[3]

 第一高校生が利用する駅の名前はずばり「第一高校前」。

 駅から学校まではほぼ一本道だ。

 ちゆうで同じ電車に乗り合う、ということは、電車の形態が変わったことにより無くなってしまったが、駅から学校までの通学路で友達といつしよになる、というイベントは、この学校に関して言えばひんぱんに生じる。

 入学二日目の昨日きのうもそういう事例を数多く見たし、も先程から、そういう実例を何度も目にしている。

 しかし、いきなりこれはないだろう、とたつは思った。

「達也さん……会長さんとお知り合いだったんですか?」

一昨日おとといの入学式の日が初対面……の、はず」

 づきの疑問に、達也本人も一緒になって首をひねっている。

「そうは見えねえけどなぁ」

「わざわざ走ってくるくらいだもんね」

 おくりよくに割と自信のある達也は、自分とさえぐさは一昨日が初対面だと断言できる。しかし、レオとエリカが言うように、とても知り合ったばかりの態度には見えない。

「……ゆきかんゆうに来ているんじゃないか?」

「……お兄様の名前を呼んでいらっしゃいますけど」

 彼の周りには美月、エリカ、レオの、すでに「いつもの」と表現しても違和感のない面々。

 昨日と同じく、そしてこれまでずっとそうしてきたとおり、深雪と二人ふたりで登校した達也を、まるで待ち構えていたかのように、駅の構内で、駅から出てすぐに、その直後に、彼女たちは次々と声をけ合流してきた。

 そのことに関しては、別に悪いことではない。

 一日の始まりとしては、悪くない。

 だが、五人で校門までのそれ程長くない道をのんびりと歩む背後から、「達也く~ん」と客観的に見れば割とずかしいに違いない呼び声と共に、軽やかにけて来るがらひとかげを認めたしゆんかん今日きようも波乱の一日になるに違いない、と達也はこんきよのない確信をいだいた。

「達也くん、オハヨ~。

 深雪さんも、おはようございます」

 深雪に比べてずいぶんあつかいがぞんざいだ、と達也は感じたが、相手は三年生で生徒会長だ。

「おはようございます、会長」

 それなりにていねいな対応を心掛けなければならない。

 達也に続いて深雪が丁寧に一礼する。ほかの三人も、一応れい正しくあいさつを述べたが、やや引き気味なのはやむを得ないだろう。おくれする方がつうのシチュエーションだ。

「お一人ですか、会長?」

 見れば分かることをわざわざたずねたのは、このままいつしよに来るのか、という問いかけでもある。

「うん。朝は特に待ち合わせはしないんだよ」

 肯定は、言外の質問に対する肯定でもある。

 しかしそれにしても……れしい。

ゆきさんと少しお話したいこともあるし……ご一緒しても構わないかしら?」

 これは深雪に向けられた言葉。それなりにくだけた口調ではあるが、砕け方の程度が違う。

 どうやら、たつの気のではないようだ。

「はい、それは構いませんが……」

「あっ、別にないしよばなしをするわけじゃないから。

 それとも、また後にしましょうか?」

 そう言って、ほほみながら目を向けたのは、一歩はなれたところに固まっている三人の方。

「会長……一人だけあつかいが違うような気がするのは、おれかんちがいでしょうか?」

 めつそうもない、と言葉とりで意思表示する三人にこぼれるような笑みでしやくしたに相対して、達也はぜんとした表情をかくしきれない。

「えっ? そうでしたか?」

 いまさらのようにことづかいが変わったが、しらを切っても、口調や表情が裏切っていた。

「お話というのは、生徒会のことでしょうか?」

 この程度のことで達也は切れたりしないが、それでもストレスを感じないわけではない。

 深雪は急いで、話の流れを自分の方へ引き寄せた。

「ええ。一度、ゆっくりご説明したいと思って。

 お昼はどうするご予定かしら?」

「食堂でいただくことになると思います」

「達也くんと一緒に?」

「いえ、兄とはクラスも違いますし……」

 昨日きのうのことを思い出したのだろう。

 ややうつむき加減で答えた深雪に、何やら訳知り顔で真由美は何度もうなずく。

「変なことを気にする生徒が多いですものね」

 チラッと横を見る達也。

 案の定、美月がウンウンと頷いている。昨日の一件を、結構引きずっているようだ。

 しかし会長、貴女あなたが言うと、それは問題発言なのでは? と達也は心の中でつぶやいた。

「じゃあ、生徒会室でお昼をご一緒しない? ランチボックスでよければ、自配機があるし」

「……生徒会室にダイニングサーバーが置かれているのですか?」

 物に動じないゆきが、おどろきをかくせず問い返す。

 あきでもある。

 空港の無人食堂やちようきよ列車の食堂車両に置かれている自動はいぜんが、高校の生徒会室に置かれているのだろうか。

「入ってもらう前からこういうことは余り言いたくないんだけど、遅くまで仕事をすることもありますので」

 は、ばつ悪げにわらいをかべながら、深雪に対するかんゆうを続けた。

「生徒会室なら、たつくんがいつしよでも問題ありませんし」

 その時、いつしゆん、真由美の笑顔が人の悪い、えんりよなく言えばじやあくな笑みに変わったのは、達也の見間違いだろうか。

 例え見間違いであっても、頭の痛いぐさであることに変わりはなかったが。

「……問題ならあるでしょう。副会長とごとなんてゴメンですよ、おれは」

 生徒会のことで妹にかんしようするつもりはなかったが、達也はやむなく口をはさんだ。

 入学式の日、真由美の背後から彼をにらみつけていた男子生徒は二年生の副会長だったはずだ。

 あの視線は、誤解しようのないものだった。

 彼がやすく生徒会室で昼食などっていようものなら、けんを売りつけられること、ほぼ間違いなしである。

 しかし、達也の言うことが、真由美にはすぐに思い当たらなかったようだ。

「副会長……?」

 真由美はちょこんと首をかしげ、すぐに、しばじみたぐさでポンッと手を打った。

「はんぞーくんのことなら、気にしなくてもだいじよう

「……それはもしかして、服部はつとり副会長のことですか?」

「そうだけど?」

 このしゆんかん、真由美にあだ名を付けられるような事態は絶対にけよう、と達也は固く決心した。

「はんぞーくんは、お昼はいつも部室だから」

 達也のそんな思いとは無関係に──当たり前だが──ニコニコと笑みを絶やさず真由美はかんゆうを続ける。

「何だったら、みなさんで来ていただいてもいいんですよ。生徒会の活動を知っていただくのも、役員の務めですから」

 しかし、真由美の社交的な申し出を、正反対の口調でしやぜつした者がいた。

「せっかくですけど、あたしたちはごえんりよします」

 遠慮した、にしては、やけにキッパリとした返答、きよぜつ

 エリカの示した意外な態度に、気まずい空気が流れる。

 だが、彼女の真意が解らない以上、それをひっくり返すことも、フォローすることもできない。

「そうですか」

 ただ一人、の笑顔は変わらない。

 にぶい、というより、自分たちの知らない事情をわきまえている……。

 理由はないが、たつにはそんな風に感じられた。

「じゃあ、ゆきさんたちだけでも」

 どうしましょう、と深雪がまなしでけてくる。

 さっきまでなら断っても良かったが、エリカのとった態度を考えると、角を立てずに断ることは難しい。

「……分かりました。深雪と二人ふたりでおじやさせていただきます」

「そうですか。よかった。じゃあ、くわしいお話はその時に。

 お待ちしてますね」

 何がそんなに楽しいのか、くるりと背を向けた真由美は、スキップでもしそうな足取りで立ち去った。

 同じ校舎へ向かうというのに、見送った五人の足取りは重い。

 達也の口からため息がれた。


        ◇ ◇ ◇


 そして早くも昼休み。

 足が重かった。

 たかが二階分階段を上ったくらいでへばってしまうような、やわなきたえ方はしていない。

 本当に重いのは気分で、足が重いというのはでしかないのだが、前に進みたくなくなるという意味では同じだ。

 達也とはたいしようてきに、深雪の足取りは軽い。

 まあ、何が楽しみなのか分からないほど、彼も鈍くはなかったので、改めて問うようなことはしなかったが。

 四階のろうあたりが目的地。

 見た目はほかの教室と同じ、合板の引き戸。

 違いは中央にまれたりのプレートと、かべのインターホン、そしてこうみようにカムフラージュされているであろう数々のセキュリティ機器。

 プレートには「生徒会室」と刻まれていた。


 招かれたのはゆきで、たつはそのオマケだ。ノックの役目は深雪にゆずられた。(もちろんてきな意味で、実際にあるのはノッカーではなくドアホンだ)

 しとやかに入室をう深雪の声に、明るいかんげいの辞がインターホンのスピーカーから返された。

 耳をそばだてていないと気がつかない程度の、かすかな作動音と共にロックが外れる。

 引き戸の取っ手に達也が指をけ、妹をかばう様に体をかたむけながら戸を開く。

 別段、警戒すべきことは何もないはずと、判っては、いる。

 これは、彼ら兄妹の身体に染み付いたくせだった。

 ──もちろん、何も起こらなかった。

「いらっしゃい。えんりよしないで入って」

 正面、おくの机から声が掛けられた。

 何がそんなに楽しいんだろう、と一度いてみたくなる笑顔で、が手招きしている。

 深雪を先に通し、達也はその後に続く。達也はドアから一歩、深雪はドアから二歩の位置に立ち止まった。

 手をそろえ、目をせ、深雪がれい作法のお手本のようなおを見せた。

 こういう洗練された仕草は、達也には真似できない。

 妹の作法やことづかいは、達也とほとんどうことのなかった、亡き実母にまれたものだ。

「えーっと……ごていねいにどうも」

 宮中ばんさんかいでも通用しそうな所作を見せられ、真由美も少したじろいでいる様子だった。

 ほかにも二名の役員が同席していたが、すっかりふんまれている。

 もう一人ひとり、役員以外でゆいいつ同席している風紀委員長は平静な表情を保っているが、それが少し無理をしたポーカーフェイスであることは、達也でなくともわかっただろう。

 うちの妹は、ずいぶん気合いが入っているようだ、と達也は思った。

 ただ、深雪がこんなかくじみたをしたのかまでは、彼には理解できなかった。

「どうぞ掛けて。お話は、お食事をしながらにしましょう」

 深雪の先制こうげきにペースをくずされたのか、真由美の、良く言えば打ち解けた、悪く言えばれしい口調がかげひそめている。

 指し示されたのは、多分、会議用の長机。

 今時、じようほうたんまつが埋め込みになっていないのは、飲食ようしてのことなのか。

 なんにせよ、学校の備品としてはめずらしい重厚な木製の方卓に、を引いて深雪を座らせ、自分はそのとなりしもこしける。

 いつもは断固として兄をかみに座らせようとする妹ではあるが、今日きようは自分の方が主役だとわきまえて、何とかまんしているようだ。

「お肉とお魚と精進、どれがいいですか?」

 あきれたことに、自配機があるのみならず、メニューも複数あるらしい。

 たつが精進を選び、ゆきが同じ物を、とたのんだのを受けて、二年生──確か、書記のなかじようあずさという女子生徒だ──が、かべぎわえつけられただんほどの大きさの機械を操作した。

 あとは待つだけだ。

 ホスト席に、そのとなり、深雪の前に三年生の女子生徒、その隣、達也の前に風紀委員長、その隣にあずさという順番で席につくと、多少、調子をもどした真由美が話を切り出した。

「入学式でしようかいしましたけど、念のため、もう一度紹介しておきますね。

 私の隣が会計のいちはらすずつうしようリンちゃん」

「……私のことをそう呼ぶのは会長だけです」

 整ってはいるが顔の各パーツがきつめの印象で、背が高く手足も長い鈴音は、美少女というより美人と表現する方が相応ふさわしい容姿の女の子だ。

 確かに「リンちゃん」より「鈴音さん」の方がイメージに合っているだろう。

「その隣は知ってますよね? 風紀委員長のわたなべ

 会話が成り立っていない、が、だれも気にした様子がないのはいつもの事、だからだろうか。

「それから書記の中条あずさ、通称あーちゃん」

「会長……お願いですから下級生の前で『あーちゃん』は止めてください。わたしにも立場というものがあるんです」

 彼女はよりもさらがらな上にどうがんで、本人にそのつもりが無くてもうわづかいのうるんだひとみは、ねて今にも泣き出しそうな子供に見える。

 なるほど、これは「あーちゃん」だろう、とたつは思った。本人には、気の毒だが。

「もう一人ひとり、副会長のはんぞーくんを加えたメンバーが、今期の生徒会役員です」

「私は違うがな」

「そうね。は別だけど。

 あっ、準備ができたようです」

 ダイニングサーバーのパネルが開き、無個性ながら正確に盛り付けられた料理がトレーに乗って出てきた。

 合計五つ。

 一つ足りない……と思いつつ、自分が口をはさむことではない、どうするのかと達也が見ている前で、摩利がおもむろに弁当箱を取り出した。

 あずさが立ち上がったのを見て、深雪も席を立つ。自動はいぜんはその名の通り、自動的に配膳する機能もついているのだが、自配機対応のテーブルでなければ人の手を使った方が速い。

 あずさがまず自分の分を机に置き、真由美と鈴音の分を両手に持つ。

 続いて深雪が自分と達也の分を運んで、みような会食が始まった。

 まずはたりさわりのない話題。

 とは言え、達也たちと真由美たちの間に、共通の話題は無いに等しい。

 会話は自然と今食べている料理のことになる。

 自動調理だからレトルトになるのは仕方が無いのだが、最近の加工食品はつうの料理に比べてもそれほどそんしよくが無い。とは言うもののそれは「平均的な」料理に比べてのことであり、物足りなさは否めない。

「そのお弁当は、わたなべせんぱいがご自分でお作りになられたのですか?」

 深雪の意図は、単に会話をえんかつにするためのセリフで、他意は無かったはずだ。

「そうだ。……意外か?」

 しかし、深雪に問われ、うなずいた後、少し意地の悪い口調で摩利は答えにくい質問を返した。

 本気でいやを言ったわけではなく、出来過ぎに見える下級生を軽くからかっただけだったが、

「いえ、少しも」

 本人をろうばいさせる前に、そのとなりからかんはつを容れず否定の言葉を打ち返された。

「……そうか」

 達也の目は、摩利の手元──指を見ている。機械任せか、自分で料理しているのか、どのくらい料理ができるのか、できないのか……全てかされているような気分になって、摩利はずかしさを覚えた。

「わたしたちも、明日あしたからお弁当にいたしましょうか」

 ゆきのさり気ない一言で、たつも自然に視線を外す。

「深雪の弁当はとてもりよくてきだが、食べる場所がね……」

「あっ、そうですね……まずそれを探さなければ……」

 二人ふたりの会話は──交わされる言葉そのものよりも、会話している時の空気は、このとしごろの異性の肉親同士にしては、少し親しすぎるものに見える。

「……まるで恋人同士の会話ですね」

 すずがにこりとも笑わず、ばくだん発言を投下した。

「そうですか? 血のつながりが無ければ恋人にしたい、と考えたことはありますが」

 しかし、達也に軽く返され、爆弾は不発に終わる。

 いや、この場合はばくか。

「……もちろん、じようだんですよ」

 本気で赤面しているあずさに、これまたニコリともせず達也はたんたんと告げた。そこに、あせりの色はかいだった。

「面白くない男だな、君は」

 つまらなさそうに評するに、

「自覚しています」

 棒読みで回答する達也。

「はいはい、もう止めようね、摩利。しいのは分かるけど、どうやら達也くんはひとすじなわじゃ行かないようよ?」

 このままではキリが無いと見たのか、が苦笑混じりに割って入った。

「……そうだな。

 前言てつかい。君は面白い男だよ、達也くん」

 ニヤリと笑い──美人な女子生徒なのに、ずいぶんと男前な笑みだった──評価をひるがえす摩利。

 会長に続き、風紀委員長。

 名前で呼ばれるのもいい加減、慣れてきそうだった。

「そろそろ本題に入りましょうか」

 少しとうとつな感はあるが、高校の昼休みにそう時間的なゆうがあるわけでもない。

 すでに食べ終わっていたことでもあるし、フォーマルな口調に直した真由美の言葉に、達也と深雪はそろってうなずいた。

「当校は生徒の自治を重視しており、生徒会は学内で大きな権限をあたえられています。

 これは当校だけでなく、公立高校では一般的なけいこうです」

 あいづちの意味で達也は頷いた。管理重視と自治重視は、寄せては返すなぎさの波のようなもので、大小の違いはあれこうに訪れるふうちようだ。三年前の沖縄防衛戦における完勝とその後の国際的発言力の向上以来、それ以前のれつせいな外交かんきように起因する内政どうようを反映した過度の管理重視ふうちようへの反動から、過度に自治を重視する社会的なけいこうがある。さらにその反動として、管理が厳格な一部の私立高校が父兄の人気を集めていたりもするのだから、世の中は単純には計れない。

「当校の生徒会は伝統的に、生徒会長に権限が集められています。大統領型、一極集中型と言ってもいいかもしれません」

 この台詞せりふを聞いて不安にられたのは、多分、に対して失礼なことなのだろう。

 たつは心のづなしぼった。

「生徒会長は選挙で選ばれますが、ほかの役員は生徒会長が選任します。解任も生徒会長の一存に委ねられています。各委員会の委員長も一部を除いて会長ににんめんけんがあります」

「私が務める風紀委員長はその例外の一つだ。

 生徒会、部活連、教職員会の三者が三名ずつ選任する風紀委員のせんで選ばれる」

「という訳で、はある意味で私と同格の権限を持っているんですね。

 さて、この仕組上、生徒会長には任期が定められていますが、他の役員には任期の定めがありません。

 生徒会長の任期は十月一日から翌年九月三十日まで。その期間中、生徒会長は役員を自由に任免できます」

 そろそろ話が見えてきたが、口をはさむことはせず、達也は理解のしるしに再度、うなずいてみせた。

「これは毎年のこうれいなのですが、新入生総代を務めた一年生は生徒会の役員になってもらっています。しゆとしてはこうけいしや育成ですね。そうして役員になった一年生が全員生徒会長に選ばれる、というわけではありませんが、ここ五年間はこのパターンが続いてます」

「会長も主席入学だったんですね? さすがです」

「あ~、まあ、そうです」

 目を泳がせ、かすかにほおを染め、歯切れ悪く答える真由美。

 達也の質問は一種のおあいだった。答えは最初から分かっていたのだが、こんなことは言われ慣れているだろうに、真由美はりちに照れて見せた。

 演技でなく本当に照れているのは、すれていないというべきか……せいぜい同い年くらいに見える。──もしかしたら、この程度のことに本気で照れているように見せる、それこそが演技かもしれないが。

「コホン……ゆきさん、私は、貴女あなたが生徒会に入ってくださることを希望します」

 この場合の「生徒会に入る」とは、言うまでも無く生徒会の役員になるという意味だ。

「引き受けていただけますか?」

 一呼吸、深雪は手元に目を落とし、達也へといてまなしでけた。

 達也はその背中をす意思を込めて、小さく頷いた。

 再びうつむき、顔を上げた深雪は、か、思い詰めたひとみをしていた。

「会長は、兄の入試の成績をご存知ですか?」

「──っ?」

 全く予想外の展開に、たつは危うくさけごえらしそうになった。

 急に何を言い出すつもりだろうか、この妹は。

「ええ、知っていますよ。すごいですよねぇ……

 正直に言いますと、先生にこっそり答案を見せてもらったときは、自信を無くしました」

「……成績ゆうしゆうしや、有能の人材を生徒会にむかれるのなら、わたしよりも兄の方が相応ふさわしいと思います」

「おいっ、み……」

「デスクワークならば、実技の成績は関係ないと思います。むしろ、しきや判断力の方が重要なはずです」

 相手の言い終える前に、自分の言葉をかぶせて発言するのは、ゆきにはめつに無いことだった。

 それが達也であるなら、なおのこと、ほとんど無い。

「わたしを生徒会に加えていただけるというお話については、とても光栄に思います。喜んで末席に加わらせていただきたいと存じますが、兄もいつしよというわけには参りませんでしょうか?」

 達也は、顔をおおって、天をあおぎたい気分だった。

 自分はここまで妹にあくえいきようを与えていたのか。

 贔屓びいきもここまで過ぎたものになると、不快感しか与えないと、分からない娘ではないのに。

 これはもうもくてきというより、確信犯的ないだ。

「残念ながら、それはできません」

 回答は、問われた生徒会長ではなく、となりの席からもたらされた。

「生徒会の役員は第一科の生徒から選ばれます。これはぶんりつではなく、規則です。

 この規則は生徒会長に与えられたにんめんけんに課せられるゆいいつの制限事項として、生徒会の制度が現在のものとなった時に定められたもので、これをくつがえためには全校生徒の参加する生徒総会で制度の改定が決議される必要があります。決議に必要な票数は在校生徒数の三分の二以上ですから、一科生と二科生がほぼ同数の現状では、制度改定は事実上不可能です」

 たんたんと、どちらかと言えばすまなそうに、すずが告げる。

 彼女も、一科生と二科生をブルーム・ウィードと差別している現在の体制に、ネガティブな考え方を持っているということが十分に分かる声音だった。

「……申し訳ありませんでした。分をわきまえぬ差し出口、お許しください」

 だから深雪も、素直に謝罪することもできたのだろう。

 立ち上がり、深々と頭を下げる深雪をとがめる者も無い。

「ええと、それでは、深雪さんには書記として、今期の生徒会に加わっていただくということでよろしいですね?」

「はい、せいいつぱい務めさせていただきますので、よろしくお願いいたします」

 もう一度、今度は少しひかに頭を下げたゆきに、は満面の笑顔でうなずいた。

「具体的な仕事内容はあーちゃんに聞いてくださいね」

「ですから会長……あーちゃんはやめてくださいと……」

「もし差し支えなければ、今日きようの放課後から来ていただいてもいいですか?」

 泣きそうなこうにも取り合わず、自分のペースで話を進めた真由美の言葉に対し、

「深雪」

 ちらっとかえった妹が何かを口にするより先に、短い言葉に込めた少し強い語調によって、たつしゆこうすることをすすめた。

 ひとみで頷いた深雪は、改めて真由美へと向き直った。

「分かりました。放課後は、こちらにうかがいましたらよろしいでしょうか?」

「ええ、お待ちしてますよ、深雪さん」

「あの~どうしてわたしが『あーちゃん』で、さんが『深雪さん』なのでしょうか……?」

 ある意味当然な疑問だったが、またしてもスルーされた。

 ……達也は、あずさがかわいそうになってきた。

「……昼休みが終わるまで、もう少しあるな。

 ちょっといいか」

 もっとも、イジメとか悪ふざけとかいう理由ではなく、おもむろに手を挙げたみんなの注意がうばわれたではあったが。

「風紀委員会の生徒会選任枠のうち、前年度卒業生のひとわくがまだまっていない」

「それは今、人選中だと言っているじゃない。まだ新年度が始まって一週間も経っていないでしょう? 摩利、そんなに急かさないで」

 真由美が摩利の性急さを不満げにたしなめるが、摩利はそれに取り合わなかった。

「確か、生徒会役員の選任規定は、生徒会長を除き第一科生徒を任命しなければならない、だったよな?」

「そうよ」

 しかたないわね、という顔で真由美が頷く。

「第一科のしばりがあるのは、副会長、書記、会計だけだよな?」

「そうね。役員は会長、副会長、書記、会計で構成されると決められているから」

「つまり、風紀委員の生徒会枠に、二科の生徒を選んでも規定はんにはならないわけだ」

「摩利、貴女あなた……」

 真由美が大きく目を見開き、鈴音、あずさもぜんとした顔をしている。

 この提案も、先の深雪の発言と同じく、ずいぶんとつぴようも無いことらしい。

 このわたなべという三年生は、相当悪ふざけが好きな性格をしているようだ、とたつは思った。

 ──のだが。

「ナイスよ!」

「はぁ?」

 真由美の予想外なかんせいに、思わず、達也の口からけた声がれてしまった。

「そうよ、風紀委員なら問題無いじゃない。

 摩利、生徒会は達也くんを風紀委員に指名します」

 いきなり過ぎる展開に動転したのはいつしゆんのこと。

「ちょっと待ってください! おれの意思はどうなるんですか?

 大体、風紀委員が何をする委員なのかも説明を受けていませんよ」

 論理的思考に基づくと言うより、直感的な危機感に従って、達也はこうの声を上げた。

「妹さんにも生徒会の仕事について、まだ具体的な説明はしておりませんが?」

「……いや、それはそうですが……」

 ──が、達也の抗議は、すずによっていきなり出鼻をくじかれてしまった。

「まあまあ、リンちゃん、いいじゃない。

 達也くん、風紀委員は、学校の風紀をする委員です」

「…………」

「…………」

「……それだけですか?」

「聞いただけでは物足りないかもしれないけれど、結構大変……いえ、やりがいのある仕事よ?」

 えず、笑ってごまかした部分についてはスルー。

 それよりも根本的な意思つうがある。

「そういう意味ではないんですが」

「はい?」

 とぼけているわけではないようだ。

 達也は、視線を右にスライドさせた。

 鈴音の目には、同情があった。

 だが、助け船を出す気はないようだ。

 そのとなり

 摩利は、面白がっている。

 その隣。

 視線を合わせると、あずさの目にろうばいかんだ。

 じっと見る。

 あたふたと左右に彷徨さまよひとみとらえて外さず、のぞむ。

「あ、あの、当校の風紀委員会は、校則はんしやまる組織です」

 ──外見を裏切らない気弱さだった。

「風紀といっても、服装違反とか、こくとか、そういうのは自治委員会の週番が担当します」

 ひかに言っても個性の強そうなこの生徒会で、彼女はやって行けているのだろうか。

 自分で仕向けたことながら、たつは少し心配になった。

「……あの、何か質問ですか?」

「いえ、続きをお願いします」

「あ、はい。

 風紀委員の主な任務は、ほう使用に関する校則違反者のてきはつと、魔法を使用した争乱こうの取り締まりです。

 風紀委員長は、違反者に対するばつそくの決定にあたり、生徒側の代表として生徒会長と共に、ちようばつ委員会に出席し意見を述べます。

 いわば、警察と検察をねた組織ですね」

「すごいじゃないですか、お兄様!」

「いや、ゆき……そんな『決まりですね』みたいな目をするのはちょっと待ってくれ……

 念のために確認させてもらいますが」

「何だ?」

 達也は、説明させていたあずさではなく、へ視線を向けた。

「今のご説明ですと、風紀委員はけんが起こったら、それを力ずくで止めなければならない、ということですね?」

「まあ、そうだな。魔法が使われていなくても、それは我々の任務だ」

「そして、魔法が使用された場合、それを止めさせなければならない、と」

「できれば使用前に止めさせる方が望ましい」

「あのですね! おれは、実技の成績が悪かったから二科生なんですが!」

 達也はとうとう大声を出してしまった。

 それは、魔法で相手をせられる力量を前提にした職務ではないか。

 どう考えても、魔法技能におとった二科生にあたえる役職ではない。

 だが、なんきつされた摩利は、すずしい顔で簡潔すぎる返事をあっさりと返した。

「構わんよ」

「何がですっ?」

「力比べなら、私がいる……っと、そろそろ昼休みが終わるな。

 放課後に続きを話したいんだが、構わないか?」

 確かにもうすぐ昼休みは終わるし、確かにではすませられない話だ。

「……分かりました」

 再度ここに出頭するとなると、もうそとぼりも内堀もめられた必至の状態になってしまう気がしたが、たつにはほかに返事のせんたくが無かった。

「では、またここに来てくれ」

 じん感をころしてうなずく達也の横で、ゆきは兄の感情をづかいながらも、喜びをかくせずにいた。


        ◇ ◇ ◇


 教育用たんまつきゆうにより、学校不要論がったことがある。

 ネットワークで授業ができるのだから、わざわざ長時間けて通学するのは時間のだし、エネルギー資源の無駄でもある、というわけだ。

 結局、学校不要論は流行以上のものにはならなかった。

 どれほどインターフェイスが進歩しても、仮想体験はしよせん、現実ではない。実習や実験は、リアルタイムの質疑応答を伴う現実体験でなければ十分な学習効果が得られないこと、同年代が集団で学ぶことそのものに学習促進効果があること、この二点が人体実験まがいのこうさくにより立証されたからだ。

 一年E組は、まさにその実習授業のさいちゆうだった。

 とは言っても、リアルタイムに質疑応答を行うべき教師はいない。学術的研究の成果が、必ずしも合理的に採用されるとは限らないという分かり易い実例がここにはある。

 E組の生徒たちはへきめんモニターに表示される操作手順に従い、すえおきがたの教育用CADを操作している。今日きようの授業内容は入門編中の入門編として、授業に使うこの機械の操作を習得することだった。

 事実上のガイダンス、といっても、やはり課題は出ている。かんとくしている教師がいないのだから、課題の提出がゆいいつしゆうの目安になる。今日の課題はこのCADを使って三十センチほどの小さな台車をレールのはしから端まで連続で三往復させる、というものだった。言うまでもなく、台車には手をれずに、である。

「達也、生徒会室の居心地はどうだった?」

 CADの順番待ちの列で、背中をつつかれた、と思ったらレオがそんなことをいてきた。

 その顔にふくむところは見られない。単にきようしんしんといった様子だ。

みような話になった……」

「奇妙、って?」

 達也の前に並んでいるエリカがクルリとかえって首をかしげた。

「風紀委員になれ、だと。

 いきなり何なんだろうな、あれは」

 たつもエリカといつしよになって首をかしげる。本当に、「何なんだろうな」としか言いようがない気分だった。

「確かにそりゃ、いきなりだな」

 レオもとうとつに感じているようだ。

「でもすごいじゃないですか、生徒会からスカウトされるなんて」

 しかしづきの感じ方は違ったようで、再チャレンジのために(といっても失敗したわけではない)最後尾へもどる足を止めて、感じ入った目を達也に向けていた。左右の列で小さなざわめきが起こっているのは、多分、他のクラスメイトたちも美月と同じように感じたのだろう。

「すごいかなぁ? 妹のオマケだよ?」

 しかし、達也は美月のしようさんを素直に受け取れなかった。

 がんなまでにかいてきな達也の態度に、エリカが軽く苦笑する。

「まぁまぁ、そうぎやくてきにならなくても。それで、風紀委員って何をするの?」

 エリカに問われ、達也があずさに聞いた話をかいつまんで説明するにつれて、三人とも目が丸くなっていった。

「そりゃまた、めんどうそうな仕事だな……」

 たんそくするレオの横で、美月が打って変わって心配そうな表情をかべた。

「危なくないですか、それって……エリカちゃん、どうしたの?」

 エリカはげん、と言うか、おこっているような顔をしていた。

「……まったく、勝手なんだから……」

 視線がみように外れている。くうにらみながらつぶやかれたセリフは、ここにいないだれかをなじるものか。

「エリカちゃん?」

「えっ、あっ、ゴメン。ホントにひどい話よね。達也くん、そんな危ない仕事、断っちゃえ」

 険しい表情を悪戯いたずらっぽい笑顔に変え、わざと明るい口調で、そそのかすエリカ。

「えぇっ、面白そうじゃねえか! 受けろよ、達也。おうえんするぜ」

 じようだんまぎらせようとしているのは分かったが、何をそうとしたのか。

「でも、けんの仲裁に入るってことは、こうげきほうのとばっちりを受けるかもしれないんですよ?」

 何となく、「勝手な人」が誰を指すのか、分かる気はする。

「そうよ。きっと、さかうらみする連中だって出てくるし」

 だが、それを確かめられるようなふんではなかったし、

「でもよぉ、りくさった一科生にしゃしゃり出られるよりは、達也の方が良いと思わねぇか?」

 ずかずかと踏み込むつもりも無かった。

「う~ん……それは、そうかも」

「エリカちゃん、納得しないで! そんなの、けんしなければいいでしょう?」

「でもづき、こっちにその気が無くても、はらわなきゃならない時だってあるんじゃない? 昨日きのうみたいにね」

「うっ、それは……」

「世の中にはぎぬとかえんざいとか、いくらでもまかり通っているしね」

 むしろ、いつの間にか逆風気味の風向きに流れを断ち切る必要をたつは感じた。

「ほら、エリカの番だぞ」

「あっ、ゴメンゴメン」

 達也にうながされて、少しあわて気味にエリカがポジションについた。後ろ姿だけでも、結構気合いが入っていると分かる。ばなし気分を引きずっている様子はない。どうやら彼女は、キチンと気持ちのきりかえができるタイプのようだ。軽そうに見えても、本質は真面目なタイプなのかもしれない。

 エリカの背中が小さく上下したのは、すうっと息をんだのだろう。

 いつぱくおいて、肉眼には見えない、だがほうには知覚できる光、想子サイオンの波動がエリカの背中越しに「見えた」。起動式の展開とそれに続く魔法式の発動で、使い切れずに余った想子サイオンの光だ。こうに優れた魔法師ほどじよう想子光は少ないが、高校一年生としては悪くないレベルだろう。余剰想子光が一定レベルを超えると光子かんしようにより物理的な発光現象まで伴うことになるが、それが無かった分、力をキチンとせいぎよできていると言えるかもしれない。

 CADの前に置かれた台車が走り出し、折り返して戻ってくる。それが、三回。本人にとっても満足の行く結果だったのか、「よしっ」とばかり右手をコッソリにぎっていたのがすぐ後ろにいた達也には見えた。確かに前回のプラクティスより台車の動きがキビキビしていた。具体的には、加速度と減速度が大きかった。

 この実習はレールの中央地点まで台車を加速し、そこからレールのはしまで減速して停止、逆向きに加速・減速……を三往復行うというものである。CADに登録されている起動式は加速・減速を六セット実行する魔法式の設計図だ。加速度の大きさ自体の指定はないから、その部分は生徒の力量が反映されることになる。台車が勢い良く動いたということは、それだけ魔法がく行ったという意味だ。

 エリカはこっそりガッツポーズをとったことなどまるきりうかがわせないすました顔で列のさいこう、美月の後ろへ移動した。わりに、達也がすえおきがたのCADの前に立った。

 ペダルスイッチでCADを支えるあしの高さを調節し、サイドワゴン大のきようたいの上面全体を占める白いはんとうめいのパネルにてのひらて、サイオンを流す。

 返ってきたノイズ混じりの起動式にまゆひそめたくなるのをこらえ、ほうしきを構築する。

 台車は二、三度つまずくような挙動を見せた後、無事に動き出した。

 今日きようの実技はあくまでも、実習用CADに慣れることを目的としており、タイムは取っていない。

 だからそれは、たつ本人以外には分からなかったことだ。

 台車が動き出すまでの時間が、エリカより明らかにおそかった。いや、エリカだけではない。E組二十五人の内、後ろから数えた方が早かっただろう。

 台車の勢い自体は、ほかの生徒におとりするものではない。だから、特に目立たなかった。

 しかし達也本人は、ためいきをつきたくなるその結果を、しっかり自覚していた。


        ◇ ◇ ◇


 ねたみ、そねみを受けないのはありがたい。

 だが「がんってねぇ~」と送り出されるのも、調子が狂うというか、逆に気がってしまう。

 達也本人は全く乗り気でないのだから、なおさらだった。

 放課後、昼休み時以上に重い足を引きずって、達也は生徒会室へ来ていた。

 ふんてきに少し情けない構図だが、彼のくつせつした心情が理解できるだけに、ゆきは口をつぐんでいる。

 すでにIDカードを認証システムへ登録済みなので(風紀委員会入りがてい事実あつかいされているのにていこうはあったが、られた)、そのまま中に入る。

 と、明確な敵意をはらんだするどい視線に迎えられた。発生源は、かべまれたワークステーションのコンソール、の向かい側。昼休みには空いていた席だ。

「失礼します」

 悲しいかな、またまんできることではないが、達也はこの手の視線や雰囲気には慣れている。彼がポーカーフェイスを保って軽くもくれいすると、敵意はうそのようにさんした。とはいっても、達也に対する敵意が解消されたわけではなく、わる形で前に立った深雪に関心が移っただけだ、ということは、だれに説明される必要もないことだった。

 視線の主が立ち上がり兄妹へ近づいてくる。いや、深雪のもとへ近づいてくる、という方が正確か。達也はその顔に見覚えがあった。入学式の時、真由美のすぐ後ろにひかえていた二年生、つまり生徒会の副会長だ。

 副会長の身長は達也とほぼ同じ。よこはばはやや細身。

 整ってはいるが特筆すべき程のものではないようぼうと、これといってとくちようの無い体つき。肉体的にはそれほど強い印象をあたえないが、身の周りの空気をしんしよくするサイオンのかがやきは、この少年のほうりよくたくえつしたものであることを示している。

「副会長の服部はつとりぎようです。ゆきさん、生徒会へようこそ」

 少し神経質そうな声だったが、ねんれいを考えれば十分によくせいが効いているといえるだろう。

 右手が小さく動いたのは、あくしゆをしようとして思い留まったからか。

 止めたのかを、たつせんさくする気にならなかった。

 服部はそのまま達也を完全に無視して席にもどった。深雪の背中からムッとしたはいが伝わってきたが、いつしゆんで消える。すぐ後ろに立っていた達也以外に気づいたものはいなかったはずだ。何とか自制してくれたようだ、と達也は密かに胸をろした。

 そんな彼の気苦労も知らず──会ったばかりの気心が知れないあいだがらでそれは仕方のないことだが──その原因を作った副会長のこうれることもなく、気安いあいさつが二つ、飛んできた。

「よっ、来たな」

「いらっしゃい、深雪さん。達也くんもご苦労様」

 すでに完全な身内あつかいで気軽に手を挙げて見せたのは、ナチュラルに違う扱いを見せたのは。もっとも、それがかんさわったかというと、そうでもない。達也も、この二人に関しては気にしても仕方がないという境地に早くもとうたつしていた。

さつそくだけど、あーちゃん、お願いね」

「……ハイ」

 こちらも既にあきらめの境地なのだろう。一瞬、かなしそうに目をせ、ぎこちない笑顔でうなずくと、あずさは深雪をかべぎわたんまつゆうどうした。

「じゃあ、あたしらも移動しようか」

 一日もたない間に話し方がずいぶん変わっているような気がするが、おそらく、このはすな方が摩利の地なのだろう、と達也は思った。

「どちらへ?」

 しかし達也も、話し方を気にするほど上品な育ちではない。簡潔に、告げられたことについてのみ応える。

「風紀委員会本部だよ。色々見てもらいながらの方が分かりやすいだろうからね。

 この真下の部屋だ。といっても、中でつながっているんだけど」

 摩利の答えに、達也の返事は一呼吸おくれた。

「……変わった造りですね」

「あたしもそう思うよ」

 そう言いながら、席を立つ。が、こしかせたところで制止が入った。

わたなべせんぱい、待ってください」

 呼び止めたのは服部副会長。摩利はその声に、今時耳慣れないめいしようで応じた。

「何だ、服部刑部しようじようはんぞう副会長」

「フルネームで呼ばないでください!」

 たつは思わずの顔を見てしまった。

 彼の視線に、真由美は「んっ?」という感じで小首をかしげる。

 まさか「はんぞー」が本名だったとは……完全に、予想外だった。

「じゃあ服部はつとりはんぞう副会長」

「服部ぎようです!」

「そりゃ名前じゃなくてかんしよくだろ。お前の家の」

「今は官位なんてありません。学校には『服部刑部』でとどけが受理されています! ……いえ、そんなことが言いたいのではなく!」

「お前がこだわっているんじゃないか」

「まあまあ、はんぞーくんにも色々とゆずれないものがあるんでしょう」

 その発言主、真由美に、いつせいに視線がさる。

 お前が言うな、と。

 だが、彼女は全くこたえた様子がなかった。

 気づいてもいないのかもしれない。

 そしてか、服部も、何も言わない。

 苦手としている、とは、ちょっと違う。

 服部の、摩利に対するものとは異なる感情がかいえて、達也には中々にきよう深かった。

 ──第三者として見物している限りでは。

 しかし、観客でいられたのは、ほんの短い時間だった。

わたなべせんぱい、お話ししたいのは風紀委員のじゆうの件です」

 顔にのぼった血の気が一気に引いている。コマ落としの動画を見るように、服部は落ち着きをもどしていた。

「何だ?」

「その一年生を風紀委員に任命するのは反対です」

 冷静に、あるいは感情をころして、服部が意見を述べる。

 摩利がまゆひそめたのは、あながち演技でも無さそうだった。その表情が意外感を表すものか、ウンザリしてのものか、どんな感情を反映してのものなのか、それは分からなかったが。

「おかしなことを言う。達也くんを生徒会選任わくで指名したのはさえぐさ会長だ。例え口頭であっても、指名の効力に変わりはない」

「本人はじゆだくしていないと聞いています。本人が受け容れるまで、正式な指名にはなりません」

「それは達也くんの問題だな。生徒会としての意思表示は、生徒会長によってすでになされている。決定権は彼にあるのであって、君にあるのではないよ」

 摩利は、達也と服部をこうに見ながら言う。

 服部はつとりは、たつを見ようとしない。あえて無視している。

 そんな二人ふたりを、すずは冷静に、あずさはハラハラしながら、そしては感情の読めないアルカイックスマイルで見ている。

 ゆきは、しんみような顔でかべぎわひかえている。だが、いつ妹がばくはつしてしまうか、達也はあずさと別の意味でハラハラしていた。

「過去、二科生ウイードを風紀委員に任命した例はありません」

 服部の反論に含まれたべつしように、は軽く、まゆを吊り上げて見せた。

「それは禁止用語だぞ、服部副会長。風紀委員会によるてきはつ対象だ。委員長である私の前で堂々と使用するとは、いい度胸だな」

 摩利のしつせきとも警告とも、その両方とも取れるセリフに、服部はひるんだ様子を見せなかった。

つくろっても仕方がないでしょう。それとも、全校生徒の三分の一以上を摘発するつもりですか?

 一科生ブルーム二科生ウイードの間の区別は、学校制度に組み込まれた、学校が認めるものです。そして一科生ブルーム二科生ウイードには、区別を根拠付けるだけの実力差があります。

 風紀委員は、ルールに従わない生徒を実力で取り締まるやくしよくだ。実力におと二科生ウイードには務まらない」

 ごうまんとも言える服部の断言口調に、摩利は冷ややかな笑みで応えた。

「確かに風紀委員会は実力主義だが、実力にも色々あってな。

 力づくでおさえつけるだけなら、私がいる。

 相手が十人だろうが二十人だろうが、私一人ひとりで十分対処できる。

 この学校で私と対等に戦える生徒はさえぐさ会長とじゆうもん会頭だけだからな。

 君のくつに従うなら、実戦能力に劣るしゆうさいは必要ない。それとも、私と戦ってみるかい、服部副会長」

 摩利の言葉は、自信と実績に裏打ちされていた。しかし、たじろぎ、気圧されながらも、服部に白旗をげるつもりはないようだった。

「私のことを問題にしているのではありません。彼の適性の問題だ」

 何より服部は、自分の主張が正しいことを確信していた。力に劣る二科生に、実力行使が要求される風紀委員は務まらない。そのことは、これまで二科生が風紀委員に選ばれたことは無いという事実が証明している。

 しかし、摩利の自信は、服部以上の強度を有していた。

「実力にも色々ある、と言っただろう? 達也くんには、展開中の起動式を読み取り発動されるほうを予測する目と頭脳がある」

「……何ですって?」

 予想外の言葉を聞かされて、服部は反射的に問い返していた。予想外と言うより、信じられないと言った方がとうかもしれない。

 起動式を読み取る。そんなことが、できるはずはなかった。

 それは、彼にとって「じようしき」だった。

「つまり彼には、実際にほうが発動されなくても、どんな魔法を使おうとしたかが分かる」

 しかし、の答えは変わらなかった。それが事実でありそれが可能であると、彼女は疑いもなく語っていた。

「当校のルールでは、使おうとした魔法の種類、規模によってばつそくが異なる。

 だががやるように、魔法式発動前の状態で起動式をかいしてしまうと、どんな魔法を使おうとしたのかが分からなかった。

 だからといって、展開の完了を待つのもほんまつてんとうだ。起動式を展開中の段階でキャンセルできれば、その方が安全だからな。

 彼は今まで罪状が確定できずに、結果的に軽い罰で済まされてきたすいはんに対する強力なよくりよくになるんだよ」

「……しかし、実際にはんの現場で、魔法の発動をできないのでは……」

 ショックをかくせない口調で、服部はつとりが何とか反論を試みるも、

「そんなものは、第一科の一年生でも同じだ。二年生でも同じ、魔法を後から起動して、相手の魔法発動を阻止できるスキルの持ち主が一体何人いるというんだ?

 それに、私が彼を委員会に欲する理由はもう一つある」

 摩利はそれをいつしゆうしたばかりか、ほかにも理由があると言う。

 服部もさすがに、言い返す言葉をすぐには見つけられずにいた。

「今まで二科の生徒が風紀委員に任命されたことはなかった。それはつまり、二科の生徒による魔法使用違反も、一科の生徒がまってきたということだ。

 君の言うとおり当校には、一科生と二科生の間に感情的なみぞがある。

 一科の生徒が二科の生徒を取り締まり、その逆は無いという構造は、この溝を深めることになっていた。

 私がする委員会が、差別しきを助長するというのは、私の好むところではない」

「はぁ……すごいですね、摩利。そんなことまで考えていたんですか?

 私はてっきり、たつくんのことが気に入っただけかと」

「会長、お静かに」

 真由美によって空気がこわれかかったが、すずによって制止された。

 責めるようなまなし。

 首を横にる。

 前者が真由美で、後者が鈴音だった。

 感情的な対立は、、毒素をなお、吐き出す。

「会長……私は副会長として、たつの風紀委員就任に反対します。

 わたなべ委員長の主張に一理あることは認めますが、風紀委員の本来の任務はやはり、校則はんしやちんあつてきはつです。

 ほうりよくとぼしい二科生に、風紀委員は務まりません。この誤った登用は必ずや、会長の体面を傷つけることになるでしょう。

 どうかご再考を」

「待ってください!」

 たつあわててかえった。

 おそれていたとおり、ついゆきえられなくなったのだ。

 の弁舌に引き込まれて、けんせいのタイミングを計りきれなかった。

 慌てて制止しようとしたが、すでしやべり始めていた深雪の方が早かった。

せんえつですが副会長、兄は確かに魔法実技の成績がかんばしくありませんが、それは実技テストの評価方法に兄の力が適合していないだけのことなのです。

 実戦ならば、兄はだれにも負けません」

 確信に満ちた言葉に、摩利が軽く目を見開いた。真由美もあいまいな笑みを消して、真面目な眼差しを深雪と、達也に向けている。

 だが深雪を見返す服部の目は、しんけんうすかった。

「司波さん」

 服部が話しかけた相手は、言うまでもなく深雪だ。

「魔法師は事象をあるがままに、冷静に、論理的ににんしきできなければなりません。

 身内に対するひいは、一般人ならばやむを得ないでしょうが、魔法師を目指す者は身贔屓に目をくもらせることのないようにこころけなさい」

 親身に教えさとす口調に、ふくみは感じられない。多分、彼は、同じ一科生に対しては、独善的な面はあってもめんどうのいいゆうしゆうな「せんぱい」なのだろう。──この場合、こういう言い方は逆効果になると、深雪が反論してきた時点で分かりそうなものではあるが。

 案の定、深雪はますますヒートアップした。

「お言葉ですが、わたしは目を曇らせてなどいません! お兄様の本当のお力をってすれば──」

「深雪」

 冷静さを完全に失いかけていた深雪の前に、手がかざされる。

 深雪がハッとした顔になり、しゆうこうかいを混ぜて口を閉ざし、うつむく。

 言葉とりで妹を止めた達也が、服部の正面に移動した。

 深雪は確かに言いすぎた。言ってはならないことを、言おうともした。だが、深雪にそこまで言わせたのは服部だ。深雪ばかりを悪者にする気は、達也には無かった。

服部はつとり副会長、おれせんをしませんか」

「なに……?」

 意外な申し出に言葉を失ったのは、いどまれた服部だけではなかった。

 も、予想外のだいたんな反撃に、あつに取られた顔で二人をめている。

 全員の視線が集まる中、服部の身体がブルブルとふるはじめた。

「思い上がるなよ、補欠の分際で!」

 小さく悲鳴を上げたのは、あずさか。

 ほかの三人は、さすがに上級生だけあって、平静を保っている。

 そして、とうを受けた本人は、困ったような顔でっすらと苦笑をかべている。

「何がおかしい!」

ほうは冷静をこころけるべき、でしょう?」

「くっ!」

 自分のセリフでされて、服部がしげに息を詰まらせる。

 たつの舌は、止まらない。止める気が、彼には無い。

「あるがまま、の対人せんとうスキルは、戦ってみなければ分からないと思いますが。

 別に、風紀委員になりたいわけじゃないんですが……妹の目がくもっていないと証明するためならば、やむを得ません」

 ひとごとのようなつぶやきだった。

 それが服部には余計に、ちようはつてきに聞こえた。

「……いいだろう。身の程をわきまえることの必要性を、たっぷり教えてやる」

 どうようを長引かせないのは、彼が口だけではないしようか。よくせいされた口調が逆に、ふんの深さを物語っていた。

 すかさず、真由美が口をはさんだ。

「私は生徒会長の権限により、二年B組・服部ぎようと一年E組・達也の模擬戦を、正式な試合として認めます」

「生徒会長の宣言に基づき、風紀委員長として、二人の試合が校則で認められた課外活動であると認める」

「時間はこれより三十分後、場所は第三演習室、試合は非公開とし、そうほうにCADの使用を認めます」

 模擬戦を、校則で禁じられている暴力こう──けんとしないための

 真由美と摩利がおごそかと形容して構わない声で宣言すると、あずさがあわただしくたんまつたたはじめた。


        ◇ ◇ ◇


「入学三日目にして、早くも猫の皮ががれてきてしまったか……」

 生徒会長印のされた許可証(こういう物はいまだに紙が使われている)とえにCADのケースを受け取ってきたたつが第三演習室のとびらの前でぼやくと、後ろから泣きそうな声が聞こえてきた。

「申し訳ありません……」

「お前が謝ることじゃないさ」

「ですが、わたしのでまたお兄様にごめいわくが……」

 かえり、半歩進んで、達也は妹の頭に手をかざした。

 ゆきはビクッと身体をふるわせて目を閉じた。が、優しく頭をでられるかんしよくに、おずおずと顔を上げる。

 その目からは、今にもなみだこぼちそうだった。

「入学式の日にも言っただろ?

 おこることのできないおれの代わりに、お前が怒ってくれるから、俺はいつも救われているんだ。

 ……すみません、とは言うなよ。今、相応ふさわしいのは別の言葉だ」

「はい……がんってください」

 指で涙をぬぐい笑顔で告げる深雪に、同じく、笑顔でうなずき、達也は演習室の扉を開けた。


「意外だったな」

 扉を開けるなり、この一言。

「何がですか?」

 演習室で達也をむかえたのは、しんぱんに指名されただった。

「君が案外好戦的な性格だったということが、さ。他人の評価など余り気にしない人間だと思っていたからね」

 意外と言いながらも、彼女の目は期待にかがやいている。のどもとまでこみ上げてきていた深いため息を、達也ははがねの自制心で──と言うとおおかもしれないが──とにかく、んだ。

「こういうとうを止めさせるのが風紀委員の仕事だと思っていましたが」

 ため息の代わりに、多少いやな発言が飛び出したのは、仕方のないことだろう。

 摩利には、全くこたえた様子が見られなかったが。

「私闘じゃないさ。これは正式な試合だ。

 真由美がそう言っただろう?

 実力主義というのは、一科と二科の間にのみ適用されるものではないんだよ。むしろ、同じ一科生の間にこそ適用されるものだ。

 もっとも、一科生と二科生の間でこういう決着方法がとられるのは初めてだろうがね」

 なるほど、口で決着がつかなければ力づくで決着をつけることが、かえってしようれいされているというわけだ。

せんぱいが風紀委員長になってから、『正式な試合』が増えたんじゃありませんか?」

「増えているな、確かに」

 何の悪びれもない態度は、たつだけでなく、彼の後ろにひかえているゆきにまで苦笑をかべさせた。

 と、急に真面目な表情になって、が顔を近づけてきた。

「それで、自信はあるのか?」

 いきづかいの聞こえるきよで、ささやごえの問いかけ。

 近すぎるその距離に深雪がりゆうを逆立てていたが、視界いつぱいを摩利の意味ありげな笑顔にめられた達也に、妹のじような反応は幸いにして(?)見えなかった。

 頭半分低い、上目遣いに見上げる切れ長のそうぼうに、かすかにただよって来るあまにおいに、性的なこうふんを感じている自分を、達也は自覚した。

 自覚したしゆんかん、それは自分という客体、自分の中に生じている現象となって、彼自身からはなされる。彼の興奮は、彼の中で、単なる情報データへんかんされた。

「服部は当校でも五本の指に入るつかだ。どちらかと言えば集団戦向きで、個人戦は得意とはいえないが、それでも一対一で勝てるヤツはほとんどいない」

 色気のないセリフを、つやのあるアルトで囁く摩利。

「正面から遣り合おうなんて考えていませんよ」

 しかし達也はどうよう欠片かけらもない、素っ気ないというより機械的な声で、応えを返した。

「落ち着いているね……少し、自信を無くしたぞ」

 そう言いながら、摩利は明らかに面白がっていた。

「はぁ」

 ほかに返事のしようもなく、達也はあいまいうなずいた。

「こういう時に赤面するくらいの可愛かわいげがあった方が、力を貸してくれる人間が増えると思うがね」

 ニヤッと笑ってあと退ずさると、摩利はそのまま中央の開始線へ歩いて行った。

「困った人だ……」

 あれは治にあって乱を求め、乱にあって治をもたらすタイプだろう、と達也は思った。

 へいおんに暮らしている人間には単なるトラブルメーカーだ。

 入学以来、めっきり波乱含みとなった人間関係に今度こそため息をらしながら、CADのケースを開ける。

 黒いアタッシュケースの中には、けんじゆう形態のCADが二丁収められていた。

 そのうちの一方を取り、実弾銃でだんそうに当たる部分・形状のカートリッジをして、別の物にこうかんする。

 その様子を、ゆきを除く全員が、きよう深げにめていた。

「お待たせしました」

「いつも複数のストレージを持ち歩いているのか?」

 特化型のCADは使用できる起動式の数が限られている。はんようがたCADが系統を問わず九十九種類の起動式を格納できるのに対して、特化型CADは系統の組み合わせが同じ起動式を九種類しか格納できない。その欠点を補うために、起動式を記録するストレージを交換可能としたCADが開発されたが、元々特化型は特定のほうしきを得意とする魔法師が好んで使用するデバイスで、魔法のバリエーションを増やすニーズは余り高くなかった。複数のストレージをけいたいしても、結局使うのは一種類だけ、というケースがほとんどだ。

 だが、こうしんを丸出しにしたけに対するたつの回答は、彼が少数派に属していることを示していた。

「ええ。汎用型を使いこなすには、処理能力が足りないので」

 正面に立つ服部はつとりが、それを聞いて冷笑をかべたが、達也のしきには小波さざなみ一つ生じなかった。

「よし、それではルールを説明するぞ。

 直接こうげき、間接攻撃を問わず相手を死に至らしめる術式は禁止。回復不能なしようがいを与える術式も禁止。

 相手の肉体を直接そんかいする術式も禁止する。ただし、ねん以上の負傷を与えない直接攻撃は許可する。

 武器の使用は禁止。素手による攻撃は許可する。わざを使いたければ今ここでくついで、学校指定のソフトシューズにえること。

 勝敗は一方が負けを認めるか、しんぱんが続行不能と判断した場合に決する。

 そうほう開始線まで下がり、合図があるまでCADを起動しないこと。

 このルールに従わない場合は、その時点で負けとする。あたしが力づくで止めさせるからかくしておけ。以上だ」

 達也と服部、双方がうなずき、五メートルはなれた開始線で向かい合う。

 共にちようしようちようはつも無いまった表情をしているが、服部の顔にはゆうかいえた。

 手をばしても届かない間合い。相手にプロフットボーラー並みのとつしんりよくがあっても、このきよならば魔法の方が早い。魔法による試合なのだから、魔法による攻撃が有利に設定されているのは当然のことだ。

 この種の勝負は通常、先に魔法を当てた方が勝つ。いちげきでノックアウトできなかったとしても、ダメージはまぬがれない。魔法によるダメージを受けながら冷静に魔法を構築できる精神力の持ち主など、そうはいない。魔法による攻撃をらった時点で構成中の魔法はさんし、ついげきたたけられてジ・エンドだ。

 そして、同時にCADを始動するルールで、一科生である自分が、二科生である生意気な新入生に負けるはずがない、と服部はつとりは確信していた。CADはほうを最速で発動するツール。合図の前にCAD以外の手段をこっそり用いたとしても、CADのスピードにはかなわない。そしてCADを使って魔法を発動する速さが、魔法実技の成績を決める上で最大の評価ポイントなのだ。イコール、一科生ブルーム二科生ウイードを分ける最大のポイントとも言える。

 たつけんじゆう形態の特化型CAD。

 服部はオーソドックスなうで形態のはんようがたCAD。

 特化型CADはスピードに優れ、汎用型CADは多様性に優れる。

 しかし、汎用型よりスピードに勝る特化型を使ったとしても、一科生ブルーム二科生ウイードの差はまらない。ましてや相手は新入生。自分に負ける要素はない、と服部が考えていても、うぬれとも油断とも言えなかった。

 達也はCADをにぎる右手をゆかに向けて、

 服部はひだりうでのCADに右手を添えて、

 の合図を待つ。

 場が静まり返る。

 せいじやくが完全なる支配権を確立した、そのしゆんかん

「始め!」

 達也と服部の「正式な試合」、そのぶたが切って落とされた。


 服部の右手がCADの上を走る。

 単純に、三つのキーをたたくだけとはいえ、その動作には一切のよどみがない。

 彼が本来得意とする術式は、中距離以上のこうはんこうげきする魔法。

 近距離、一対一の試合は、どちらかといえば苦手としている。

 だがそれも「どちらかといえば」であり、第一高校入学以来の丸一年間、負け知らずだ。

 個人戦・集団戦を問わない対人せんとうのスペシャリストとも言える摩利や、きようてきな高速・せいみつ銃撃魔法を使する、『てつぺき』の異名を取る部活連会頭のじゆうもん、この三きよとうには一歩ゆずるかもしれないが、ほかの者には生徒ばかりか教師陣にも引けは取らないと自負している。

 それは必ずしも彼のおもみではない。

 スピードを重視した単純な起動式は即座に展開をかんりようし、いつしゆんとも言える速度で服部は魔法の発動態勢に入った。

 その直後、彼は危うく、悲鳴を上げそうになった。

 対戦相手の、身の程を知らない一年生が、視界をおおくす近距離にせまっていたのだ。

 あわててひようを修正し、魔法を放とうとする。

 単一系統の移動魔法。

 ほうしきとらえられた相手は、十メートル以上をばされ、そのしようげきせんとう不能となる、はずだった。

 だが、魔法は、不発に終わった。

 起動式の処理に失敗したのではない。

 敵の姿が、消えたのだ。

 魔法式のひようはそれほど厳密性を要するものではないが、視界内の対象物が視界から、つまりにんしきから消失すれば、エラーの発生はけられない。

 対象物の運動状態を改変するはずの想子サイオン情報体が効果を発することなくさんし、あわてて左右を見回す服部はつとりを側面から激しい「波」がさぶった。

 連続して三波。

 別々の波動が服部の体内で重なり合い、大きなうねりとなって、彼の意識を刈り取った。


 勝敗は、いつしゆんで決した。

 秒殺、という表現があるが、今の試合には五秒もかかっていない。

 たつが向けるCADのじゆうこうの先で、服部の身体がくずちる。

「……勝者、達也」

 による勝ち名乗りは、むしろひかだった。

 勝者の顔に、えつはない。

 ただたんたんと、すべきことを為した顔だった。

 軽く一礼して、CADのケースを置いた机に向かう。

 ポーズではなく、自分の勝利に何のきようも持っていないことが明らかだった。

「待て」

 その背中を、が呼び止める。

「今の動きは……自己加速術式をあらかじめ展開していたのか?」

 彼女のけに、すず、あずさの三人も、今の勝負を思い返した。

 試合開始の合図と同時に、たつの身体は服部はつとりの目前まで移動していた。

 そして次のしゆんかん、彼の身体は服部の右側面数メートルの位置にあった。

 瞬間移動と見間違える程の、速力。

 生身の肉体には、為し得ない動きに見えた。

「そんな訳がないのは、せんぱいが一番良くお分かりだと思いますが」

 だがこれは、達也の言うとおりだった。摩利はしんぱんとして、CADがフライングで起動されていないかどうか、注意深く観察していた。見えているCADだけでなく、かくつCADの存在も想定して、サイオンの流れを注視していたのだ。

「しかし、あれは」

ほうではありません。しようしんしようめい、身体的な技術ですよ」

「わたしも証言します。あれは、兄の体術です。兄は、にんじゆつ使い・ここのくも先生の指導を受けているのです」

 摩利が、息をむ。対人せんとうに長じた彼女は、九重八雲の名声を良く知っていた。摩利ほど八雲のことを知らない真由美や鈴音も、身体的技能のみで魔法による補助アシストと同等の動きを実現する古流のおくぶかさにおどろきを隠せずにいた。

 もっとも、驚いてばかりではなかった。真由美が新たに、魔法を学ぶ者としての見地から疑問を呈する。

「じゃあ、あのこうげきに使った魔法も忍術ですか?

 私には、サイオンの波動そのものを放ったようにしか見えなかったんですが」

 とは言っても、声もことづかいも硬いのはやはり、隠しきれないきようがくゆえか。

 ほかの魔法師が使った非公開の術式について、その仕組みをせんさくすることは、魔法師にとってマナーはんとされている。しかし、自身の得意魔法としてサイオンのだんがん使する真由美は、物理的な作用を持たないはずのサイオンそのものを武器としたように見える達也の攻撃が一体どのようなメカニズムで服部にダメージを与えたのか、興味をおさえられないようだ。

「忍術ではありませんが、サイオンの波動そのものという部分は正解です。あれはしんどう単一系統魔法で、サイオンの波を作り出しただけですよ」

「しかしそれでは、はんぞーくんがたおれた理由が分かりませんが……」

ったんですよ」

「酔った? 一体、何に?」

 首をかしげたに、めんどうくさそうなりも見せず、たつたんたんと説明を続けた。

ほうはサイオンを、可視光線や可聴音波と同じように知覚します。それは魔法を行使する上でひつの技術ですが、その副作用で、予期せぬサイオンの波動にさらされた魔法師は、実際に自分の身体がさぶられたようにさつかくするんですよ。その錯覚が肉体にえいきようおよぼしたのです。さいみんじゆつで、『火傷やけどをした』という暗示をあたえることにより、実際に火ぶくれが生じるのと同じメカニズムですね。この場合は『揺さぶられた』という錯覚によって、激しい船酔いのようなものになったというわけです」

「そんな、信じられない……魔法師はだんから、サイオンの波動に曝されて、サイオン波に慣れているはずよ。無系統魔法はもちろんのこと、起動式だって魔法式だってサイオン波動の一種だもの。それなのに、魔法師が立っていられないほどのサイオン波なんて、そんな強い波動を、一体どうやって……?」

 真由美の疑問に答えたのは、すずだった。

「波の合成、ですね」

「リンちゃん?」

 その一言だけでは、そうめいにも理解できなかったようだ。無論、すずの説明はそれで終わりではなかった。

しんどうすうの異なるサイオン波を三連続で作り出し、三つの波がちょうど服部はつとり君と重なる位置で合成されるように調整して、三角波のような強い波動を作り出したんでしょう。

 よくもそんな、せいみつな演算ができるものですね」

「お見事です、いちはらせんぱい

 鈴音はたつの演算能力にあきれているが、それを初見で見抜いた鈴音の方がすごいのではないか、と達也は思った。

 しかし、鈴音の本当の疑問点は、もっと別にあったようだ。

「それにしても、あの短時間にどうやって振動魔法を三回も発動できたんですか?

 それだけの処理速度があれば、実技の評価が低いはずはありませんが」

 正面から成績が悪いと言われ、達也としては苦笑することしかできない。

 その代わり、先程からチラチラと落ち着き無く達也の手元をかえしのぞき込んでいたあずさが、ずと推測の形で答えてくれた。

「あの、もしかして、くんのCADは『シルバー・ホーン』じゃありませんか?」

「シルバー・ホーン? シルバーって、あのなぞの天才魔工師トーラス・シルバーのシルバー?」

 真由美に問われ、あずさの表情はパッと明るくなった。

 時に「デバイスオタク」とされることもあるあずさは、として語り出した。

「そうです! フォア・リーブス・テクノロジー専属、その本名、姿、プロフィールの全てがなぞに包まれたせきのCADエンジニア!

 世界で始めてループ・キャスト・システムを実現した天才プログラマ!

 あっ、ループ・キャスト・システムというのはですね、通常の起動式がほう発動の都度消去され、同じ術式を発動するにもその都度CADから起動式を展開し直さなければならなかったのを、起動式の最終段階に同じ起動式を魔法演算領域内に複写する処理を付け加えることで、魔法師の演算キャパシティが許す限り何度でも連続して魔法を発動できるように組まれた起動式のことで、理論的には以前から可能とされていたんですが魔法の発動と起動式の複写を両立させる演算能力の配分がどうしてもく行かなかったのを……」

「ストップ! ループ・キャストのことは知ってるから」

「そうですか……?

 それでですね、シルバー・ホーンというのは、そのトーラス・シルバーがフルカスタマイズした特化型CADのモデル名なんです!

 ループ・キャストに最適化されているのはもちろん、最小の魔法力でスムーズに魔法を発動できる点でも高い評価を受けていて、特に警察関係者の間ではすごい人気なんですよ!

 現行のはんモデルであるにもかかわらず、プレミアム付で取引されているくらいなんですから! しかもそれ、通常のシルバー・ホーンよりじゆうしんが長い限定モデルですよねっ? で手に入れたんですかっ?」

「あーちゃん、チョッと落ち着きなさい」

 息が切れたのか、胸を大きく上下させながら、あずさは目をハート型にしてたつの手元をめている。にたしなめられていなければ、顔をくっつけんばかりの至近きよまで詰め寄っていたかもしれない。

 一方、真由美は新たな疑問に、またしても首をかしげていた。

「でも、リンちゃん。それっておかしくない? いくらループキャストに最適化された高性能のCADを使ったからって、そもそもループキャストじゃ……」

 話をられて、すずうなずく代わりに真由美同様、首を傾げる。

「ええ、おかしいですね。

 ループ・キャストはあくまでも、全く同一の魔法を連続発動するためのもの。

 同じしんどう魔法といえども、魔法師の設定する波長や振動数が変われば、それに合わせて起動式も微妙に異なります。同じ起動式を自動生成してかえし使用するループキャストでは、『波の合成』に必要な振動数の異なる複数の波動を作り出すことはできないはずです。

 振動数を定義する部分を変数にしておけば同じ起動式で『波の合成』に必要な、振動数の異なる波動を連続で作り出すこともできるでしょうけど、ひよう・強度・持続時間に加えて、振動数まで変数化するとなると……まさか、それを実行しているというのですか?」

 今度こそきようがくに言葉を失ったすずの視線に、たつは軽く、かたをすくめた。

「多変数化は処理速度としても演算規模としてもかんしよう強度としても評価されない項目ですからね」

 と摩利がマジマジとめるその先で、達也はそれまでと変わらぬめた口調でそううそぶいた。

「……実技試験におけるほうりよくの評価は、魔法を発動する速度、魔法式の規模、対象物の情報を書き換える強度で決まる。

 なるほど、テストが本当の能力を示していないとはこういうことか……」

 うめごえを上げながら、達也のシニカルな言葉に応えたのは、半身を起こした服部はつとりだった。

「はんぞーくん、だいじようですか?」

「大丈夫です!」

 少しこしかがめて、のぞき込むように身を乗り出してきた真由美に対し、寄せられて来た顔からげるように、服部はあわてて立ち上がった。

「そうですね。ずっと気がついていたようですし」

 今の服部の台詞せりふは、彼女たちの話を聞いていなければ出てくるはずのなかったものだ。

 屈めていた身体を起こして納得顔でうなずく真由美に向かって、

「いえ、最初は本当にしきがなかったんです!」

 赤くなった顔のまま、さらに慌てて言い訳を始める姿は、

「意識をもどした後ももうろうとしていて……身体を動かせるようになったのはたった今なんですよ!」

 何と言うか……ある種の感情が容易に推測できるものだった。

「そうですか……? それにしては、私たちが話していたことをしっかり理解しているようですけど?」

「……ええと、それはですね! こう、朦朧としながらも、耳に入って来たと言いますか……」

 そしてどうやら、真由美自身、服部が自分に向けている感情を、しっかり理解しているようだった。

 悪女? と思ったが、言葉の持つイメージと彼女の持つふんかそぐわないものを感じて、達也はそこで考えるのを止めた。

 実にどうでもいいことだと、気づいたでもある。

 達也は摩利に呼び止められたことで中断していたこうを再開した。

 ……と言うほどおおなことでもなく、単にCADをケースへもどすだけなのだが。

 物欲しそうに自分の手元を見詰めるあずさの視線には、気づかないふりをする。

 手伝いたそうにしている妹の視線も、今回は無視だ。ならゆきは、余り機械に強い方ではないからだ。メカおん、あるいはハイテクアレルギーというほどひどくはないが、彼のCADは色々ととくしゆなチューニングをほどこした結果、並の高校生程度ではあつかいきれない代物になっている(逆に学校の実技用CADのように、最低限のチューニングしか施されていないCADでは、たつはスキルをはつできない)。ゆきに手伝わせても、かえって時間がかる結果になってしまうこと確実だった。

 カートリッジをえたりセキュリティを再設定したりとゴソゴソやっている達也の背中に、足音と気配が近づいてきた。

 ようやく言い訳を終えたらしい。

 今やっている作業は別に後回しでも構わないものだったが、達也はあえてかなかった。

さん」

「はい」

 歯切れの悪いテノールに、深雪が答える。

 この部屋に男性は達也を含めて二人しかいないのだから、声の調子が今までと別人のように異なっていても、相手がだれか、間違えようもない。

「さっきは、その、贔屓びいきなどと失礼なことを言いました」

 また、声の主が話しかけた相手が誰であるかも、間違えはしない。

「目がくもっていたのは、私の方でした。許して欲しい」

「わたしの方こそ、生意気を申しました。お許しください」

 深々とおをしているのが、背中越しでも手に取るように分かる。

 どちらが兄か姉か分からない大人の対応にこっそり口のはしを吊り上げながら、達也はケースをロックした。

 おもむろにかえる。

 いつしゆん、たじろいだ表情を見せるも、服部はつとりはすぐに、強気な顔をもどした。

 息継ぎは、和解の準備か、再戦のまえれか。

 可能性は、現実とならぬまま、消えた。

 結局、服部は、達也と視線をぶつけ合っただけできびすを返した。

 となりでムッとする気配が生じたので、軽くかたたたいておく。

 今日きようから同じ生徒会で仕事をするのだから、感情的なしこりを残しておくのは、何より深雪自身のためにならない。

 そんな彼の意図が伝わったのか、深雪はすぐに落ち着きを取り戻した。

「生徒会室にもどりましょうか」

 の一声で、全員が移動を開始した。

 すず、あずさ、服部を背後に従えた真由美の顔には「しょうがないなぁ」とでも言いたげな表情がかんでいる。

 その後ろで、達也の視線に気づいたが、ほかの四人に気づかれないようかたをすくめていた。


        ◇ ◇ ◇


 事務室にCADを預け直し、たつが再び生徒会室を訪れると、いきなりうでられた。

 かべぎわであずさからワークステーションの操作を教わっていたゆきが、こちらを見てまゆげたのに対し、こうりよくだとアイコンタクトのメッセージを送る……が、理解されたかどうかは疑わしい。

 投げ飛ばそうと反射的に動いた身体を強制停止させたすきをつかれた、とはいえ、摩利は体術の方もかなりのレベルのようだ。

「さて、色々と想定外のイベントが起こったが、当初の予定通り、委員会本部へ行こうか」

 そんな達也の内心(主にこんわく)はお構いなしに、摩利が達也の腕を引っ張る。

 達也が何となく迷惑そうな顔をしているのを確認して、深雪がようやくたんまつへ視線をもどした。しぶしぶと、だが。

 服部はつとりは達也が入室してから一度も顔を上げていない。

 どうやら、彼のことは無視するという方向で、自分の感情と折り合いを付けたようだ。それは、達也にとってもありがたいことだった。

 は能天気に手首の先だけで手をっている。一体何がしたいのか、あるいは言いたいのか……彼女は達也が出会った中で、最も不可解な人物かもしれない。

 それも、今は後回しだ。

 苦労して(主に口先で)腕を振り解き、達也はおとなしく、摩利の後に続いた。


 部屋のおくつうなら非常階段の設置されている場所に、風紀委員会本部への直通階段があった。

 消防法は無視なのか?

 とも達也は思ったが、生徒=見習い、あるいは卵とはいえ、優秀なほうが使用するせつで消防法をじゆんしゆすることに余り意味がないのも確かだ。しんどう減速の魔法を使えば火は消えるし、けむりは収束・移動の複合魔法ではいしゆつできる。実際に、超高層建築の大規模火災は、魔法師にとって最もはなばなしいかつやくの場の一つだ。

 エレベーターでなかった分だけ許容はんないということにしておこう、と思い直した。

 彼女に続いて裏口を通り抜け、本部室へ足を踏み入れた達也に、摩利は長机の前のを指差した。

「少し散らかっているが、まあ適当にけてくれ」

 少し、なのだろう。確かに、足の踏み場がないとか椅子が荷物でふさがっているとか、そこまで散らかってはいない。

 だが、とてもれいに整理されていた生徒会室から直行すると、少しという表現にていこうを感じてしまうのも、仕方のないことではないだろうか。

 書類とか本とかけいたいたんまつとかCADとか、とにかく色々な物でくされた長机の前に、半分引き出された状態のがあったので、軽く位置を直してからたつこしを下ろした。

「風紀委員会は男所帯でね。整理せいとんはいつも口をっぱくして言い聞かせているんだが……」

だれもいないのでは、片付かないのも仕方がありませんよ」

 皮肉なのかなぐさめているのか、どちらともとれる達也の発言に、まゆがピクッ、と動いた。

「……校内のじゆんかいが主な仕事だからな。部屋が空になるのも仕方がない」

 現在、この部屋にいるのは二人きり。委員会の定員は九名ということだが、その倍は入れそうな広さでこのかんさんとした空気は、物が散らばっていることによる無秩序感をむしろぞうふくしていた。

 もっとも、達也が注意を向けていたのは、室内全体の整頓状況では無く、目の前の、机の上に置かれた雑多な荷物だった。

「それはそうと、委員長、ここを片付けてもいいですか?」

「なに……?」

 とうとつな達也の申し出に、摩利は片方の眉を上げて意外感を示した。──案外、しばっ気の多いせんぱいである。

こう志望としては、CADがこんな風に乱暴に放置されている状態は、がたいものがあるんですよ。サスペンド状態でほったらかしになっている端末もあるようですし」

 だからといって、達也の対応が変わるわけでもなかったが。

「魔工技師志望? あれだけの対人せんとうスキルがあるのに?」

 達也のセリフに、摩利は本気で首をかしげた。さっきの試合は、一見あっさり終わったようでいて、実態は超が付くくらい高等な対人戦闘技術が使用されていたのだ。

おれの才能じゃ、どう足搔いてもC級までのライセンスしかとれませんから」

 しかし、ごとのようにたんたんと返されたぎやくの回答に反論しようとして、反論すべき言葉が見つからないことに摩利はがくぜんとした。

 多くの国において、ほうはライセンス制の下に管理されている。ライセンス発行に国際基準を導入しているところも多く、この国もその一つだ。企業に勤めるにしても官公庁に勤めるにしても個人で営業するにしても、仕事の難度に応じて必要とされるライセンスが指定されており、ランクの高いライセンスを持つ魔法師ほど高いほうしゆうを得られる仕組になっている。

 国際ライセンスの区分はAからEの五段階。

 選定基準は魔法式の構築・実行速度、規模、かんしようりよく、つまり、学校の実技評価と同じ。と言うより、学校の実技評価基準が国際ライセンスの評価基準に沿って設定されているのである。

 警察や軍のようにとくしゆな基準を採用しているところもあるが、その場合も評価はあくまで「警官として」「軍人として」であり、ほうとしての評価ではない。

「……それで、ここを片付けても構いませんか?」

「あ?、ああ、あたしも手伝おう。話は手を動かしながら聞いてくれ」

 あわてて立ち上がった彼女は、見た目以上に気配りの人かもしれない。

 座ったまま目の前の書類整理から始めたたつの方がぶといのかもしれないが。

 もっとも、気持ちと成果が必ずしもいつしないのが、世の中というものだった。

 手を動かす速度は両者同じだが、達也の手元にどんどんスペースができているのに対し、の前はか一向に長机の天板が見えてこない。

 チラッと達也が目を動かす。

 小さく、ため息。

 摩利はあきらめて手を止めた。

「すまん。こういうのはどうも苦手だ」

 この部屋の現状は、彼女に最大の責任があるのではないかと達也は思った。

 思っただけで、口にしない程度には、彼も大人だったが。

「それにしても良く分かるな」

「何がでしょう?」

「書類の仕分けだよ。適当に積んでいるだけかと思ったら、きちんと分類されているじゃないか」

「……すみません、机に座るのはちょっと……」

 開き直ったのか、彼が場所を空けた机の上に、摩利はもたれかるようにこしけて書類の束をパラパラと見ている。スカートのすそが彼のうでれそうな密着具合だ。ふとももみようかくすスカートから、すらりと形の良いすねとふくらはぎがびている。いくらレギンスではだが見えないとはいえ形は分かるわけで、精神衛生上あまり好ましくない位置関係だった。

「ああ、悪い」

 少しも悪いと思っていない口調だったが、これもてきする必要のないことだった。──もしわざとやっているのであれば逆効果に違いないのだし、ちんもくは金という、ありがたいことわざもある。達也は無言でを動かして、次のエリアにかった。

 紙束の中からブックスタンドを掘り起こして本を立てて行く。今時分、紙の本もブックスタンドもかなりめずらしいものだ。

 ましてそれが、ほうしよともなれば。

「君をスカウトした理由は──そういえば、さっきほとんど説明してしまったな。

 すいはんに対するばつそくの適正化と、二科生に対するイメージ対策だ」

おぼえていますが、イメージ対策の方はむしろ逆効果ではないかと。……中を見てもいいですか?」

 本を並び終え、たんまつの整理にかる。作業中のデータを見てもいいかどうかたずね、首を縦にる仕草でりようかいを取ると、サスペンド状態の端末は作動状態に復帰させてから電源を切り、電源の切れていた端末はそのまま収納形態にもどして、一箇所にまとめていく。

「どうしてそう思う?」

「自分たちは今まで口出しできなかったのに、同じ立場のはずの下級生にいきなり取り締まられることになれば、面白くないと感じるのがつうでしょう」

 席を立ち、かべぎわのキャビネットをぶつしよくする。

 空いているたなに端末を積み上げる背後から「それもそうか」という無責任な返事が聞こえた。

「だが同じ一年生はかんげいすると思うがね。クラスメイトに話くらいしたんじゃないのか?」

「それはそのとおりですが……」

 端末を並べ終えて、別のキャビネをあさる。

「一科生の方には歓迎に倍する反感があると思いますよ」

 目当ての物を見つけて、たつかがめていたこしばしかたを一回、グルリと回すと、上着をいでシャツのそでまくり上げた。

「反感はあるだろうさ。だが入学したばかりの今なら、まだそれほど差別思想に毒されていないんじゃないか?」

「どうですかねぇ?」

 達也がごそごそとキャビネの中の物をならえて取り出したのは、CADのケースだった。

昨日きのうはいきなり『お前を認めないぞ』宣言を投げつけられましたし」

 袖を捲った手首にアース用のリストバンドを巻いて、ひとかたまりにしたCADの山に手を伸ばす。

「よくそんな物を持っていたな……もりさきのことか」

「結構便利ですよ、これ……彼のことを知っているんですか?」

「教職員すいせんわくでうちに入ることになっている」

「えっ?」

 CADの状態をチェックしていた手から力がけた。

 机の上に落としそうになるのを、あわてて持ち直す。

「君でも慌てることがあるんだな」

「そりゃそうですよ」

 ニヤニヤと笑みをかべた摩利に、達也はため息混じりの応えを返した。

 変なたいこうしきを持つのは止めて欲しいものだ。

「昨日さわぎを起こしたんで、推薦を取り下げさせることもできるし、実際、取り下げさせるつもりだったんだが、昨日の一件は君も無関係ではないからね」

「当事者です」

「そう、しよう当事者の君をスカウトしているのに、彼を断るのは難しいだろ」

「いっそ、どちらも入れないというのはどうです?」

いやなのか?」

 いきなりストレートな質問を向けられ、再びたつの手が止まる。

 とりあえず、手に持つCADをケースにしまい、顔を上げた。

 机にこしけこちらを見下ろすの顔に、笑みはなかった。

 切れ長の眼がくように彼を見ていた。

「……正直なところ、めんどうだ、と思っています」

「フン……それで?」

「面倒ですが、いまさら引き下がれないとも思っていますよ」

 摩利の顔に、にんまりと人の悪い笑みが再びかんだ。

 その悪どさが、彼女のシャープなぼうを二割り増しに見せている。

なんな人ですね、せんぱいも……」

くつせつしてるな、君も」

 残念ながら、一本取られたことを認めざるを得ない、と達也は思った。


        ◇ ◇ ◇


「……ここ、風紀委員会本部よね?」

 階段を下りてきたの、開口一番がこのセリフだった。

「いきなりごあいさつだな」

「だって、どうしちゃったの、摩利。

 リンちゃんがいくら注意しても、あーちゃんがいくらお願いしても、全然片付けようとしなかったのに」

「事実に反する中傷には断固こうするぞ、真由美!

 片付けようとしなかったんじゃない、片付かなかったんだ!」

「女の子としては、そっちの方がどうかと思うんだけど」

 真由美が目を細めてはすにらむと、摩利はとつに顔を背けた。

「別にいいけどね……ああ、そういうこと」

 固定たんまつのメンテナンスハッチを開いて中をのぞき込んでいる達也の姿を目に留めて、真由美は納得顔でうなずいた。

さつそく役に立ってくれてる訳か」

「まあ、そういうことです」

 背中を向けたまま答えた後、ハッチを閉じて、たついた。

「委員長、点検終わりましたよ。痛んでいそうな部品をこうかんしておきましたから、もう問題ないはずです」

「ご苦労だったな」

 おうよううなずいて見せるだったが、心なし、こめかみの辺りがあせばんでいるようにも見える。

 冷や汗で。

「ふーん……摩利を委員長、って呼んでるってことは、スカウトに成功したのね」

「最初からおれきよけんは無かったように思いますが……」

 ていねんをにじませりな声で、人の悪い笑みをかべているを見ようともせず達也は応える。

 その態度が、真由美にはお気にさなかったようだ。彼女は、片手をこしに当て、片手の人差し指を立て、ほおふくらませてねた目でにらけるという、考えつく限りのわざとらしさをくした態度のおまけ付きで、達也にこうした。

「達也くん、おねーさんに対する対応が少しぞんざいじゃない?」

 ……とりあえず達也が真由美に言いたかったのは、自分に姉はいないということだった。それを言うとドツボにはまりそうな気がしたので、実際、口にはしなかったが。

 何から何まで典型的ステレオタイプすぎて、逆に工夫が無い。

 ぞんざいなのは自分に対する真由美の態度だと、達也は心の底から思った。

 同じような印象を受けた場面でこれまでは流してきたが、今回はか、スルーできないものを達也は感じた。

「会長、念のためにといいますか、確認しておきたいことがあるんですが」

「んっ、何かな?」

「会長と俺は、入学式の日が初対面ですよね?」

 それにしてはれしくないですか、という意思を込めて放たれた達也のけに、の目は丸くなった。が、それが段々と元の大きさにもどり、さらに細められていくにつれて、よこしまな、としか表現しようのない笑みがそのわくてきな顔をおおった。

 自分がとんでもない悪手を打ってしまったことを達也はさとった。

 さっき、摩利が同じような笑みを浮かべていたのを思い出して、なるほど、類が友を呼んだんだな、と達也は現実とう気味にそう思った。

「そうかぁ、そうなのかぁ……ウフフフフ」

 あく、という言葉がピッタリの笑顔だ。

「達也くんは、私と、実はもっと前に会ったことがあるんじゃないか、と思っているのね?

 入学式の日、あれは、運命の再会だったと!」

「いえ、あの、会長?」

 何なのだろうか、このテンションの高さは。

「遠い過去に私たちは出会っていたかもしれない。運命にかれた二人ふたりが、再び運命によってめぐり合った、と!」

 本気でとうすいしているのなら単なるアブナイ人だが、いちいち芝居がかっていてそれがしきてきな演技だと分かるようにやっているところが、なおさらが悪かった。

「……でも残念ながら、あの日が初対面ね、間違いなく」

「……そうだと思っていました」

「ねっ、ねっ、もしかして、運命感じちゃった?」

 胸の前で両手をにぎってこぶしを作り、顔を見上げる格好でせまってくる。──ノリノリである。実に、あざとかった。それがまた、似合っているあたり……本当に、が悪い。

「……すみません、そんなに楽しそうなんでしょうか?」

 質問に質問で返しても、答えは得られない。

 期待に満ちたまなしを向けられるだけだ。

 彼女はS気質だ、とたつは心のメモ帳に書き加えた。

 とにかく、答えなければなるまい。

 ため息をえん代わりに、間を取って、達也は答えた。

「……これが運命なら『Fate』じゃなくて『Doom(きよううん)』ですね、きっと」

 達也の回答に、真由美が顔をくもらせて背中を向けた。「そっかぁ……」というさびしそうなつぶやきが達也の耳に届いた。

 後ろ姿にあいしゆうただよっている。

 達也にも相当ひどいことを言ったという自覚はある。が全面的にふざけていたと判断したからこそのセリフだったが、もしわずかなりと本気が混じっていたなら、謝罪しなければならないと達也は思った。

 しかし。

 罪悪感、を感じさせられた時間は、幸いにもか、不幸にもか、長くなかった。

 迷っていたのが功を奏した、のだろう、この場合。

「……チッ」

 しょんぼりとかたを落としていた真由美の口元から、こんけしたようにたもの。

 今度は達也が目を見開く番だった。

 かすかではあったが、この余り上品でない、はっきり言って下品な音は、舌打ち?

「あの、会長?」

「はい、何でしょう」

 正面にもどされた顔には、新入生男子一同をりようした上品なほほみ。

「……何だか会長のことが分かってきた気がしますよ」

 だつりよくするたつに、が仮面をいで元の素顔を見せた。

 すなわち、あの、人の悪い笑顔を。

「そろそろじようだんは止めようか。達也くん、あんまりノリが良くないし」

 罪のしきかいで全て冗談だったと言い放つ真由美に、

服部はつとりのようには行かないな、真由美。お前のいろもコイツには通用しないか」

 ここぞとばかり、摩利が茶々を入れる。

「人聞きの悪いことを言わないでちようだい。それじゃまるで、私が手当たり次第に下級生をもてあそんでいるみたいじゃない」

 さすがに聞き捨てならなかったらしく、真由美がムッとした顔で言い返した。

「ええとですね、おれきたかったのは」

 不用意な質問をしたことをこうかいしながら、達也は場の収拾にかかった。これ以上この二人ふたりの毒気に当てられていると、自分の方がボロを出しそうだった。

「真由美の態度が違うのは、君のことを認めているからだよ、達也くん。

 君に何か、自分と相通ずるものを感じたのだろう。

 この女はとにかくねこかぶりだからな。自分が認めた相手にしか、素顔は見せない」

 いきなり真面目な表情になった摩利に、達也は失調感を覚えた。

「摩利の言うことを信じちゃダメよ、達也くん。

 でも、認めているというのは当たりかな?

 何だか他人って気がしないのよね。

 運命を感じちゃってるのは、実は私の方なのかも」

 舌でも出しそうな悪戯いたずらっぽい、真由美の憎めない笑顔に、ますますペースがくるっていく。

 どうもこの二人には、正面からいどんでも勝ち目はうすそうだ、とたつは思った。


        ◇ ◇ ◇


 真由美が降りてきたのは、今日きようはもうすぐ生徒会室を閉めるということを伝えるためだった。そのついでに達也の様子を見に来た、という次第だが、ついでの方がメインになっていたのは、気のではあるまい。

 入学式が終わったばかりで、色々といそがしかったのが一段落したところらしい。「じゃあ、お先にね」、と手をって、真由美は生徒会室へ引き揚げていった。

 明日あしたからは各クラブいつせいの新入部員かくとく競争でさわがしくなり、風紀委員会の出番も増えるということで、達也との間でも今日はこれで切り上げよう、という話になった。

 今の情報システムは、昔のように立ち上げ処理やしゆうりよう処理に時間を要しない。

 スイッチを切るだけなので何ヶ月もほったらかしに等しいあつかいでもくるうことはないし、仮にスイッチを切り忘れても自動的に休止状態になる。

 散々整理せいとんした後なので、後はセキュリティを設定するだけ、だったが、ちょうどタイミング良く──か、悪くか、委員会本部に二人ふたりの男子生徒が入って来た。

「ハヨースッ」

「オハヨーございまス!」

 せいのいいごえが部屋にひびく。

「おっ、あねさん、いらしたんですかい」

 ここはで、の時代だろう、とたつは思った。

 上背はほどでもないが、やけにゴツゴツした体つきの、ねじりはちまきが似合いそうなたんぱつの男が、とても板についた口調で「姐さん」と呼んだ、その相手は──

わたなべせんぱいのことなんだろうなぁ……)

 当の本人は、と見ると、みようずかしそうだった。

 彼女がまともな神経を(少しでも)持っていたことに、場違いなあんを感じる。

「委員長、本日のじゆんかいしゆうりようしました! 逮捕者、ありません!」

 もう一人ひとりの方は、比較的つうの外見と、比較的普通のことづかいだが、とにかくやたら、威勢がいい。直立不動で報告する姿は、軍人か、警官か、あるいは今も変わらぬ体育会系かといった風情だ。

「……もしかしてこの部屋、姐さんが片付けたんで?」

 変わり果てた(?)室内の様子をいぶかしげに見回していたごつい方の男が、あつに取られている達也の方へ歩いてくる。

 体重もそれ程ではないはずだが、不思議と、のっしのっし、という形容が似合う歩き方だ。

 その行く手にが、さり気なく立ちはだかった、と見るや──

「ってぇ!」

 スパァン! という小気味いい音と共に、男が頭をおさえてうずくまっている。

 摩利の手には、何時の間に取り出したのか、かたく丸めたノート。

 一体から出したのだろうか?

「姐さんって言うな! 何度言ったら分かるんだ! こうろう、お前の頭はかざりか!」

 そんな達也の疑問など知るよしもなく、摩利は頭をさえる男子生徒をりつけた。

「そんなにポンポンたたかねえでくださいよ、あ……いえ、委員長。ところでそいつは? 新入りですかい?」

 それほど痛がっている様子もなく、鋼太郎と呼ばれた男子生徒がぼやいた。しかし、電光石火で目の前にきつけられた丸いかみづつに、あわててかたきをえた。

 鋼太郎のきんちようこわった顔を前に、摩利は肩を落としてため息をついた。

「……こいつはお前の言うとおり新入りだ。一年E組のたつ。生徒会枠でウチに入ることになった」

「へぇ……もんしですかい」

 こうろうきよう深げにたつのブレザーをながめ、次に達也の身体からだつきを見回す。

たつせんぱい、その表現は、禁止用語にていしよくするおそれがあります! この場合、二科生と言うべきかと思われます!」

 もう一人の男子生徒も、そう言いながら、冷やかすような、みするような態度自体を注意しようとはしない。

「お前たち、そんな単純なりようけんだとあしもとをすくわれるぞ?

 ここだけの話だが、さっき服部はつとりが足下をすくわれたばかりだ」

 だが、ニヤニヤと、からかうようにから告げられた事実に、二人ふたりの表情は急にしんけんを増した。

「……そいつが、あの服部に勝ったってことですかい?」

「ああ、正式な試合でな」

「何と! 入学以来負け知らずの服部が、新入生に敗れたと?」

「大きな声を出すな、さわ。ここだけの話だと言っただろう」

 まじまじと見られて居心地悪いことこの上なかったが、相手はどうやら上級生で、風紀委員会の先輩だ。ここはまんする以外のせんたくはない。

「そいつは心強え」

いつざいですね、委員長」

 ひようけするほど簡単に、二人は見る目を変えた。いっそあつれと言いたくなるえの速さだ。

「意外だろ?」

「はっ?」

 余りにたんてき過ぎて、何を問われたのか分からなかったが、摩利の方でも答えを期待してのけではなかったようだ。

「この学校はブルームだ、ウィードだとそんなつまらないかたきでゆうえつかんひたれつとうかんおぼれるヤツらばかりだ。正直言って、うんざりしていたんだよ、あたしは。だから今日きようの試合は、チョッとばかりつうかいだったんだがね。

 幸い、じゆうもんもあたしがこんな性格だって知ってるからな。生徒会枠と部活連枠は、そういうしきの比較的少ないヤツを選んでくれている。優越感がゼロってわけには行かないが、きちんと実力が評価できるヤツらばかりだ。

 残念ながら、教職員枠の三人までそんなヤツばかり、とは行かなかったが、ここは君にとっても居心地の悪くない場所だと思うよ」

「三─Cのたつこうろうだ。よろしくな、うでの立つヤツはだいかんげいだ」

「二─Dのさわみどりだ。君を歓迎するよ、司波君」

 鋼太郎、沢木が、次々とあくしゆを求めてくる。の言うとおり、その顔には全く、あなどったり見下したりする色が無い。二人ふたりが最初、みしていたのは、たつの実力の有無であって、一科生か二科生かなど眼中に無かったと、今なら分かる。

 確かに少し、意外に感じた。そして確かに、悪くない空気だった。

 あいさつを返し、沢木の手をにぎかえす。が、か、手がはなれない。

じゆうもんさんというのは、課外活動連合会、つうしよう部活連代表の、十文字会頭のことだ」

 これを教えてくれるためだろうか? しかしそれならもう、手を離してもよさそうなものだが。

「それから自分のことは、沢木とみようで呼んでくれ」

 手にかかる圧力が、達也のしきを現実にもどす。

 ギリギリときしみを上げそうなあくりよくに、達也は意外感を禁じ得なかった。

 この学校はほうだけでなく、他の面でも優秀な生徒が集まっているようだ。

「くれぐれも、名前で呼ばないでくれ給えよ」

 どうやらこれは、警告のつもりらしい。

 別にこんな回りくどいことをしなくても、達也に上級生を名前で呼ぶような習慣はないのだが、にはしなければなるまい。

「心得ました」

 そう言いながら右手を細かくねじって、握られた手を解く。

 達也の見せた体術に、沢木本人よりも、鋼太郎の方がおどろいた顔をしていた。

「ほう、大したもんじゃねえか。沢木の握力は百キロ近いってのによ」

「……ほうの体力じゃありませんね」

 自分のことをたなにあげて、達也は軽口をたたいた。

 少なくともこの二人とは、くやっていけそうな気がしていた。

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