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 CADは伝統的な補助具であるつえほうしよじゆに比べて高速、せい、複雑、大規模な魔法発動を可能とした、現代魔法の優位性をしようちようする補助器具だ。

 しかし、全ての面において伝統的な補助具に勝っているかというと、そうではない。

 精密機械であるCADは、伝統的な補助具に比べて、よりこまめなメンテナンスを必要とする。

 特に、使用者のサイオン波特性に合わせた受信・発信システムのチューニングは重要だ。

 CADは魔法師から送り込まれたサイオンを材料にして(インクとして、あるいは絵の具として、と表現する方がとうかもしれない)サイオン情報体『起動式』を出力し、魔法師はサイオンの良導体である肉体を通じて起動式を取り込み、これを設計図として魔法式を組み立てる。CADを用いた魔法はこの調整のしで起動速度が五割から十割以上、変動すると言われている。

 想子サイオンは思考や意思を形にするりゆう、と言われている。意思のようは十人十色。百人いれば百通り、千人いれば千通り。サイオンの波動には一人一人みように異なる特性があり、それにチューニングが合っていないCADは、使用者とのサイオンのやり取りがくできない。

 これ以外にも、CADを使いやすくするポイントはたくさんある。

 CADの調整はこうの仕事であり、うでの良い魔工技師がちようほうされる理由だ。

 ところで、サイオン波特性は肉体の成長、ろうすいによって変化し、体調によってもえいきようを受ける。厳密に言えば、日々変化している。

 だから、本来は毎日、使用者の体調に合わせた調整を行うのが望ましいが、CADの調整にはそれなりに高価な専用の機械が必要になる。

 軍や警察、中央官庁、一流研究機関、有名学校、資金力の豊富なだいぎようならば自前でCADの調整装置と人員を用意することもできるが、中小企業や個人のレベルで自家用の調整かんきようを整えることはまず、できない。そういうところに所属する魔法師は、月に一、二回、魔法機器の専門店やメーカーのサービスショップで定期点検を受けるのがせいぜいだ。

 第一高校はこの国でもトップクラスの名門校だけあって、学校専用の調整せつを持っている。生徒は教職員と共に、学校でCADの調整を行うのがつうだ。

 だがたつの自宅には、あるとくしゆな事情から、さいしんえいのCAD調整装置が備わっていた。


        ◇ ◇ ◇


 夕食後、地下室を改造した作業室で自分のCADを調整していた達也は、たった一人ひとりに等しい同居人に声をけられていた。

えんりよしないで入っておいで。ちょうど一段落ついたところだから」

 その言葉はうそではない。また、一段落つくタイミングを見計らっていたからこそ、ゆきは彼に声をけたのだろう。

「失礼します。お兄様、CADの調整をお願いしたいのですが……」

 彼女の手には、けいたいたんまつ形状のCAD。

 近づくにつれて心地よくこうをくすぐる、ほのかなせつけんかおり。

 病院の検査着の様な、簡素なガウンを身に着けている。

「設定が合っていないのか?」

 これは、本格的な調整を行うときのスタイルだ。

めつそうもございません! お兄様の調整は、いつもかんぺきです」

 過分な賞賛はいつものことだから、特に改めさせようともしない。こんなことで口論するのは不毛過ぎる、とさとる程度の経験値はあった。

 だが、フルメンテナンスは三日前に行ったばかりだ。いつもは一週間のインターバルだから、何か急な理由があってのことだと、考えずにはいられない。

「ただ、その……」

「遠慮は要らないよ。いつも言っているじゃないか」

「すみません、実は、起動式のえをお願いしたいと思いまして……」

「なんだ、そういうことか。本当に、遠慮は要らないんだよ。かえって心配になるから」

 妹のかみを軽くかき乱し、手の中からCADをる。

 深雪は少しずかしそうにうつむいた。

「それで、どの系統を追加したいんだ?」

 はんようがたのCADに登録できる起動式は一度に九十九本。これはさいしんえいさらにチューンアップした深雪のCADでも変わらない限界だ。

 一方、起動式のバリエーションは、どこまでを起動式に組み込み、どこから自分のほう演算領域で処理するかによって、事実上、無数に分かれる。

 一般的には、ひよう、強度、しゆうりよう条件を変数として魔法演算領域で追加処理し、それ以外のファクターは起動式に組み込んでおくというパターンが採られる。だが強度を起動式の定数として演算処理を軽減し発動速度を高めるという手法が採られることも少なくない。ぼうぎよけいの魔法式は自分を中心とした相対座標を定数化することも多いし、せつしよくけい魔法で全ての値を定数とするというテクニックも実習授業の中でしようかいされている。

 深雪はこれらの例とは逆に、できるだけ定数こうもくを減らしてゆうずうせいを高めた起動式を登録するようにしている。

 十五歳にして、一人ひとりの魔法師が習得できる魔法数の平均値を大きく上回るさいな魔法を使いこなす深雪には、九十九という制限数は少なすぎるのだ。

こうそくけいの起動式を……対人せんとうのバリエーションを増やしたいのです」

「んっ? お前の減速ほうがあれば、わざわざ拘束系を増やす必要はないと思うが?」

 多種多様な持ち札の中でも、ゆきは特に減速系を得意とする。減速系のバリエーションであるれいきやく魔法では、近似的に絶対れいを作り出すことができるほどだ。

「お兄様もご存知の通り、減速魔法は個体作用式がほとんどで、部分作用式は困難です。

 部分減速、部分冷却も不可能ではありませんが、発動に時間がかり過ぎます。

 今日きようの試合を拝見して思ったのです。

 スピードに重点を置いた、最小のダメージで相手を無力化できる術式が、わたしには欠けているのではないかと」

「うーん……深雪はそういうタイプじゃないと思うけどなぁ。

 相手の不意をつく、スピードで相手をかくらんするというのも一つの戦法だが、お前の場合は絶対的な魔法力であつとうできるんだから、領域かんしようで相手の魔法を無効化しつつ相手のぼうぎよりよくを上回る規模と強度の魔法をぶつけるという正統派の戦法の方が合ってるんじゃないか?」

 領域干渉は、自分の周囲の空間を自分の魔法力のえいきように置くことで相手の魔法を無効化する技術だ。一定領域を「事象が改変されない」という魔法でおおうことにより、相手の魔法による事象改変をする。

 たつの言うように、深雪の領域干渉は極めて強力だ。魔法戦で受けに回っても、ダメージをこうむる可能性はほとんど無い。相手より先にこうげきを当てる、という魔法戦闘の基本戦術は、深雪に限って言えば、優先順位は低いと言える。

「……ダメでしょうか?」

 しかし、おそおそたずねる妹に、達也は「ダメ」とは言わなかった。

「いや、ダメということはない。そうだな……生徒会で、同じ学校の生徒相手にとる戦法としては、そういうのも必要になるかもしれないな。

 分かったよ。手持ちの魔法をけずらなくても済むように、同系統の起動式を少し整理してみよう」

 深雪にねだられて、達也がこばめるはずもないのだ。ただ、アドバイスは忘れなかったが。

「本当は、もう一つCADを持つ方がいいんだけど」

「一度に二機のCADを操ることができるのは、お兄様だけです」

「その気になればお前にもできるって」

 ぷいっ、とそっぽを向いた深雪の頭を、苦笑しながら何度かでる。かみや頭を撫でるのは、妹のごげんをとる際の、達也の基本パターンだ。

 効果はてきめんだった。

 彼女の小さな頭がすっぽり入りそうな兄の手の優しいかんしよくに、深雪は目を細めた。


「じゃあ先に、測定を済ませようか」

 妹のげんが直ったのを見て、たつが技術者の顔で言う。

 手の平のかんしよくしみつつ一歩下がったゆきは、するりとガウンをいだ。

 現れたのは、あられもないはんの姿。

 計測用のしんだいに横たわる深雪の身体をおおうのは、一対の白い下着のみ。

 せいな純白が、この上なくせんじようてきな色に変わるシチュエーション。

 例え妹であっても、いなたぐいまれな美少女である深雪だから余計に、平静ではいられないじようきようのはずだ。男をくるわせずにおかない魅惑チヤームが、深雪の姿態には満ちていた。

 だが、かくせないしゆうに目をうるませた妹のまなしを受け止める達也の眼は、一切の感情を映し出していなかった。

 今の彼は、観察し、ぶんせきし、記録する、生身の身体で構成されたマシン。

 感情をはさむことなく、あるがままの事象をにんしきする、ほうの目指す一個の理想形を今の達也は体現していた。


        ◇ ◇ ◇


「おつかれ様、終わったよ」

 たつの合図を受けて、ゆきしんだいから起き上がる。

 この種類の計測は、ででも行われているというものではない。

 むしろ、これほど精密な測定を行う調整は、めずらしい部類に属する。

 学校の調整せつでは、ヘッドセットとりようてのひらを置くパネルで測定している。

 目をらしたままの達也から受け取ったガウンを羽織った深雪は、ねた顔で達也の背中をにらんだ。

 兄は背もたれのないに座り、何事も無かったように、たんまつに向かっている。

 いや、「ように」ではない。

 事実何事も無かったし、そもそもこれは毎週やっていることだ。

 いちいちしきしていたらきりがない。

 ずかしさが無くなることはないし、しゆうしんを無くしたくないとも思っているが、それ以上、何かを思うことはない。

 思わないようにしている。

 兄が平静でいてくれるのは、深雪にとってもありがたいことだ。

 ──いつもなら。

「お兄様、ずるいです……」

「深雪っ?」

 深雪のつやっぽいささやきに、達也の声が、ひっくり返っていた。

 ──めつに聞くことのない、兄のどうようし、ろうばいした声。

 ──その声に、乱れたどうに、高まる体温に、あやしい満足を覚える自分がいた。

 ガウンを羽織り、前を閉じぬまま、達也の背中におぶさる様にしなだれかかった深雪は、ほおと頰をせながら、やわらかなふたつのふくらみを背中に押し付けながら、実の兄の耳元で、なおも囁く。

「深雪はこんなに恥ずかしい思いをしておりますのに、お兄様はいつも、平気なお顔……」

「いや、深雪、あのな?」

「それともわたしでは、異性のうちに入りませんか?」

「入ったらまずいだろう!」

 正論だ。が、その正論が、言葉として具現化したしゆんかん、意識してはならないことへと無理矢理意識を引きずっていくてつとなる。

「深雪ではお気にしませんか? お兄様はさえぐさせんぱいのような方がお好みですか? それとも、わたなべ先輩のような方がお好みですか?

 本日は、ずいぶん親しくお話されていたご様子……」

「聞いていたのか?」

 そんなはずはない。

 ゆきはずっと、あずさから生徒会室で情報システムの操作を習っていたのだ。

 第一、ぬすきなどされていたら、たつが気づかないはずはない。

 しかし、そんな反論を系統立てて組み立てるゆうは、今の彼には無かった。

「まあ、やはり! あのお二方はお美しいですものね」

「もしもし、深雪さん? 何か誤解されてはいませんか?」

「美人のせんぱいに囲まれて鼻の下をばされていたお兄様は」

 いつの間にか深雪の左手には、彼女のCADがにぎられていた。

「お仕置きです!」

「ぐわっ!」

 完全に不意をつかれ、すべもなく、深雪の放ったしんどうに、達也は身体をけいれんさせながらから転がり落ちた。


【自己修復術式、オートスタート】

【コア・エイドス・データ、バックアップよりリード】

ほうしきロード──かんりよう。自己修復──完了】

 気を失っていたのは一秒にも満たないせつの時間。

 いつしゆん以上、彼がしきを手放すことはない。

 一瞬以上、たおれていることを、彼自身に許さない。

 それはのろいにも似た、魔法。

 自然に開いたまぶたの先には、上からのぞき込む花のかんばせ

「お兄様、おはようございます」

「……おれ、何かお前をおこらせるようなことをしたか?」

「申し訳ありません、悪ふざけが過ぎました」

 口では謝りながらも、深雪の顔は笑っている。

 外では大人びた態度をくずすことの少ない妹の、年相応な可愛かわいい笑顔。

 この笑顔を前にすると、どうでもいいか、という思いしかいて来ない。

 実際、他愛もない兄妹のじゃれ合いだ。

 どれほど過激な手段をとろうとも、彼を傷つけることなど、この妹にはできないのだから。

かんべんしてくれ……」

 差し出された手を取り、口ではぼやきながら、達也の顔も、笑っていた。


        ◇ ◇ ◇


 目を覚ましたのはいつもの時間。

 だがはいつもより、きが悪い気がした。

 頭が少し、ぼんやりしている。

 家の中に兄の気配はない。

 朝の修行に行ったのだろう。

 これも、いつものことだ。

 兄は、毎晩彼女より遅くまで起きていて、毎朝彼女より早く目を覚ます。

 一昨日おとといのように、彼女の方が先に起きるのは本当にまれなことだ。

 以前は身体をこわさないかと、心配したことがある。

 今では、それがし苦労だと分かっている。

 彼女の兄は、あの人は、特別なのだ。

 世間の人たちは、自分のことを天才だという。

 自分たちとは違う、特別な人間だとしようさんする。

 ──何も分かっていない。

 本当にすごいのは、特別なのは、本物の天才は、兄だ。

 あの人は、次元が違う。

 彼らは知らない。

 ねたみをかくして自分にびへつらう彼女たちには、分からないだろう。

 真にかくぜつした才能は、しつえてきようをもたらすものなのだと。

 、ではなく、恐怖。

 彼女たち兄妹の父親であるあの男が、その恐怖のあまりに、実の息子であるあの人に、どんな仕打ちをしてきたか、どんなに不当なあつかいをしているのか、彼女は知っている。

 兄は、自分がそれを知らないと信じている。

 だから、知らないフリをしている。

 父が──が兄の才をおとしめ、兄にいつわりのせつかんを与えて心を、志を、はるか天上の彼方かなたがるつばさを折ってしまおうと今も画策していることを、本当は知っていた。

 こつけいだった。

 おりに閉じ込めくさりつないだつもりが、結局、息子の才能が自分を遥かにしのぐものだと思い知る羽目になった。

 自由をあがなう財力を、与えることになった。

 ゆいいつ有していたこうそくの力を、みすみす手放す羽目におちいった。

 あの男にできたのは、偽りの名をけ、世間のかつさいうばることだけだった。

 あの人はそんなものにきようがないと、知っているだろうに。

 ……思考がコントロールできない。

 自分のことが、自分でない他人のことのように思えてしまう。

 しきが、完全にかくせいしていない、気がする。

 ねむりが、足りないのだろうか。

 理由は分かっている。

 昨晩の、あの出来事のだ。

 あの時は平気でいられた。

 ろうばいする兄がめずらしく、しく、可愛かわいいとさえ思えて。

 気持ちで、優っていたから。

 でも、兄と別れて、一人ひとりになって、ベッドに横になって、平気では、なくなった。

 胸が高鳴って、眠れなかった。

 心が乱れて、眠りに就けなかった。

 愛しかった。

 でも、

 れんあい感情ではない。

 こいであるはずがない。

 あの人は実の兄だ。三年前のあの時から、自分にそう言い聞かせてきた。

 三年前、あの人に救われて、あの人の真価を知ったあの日から、わたしはあの人の妹として相応ふさわしい者になろうと、これまでがんってきた。

 かつてわたしが、あの人に助けられたように、いつかはあの人の助けになりたいと願ってきた。あの人を助けられる自分になりたいと、今も心から願っている。

 わたしは、あの人に、何も求めない。

 わたしはすでに、無くしていたはずのこの命を、あの人に救ってもらったのだから。

 今はあの人をしばかせでしかないけれど。

 かは、あの人を解き放つかぎになりたい。

 あの人の役に立ちたい。

 ──さしあたっては、朝食の準備。

 あそこでもご飯は食べさせてもらえるのに、

 りちにお腹を空かせて、帰って来るはずだ。

 しい朝御飯を食べてもらおう。

 それが今、わたしにできることだから。


 ゆきは勢いをつけて立ち上がり、一つ、大きく、びをした。

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