第8話 八
しばらく無言で私の話を聞いていた大目付の仲里がゆっくりと頷いた。
「なるほど。つまり、仮に高さが七尺の堤を作ったのなら、近江屋は百三十両も不当に儲けているということだな」
「左様でございます」
隣の三浦が腕を組みながら口を開いた。
「しかし、検査調書は八尺となっているのだろう」
「はあ、左様でございます」
「ならば、見積書通りに高さが八尺の堤を作ったということになるのではないか」
「・・そういうことにはなるのですが・・」
仲里が三浦を見ながら頷き、座り直すように体を揺らし、フウと息を吐いた。
「おい、惣兵衛、仮の話では検査を止めることなど出来ないであろう。何か不正が発覚したとか、事故が起こったのならばともかく」
明日が完成検査の最終日となっている。ここで、検査が完了してしまえば、そのまま全ての検査調書が裁可される。
そうなると、八尺の堤が完成したことになり、請負額をそのまま近江屋に払う根拠が成立してしまう。
従って、その前に、何としてでも、実際は堤の高さが七尺であることを明確にして、検査を不合格とし、検査完了を止める必要があった。
仲里が業を煮やしたとばかりに、右手で膝を叩いた。
「だから、先ほどから申しておるが、なぜ高さが七尺だという疑いがあるのだ。問題はそこではないのか」
三浦が頷く。
「御意。それこそが問題です」
確かにそうだ。無論、私もそう思う。
だが、さすがに、ヨネが言ったから、とは言えない。
「あのう・・、それは、ですから、かなり確実なのですが・・」
仲里が探るような鋭い眼を向けた。
「なぜ確実だと思うかを聞いている」
「はあ、大目付には笑われそうで・・」
仲里が表情を崩した。
「おい、笑われるような理由なのか、まったく・・。良い。笑わぬから申してみよ」
三浦も仲里に併せるように微笑みながら頷いた。二人は既に笑っている。
「どのような物でも一目見ただけでその高さを言い当てる者が居ります。しかも正確に」
「うむ、世の中は広い。何百人に一人、あるいは何千人に一人ぐらいは、そのような才能を有する者が居るのかも知れない」
「はい。その者が、堤の高さは七尺と言ったのです」
「確かに才能がある者なのか」
「はい。確かでございます」
「なぜ、確かと思った」
「酒の徳利の高さを、更に酒が入っている位置までズバリと言い当てました。それに、私の背の高さまでも。一寸の違いもありません」
「ほほう、なるほど。それから」
「はあ、その、それだけでございます」
「・・・」
仲里は上体を起こしながら腕を組んだ。
「なあ惣兵衛、仮の話だ。お主が普請奉行で、そういう理由で検査を止めろと言われて、はいそうですかと言うか」
「まあ難しいでしょうか」
「だろうな。拙者であればふざけるなと言うだろう。例えば、藩お抱えの識者や江戸で有名な学者が検査中止を求めたのであれば、まあ、話は分かるが。要するに誰が言っているのかが大事なのだ。だから誰なのだ、その者は。拙者が知っている者か」
「知っているとは言えませんが・・」
三浦が何かに気付いたように、オッと反応した。
「徳利の高さとか背の高さとか・・、おい、もしかして家の者か」
「はあ、その・・」
仲里が怪訝そうな顔をして私の顔をのぞき込んだ。
「例の、少し変わっているという下女ということは、まさかないだろうな」
万事休す。もう、言うしかない。
私は姿勢を正して頭を下げた。
「はい。その下女のヨネでございます」
仲里が肩を落としながら、ふうとため息をついた。
「おい、おい、それは無理というものだ」
三浦も呆れたというように首を振った。
「御意。無理でしょう」
だが、ここで諦める訳にはいかない。
堤の高さは七尺で間違いない。それさえ証明出来れば、解決の端緒となる。
私は両手を付いて頭を下げた。
「大目付、何とかお願いできないでしょうか。荒木の事件について、これが唯一の解決への手がかりです。検査を中止させ、堤の高さが違った要因を明らかにすれば、必ずこの工事の問題と荒木を殺した者が明らかになります」
仲里は腕を組んでジッと前を見ている。
「大目付・・」
「荒木が殺されたと思われる理由は、職務柄この検査の間違いを知って、そのことが公になるのを恐れた者に口封じをされた。確かにそう思うのだな」
私は首を振った。
「検査の間違いではございません。意図して請負金額を水増しさせて、それに合致するように検査調書を作っているのです。荒木はその不正に気づき、殺されたのです」
「不正があると申すか」
「はい。荒木はそれを正そうとしたに違いありません」
仲里はしばらく目を瞑り、やがて目を開けて、大きく頷いた。
「正しいことをしようとした者が殺されるなど、決して許してはならない。分かった。完成検査はいつ終了するのだ」
「はい、明日でございます」
三浦が真剣な顔で仲里を見た。
「ただ、何もないのに、いきなり検査中止を言い出す訳にはいかないでしょう。従って、とりあえず、明日、目付役が立会するという申し出でいかがでしょう。おそらく検査でも何か不正をしているはず。そこを抑えるのです。立会する理由についても、もっともらしい理屈は必要ですが」
的を射た指摘だ。三浦を少し見直した。
仲里がニヤリとした。
「そこは任せておけ。普請奉行には拙者が話をつける。ふん、永沢を脅すネタなどいくらでもあるわ。必ず、明日の検査に、我ら目付組が乗り込んでやる。これで不正が明らかになったら、担当奉行として、あいつもただではすまない。あいつの泣き面を見るのが楽しみだわ」
「大目付、ありがとうございます・・」
と、頭を下げたが、内心は不安が胸を過ぎった。どちらかと言えば、不正を質すというよりも、私怨を晴ら場にしようとする気が満々の態度だ。
三浦が私に顔を向けた。
「おい、惣兵衛、そうなると、明日、検査の場で、堤の高さが七尺であることを証明しなければならんぞ。そこは大丈夫だな」
確かに、そこが肝心だ。今日の三浦は冴えている。
「はい。心得ました。必ずや、不正を証明します」
とは言ったものの、よくよく考えるとこれは厄介だ。ヨネに見てもらう、では通らないだろう。万人が納得する方法で、正確な高さを証明しなければならない。
いずれにせよ、明日の検査が勝負だ。そこに全てがかかっている。
荒木の無念は何としても晴らさねばならない。
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