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*****


 男はゆっくりと息をいて、しんに輝く靴をでた。

 指先からこうこつとするような、しびれる感覚がある。つま先からかかとのガーネットにいたるまで、魔力がじゆうぶんにいきわたっているしようだ。


「自由を求める少女は、赤い靴を履いてはならない……」


 この靴のことを、そう書き留めた人物がいる。

 ドゥーガルド・ディセント。王妃シンデレラと国王の間に生まれ、初代のディセントはくしやく当主となった男である。

 ドゥーガルドは母親から受け継いだ魔力と魔術師から教わったすべての知識を、彼らをほろぼすために利用した。

 彼はシンデレラの息子むすこでありながら、母親と敵対することとなる。

 ドゥーガルドはどこまでも国王側の人間だった。母の人間性に対し共感できなかったといううわさもあるが、本当のところは本人にしか分からないだろう。

 ほかの兄弟たちを守るため、母を捨て伯爵位をとったという説もあるし、単純に魔術師の靴がゆるせずにみずかちくを買って出たという説もある。

 ドゥーガルドはふういんの靴箱をきっかり魔術師の靴の数だけ生産し、そして自分がすべてを集めきれないことが分かると、そのとくちようを書き留めそんへとたくした。靴箱館と呼ばれる巨大な靴の墓場は、彼が建てたものである。

 彼の意思は、その後ディセント家の子どもたちに引き継がれている。

 現時点で最も若いディセント家の男、アランは優秀なハンターだ。靴店を経営し、階級のかきを超えることでめざとく情報を集めている。いもうとのルディアはぜつみようなたちまわりで彼をし、彼らが働きを見せるようになってから、十二足の靴の蒐集に成功している。

 しかし靴が彼らに奪われてしまうことは、魔術師にとってゆゆしき問題であった。

 魔術師の靴は、彼らの存続をけた道具なのである。

 力ある少女が靴を履けば、それをばいかいにして彼女たちの足から魔力を吸い取ることができる。

 それは現在の、もう残りわずかな力しか持てない魔術師たちにとって、おのれの魔力を強める貴重なえいようげんとなる。

 靴が封印されてしまえば、それに比例して取り込める魔力も減ってしまうのだ。

 魔術師が表舞台から消え去ってからも継続して、彼らは希望にすがる少女たちのもとへ靴を差し出してきた。

 だが、こうして例外も存在する。

 ──エデル・アンダーソンは靴を履かなかった。

 彼女から魔力をうばえなかったことは残念だが、同時にうれしい誤算でもあった。──彼女は、魔術師たちにとって特別な存在になりえるかもしれない。

 事実、エデルが靴のそばにいるとき、彼はまったく赤い靴の魔力を感じ取ることができなかった。彼女の強すぎる力に靴の魔力が押し負けてしまっているのだ。

 だからこそ、『本物の靴を持ってきた』ことに気づかず、水色の名刺を渡してしまった。


「では次の女にこの靴を渡そう。未来をかつぼうする少女へと」


 あさはかな自由を求めるおろかな少女のために。

 男は薄く微笑ほほえむと、靴箱のふたを閉じ、丁寧に赤いリボンをかけた。


*****


「靴がなくなったって、どういうことですか? どうして?」


 エデルは自分の声がこっけいなほどにふるえているのを感じた。


「つい先ほど、明かりが消えまどガラスが割れる音がした。……ようやく予備の明かりをつけたときには、もう靴はなくなっていた」

「ど、どろぼうが入ったってことですか?」

「それか、靴が自分で動いたか……。かぎはかけていたが、さっき確認したときは金庫がこわれていた。扉をやぶったのかもしれない」


 目の前が暗くなってゆく。


(お母さんの靴が……。ずっとそばにいてくれたのに)


 エデルがゆかにへたり込むと、アランはあわてて彼女の背を支えた。


「どうしよう……靴が…‥‥お母さんがまた……」

「エデル、あの靴は必ずさがし出す」

「だめ、行かせてはだめ」


 エデルのおくが鮮やかによみがえる。

 すっとびた母親の背中。遠ざかってゆく、ブラックカラントの香水のにおい。


「落ち着け。屋敷の人間を総出であたらせる。これから店も捜す。お前も一緒に」

「でも、お母さんは一度出て行ったらいつ戻ってくるか分からないの……! あのときからずっと会いにきてくれてない! ようやく一緒にいられると思ったのに!」


 エデルは自分でも何を言っているのか分からないまま、つい口走っていた。

 いつか母とともに過ごせる日がくると信じていた。

 でも、それは叶わなかった。

 またあのときと同じようなそうしつかんを味わうのか。自分は何度母をうしなえば許されるのか?

 アランはいつしゆんめんらったような顔をしたが、やがて厳しい表情になった。


「あの靴はお前の母親じゃない」


 エデルははっとする。

 口元を震わせ、うろたえながらも口にする。


「そう……です、だって靴は生きているわけないもの……」

「じゃあお前のその態度はなんだ。どうしてあの靴がなくなると、母親が行ってしまうと言うんだ」

「それは……」


 赤い靴は母に似ている。

 だから心のどこかで、予感があった。

 あの靴は母親なのではないかと。ヴァイオレット・アンダーソンが本当は生きていて、悪い魔術師に靴の姿に変えられてしまったのではないかと──。


(お母さんと一緒にいたい。死んだなんて信じたくない。だって私は、お母さんと……家族とらすために、靴職人になったんだもの)


 女優ヴァイオレット・ファーではない。エデルのただひとりの母親として、姿を変えて一緒にいてくれてるんじゃないかって──。

 舞台より自分を選んでくれた。母は生きている。ただ姿形が違うだけ。

 アランのところへ靴を持って行ったのも、靴に宿やどったたましいしようめいしてもらうために──。

 でも、同じようにこんな気持ちもあった。

 あれは母ではない。常識的に考えて、そんなことがあるはずがない、間違っている。

 だからシンデレラ伯爵家にそれを証明してもらわなくてはいけない。赤い靴に振り回されていては、エデルの将来を案じながらくなったが悲しむ。

 じゆんした考えにさぶられながら、希望と絶望がせめぎ合って、少しずつ心をころしてゆく。

 赤い靴と一緒にいられて、ずっと幸せだった。

 赤い靴があって、ずっと苦しかった。

 今はただ、身を切られたようにつらい。


「本当に……ひとりになっちゃった……」


 エデルはうつむいて、おおつぶなみだをこぼす。

 職場でいてはいけないと厳しく祖父に言われていたが、それすらも守れなかった。


「アランさま……ご、ごめんなさい……わ、私靴を捜しにっ……」


 アランはポケットからきぬ手巾ハンカチを取り出すと、乱暴にエデルの顔をぬぐう。


「ふぐっ」


 アランは「ああっ、くそっ。本を読む時間がない」と腹だたしそうにつぶやいたあと、深く息をついた。


「……俺の不注意だ。すまなかった。でも、ひとりだなんて言うな」


 彼はそっとエデルを立ち上がらせると、彼女の落としたデザインボードを拾う。


「お前はうちの職人だ。ひとりにはしない。ガラスドームの従業員こころを言ってみろ」

「……ひ、ひとつ、道に迷えばせんだつの背中を。……ふたつ、道をはずせば大声でさけべ。みっつ、道の向こうからむかえを待て」

「ガラスドームの強みは、いつもだれかがそばにいるということだ。俺はすぐにお前の手をとりに行く。一緒に捜すぞ、まだ近くにあるかもしれない」

「は、はい」


 力強く手を引かれて、エデルはいつの間にか普段よりも声を張っていた。

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