の目を惹くような商品を考えないと……」



 颯太が用紙を表紙で隠すように机上へ置くと同時に、史俊は席を立ち、エレベーターホールへ。


 ドアが開き、史俊がエレベーターへ乗り込むと同時に、幸仁が颯太に尋ねる。



「順調か? 新商品の立案」



 颯太は幸仁へゆっくりと視線を向けると、小さく頷く。



「はい。グラブのように、採用されるかどうかは分かりませんが」



 そして、苦笑いを浮かべる。


 幸仁は颯太のデスクに置かれた立案書の表紙を眺め、小さく頷く。


 前回のプレゼンテーションで心を掴まれたのは史俊だけではない。


 幸仁もその一人だ。


 

「颯太のプレゼンは回を増すごとに良くなっている。初めてのプレゼンで窺えた委縮、戸惑いのようなものは前回のプレゼンでは全く見えなかった。寧ろ、どこか楽しそうに見えた」



 幸仁はゆっくりと颯太へ視線を向ける。



「実際、どうだったんだ? 前回のプレゼン」



 幸仁が問うと、颯太は唸るように息をつき、机上の表紙へ視線を向ける。


 颯太は自身についてこう分析する。



「委縮、戸惑いのようなものはすっかりなくなりました。それは、問いに対する答えを用意していたからではありません。プレゼン自体に楽しさを感じたからです。こんなこと言ったら変かもしれませんけど」



 颯太は一瞬だけ苦笑いを浮かる。それからすぐ、視線を幸仁とへ移し、続ける。



「以前までは、皆さんの前でプレゼンすることが苦手でした。ですが、プレゼンで自分の案が採用された場合、形となって店頭へと並ぶ。そして、購入していただけるかもしれない。そう考えたら、プレゼンはそのチャンスだと捉えることができるようになって。二回目からはそういった気持ちでプレゼンに臨んでいるんです」



 颯太は笑みを浮かべると、机上の立案書へ右手を伸ばす。表紙を捲り、改めて二枚目、三枚目と目を通す。


 三枚目の最下段まで目を通し、更に捲る。


 四枚目の用紙は白紙の状態だ。


 この四枚目には何を記すか。睨めっこをするように用紙へ視線を集中させる。


 颯太の頭の中には、大まかなスパイクの形が出来上がっていた。しかし、白紙と睨めっこをする中で、頭の中に出来上がった形は崩れ、パーツの状態に戻った。


 崩したパーツを組み直すのか、それとも新たなパーツを見つけ、組み立てていくのか。


 颯太は心で自問自答する。


 

「選手はどんなスパイクを望んでいるんだろう……」



 ふと呟くと幸仁は微笑み、やさしい声で颯太に言葉を掛ける。



「その考えを忘れちゃダメだぞ、颯太。自分本位の考えじゃ、選手は手にも取ってくれない。選手のニーズに合った商品の形を描く。それが、俺達の仕事だ」


 

 颯太は「はい」と頷き、立案書を再び机上へ。そして幸仁へ一声掛け、エレベーターホールへ歩を進めていった。




「お疲れ様!」



 朝のスーツ姿とは違い、カジュアルな服装に身を包んだ千恵は笑顔で颯太に言葉を掛け、彼の左隣へ腰掛け、トレーをテーブルへと置く。



「お疲れ。あれ、どこか行ってたのか?」



 颯太は朝と違う千恵の服装を見て、尋ねる。


 千恵は「うん」と頷き、グラスを傾ける。冷たい感覚が喉を通ると、グラスをゆっくりとトレーに置く。



「店舗企画部の仕事で、店舗に行ってたの。陳列の変更だったり、作ったPOPを配置したりね」



 すると千恵は、チノパンの右ポケットから携帯電話を取り出す。



「こんな感じだよ」



 そして、店舗の陳列などを映した画像を表示させ、颯太へ見せる。


 

「俺達がいた頃とは全く違う陳列になってる」


「あはは。そうだよね。私達がいた頃は寂しい雰囲気だったもんね」



 颯太の目に映るのは、入社当時勤務していた頃とは全く違う店内のレイアウト。どこか寂しさが窺えた空間はすっかりカジュアルな雰囲気へ変わっていた。



「このレイアウト、誰が考案したの?」



 颯太が問うと、千恵は口元を緩め、腕を組む。その瞬間、颯太は察した。



「さすが」



 そして微笑み、千恵に言葉を掛ける。


 千恵は画像が表示された画面を眺め、こう話す。



「私にしかできないことがある。それを実践しただけ。颯太が発案したグラブをより引き立てるためにもね」



 颯太は千恵の言葉にやさしく微笑む。



「颯太はヒットメーカーとなり得る男。もし、店舗から野球用品の要望があったら課長を通して、颯太にお願いするね」


「お、俺……!? 嬉しいけど、グラブに続く商品を生み出せるかは……」


「頑張ってよ……野球と同じくらい応援してるんだから……」



 颯太は千恵の言葉に込められた思いを受け取ることができただろうか。

 


 

 

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