理不尽探偵とアカシックレコード

晴坂しずか

第1幕 物語の墓場

第1話

 白い画面をにらみ続けて何時間が経っただろう。

 日南梓ひなみあずさは苛立ちまぎれに「ああ、くそっ」と漏らして、キーボードに置いた両手を上げた。

 机に両肘をついて、少し伸びたベリーショートの頭をがしがしとかく。

 朝からパソコンの前に座っているというのに、すっかり手が止まっていた。もちろんプロットはできあがっている。その通りに書けばいいだけだと分かっているが、日南の両手は言うことを聞いてくれなかった。

 あまり名前の知られていない出版社で新人賞を獲ってから一年。デビュー作は売れていなかったはずだが、編集者からせっつかれて二作目に取りかかっていた。

 昨日もあまり執筆が進まなかった。今日こそ書き進めなければならない。プレッシャーがさらに日南のモチベーションをぐ。

「やめだ、やめ。気分転換が必要だ」

 自分自身へ言い聞かせ、日南は顔を上げるとマウスを操作した。文書作成ソフトを一旦閉じて、ウェブブラウザを開く。

 どうせ今日も何もないと思いながら、スキルマーケットサイトを開いてみて驚いた。新着メッセージを知らせる通知があった。

「新着……まさか、仕事か?」

 はやる気持ちをおさえて日南がメッセージを開くと、まさしくそれは依頼人からの連絡だった。

 日南は心臓をドキドキさせながら文章に目を走らせ、ごくりと唾を飲み込んだ。

 メッセージの内容は「行方不明の娘を探してほしい」というもので、作家でありながら探偵業もしている日南にとって久しぶりの依頼だった。

「行方不明者の捜索か」

 ぽつりとつぶやいてから、日南は返信を打ち始めた。

 まずは連絡をくれたことへの感謝と、詳しい話を聞きたいから直接会うか、ミーティングアプリを使用したオンラインでの面談、どちらにしたらよいかをたずねる。また、こちらはすぐにでも仕事へ取りかかれる旨も、忘れずに記載して送信した。

 ふうと息をつき、日南は椅子の背もたれに体重をかける。大学生の頃からずっと使っているせいで少しきしむが、買い替える余裕などない。

 どうやって仕事を進めるか考えていると、すぐに相手から返信があった。オンラインでの面談を希望しており、できればすぐにでも話がしたいと書かれてあった。

 日南は先に文章を打っておいた。次にミーティングアプリを起動させ、新規にミーティングの設定をした。招待リンクを作成してコピーし、返信に貼り付けてから送信する。

 ミーティングに参加した状態で待っていると、五分ほどで相手とつながった。五十歳前後と思われる落ち着いた雰囲気の女性だった。表情にはどことなく不安や疲労がにじんで見えるようだ。

「急にすみませんでした。七篠洋子ななしのようこと申します、よろしくお願いします」

「いえ、どうぞお気になさらず。オレは探偵の日南梓です」

 日南はにこりと笑みを返すが、七篠洋子は戸惑ったように小さく首をかしげるばかりだ。よほど緊急のようだと察して、日南はやや身を乗り出した。

 ボールペンを右手に握り、メモ帳を前に置きながらたずねる。

「さっそくご依頼の件についてお聞きしたいのですが」

「あ、はい。メッセージにも書いたとおり、三日前から娘が帰ってこないんです」

「娘さんはおいくつですか?」

「高校三年生です。親子仲は悪くないですし、家出ということも考えられないんです」

 先回りするように彼女が言い、日南はメモをとりながらたずねる。

「三日前ということですが、その前に何か異変などは?」

 七篠洋子が困惑し、不安げに胸の前で両手を握り合わせる。

「分かりません。いつものように高校へ行って、それから帰らないんです」

「お友達などには?」

「ええ、聞きました。学校にはちゃんと行っていたようなんですが、放課後になってからが分からなくて……通学路にある防犯カメラも見せてもらいましたが、どこにも映っていませんでした」

 娘は通学路を通らなかったのだろうか。他の道を通ったのであれば、付近の防犯カメラを手当たり次第に確認するしかない。

「一応お聞きしますが、警察には相談しましたか?」

「はい。ですが、人手が足りないそうで、すぐに探すことはできないと言われてしまいました」

 彼女は今にも泣き出しそうな様子だった。娘がいなくなって不安だろうに、警察を頼っても門前払いを食ったとなれば、行き着く感情はそれしかない。

 一方で日南は警察の置かれた状況にピンときた。

「そういえば最近、頻発していましたね。先月くらいから、全国的に行方不明者が増加しているとか」

「はい」

 SNSには毎日、行方不明者を探す投稿がされている。以前からもそうした投稿はあったものの、今回は増え続ける一方であることが異常だった。警察も動いているのは知っていたが、人手が足りなくなるほど行方不明者が増えているとは思わなかった。

 しかし、だからこそ日南の元に依頼が舞い込んできたわけだ。

「分かりました。それでは、娘さんについて詳しく聞かせてください。身長、体重、髪型や服装、持ち物など」

 日南は難事件になる予感を覚えながら、依頼人へ真剣な顔を向けた。


 まずはSNSで大量失踪事件について調べてみる。

 行方不明という単語で検索しただけで、何千という投稿がヒットした。そのすべてを見るわけにはいかないが、やはり東西南北あちらこちらで人が行方不明になっている。

 こうした現状をいぶかしがる投稿もあり、異常さに混乱している様子さえ伝わってくる。

「……」

 日南は思わず苦笑いを浮かべた。小説家になる以前からろくに外出もせず、世間の流れから取り残されていた自分にあらためて気づかされる。ニュースには目を通していたつもりだが、これほど世の中が騒然としていたとは思わなかった。

 次に検索ワードを一つ増やした。依頼人の娘、七篠初子ういこが住んでいる街の名前だ。

 検索結果は一気に絞られ、初子の兄と思しき投稿が出てきた。先ほど話を聞いたのと同じ、三日前から帰らないという内容だった。

 初子の顔写真も添えられており、どこかの部屋で撮影したものなのか、少々派手なプリントの白Tシャツを着て笑っていた。高校三年生にしては落ち着いた雰囲気があり、大人っぽい印象の少女だ。

 すでに母親から娘の写真を入手していたが、兄の投稿にある画像も保存してスマートフォンへ入れておいた。

 他の投稿もざっと確認してから、日南はよく世話になっている友人へメッセージを送った。世間を騒がせる異常事態だ、彼が何も知らないはずはない。

 送信し終えると席を立ち、さっそく出かける支度を始めた。

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