田舎令嬢、貴族屋敷で不審な出来事に遭遇する。

 王都にやって来て二週間が過ぎた。まだ都会に圧倒されているけれど気分は落ち着いてきている。でも、人混みは当分慣れなそうにない。どうしてどこも人だらけなの。


 ダケール侯爵家のお屋敷での仕事も一通りやってどんなものなのかは理解した。たまに不慣れでやらかしちゃうけれど、わからないことはもうない。


 今の仕事場で働くコツというのも少しわかってきた。雇い主の家族や親戚、それに侍女なんかの上級使用人と対面しなければ嫌な思いをせずに済む。私みたいな下っ端は接する機会がほとんどないから幸いね。


 そんな仕事に慣れてきた私は今、お屋敷の敷地で掃除をしている。使用人は大体自分が担当する仕事というのを持っているんだけど、何でもできる私は常に忙しい場所に放り込まれて手伝いをしていた。便利屋みたいにね。


 晴れの日が続くときの掃き掃除だと落ち葉なんかは割とほうきに従って動いてくれる。これが雨の降った後だと全然けないから厄介なのよね。ずっと晴れていてくれないかしら。


 ともかく、私は今お屋敷の角の近辺を掃いていた。この辺りはもうすぐ終わるから、後は敷地の端にある倉庫周りだけ。後で家政婦のカロルさんに次の指示をもらわなきゃ。


 そんなことを思いつつ、腰をかがめて後ろに下がりながら集めた落ち葉をちり取りに入れていたときだった。ちょうどお屋敷の角の辺りで誰かとぶつかる。そして、一呼吸置いて何かが割れる音がした。


 お尻にぶつかられた私は悲鳴を上げて振り向く。


「いった!? もうなによ! って、ベルト?」


「あっ、ああ」


 腰をさすりながら文句を言おうとした私は同僚の使用人ベルトの真っ青な顔を見た。その視線の向かう先へと目を向けると、石畳の端に割れた小瓶のかけらが散らばっているのを目にする。小瓶の中身は石畳の一部と剥き出しの地面に染み込んでいた。


 きっとこれはカルロさんに命じられて買ってきた薬か何かね。ああ、やっちゃったなぁ。


 色々と想像した私もばつが悪そうな顔をしてベルトに声をかける。


「ごめんね。大丈夫? けがはない?」


「あ、どうしよう」


「うーん、これね。もしかしたら、ご当主様か奥様から頼まれて買ってきたの? そうなるとカロルさんものすごく怒るだろうけど、私も一緒に謝るから」


「ああ!」


「え、ちょっと!?」


 話しかけた私には反応せずにベルトは顔を青ざめさせたまま屋敷へと入っていった。それを呆然と見送った私はその場で佇む。


 何がどうなっているのか私にはさっぱりわからなかった。でも、いつまでもじっとしているわけにはいかない。気を取り直して掃除を再開する。


 手にしていた箒とちり取りで割れた小瓶を片付けた後、私はそのまま与えられた敷地の掃除を終えた。屋敷に戻って道具を片付けてからカロルさんを探す。きっと今頃怒られているであろう同僚のことを思い、気が沈む。嫌だなぁ、一緒に怒られるの。


 家政婦のカロルさんは玄関ホールにいた。私たち女の使用人を取りまとめるカロルさんは仕事に厳しい人だから、失敗すると容赦なく怒られる。言い方がきついのよね。


 気が進まないまま私はカロルさんに声をかける。


「カロルさん、お庭の掃除が終わりました」


「そうですか。では次に倉庫から持ってきてもらいたい物があります」


「わかりました。ところで、ベルトはもう叱ったんですか?」


「ベルトを叱る? なぜです?」


「え? だって、さっき掃除をしていたときにベルトとぶつかって、彼女が持っていた小瓶を落として割っちゃったんですよ」


「そんな話は知りませんね。確かなのですか?」


「はい。割れた小瓶はもう片付けちゃいましたけど」


「わたしはベルトにそんな指示をしていません」


「ええ?」


 訝しげに睨まれた私は困惑した。もしかしなくても余計なことを言っちゃったらしい。


 一般的に高位貴族のお屋敷だと身分の違いによる会話の有無ははっきりとしている。雇い主の貴族は侍女、家政婦、執事、料理長には命じたり話しかけたりするのが普通ね。使用人には直接声をかけることはないの。例外は部屋付きの使用人だけど、それ以外はとりまとめ役の家政婦や執事から命じられて動く。


 だから、女の使用人であるベルトの作業について家政婦のカロルさんが知らないというのはおかしかった。


 私はベルトの件をカロルさんから根掘り葉掘り尋ねられた。知っていることはほとんどないのであまり答えられなかったけど、とりあえず怒られなかったので安心する。


 その後、私は別の指示をもらって仕事を再開した。特にこれと言ったことはなく、いつも通りに作業をこなしていく。


 一日の仕事が終わったときには、いつもより少しだけ余計に疲れていた。




 住み込みの使用人である私たちはその日の仕事が終わってから夕食を口にした。大抵は日没後で、作業が終わった使用人から順番に食べることになる。


 とりあえず食べられるから良いという食事を終えると後は寝るだけ。女性用の使用人の部屋に戻って寝台に横になって明日に備える。


 私も自分の夕食を調理場で食べ終わると使用人の部屋へと戻ろうとした。明日も丸一日働く日だから早く横になりたい。


 あくびをかみ殺しながら使用人の部屋の前までやって来ると、赤色のショートヘアで目つきの鋭い女の人が立っていた。オルガ様の護衛騎士であるピエレット様だ。並の男では勝てないほど剣の扱いが上手だと聞いたことがある。


 そんな女騎士に私は睨まれていた。どうして? 今まで接点すらほぼなかったのに。


「貴様がシルヴィか」


「は、はい」


「話がある。ついて来い」


 有無を言わせぬ口調で私に命じたピエレット様は踵を返して歩き始めた。周りの同僚に注目されながらも私はその後を追う。


 向かった先は屋外だった。ほぼ満月の月明かりが意外と明るい。


 立ち止まったピエレット様は私に険しい顔を向けてくる。


「聞きたいことがいくつかある。嘘偽りなく答えよ」


「はい」


「今日の夕方、貴様は屋敷の外で掃除をしていたな」


「はい」


「そのとき、使用人とぶつかり、その拍子に相手が小瓶を落とした」


「そうです」


「どのようにぶつかったのだ?」


「掃き掃除をしていて、ちり取りにかき込んでいたら、ベルトが私のお尻にぶつかったんです。ですから、ぶつかった瞬間にベルトがどんな状態だったかはわかりません」


「ぶつかったのはどの辺りだ?」


 問われたので私はぶつかった場所にピエレット様を案内した。遮るものも今はないので月明かりでよく見える。


「ここです。小瓶が落ちて割れたのはこの辺りです」


「ふむ、そうか」


 それきりピエレット様は石畳と地面を無言で眺め始めた。その間、私はじっと待つ。


 やはりおかしいと私は改めて思った。家政婦のカロルさんを通さずに護衛騎士のピエレット様が私を直接呼びつけるなんて普通じゃない。最低でもカロルさんから事前に私へと連絡があるはずなのに。


 小瓶の中身がそんなに高価な物だったのかしら。いえでも、やっぱりカロルさん抜きなんてことはない。


 ぼんやりとそんなことを考えていると私は再びピエレット様に声をかけられる。


「割れた小瓶はどうした?」


「箒とちり取りでまとめてごみ袋に入れました。割れた瓶を入れる袋に移したので、破片を取り出すというのはさすがに」


「そこまでしなくていい。後片付けは済ませたんだな」


「はい」


「だったらいい。話は以上だ。尚、このことは他言無用だからな」


「承知しました。それでは」


 ようやく解放されるとわかった私は肩の力を抜いた。疑問だらけの尋問だったけど、終わったのならもういいわ。早く寝たい。


 踵を返して屋敷に戻ろうとした私は歩き始めた。ところが、すぐに立ち止まることになる。


「ああ待て。ひとつ尋ねたいことができた」


「はい? どのようなことでしょうか」


「貴様のその所作、どこで習ったのだ?」


「え、所作ですか? 礼儀作法は私の母から習いましたが」


「母からだと? 確か貴様は田舎の男爵家出身だったな。その母親から教わったのか」


「そうです。それが何か?」


 振り向いた私は怪訝そうな目を向けてくるピエレット様に対して首を傾げてみせた。


 公爵家のご令嬢であるイレーヌ様に褒めてもらえたので所作に自信はあるけれど、ここでピエレット様に尋ねられる理由はわからない。


 尋ねた当人のピエレット様も何やら困惑気味のご様子。どうしたのかしら。


「いや、何でもない。もういい。行け」


「はい。それでは」


 一礼した私は今度こそお屋敷の中に入った。扉を閉めると大きく息を吐き出す。


 同僚の使用人とぶつかっただけで、どうしてこんなに大変な目に遭っているのか私にはわからなかった。これだから、このお屋敷の偉い方とはできるだけ関わりたくないのよね。


 もう一度ため息をついてから私は使用人の部屋へと戻った。

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