Reinforcement ~野球界にその名を轟かせる男~

Wildvogel

第一話 何かの始まりを告げる風

 「こんなもんかな…!」



 四月十七日の火曜日、午前九時四十分過ぎ。六階建てビルの五階のオフィスで男性社員が机上の用紙を眺め、そう呟く。


 

 彼の名前は京極颯太きょうごくそうた。二十三歳。スポーツ用品メーカー、株式会社ウォーグ、グッズ開発部野球グッズ課に配属されている。


 彼がこなす業務はグラブ、バットのデザインの考案など多岐にわたる。


 

 「プレゼンの資料、できたか?」



 用紙を眺める颯太に男性社員が声を掛ける。彼は野球グッズ課係長、高橋幸仁たかはしゆきひと。三十七歳。


 颯太の入社当時の教育係だった。


 

 「はい。ばっちりです!」



 笑顔で答える颯太。



 「お、なんだか自信ありげだな。どんな商品をプレゼンしてくれるか楽しみに待ってるからな」



 やさしく微笑みながら幸仁は応え、他部署の社員の元へ赴く。


 颯太はしばらく幸仁の背中を見つめ、再び視線を机上の用紙へ。


 

 「昨年度までは俺の案が採用されることはなかった。でも、今年度こそは…!」



 右手に握り拳を作り、颯太は静かに闘志を燃やした。


 


 午前十時。颯太は会議室へ。


 

 「それじゃ、始めてくれ」



 野球グッズ課課長、本宮史俊もとみやふみとしの重みのある声でプレゼンテーションが開始。


 最初のプレゼンターは颯太だった。



 颯太は「はい」と応えると、机上の封筒へ手を伸ばす。そして、封筒内からプレゼンテーションの資料を取り出し、参加者全員へ行き渡らせる。



 「こちらの資料を使用して進めさせていただきます」



 全員に資料が行き渡ったことを確認し、颯太はプレゼンテーションを開始。



 「今回、私が考案したグラブは…」



 史俊達は颯太の言葉に頷きながら資料へ目を通す。



 「素材は…。特徴といたしましては…」



 何事もなく、プレゼンテーションは進んでいく。



 プレゼンテーション開始からおよそ十分後。



 「以上になります。ご質問等、ございますでしょうか?」



 颯太が問うと、しばらくの沈黙が流れる。


 その沈黙を破ったのは史俊。



 「いいか?」



 右手で低く挙手する。



 「はい」



 颯太が答えると、史俊は用紙を左手に取り、尋ねる。



 「このグラブの一番の強みは何だ?その強みが消費者の購買意欲に繋がる。複数の強みを羅列するだけでは、一番の強みは分からない。まあ、強みというか、このグラブを使用することで得られるものと言うべきか。それを教えてほしい」



 史俊は用紙を左手に携えたまま、じっと颯太を見つめる。


 圧迫感のようなものが伝わる眼差し。しかし、颯太は何かを予想していたように、どこか余裕のある表情を浮かべる。


 幸仁のやさしい眼差しが颯太へ。その瞬間、颯太の口が開く。



 「スムーズに捕球から送球へ移ることができる。それが、このグラブを使用することで得られるものです」



 颯太がそう答えると、少し遅れて史俊は腕を組み、小さく頷いた。




 午前十一時四十七分。



 「大変興味深かった。この後、中島なかじま部長と協議したうえで採用する案を決める。全国的にはなじみのないメーカ。だからこそ、メーカーの顔となる商品を開発したい。社長もそう仰っている。この会社の知名度を上げ、より多くの方に愛用していただける商品を開発していこう」


 「はい!」



 史俊の言葉に颯太をはじめとした野球グッズ課の社員が声を合わせる。史俊はやさしく微笑むと、最初に会議室を出る。それから少し遅れて次々とグッズ課の社員が会議室を出る。


 彼らの姿を見つめる颯太。



 「採用されるかな…。俺の案は…」



 無意識にぼれた颯太の言葉を聞き逃さなかった幸仁。


 

 「いい案だったぞ。それに、今までは颯太のプレゼンに渋い表情を浮かべるだけだった課長が興味深そうに頷きながら耳を傾けていた。可能性はゼロじゃないぞ?」



 颯太の視線はゆっくりと幸仁へ。



 「あとは祈るのみです…」



 颯太の言葉と同時に、時計の針は十二時丁度を指した。




 昼休みに入り、颯太は二階にある社員食堂へ足を運ぶ。トレーを受け取り、いてる席を見つけ腰掛ける。


 それからすぐ、一人の女性社員が颯太に笑顔で声を掛ける。



 「お疲れ様!」



 彼女は店舗運営部配属の松岡千恵まつおかちえ。颯太と同期入社であり、同い年の女性社員。



 「おお。お疲れ」


 「一緒に食べよ!」


 「うん!」



 千恵は颯太の正面の席へ腰掛ける。



 「自信あるんだね、今回の案は」


 「いい出来だとは思ってる。あとは課長と部長の判断次第」


 

 笑顔の二人。


 

 しばらく言葉を交わし、颯太は味噌汁の器を左手に持ち、啜る。それからすぐ、二人の男性社員の会話が颯太と千恵の耳に届く。



 「森田もりた、またすげえホームラン打ったな」


 「何キロあるんだろうな、あの打球スピード」



 プロ野球選手についての会話。男性社員二人の声が遠くなると同時に、颯太は味噌汁の器をテーブルへ置き、彼らの姿を目で追う。


 千恵は颯太が視線を向ける方向を見つめながら、尋ねるように言う。



 「そういえば、もう少しで都市対抗野球の地区予選だっけ」



 千恵の言葉に頷く颯太。


 

 「来週の土曜日に一回戦…」



 そして、呟くようにそう応える。


 千恵の視線は再び颯太へ。



 「どこまでいけそう?隹海とりみクラブ」



 千恵が尋ねると、颯太は苦笑いを浮かる。



 「強豪ばかりだからなあ…」



 そう答えるにとどめた颯太。



 「もう…。頑張ってよ。応援してるんだから」


 「ごめん、ごめん!」



 

 颯太と千恵の会話からすぐ、やさしい風が窓を叩く。


 まるで、何かの始まりを告げるかのように。

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