[2]

 高校生二日目の目覚めも、いつもと同じだった。

 彼が高校に進学したからといって、地球の自転周期が変化するはずもない。

 簡単に顔を洗い──後でもう一度、しっかりと洗顔することになるからだ──いつもの服にえる。

 ダイニングに下りると、すでゆきが朝食の準備を始めていた。

「おはよう、深雪。は一段と早いな」

 まだ空が白んだだけで、春の陽は顔をのぞかせてもいない。

 学校へは、当然早すぎる時刻だ。始業時刻は八時ちょうどで通学時間は徒歩をふくめて約三〇分だから七時半前に家を出ればいいことになる。朝ご飯の準備をして、食べて、後片付けをして……と必要な時間を考えても、一時間以上はゆうが生まれる計算だ。

「おはようございます、お兄様……どうぞ」

「ありがとう」

 差し出されたコップにはフレッシュジュース。

 りちに礼を述べてから一息に飲み干し、差し出された手にコップを返す。──たつの呼吸は、深雪によって完全にしようあくされていた。

 再び調理台に向かっている妹の背中に「行ってくる」と声をけようとしたちょうどその時、深雪が手を止めて身体ごとかえった。

「お兄様、今朝はわたしもごいつしよさせていただこうかと思っているのですが……」

 そう言い終えると同時に、サンドイッチをめたバスケットをかかげて見せる。どうやら、朝食を「作り始めた」ではなく、「作り終えかけていた」が正解だったらしい。

「それは構わないが……制服で行くのか?」

 自分の着ているトレーナーと、エプロンの下から現れた制服を見比べながら達也が問う。

「先生にまだ、進学のご報告をしておりませんので……

 それにわたしではもう、お兄様のたんれんについて行けませんから」

 それが深雪の答えだった。

 こんな早朝から制服に着替えていたのは、高校生姿を見せに行くため、というわけだ。

「分かった。別に朝練で深雪がおれと同じことをする必要はないんだが、そういうことならしようも喜ぶだろう。

 ……喜び過ぎて、たがが外れなきゃいいけどな」

「その時はお兄様、深雪を守ってくださいね」

 可愛かわいらしく片目をつぶる妹を前に、達也の顔には自然と笑みが浮かんでいた。


        ◇ ◇ ◇


 まだ少しはだざむい、清々しい早朝の空気に長いかみとスカートのすそをなびかせて、ローラーブレードで坂道を少女。

 ゆきは一度もキックを入れずに、重力に逆らってゆるやかだが長い坂道をしつそうする。

 その速度は、時速六十キロにも届かんとしている。

 そのとなりへいそうするたつ

 こちらはジョギングスタイルだが、一歩一歩のストライドが十メートルにも達している。

 ただ、深雪に比べて表情にゆうがない。

「少し、ペースを落としましょうか……?」

「いや、それではトレーニングにならない」

 クルリと身体の向きを変え、後ろ向きに片足かつそうしながら問う深雪に、ろうをにじませながらも息を切らせることなく達也は答える。

 二人ふたりとも、くつに何らかの動力をんでいるわけではない。

 言うまでもなく、このスピードはほうによるものだ。

 深雪が使っているのは重力加速度を低減する魔法と自分の身体を道のけいしやに沿って目的方向へ移動させる魔法。

 達也が使っているのは路面をキックすることにより生じる加速力と減速力をぞうふくする魔法と、路面から大きくがらないように上向きへの移動をおさえる魔法。

 どちらも移動と加速の単純な複合術式だ。単純であるがゆえに、深雪はともかく、二科生にしかなれなかった達也にもけいぞくてきに発動し続けることができる。

 この場合、ローラーブレードをいている深雪と自分の足で走っている達也の、どちらがより難度が高いかは、いちがいには言えない。

 一見、ローラーによって運動負荷が軽減されている深雪の方が楽に見えるが、自分の足を使わないということは移動ベクトルを全面的に魔法でせいぎよしなければならないということだ。

 それに対して達也は、走るという動作で移動の方向性を決定づけている。

 一歩ごとに術式を起動し続けなければならない達也と、いつしゆんも術式のコントロールを手放すことのできない深雪。

 二人は性質の異なる訓練を自分に課しているのだった。


        ◇ ◇ ◇


 二人の目的地は家から十分程のきよにある──あのスピードで走って、だが──小高いおかの上にあった。

 そこは、一言で表現するなら「寺」だ。

 だが、そこに集う者たちの面構えは「そうりよ」や「和尚おしよう」、あるいは「(坊主ぼうず」にさえ、とうてい見えない。

 あえて容れ物に相応ふさわしい存在を当てはめるとすれば、「修行者」、いや、「そうへい」の方が適当だろうか。

 女性にはしきが高い、特に若い女の子はおびえて近づけないようなふんの中に、ゆきはローラーブレードのままちゆうちよなく入って行く。いつも礼儀正しい彼女には相応しからぬ作法だが、主が「構わない」とうつとうしいくらいかえすので、いい加減れができてしまったのだ。

 その時、たつは何をしていたのかというと、ペースについてこれなくなってまだとうちやくしていない、のではなく、山門をくぐるなり、あらむかえを受けていた。

 出迎え、というのは、要するにけいのことだが。

 この寺に通い始めた当初は一人ひとりずつのかり稽古だったのが、今では中級以下の門人約二十人による総掛かり──総当たり、ではない──に変わっていた。

「深雪くん! ひさりだねぇ」

 ひとがきに埋もれてしまった兄を、本堂の前庭で心配そうにかえって見ていた深雪に、死角からとうとつに陽気な声が掛けられた。

「先生……っ。気配を消してしのらないでくださいと、何度も申し上げておりますのに……」

 なまじ感覚がするどために、また同じような経験をかえして相応にけいかいしていただけ余計に、心臓にいやなショックを受けて、だと知りつつ深雪はこうせずにおれなかった。

しのるな、とは、深雪くんも難しい注文を出してくれるんだねぇ。

 僕は『しのび』だからね。忍び寄るのはさがみたいなものなんだけど」

 きれいにかみを剃り上げ細身の身体にすみめの衣を着た姿はこの場に相応しいものだが、じつねんれいはともかく見た目と雰囲気は、まだそれほど老いていない。

 ひようひようとしてはいるが名状しがたいぞくっぽさをにじませており、僧侶の格好をしていてもと言えずうそくさかった。

「今時、にんじやなんて職種はありません。そんなさがは早急にきようせいされることを望みます」

 深雪の真面目な抗議にも、

「チッチッチ、忍者なんて誤解だらけのぞくぶつじゃなくて、僕はゆいしよ正しい『忍び』だよ。

 職業じゃなくて伝統なんだ」

 わざわざ舌打ちに合わせて指を振りながら答える有様だ。──とにかく、俗っぽい。

「由緒正しいのは存じております。ですから不思議でならないのですけど。

 、先生がそんなに……」

 けいはくなのか、とは、深雪はあえて口にしなかった。口にしても無駄だということは学習済みだった。

 このそうりよもどき──といっても身分上は本物の僧侶なのだが──は、名をここのくもといって、自称の通りの「しのび」だった。

 よりいつぱんてきしようは「にんじゆつ使い」。

 本人がこだわっていたとおり、身体的な技能が優れているだけの前近代のちようほういんとは一線を画する、古いほうを伝える者の一人ひとりだった。

 魔法が科学の対象となり、世間からフィクションだと考えられていた魔法の実在が確認されたとき、忍術も単なる体術・中世的な諜報技術の体系だけでなく、おうとされる部分は魔法の一種であることが明らかになった。

 きよこうと思い込んでいた、思い込まされていたあやしげな「術」こそが、真実の姿に近かったわけだ。

 無論、ほかの魔法体系と同じく、言い伝えがそのまま真実ということではない。

 講談の中での忍術の代表格とも言える「へん」は、げんえいと高速移動の組み合わせであることが解明されている。忍術だけでなく、伝統的な魔法における変身系統の術は全てこの種のトリックによるもので、変身、変化、元素へんかんは現代魔法学では不可能とされている分野だ。

 ゆきが先生と呼び、たつしようと表現する九重八雲は、そんな忍術を昔ながらのノウハウで伝える古式魔法の伝承者だった。

 しかし、そうぎようは別として(それすらうそくさいのだが)、そのたたずまいも立ち居いも、とうていそのようなゆいしよ正しい存在には見えなくて──

「それが第一高校の制服かい?」

「はい、昨日きのうが入学式でした」

「そうかそうか、う~ん、いいねぇ」

「……今日は、入学のご報告を、と存じまして……」

「真新しい制服が初々しくて、せいな中にもかくしきれないいろがあって」

「…………」

「まるでまさにほころばんとする花のつぼみえ出ずる新緑の芽。

 そう……萌えだ、これは萌えだよ! ムッ?」

 際限なくテンションをあげ、ソロソロと後退する深雪にジリジリと詰め寄っていた八雲がとつぜん、身体を反転させつつこしを落とし左手を頭上にかざした。

 パシッ、というにぶい音をたてて、手刀が腕に防がれる。

「師匠、深雪がおびえてますんで、少し落ち着いてもらえませんか」

「……やるね、達也くん。僕の背中をとると、はっ」

 左手で達也の右手を巻き込みながら右のきを放つ八雲。

 右手を八の字にることでめ技をのがれ、拳を包むように受けてそのままわきかかむ。

 逆らわず前転した八雲の足が達也の後頭部におそかり、それを達也は身をひねってかわした。

 二人の間合いがはなれる。

 見物人かられるためいき

 いつの間にか、たいする二人を囲む人の輪ができていた。

 再び交差するたつくも

 手にあせにぎっているのは、ゆきだけではなかった。


        ◇ ◇ ◇


 達也が中学一年生の時から、正確にはその十月から続いている毎朝こうれいひとそうどうが終わり、境内は静けさをもどした。門人たちは自らのごんぎようへ戻り、本堂の前庭に残っているのは達也、深雪の兄妹と、八雲だけとなっていた。

「先生、どうぞ。お兄様もいかがですか」

「おお、深雪くん、ありがとう」

「……少し、待ってくれ」

 汗を垂らしながらもまだまだ表情にゆうの見られる八雲が深雪からタオルとコップを笑顔で受け取る一方で、土の上に大の字になった状態であらい息を整えていた達也は、片手を上げて返事をした後、苦労して地面から上体を引き剝がした。

「お兄様、だいじようですか……?」

 身体を起こしたものの、座り込んだままの達也のかたわらに、心配そうな表情をかべた深雪はスカートが汚れるのもいとわずにひざをつき、手にしたタオルで流れ落ちる汗をぬぐう。

「いや、大丈夫だ」

 八雲の生温かい視線を気にしたわけでもなかったが、達也は深雪の手からタオルを引き取り、一息、気合いを入れて立ち上がった。

「すまない、スカートに土がついてしまったな」

 そう言う達也のトレーナーこそ、土が付いているどころではない有様だったが、深雪からそれをてきする言葉はなかった。

「このくらい、なんでもありません」

 深雪は笑顔でそう応え、スカートのすそはらう代わりに、内ポケットから縦長のうすがたけいたいたんまつを取り出した。端末の表側ほぼ全面を占めるフォース・フィードバック・パネルから、よどみなく短い番号を入力する。

 深雪が手にしているのは、携帯端末形態のはんようがたCAD。最もきゆうしているブレスレット形態の汎用型に対して、落下のリスクというデメリットはあるものの、慣れれば片手で操作可能というメリットがあり、両手がふさがることをきらげんはだの上級ほうに好まれているタイプの物だ。

 非物理の光でえがかれた複雑なパターンが、CADからそれを持つ左手へまれ、ほうが、発動した。

 現代の魔法師は、つえや魔道書、じゆもんいんげいの代わりに、魔法工学の成果物たる電子機器、CADを用いる。

 CADには感応石という名の、想子サイオン信号と電気信号をそうへんかんする合成物質が組み込まれており、魔法師から供給されたサイオンを使って電子的に記録されたほうじん──起動式を出力する。

 起動式は、魔法の設計図だ。その中には、長ったらしい呪文と、複雑なシンボルと、いそがしく組み替えられたいんを合わせたものと同等以上の情報量が存在する。

 魔法師はサイオンの良導体である肉体を通じてCADが出力した起動式を吸収し、しきに存在し魔法師を魔法師たらしめている精神機構システム、魔法演算領域へ送り込む。魔法演算領域は起動式に基づき、魔法を実行する情報体、魔法式を組み上げる。

 CADはこうして、魔法の構築に必要な情報をいつしゆんで提供することができるのである。

 からともなく出現した実体の無い雲が、ゆきのスカートから黒のレギンスに包まれたあし、ローラーアタッチメントを外したブーツのつまさきまでまとわりつく。

 さらに空中からしたほのかなりゆうが、たつの背中から全身を流れ落ちて行く。

 うすかすかにかがやきりが晴れた後には、つちぼこり一つ無い清潔な制服とトレーナーが二人ふたりの身体を包んでいた。

「お兄様、朝ご飯にしませんか? 先生もよろしければごいつしよに」

 それが当たり前のことであるかのように、ごく普通の口調で、バスケットを軽くかかげて見せるゆき

 実際、この程度のほうは妹にとって「何でもないこと」だと、たつは良く知っていた。


        ◇ ◇ ◇


 縁側にこしを下ろし、サンドイッチをほおる達也とくも

 深雪は一切れ口にしただけで、お茶を差し出したりお皿に取り分けたりとしく達也の世話を焼いている。

 その様子をほほましげに、ただしか人の悪い表情で見ていた八雲が、ぼうあたまていはつ済み)の弟子が差し出したぬぐいで手と口の周りを清め、手を合わせて深雪に礼を述べてから、何やらしみじみとした口調でつぶやいた。

「もう、体術だけなら達也くんにはかなわないかもしれないねぇ……」

 それはまぎれもないしようさん

 ほかの門人たちがこの場にいれば、せんぼうまなしはけられなかっただろう。現に、八雲のとなりひかえた弟子はそのしようさんの言葉にしつせんぼうの入り交じった視線を達也に向けている。

 深雪は我がことのように顔を輝かせている。

 だが、達也の心には、その単純な賞賛が素直にひびかなかった。

「体術でかくなのにあれだけ一方的にボコボコにされるというのも喜べることではありませんが……」

 達也のとも取れるはんばくに、八雲はあきれ気味に小さく笑った。

「それは当然というものだよ、達也くん。僕は君のしようで、さっきは僕の得意なひようで組手をしていたんだから。

 君はまだ十五さい。半人前の君に後れをとるようでは、弟子にげられてしまいそうだ」

「お兄様はもう少し素直になられた方がよろしいかと存じます。先生がめずらしくめてくださったのですから、胸を張って高笑いしていらしたらいいのだと思います」

 深雪もまた、澄ました口調のかたわらで、おもむきは違えど口元に笑みをかべている。

「……それはそれで、チョッといややつに見えると思うが……」

 八雲も、深雪も、笑顔でじようだんめかしているが、自分をたしなめ、はげましてくれているのだということが分からないほど、達也もかたくなではない。

 達也の浮かべた苦笑いは、苦々しさのないただの苦笑に変わっていた。


        ◇ ◇ ◇


 通勤・通学の人並みが、停車中の小さな車体に次々と、整然と乗り込んで行く。

 満員電車、という言葉は、今や死語となっている。

 電車はぜんとして主要な公共交通機関だが、その形態はこの百年間で様変わりしていた。

 何十人も収容できる大型車両は、全席指定の、一部のちようきよ高速輸送以外、使われていない。

 キャビネットと呼ばれる、中央管制された二人ふたり乗りまたは四人乗りのリニア式小型車両が現代の主流だ。

 動力もエネルギーもどうから供給されるので、車両のサイズは同じ定員の自走車の半分程度。

 プラットホームに並ぶキャビネットに先頭から順次乗り込み、チケット、パスから行き先を読み取って運行軌道へ進む。

 運行軌道は速度別に3本に分かれており、車両かんかくを交通管制システムでコントロールしながら低速軌道から順次高速軌道へと移動し、目的地に接近すると今度は高速軌道から低速軌道へシフト、とうちやくえきのプラットホームへ進入する仕組となっている。

 高速道路で車線変更をしながら走行するようなものだが、管制頭脳の進歩により高密度の運行が可能となり、何十両も連結された大型車両を走らせるのと同じ輸送量が確保されている。

 これが都市間の中・長距離路線になると、キャビネットを収納して走るトレーラーが四番目の高速軌道を走っており、乗客はキャビネットを降りて大型トレーラーの設備を利用しくつろぐことができるようになっているのだが、通勤・通学に使われることはほとんどない。

 昔の恋愛小説のように、電車の中でぐうぜんの出会いが、などというシチュエーションは、現代の電車通学では起こり得ない。

 友達と待ち合わせるということもできない代わりに、かんがいうなどということもない。

 キャビネットの車内にかんカメラ・マイクの類はない。

 走行中に座席をはなれることはできないようになっているし、席と席をへだてるきんきゆうかくへきも装備されている。それ以上は、プライバシーが優先されるというのが社会的コンセンサスだからだ。

 電車は今や、自家用車と同じくプライベートな空間になっていた。

 一人ひとりずつしか乗り込むことができない防犯ほどこされているキャビネットは、二人ふたり乗りを一人で使うことも可能だが(四人乗りを二人以下で使うと追加料金がちようしゆうされる)、たつゆきは当然、別々の車両を利用するようなことはなく、今日きようとなあわせで通学電車に乗り込んだ。

「お兄様、実は……」

 たんまつのスクリーンを展開してニュースに目を通していた達也は、躊躇ためらいがちにはなけられて、急いで顔を上げた。

 こういう歯切れの悪い口調は、この妹にはめずらしい。

 何か良くない知らせなのだろうか。

昨日きのうの晩、あの人たちから電話がありまして……」

「あの人たち? ああ……

 それで、親父たちがまた何かお前をおこらせるようなことを?」

「いえ、特には……。

 あの人たちも、娘の入学祝いに話題を選ぶくらいの分別はあったようです。

 それで……お兄様には、やはり……?」

「ああ、そういうことか……いつも通りだよ」

 兄の言葉に、顔をくもらせてうつむく、と、次のしゆんかんにはぎしりの聞こえてきそうなが、表情をかくす長いかみの下からただよていた。

「そうですか……いくら何でも、とはかない期待をいだいておりましたが、結局、お兄様にはメールの一本も無しですか……あの人たちは、あの……」

「落ち着けって」

 声にならないほどの激情にふるえるゆきを、となりう手を少し強くにぎたつなだめる。

 とつじよ室温が低下し規定温度を下回った車内に、季節外れのだんぼうが作動し、温風のす音が無言のキャビンを満たした。

「……申し訳ありません。取り乱してしまいました」

 ほうりよくの暴走が収まっているのを確認して、達也は深雪の手を放す。

 その際にポン、ポンと軽く手をたたき、こだわりがないことを示す笑顔で深雪と視線を合わせる。

「会社の仕事を手伝えという親父を無視して進学を決めたんだ。

 祝いをせるはずもない。

 親父の性格はお前も知っているだろう?」

「自分の親がそんな大人げなくて情けない性格だということからして、腹が立つんです。だいたい、お兄様をわたしからはなしたいなら、まずわたしに、次に様にお断りするのが筋というものですのに、その度胸もなくて。

 そもそもあの人たちは、どれだけお兄様を利用すれば気が済むというのでしょうか。十五さいの少年が高校に進学するのは当たり前ではありませんか」

 叔母に断りを入れるうんぬんにはきようれつな違和感を覚えたが──だれかに命じられたからといって、達也は深雪を一人にするつもりなどなかったからだ──それは表に出さず、達也はわざとらしく、演技だと丸わかりな顔で、シニカルに笑って見せた。

「共通義務教育ではないのだから、当たり前でもないさ。

 親父もさんも、おれのことを一人前と認めているから利用しようという気にもなるんだろ。

 当てにされていたんだと思えば腹も立たんよ」

「……お兄様がそうおつしやるのであれば……」

 不承不承、ではあったが、ゆきうなずいたのを見て、たつは胸をろした。

 深雪は、父親が開発本部長を務めるほう工学機器メーカー『フォア・リーブス・テクノロジー』の研究所で達也が何をさせられているのかを、正確には知らない。彼が作業の片手間に作り上げたもので、まともな仕事を任せられていると誤解しているだけだ。

 本当は、研究試料のリカバリー装置としての扱いしか受けていないと知ったら、本気で交通システムをさせかねない。

 そんな彼のに、通学電車は順調に低速レーンへ移行した。


        ◇ ◇ ◇


 登校したばかりの一年E組の教室は、雑然としたふんに包まれていた。

 多分、ほかの教室も似たようなものだろう。

 昨日きのうの内に顔合わせを済ませた生徒も多いようで、すでに教室のそこかしこで雑談の小集団が形成されていた。

 とりあえず親しくあいさつする相手もいないことだし、まず自分のたんまつを探そうと、机に刻印された番号へ目をやっていた達也は、思いがけず名前を呼ばれて顔を上げた。

「オハヨ~」

 声の主は相変わらず陽気な活力に満ちたエリカだった。

「おはようございます」

 そのとなりでは、づきひかえ目ながら打ち解けた笑みを向けて来ている。

 すっかり仲が良くなったようで、エリカは美月の机に浅くこしけるような格好で手をっている。多分、彼を見つけるまでは二人でおしやべりしていたのだろう。

 達也は片手を上げて挨拶を返すと、二人の方へ足を進めた。

 シバとシバタ、ぐうぜんというより五十音順という要因が働いたのだろうが、達也の席は、美月の隣だった。

「また隣だが、よろしくな」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 達也の言葉に美月が笑顔を返す。と、その隣で(上で、といっても間違いではない)エリカが不満そうな顔をしていた。──多分、わざとだが。

「何だか仲間はずれ?」

 声もか、からかっているようなひびきがある。

 もっとも達也に、それくらいでどうようするような可愛かわいげは無かった。

「千葉さんを仲間はずれにするのはとても難しそうだ」

 あっさりした声と口調に、エリカが半眼に閉じた目を向ける。今度はあながち、演技にも見えない。

「……どういう意味かな」

「社交性に富んでいるって意味だよ」

 エリカのジトッとした視線を受けても、たつのすました顔はくずれない。むしろエリカの方がみようしそうな表情をかべていた。

「……くんって、実は性格悪いでしょ」

 こらえ切れずにづきが笑いをこぼしているのを横目に、達也はたんまつにIDカードをセットし、インフォメーションのチェックを始めた。

 しゆう規則、風紀規則、せつの利用規則から、入学に伴うイベント、自治活動の案内、一学期のカリキュラムまで、高速でスクロールしながら頭にたたみ、キーボードオンリーの操作で受講登録を一気に打ち込んで、一息入れるために顔を上げると、前の席から目を丸くして手元をのぞき込んでいる男子生徒と視線が合った。

「……別に見られても困りはしないが」

「あっ? ああ、すまん。

 めずらしいもんで、つい見入っちまった」

「珍しいか?」

「珍しいと思うぜ? 今時キーボードオンリーで入力するヤツなんて、見るのは初めてだ」

「慣れればこっちの方が速いんだがな。視線ポインタも脳波アシストも、いまいち正確性に欠ける」

「それよ。すげースピードだよな。それで十分食ってけるんじゃないか?」

「いや……アルバイトがせいぜいだろう」

「そぉかぁ……?

 おっと、しようかいがまだだったな。

 西さいじようレオンハルトだ。親父がハーフ、おふくろがクォーターなで、外見は純日本風だが名前は洋風、得意な術式は収束系のこうほうだ。志望コースは身体を動かす系、警察の機動隊とかさんがく警備隊とかだな。

 レオでいいぜ」

 現代の若者感覚からすれば、高校入学時点ですでに進路志望を決めているというのは珍しいと言えるが、魔法科高校の場合は別だ。魔法師(の卵、またはひなどり)は能力、いや、素質が進路と密接に結び付いている。だからレオが自己紹介の中に将来の希望職種を入れていても、達也はそれを意外には思わなかった。

達也だ。おれのことも達也でいい」

「OK、たつ

 それで、得意ほうは何よ?」

「実技は苦手でな、魔工技師を目指している」

「なーる……頭良さそうだもんな、お前」

 魔工技師、あるいは魔工師は、魔法工学技師のりやくしようで、魔法を補助・ぞうふく・強化する機器を製造・開発・調整する技術者を指す。今や魔法師のひつツールであるCADも、魔工技師による調整きではほこりをかぶった魔法書以下だ。

 社会的な評価は魔法師より一段落ちるが、業界内では並みの魔法師より需要が高い。一流の魔工師の収入は、一流の魔法師をしのぐほどだ。

 そういう訳だから、実技が苦手な魔法科生が魔工師を目指すのはめずらしいことではないのだが……

「え、なになに? 司波くん、魔工師志望なの?」

「達也、コイツ、だれ?」

 まるでスクープを耳にしたようなハイテンションで首をんできたエリカを、やや引き気味に指差してレオはたずねた。

「うわっ、いきなりコイツ呼ばわり? しかも指差し? 失礼なヤツ、失礼なヤツ! 失礼なやつっ! モテない男はこれだから」

「なっ? 失礼なのはテメーだろうがよ! 少しくらいツラが良いからって、調子こいてんじゃねーぞっ!」

「ルックスは大事なのよ? だらしなさとワイルドを取り違えているむさ男には分からないかもしれないけど。

 それにな~に、その時代を一世紀間違えたみたいなスラングは。今時そんなのらないわよ~」

「なっ、なっ、なっ……」

 とりすましたちようしようかべてはすに見下ろすエリカと、絶句が今にもうなごえへと移行しそうなレオ。

「……エリカちゃん、もう止めて。少し言い過ぎよ」

「レオも、もう止めとけ。今のはおたがい様だし、口じゃかなわないと思うぞ」

 いつしよくそくはつの空気に、達也とづきがそれぞれ仲裁に入る。

「……美月がそう言うなら」

「……分かったぜ」

 お互い、顔は背けながら目はらさない。

 同じような気の強さ、似たような負けずぎらいに、実はこの二人ふたり、気が合うのかもしれんな、と達也は思った。


        ◇ ◇ ◇


 れいが鳴り、思い思いの場所に散らばっていた生徒たちが自分の席にもどる。

 この辺りのシステムは、前世紀から変わっていないが、そこから先はおもむきが違う。

 電源の入っていなかったたんまつが自動的に立ち上がり、すでに起動していた端末はウィンドウがリフレッシュされる。同時に、教室前面のスクリーンにメッセージが映し出された。

〔──5分後にオリエンテーションを始めますので、自席で待機してください。IDカードを端末にセットしていない生徒は、速やかにセットしてください──〕

 達也にとっては全く意味のないメッセージだった。既に選択授業の登録まで終えてしまった段階で、じような視覚効果が盛り込まれたオンラインガイダンスなど退屈なだけの代物だ。一気にスキップして学内資料でも検索していようか、などと達也が考えていたところで、予想外の事態が起こった。

 本鈴と共に、前側のドアが開いたのだ。

 こくした生徒ではない。制服ではなく、スーツを着た若い女性だ。

 だれが見ても、と言うほどではないにしろ、それなりに美人、そしてそれ以上にあいきようの感じられるその女性は、せり上がってきたきようたくの前に立つと、わきかかえていた大型携帯端末をたくじように置いて教室を見回した。

 意外感に打たれたのはたつだけではなかったようで、教室にまどいがじゆうまんする。

 たくじようたんまつを利用したオンライン授業が採用されている学校では、教師が教壇に立つということは無い。授業を端末越しに行うのだから、それより優先順位が低い諸事項伝達に職員を教室までけんすることはなおさら無い。教室の職員用コンソールが使用されるのは、何か異例の事態が発生した場合のみ、というのがセオリーだったはずだ。

 しかし、この女性が教職員であるのは、いてみるまでもないことだった。

「はい、欠席者はいないようですね。

 それではみなさん、入学、おめでとうございます」

 つられておを返している生徒が何人もいた──現に、知り合ったばかりの前の席の男子生徒は「あっ、どうも」なんて素で答えながら頭を下げている──が、達也はその女性のみよういに首をひねるだけだった。

 まず、出席を確認するのに、肉眼で見回す必要はない。着席じようきようは端末にセットされたIDカードにより、リアルタイムでモニターされている。

 学校関係者があんなサイズの端末を持ち歩く必要もない。学内にはあちらこちらにコンソールが収納されている。現に今、ゆかからせり上がって来たきようたくにも、モニター付のコンソールが内蔵されているはずだ。

 それに、そもそも、彼女は何なのだろうか? この学校で、担任教師などという時代遅れのシステムを採用しているという情報は、入学案内にはなかったはずだが──

「はじめまして。私はこの学校で総合カウンセラーを務めているはるかです。皆さんの相談相手となり、適切な専門分野のカウンセラーが必要な場合はそれをしようかいするのが私たち総合カウンセラーの役目になります」

(……そういえば、いたな、そういうのが……)

 なやみ事をだれかに相談する、というアイデアがすっぽりけつじよしている達也は適当に読み飛ばしていたが、カウンセリング体制がじゆうじつしているというのもこの学校のセールスポイントだった。

「総合カウンセラーは合計十六名在任しています。男女各一名でペアになり、各学年一クラスを担当します。

 このクラスは私とやぎさわ先生が担当します」

 そこで言葉を切って、教卓のコンソールを操作すると、三十代半ばに見える男性の上半身が、教室前のスクリーンと各机のディスプレイに映し出された。

『はじめまして、カウンセラーの柳沢です。小野先生と共に、君たちの担当をさせていただくことになりました。どうかよろしく』

 スクリーンに柳沢カウンセラーを映したまま、教壇の「小野先生」──遥は説明を再開した。

「カウンセリングはこのように端末を通してもできますし、直接相談に来ていただいても構いません。通信には量子暗号を使用し、カウンセリング結果はスタンドアロンのデータバンクに保管されますので、みなさんのプライバシーがろうえいすることはありません」

 そう言いながらはるかは、たつが大型けいたいたんまつと勘違いしていたブック型データバンクを持ち上げて見せた。

「本校は皆さんがじゆうじつした学生生活を送ることができるよう、全力でサポートします。

……という訳で、皆さん、よろしくお願いしますね」

 それまでの生真面目な口調が、一転してくだけた、やわらかなものになる。

 教室内に、だつりよくした空気がただよった。

 きんちようかん、自分の容姿まで計算に入れた中々見事なエモーションコントロールだ。

 若さに──大学出たてのような外見に似合わぬ、場数を感じさせる。

 一対一でこれをやられたら、しやべるつもりのないことまで喋ってしまうかもしれない。

 カウンセラーにとって重要な資質なのだろうが、女スパイとしても十分やっていけそうだ。

 油断ならない人だ、と達也は思った。──背後のスクリーンの中で、放置されたままこんわくがおになりつつあった年上のどうりようにペコペコ頭を下げて画面を切り替える、という一幕がなければ、その印象はますます強いものだっただろう。

 小さくせきばらいして営業スマイル(?)をかべ直し、はるかは何事もなかったように話を続けた。

「これから皆さんの端末に本校のカリキュラムと施設に関するガイダンスを流します。その後、選択科目のしゆう登録を行って、オリエンテーションはしゆうりようです。分からないことがあれば、コールボタンを押してください。カリキュラム案内、せつ案内を確認済みの人は、ガイダンスをスキップして履修登録に進んでもらっても構いませんよ」

 ここできようたくのモニターに目を落とした遥が、あらっ? という表情を見せた。

「……すでに履修登録を終了した人は、退室しても構いません。ただし、ガイダンス開始後の退室は認められませんので、希望者は今の内に退室してください。その際、IDカードを忘れないでくださいね」

 その言葉を待っていたかのように、ガタッ、とが鳴った。

 達也、ではなかった。

 立ち上がったのは、窓側前列、少しはなれた席の、神経質そうな顔立ちの細身の少年だった。

 教卓に向かってその場で一礼し、教室の後ろに回ってろうへ出て行く。

 顔を上げ、左右からうかがい見られる視線を全くかえりみず、ごうぜんたる態で教室を出て行く姿が強がっているように見えて少しきようを引かれたが、それもいつしゆんのこと。それは達也だけでなく、教室の約半数がその少年の背中を目で追いかけていたが、すぐに卓上へ視線を戻していた。

 ほかちゆう退出者はいないようだ。達也もそんな目立つをしてまで、この場にいたくないわけではなかった。

 手元に目を戻し、さて、何を調べて時間をつぶそうか、とキーボード上で手を止めた達也は、ふと、視線を感じて顔を上げた。

 きようたくの向こう側から、はるかが彼を見ていた。

 視線が合っても彼女は目をらそうとせず、たつに向かってニッコリほほんだ。


(何だったんだろうな、あれは……)

 あの後も気づいてみれば、遥がわらけて来ていた。ずっと、というわけではなく、ほかの生徒にしんいだかれない程度に短く、ひかに、だが、それが余計に秘密めかしたふんかもしていた。

 初対面だとは、断言できる。

 明らかに愛想笑いをえたひんだったので、達也は自分のおくをひっくり返してみたのだ。

 おかげで、ひまつぶしにはなったが……

(リラックスさせようとしていた……わけではないよな? あれじゃかえって落ち着きをうばうようなもんだし……

 まさか教室で、教職ではないにしろ学校関係者が、生徒をナンパしようとしていたわけでもないだろうし……)

 考えられる線としては、出て行った生徒と同じように登録を終えていたにもかかわらず、席に残った達也にきようを抱いた、ということだろう。しかし、それにしてはずいぶん親しげ──良く言えば──だったような気がする。

「達也、昼までどうする?」

 一人ひとりで頭をひねっていたところに、前の席から声を掛けられた。

 まるでそれがお決まりのポーズであるかのように、をまたぎ背もたれにりよううでを重ねその上にあごせる、さっきと全く同じ体勢でレオが達也へと顔を向けていた。

 教室で食事をする、という習慣は、今の中学・高校にはない。たいすいたいじんせいが向上したとはいえ、情報端末は精密機器だ。うっかりしるものでもこぼそうものなら、結構さんな羽目におちいらないとも限らない。

 食堂へ行くか、中庭とか屋上とか部室とか、か適当な場所を見つけるか。

 そして食堂が開くまで、まだ一時間以上ある。

「ここで資料の目録をながめているつもりだったんだが……OK、付き合うよ」

 楽しそうにかがやいていた目が、達也のセリフでらくたんくもる。実に分かり易いレオの表情に、達也は苦笑してうなずいた。

「それで、何を見に行くんだ?」

 中学校まで、公立学校ではほうを教えない。魔法の素質を持つ子供には、公立のじゆくが放課後に魔法のほどきする。この段階では魔法の技術的ゆうれつを評価せず、純粋に才能ポテンシヤルだけをばし、魔法を生業なりわいとする道に進むだけの才能があるかどうか、本人と保護者に見極めさせる。一部の私立学校には課外活動の形でほう教育を取り入れているところもあるが、魔法を成績に反映させないという点はてつていされている。

 本格的な魔法教育は高校課程からであり、第一高校は魔法科高校中、最難関校に数えられているとはいえ、普通の中学校からの進学生も多い。魔法に関する専門課程には、そんな生徒たちが見たこともないような授業もある。

 専門課程にみのうすい新入生のまどいを少しでもかんするために、実際に行われている授業を見学する時間が今日きよう明日あしたと設けられていた。

こうぼうに行ってみねえ?」

 達也の質問に対するレオの答えは、これだった。

とうじようじゃないのか?」

 意表をつかれて問い返すと、レオはニンマリ笑った。

「やっぱ、そういう風に見えるのかね。

 まあ、間違いじゃねえけどよ」

 この学校に合格したのだから知的能力の水準が低いはずはないのだが、どうもこの少年は活気があふれているというかアウトドア派というか、ありていに言ってヤンチャなふんがある。工房で精密機械をいじっているよりは、闘技場で暴れている方が似合っている、と感じてしまうのは、達也ばかりではないだろう。

 しかしレオの次のセリフを聞いて、達也は自分の思い違いを認めた。

こう魔法は武器術との組み合わせで最大の効果を発揮するもんだからな。

 自分で使う武器の手入れくらい、自分でできるようになっときたいんだよ」

「なるほど……」

 レオの希望進路は警察官、それも機動隊員やさんがく警備隊員だという。希望通りとなれば、警棒やたておのやまがたなのようなシンプルな武器を使う機会も多い。それらは硬化魔法と相性の良い道具であり、また硬化魔法は素材の性質をじゆくしているかどうかで効き目がずいぶん違ってくる。

 このクラスメイトは見た目よりはるかかに、自分の適性、自分の進路についてしっかりした考え方を持っているようだ。

「工作室の見学でしたらいつしよに行きませんか?」

 二人ふたりの話がまとまったところに、となりの席からえんりよがちな同行の申し入れがあった。

しばさんも工房の?」

「ええ……私も魔工師志望ですから」

「あっ、分かる気がする」

 づきの頭越しに乱入してきたのはエリカだ。先程と類似したパターンに、レオはわざとらしく顔をしかめた。

「オメーはどう見ても肉体労働派だろ。闘技場へ行けよ」

「あんたに言われたくないわよこの野性動物」

 売り言葉に買い言葉。

「なんだとこら。いきぎも無しで断言しやがったな?」

 エリカとレオの口げんかは、打てばひびくの感がある。

二人ふたりとも止めろよ……会ったその日だぞ?」

 実はやっぱり相性が良いんじゃないか? と思いながら、ためいき混じりにたつが仲裁に入ったが、そう簡単には止まらない。

「へっ、きっと前世からのきゆうてき同士なんだろうさ」

「あんたが畑をらすくまかなんかで、あたしがそれを退治するためにやとわれたハンターだったのね」

「さあ、行きましょう! 時間が無くなっちゃいますよ」

 づきはそこまで大人しく口出しをひかえていたが、ついにこのままではらちが開かないと見切りをつけて、強引にどう修正を図った。

「そうだな! 早くしないと、教室に残ってるのもおれたちだけになっちまう」

 すかさず、達也が便乗する。早口でまくし立てる二人にさえぎられ、レオとエリカはげんそうなまなしでにらって、すぐに、たがいに、そっぽを向いた。


        ◇ ◇ ◇


 入学二日目にして早くも行動を共にするメンバーが固まりつつあった。

 これをじんそくと表現すべきか、せつそくと表現すべきか、それとも当たり前のことなのか、達也には分からない。

 ただ、アタリかハズレかでいうならば、十中八九アタリだろう、と彼は思う。

 エリカもレオも明るく前向きで、美月も内気ながらくつたくのない性格に見える。

 自分がシニカルでしずみがちな性向と自覚しているだけに、高校生活最初の友人が彼女たちだったのは運が良かった、と達也は思っている。

 しかし、十中八九は百パーセントではない。

 残り十~二十パーセント。

 くつにならないのはとても良いことだが、こういうのはどうにかならないものだろうか。達也はしみじみとそう感じていた。

「お兄様……」

 その一方で、ゆきは達也の制服のすそを指先でつかみ、こんわくと不安が入り交じった眼差しで、兄の顔を見上げている。

「謝ったりするなよ、深雪。いちりんいちもうたりとも、お前のじゃないんだから」

 たつはそんな妹を力づけるために、あえて強い語調で返事を返した。

「はい、しかし……止めますか?」

「……逆効果だろうなぁ」

「……そうですね。それにしても、エリカはともかく、づきがあんな性格とは……予想外でした」

「……同感だ」

 一歩引いた所から見守る──あるいは、ながめる──兄妹の視線の先には、二手に分かれていつしよくそくはつふんにらみあう新入生の一団がいた。その片方はゆきのクラスメイト、もう一方の構成メンバーは、言うまでもなく、美月、エリカ、レオだった。


 第一幕は、昼食時の食堂だった。

 第一高校の食堂は高校の学食としてはかなり広い方になるが、新入生が勝手知らずという事情から、この時期は例年混雑する。

 しかし、専門課程の見学を早めに切り上げて食堂に来た達也たち四人は、それほど苦労することもなく四人がけのテーブルを確保した。

 四人がけと言ってもながの対面式で、細身の女子生徒なら片側に三人は座れる。

 半分ほど食べ終わったころ(レオはもう食べ終えていた)、男子女子両方のクラスメイトに囲まれて食堂に到着した深雪が、達也を見つけて急ぎ足で寄ってきた。

 そこでひともんちやくあった。

 達也といつしよに食べようとする深雪。クラスメイトとの交流をこばむようなへんくつな性格ではないが、深雪にとって最優先すべき相手は達也だった。

 このテーブルに座れるのはあと一人。クラスメイトと達也とどっちを選ぶか、深雪は考えることすらしなかった。

 しかし、深雪のクラスメイト、特に男子生徒は、当然、彼女と相席をねらっていた。

 最初はせまいとかじやしちゃ悪いとかそれなりにオブラートに包んだ表現だったが、深雪のしゆうちやくが意外に強いと見るや、二科生と相席するのは相応ふさわしくないだの一科と二科のけじめだの、果ては食べ終わっていたレオに席を空けろと言い出す者まで出る始末。

 身勝手でごうまんな一科生のぐさにレオとエリカはそろそろばくはつしかけていた。達也は急いで食べ終えると、レオに声をけまだ食べているさいちゆうのエリカと美月に断りを入れて席を立った。

 深雪は達也たち四人に目で謝罪して、片側が空いたテーブルには座らず、達也と逆方向へ歩み去った。


 第二幕は午後の専門課程見学中の出来事だった。

 つうしようしやげきじよう」と呼ばれるえんかくほう用実習室では、3年A組の実技が行われていた。

 生徒会長、さえぐさの所属するクラスだ。

 生徒会は必ずしも成績で選ばれるものではないが、今期の生徒会長はえんかく精密ほうの分野で十年に一人の英才と呼ばれ、それを裏付けるように数多くのトロフィーを第一高校にもたらしていた。

 そのうわさは、新入生も耳にしている。

 そして噂以上にコケティッシュだった容姿も、入学式で見ている。

 彼女の実技を見ようと、大勢の新入生がしやげきじように詰め掛けたが、見学できる人数は限られている。こうなると、一科生にえんりよしてしまう二科生が多い中で、たつたちは堂々と最前列にじんったのだった。

 当然のように、悪目立ちした。


 そして第三幕は、今まさに進行中、づきたんを切っているさいちゆうだった。

「いい加減にあきらめたらどうなんですか? ゆきさんは、お兄さんといつしよに帰ると言っているんです。他人が口をはさむことじゃないでしょう」

 相手は一年A組の生徒。昼休みに食堂で見た面子めんつだ。

 つまりどういうじようきようかというと、放課後、深雪を待っていた達也に、深雪にくっついて来たクラスメイトがなんくせを付けたというのがほつたんだ。ちなみにそのクラスメイトは女子。男子生徒はさすがに周囲の(あるいは深雪の)目が気になったのか最初の内はだまっていたが、すでにそんな遠慮、あるいはりようしきはこの場から立ち去っていた。

「別に深雪さんはあなたたちをじやものあつかいなんてしていないじゃないですか。一緒に帰りたかったら、ついてくればいいんです。何の権利があって二人ふたりの仲をこうとするんですか」

 一科生のじんな行動に、意外なことに、最初に美月が切れた。

 ていねいものごしながら、ようしやなく正論をたたきつけた。

 今も美月は一科生ブルームを相手に、一歩も引かずゆうべんをふるっている。

 そう、最初は正論だった、はずなのだが……

「引き裂くとか言われてもなぁ……」

 少しはなれた場所で、つぶやく達也。彼は、何かが決定的にずれてきているような気がしていた。

「み、美月は何をかんちがいしているのでしょうね?」

 兄の呟きを耳にして、深雪はか、あわてていた。

「深雪……何故お前があせる?」

「えっ? いえ、焦ってなどおりませんよ?」

「そして何故に疑問形?」

 ちゆうの兄妹もいいあんばいに混乱し始めているのを横目に、思いやりにあふれた(?)友人たちはますますヒートアップしていた。

「僕たちは彼女に相談することがあるんだ!」

 ゆきのクラスメイト、男子生徒その一。

「そうよ! さんには悪いけど、少し時間を貸してもらうだけなんだから!」

 深雪のクラスメイト、女子生徒その一。

 彼らの勝手な言い分を、レオはせい良く笑い飛ばした。

「ハン! そういうのは自活(自治活動)中にやれよ。ちゃんと時間が取ってあるだろうが」

 エリカも皮肉成分たっぷりの笑顔と口調で言い返す。

「相談だったらあらかじめ本人の同意をとってからにしたら?

 深雪の意思を無視して相談も何もあったもんじゃないの。それがルールなの。高校生にもなって、そんなことも知らないの?」

 相手をおこらせることが目的のようなエリカのセリフと態度に、注文通り、男子生徒その一が切れた。

「うるさい! ほかのクラス、ましてやウィードごときが僕たちブルームに口出しするな!」

 差別的ニュアンスがある、という理由で「ウィード」という単語の使用は校則で禁止されている。半ば以上有名無実化しているルールだが、それでもこれだけ多くのもくを集めているじようきようで使用される言葉ではない。

 このぼうげんに真っ正面から反応したのは、やはりというか意外というか(多分「やはり」だろう)、づきだった。

「同じ新入生じゃないですか。あなたたちブルームが、今の時点で一体どれだけ優れているというんですかっ?」

 決して大声を張り上げていたわけではなかったが、美月の声は、不思議と校庭にひびいた。

「……あらら」

 まずいことになった、という思考が、達也の口から短いつぶやきとなってれた。

 彼の呟きは、一科生のころした声にかき消されて、となりにいた深雪にしか聞こえなかった。

「……どれだけ優れているか、知りたいなら教えてやるぞ」

 美月の主張は校内のルールに沿った正当なものだが、同時に、ある意味でこの学校のシステムを否定するものだ。

「ハッ、おもしれえ! とも教えてもらおうじゃねぇか」

 一科生のかくとも最後つうちようとも取れるセリフに、レオがちようせんてきな大声で応じた。事ここに至ればいまさらだが、完全に「売り言葉に買い言葉」状態だ。

 道理は美月にある。

 それが分かっているからこそ、今のシステムに安住する者は、生徒、教師の区別なく、感情的に反発する。

 ここで明確なルールはんがあったとしても、それが美月たちの側のものでなければ、見て見ぬふりをする者が多数派だろう。

 たとえそれが、学内のルール違反にとどまらない、法律違反であったとしても。

「だったら教えてやる!」

 学校内でCADのけいこうが認められている生徒は生徒会の役員と一部の委員のみ。

 学外におけるほうの使用は、法令で細かく規制されている。

 だが、CADの所持が校外で制限されているわけではない。

 意味が無いからだ。

 CADは今や魔法師のひつけいツールだが、魔法の行使に必要不可欠、ではない。CADが無くても魔法は使える。だから、CADの所持そのものを、法令は禁じていない。

 ゆえに、CADを所持している生徒は、授業開始前に事務室へ預け、下校時にへんきやくを受ける、という手続きになっている。

 またそれ故に、下校ちゆうである生徒がCADを持っているのは、別におかしなことではない。

「特化型っ?」

 だが、それが同じ生徒に向けられるとなれば、異常な事態、いや、非常事態だ。

 向けられたCADが、こうげきりよく重視の特化型なら尚のことだった。

 術式補助演算機CADにははんようがたと特化型の二種類があり、汎用型は最大九十九種類の起動式を格納できる代わりに使用者にかかる負担が大きく、特化型は起動式を九種類しか格納できない代わりに使用者の負担を軽減するためのサブシステムが備わっており、より高速の魔法発動を可能とする。

 その特質上、特化型のCADには攻撃的な魔法の起動式が格納されていることが多い。

 見物人の悲鳴をBGMに、小型けんじゆうを模した特化型CADの「じゆうこう」が、レオに突きつけられた。

 その生徒は口先だけではなかった。

 CADをぎわしようじゆんを定めるスピード、どちらも明らかに魔法師同士のせんとうに慣れている者の動きだった。

 魔法は才能に負う部分が大きい。

 それは同時に、血筋にぞんするところ大であるということ。

 ゆうしゆうな成績でこの学校に入学した一科生であれば、学校における魔法教育を受けていなくても、親の、家業の、しんせきの手伝いといった形で実戦経験のある者も決して少なくはない。

「お兄様!」

 ゆきの言葉が終わらぬ内に、たつは右手をしていた。

 手をばしても届かぬきよに、手を伸ばす。それは何か意味のある動作なのか。それとも、思考のらちがいに生じた無意味な反射的動作なのか。

 それが何であったにせよ、この場では、何の結果も生まなかった。

 ならば──

「ヒッ!」

 悲鳴を上げたのは、じゆうこうきつけていた一科生の方だった。

 小型けんじゆう形態のCADは、彼の手からはじばされていた。

 そしてその眼前では、どこからか取り出したしんしゆく警棒をいた姿勢で、エリカが笑みをかべていた。彼女の笑顔に、どうようあせりののこはない。風格すらもただよわせるあざやかなざんしんを見るだけで、そんなものは最初から無かったのだとわかる。同じ事をあと百回かえしても、その百回ともエリカの警棒は一科生のCADを弾き飛ばすに違いなかった。それだけの確かな技量をうかがわせる姿だった。

「この間合いなら身体を動かした方が速いのよね」

「それは同感だがテメエ今、おれの手ごとブッたたくつもりだっただろ」

 残心を解いたたん、軽いふんもどって得意げに説くエリカに答えたのは、CADを摑みかけた手を危ういタイミングで引いたレオだった。

「あ~らそんなことしないわよぉ」

「わざとらしく笑ってごまかすんじゃねぇ!」

 警棒を持つこうを口元に当てて「オホホホホ」などと、ごまかす気があるのかどうかも定かでないごまかし笑いを振りまくエリカに、レオのかんにんぶくろは結構ギリギリだった。

「本当よ。かわせるか、かわせないかくらい、身のこなしを見てれば分かるわ。

 アンタってバカそうに見えるけど、うでの方は確かそうだもの」

「……バカにしてるだろ? テメエ、おれのこと頭からバカにしてるだろ?」

「だからバカそうに見える、って言ってるじゃない」

 今や目の前の「敵」を忘れて、差し向かいでギャアギャアと漫才をひろげている二人に、たつゆきも、だれもがあつにとられていたが、いち早く我を取り戻したのは彼らと向かい合っていた深雪のクラスメイトの方だった。

 特化型デバイスをたたとされた男子生徒ではない。その背後で、女子生徒がうで形状のはんようがたCADへ指を走らせた。

 組み込まれたシステムが作動し、起動式の展開が始まる。

 起動式とはほうの設計図であり、直接的には魔法式を構築するためのプログラムだ。

 式の展開が完了後、展開された起動式をしきに存在する魔法演算領域に読み込み、ひよう、出力、持続時間等の変数に目的とする数値を入力、起動式に記述された手順のとおりに想子サイオン情報体、魔法式を組み立てる。

 人の内部世界である演算領域内で組み立てられた魔法式を、無意識領域の最上層にして意識領域の最下層たる「ルート」に転送、意識と無意識のはざに存在する「ゲート」から、外部情報世界へ投射することにより、魔法式が投射対象たる「事象にずいする情報体」──これを現代ほうがくでは、ギリシャ哲学の用語を流用して「エイドス」と呼んでいる──にかんしようし、対象の情報が一時的にわる。

 事象には情報がともなう。

 情報が書き換われば、事象が書き換わる。

 サイオン情報体に記述された事象の在り方が、現実世界の事象を一時的に改変する。

 これが術式補助演算機CADを用いた魔法のシステムだ。

 サイオン情報体を構築する速さが魔法の処理能力であり、構築できる情報体の規模が魔法のキャパシティであり、魔法式がエイドスを書き換える強さが干渉力。現在、この三つを総合して魔法力と呼ばれている。

 魔法式の設計図である起動式も、サイオン情報体の一種だ。ただし、起動式自体に事象を改変する効果はない。

 使用者から注入されたサイオンを、信号化して使用者に返す。

 大まかに言えば、これがCADの機能であり、CADから提供されたサイオン情報体=起動式を元に、魔法師は事象を書き換えるサイオン情報体=魔法式を構築する。

 特化型がじゆうの形をしていることが多いのは、銃身に相当する部分のしようじゆん補助システムを使って起動式展開の時点でひよう情報をみ、使用者の演算負担を軽減するためで、銃口からサイオン波が放出されている訳ではない。

 ほうからCADへ、そしてCADから魔法師へ。

 このサイオンの流れをぼうがいされると、CADを用いた魔法は機能しなくなる。

 例えば、展開中あるいは読み込み中の起動式に外部からサイオンのかたまりまれると、起動式を形成するサイオンのパターンがかくらんされ、効力のある魔法式が構築されず、魔法は未発のままさんする。

 今のように。

「止めなさい! 自衛目的以外の魔法による対人こうげきは、校則違反である以前に、犯罪こうですよ!」

 女子生徒のCADが展開中だった起動式が、サイオンのだんがんによってくだっていた。

 サイオンそのものを弾丸として放出する、魔法としては最も単純な形態ながら、起動式のみをかいし術者本人には何のダメージも与えないせいな照準と出力制御は、射手の並々ならぬ技量を示している。

 声の主の姿を認めて、エリカたちを攻撃しようとしていた女子生徒は、魔法によるもの以外のしようげきそうはくとなった。よろめいたその女子生徒の背中を、別の女子生徒がめている。

 警告を発し、サイオン弾で魔法の発動をしたのは、生徒会長・さえぐさだった。

 常に──たつが目にしている限りにおいて──にこやかだった顔は、こんな時であっても、それほど厳しさを感じさせない。

 だが魔法を行使する者の目にはりようぜんたる、並みの魔法師を大きく上回る規模の、活性化したサイオン光がそのがらな体を後光ハローのように包み、一種の冒しがたいげんを彼女に与えていた。

「あなたたち、一─Aと一─Eの生徒ね。

 事情を聞きます。ついて来なさい」

 冷たい、と評されても仕方のない、こうしつな声でこう命じたのは、となりに立った女子生徒。入学式の生徒会紹介によれば、彼女は風紀委員長、わたなべという名の三年生だ。

 摩利のCADはすでに起動式の展開をかんりようしている。

 ここでていこうりでも見せれば、そくに実力が行使されることは想像にかたくない。

 レオも、づきも、ゆきのクラスメイトも、言葉無く、こうちよくしている。

 反抗心から動かないのではなく、ふんまれて動けなくなった同級生を横にして、

 ごうぜんきよせいに胸を張ることもなく、

 しようぜんしゆくうなれることもなく、

 達也はたいぜんとした足取りで、しずしずと背後に付き従う深雪と共に、摩利の前へ歩み出た。

 とつぜん出て来た一年生に、摩利はいぶかしげな視線を向けた。

 摩利の視野において、達也たちは当事者に見えていなかったようだ。

 達也はそのまなしを動ずることなく受け止め、れいを損なわないはんで軽く一礼した。

「すみません、悪ふざけが過ぎました」

「悪ふざけ?」

 とうとつに思えるそのセリフに、まゆが軽くひそめられる。

「はい。

 もりさき一門のクイックドロウは有名ですから、こうがくために見せてもらうだけのつもりだったんですが、あんまりしんせまっていたもので、思わず手が出てしまいました」

 レオにCADをきつけた男子生徒が、目を丸くしておどろいている。

 ほかの一年生も今までとは別の意味で絶句する中、摩利は、エリカが手にする警棒と、地面に転がった拳銃形態のデバイスをいちべつし、視線をめぐらせほうにCADを使おうとした男女二人の新入生をふるがらせてから、たつを見て冷笑をかべた。

「ではその後に一─Aの女子がこうげきせいほうを発動しようとしていたのはどうしてだ?」

「驚いたんでしょう。条件反射で起動プロセスを実行できるとは、さすが一科生ですね」

 真面目くさった表情で答えていたが、その声はとなく、白々しかった。

「君の友人は、魔法によって攻撃されそうになっていたわけだが、それでも悪ふざけだと主張するのかね?」

「攻撃といっても、彼女が発動しようと意図したのは目くらましのせんこう魔法ですから。それも、失明したり視力しようがいを起こしたりする程のレベルではありませんでしたし」

 再び、息をむ気配。

 冷笑が、かんたんに変わる。

「ほぅ……どうやら君は、展開された起動式を読み取ることができるらしいな」

 起動式は、魔法式を構築するためのぼうだいなデータのかたまりだ。

 魔法師は、魔法式がどのような効果を持つものであるかについては、直感的に理解することができる。

 魔法式がエイドスにかんしようする過程で、改変されまいとするエイドス側からの反作用により、魔法式がどのような改変を行おうとしているのかを読み取ることが可能だ。

 だがそれ単独ではデータの塊に過ぎない起動式は、その情報量の膨大さゆえに、それを展開している魔法師自身にも、しき領域内で半自動的に処理することができるのみ。

 起動式を読む、ということは、画像データを記述する文字のれつから、その画像を頭の中で再現するようなものだ。

 理解することなど、普通はできない。

「実技は苦手ですが、ぶんせきは得意です」

 だが達也は事も無げに、その非常識な技能を、「分析」の一言で片付けた。

「……すのも得意なようだ」

 みするような、にらみつけるような、その中間のまなし。

 ただ一人ひとり、矢面に立っていた兄をかばう様に、ゆきが進み出る。

「兄の申したとおり、本当に、ちょっとした行き違いだったんです。

 せんぱい方のお手をわずらわせてしまい、申し訳ありませんでした」

 こちらはじんざいもなく、真正面から深々と頭を下げられて、毒気をかれた表情では目をらした。

「摩利、もういいじゃない。

 たつくん、本当にただの見学だったのよね?」

 いつの間にか名前で呼ばれているよ、と達也は思ったが、せっかく差し向けられたの助け舟をにはできない。

 今までどおり、真面目くさった表情でうなずくと、真由美は何となく、得意げに見える──まるで「貸し一つ」とでも言いたげな──笑みをかべた。

「生徒同士で教え合うことが禁止されているわけではありませんが、ほうの行使には、起動するだけでも細かな制限があります。

 このことは一学期の内に授業で教わる内容です。

 魔法の発動を伴う自習活動は、それまでひかえた方がいいでしょうね」

 真面目な表情にもどってくんれる真由美の後を受けて、摩利もまた、形式をしきしたことづかいでしんぱんを下した。

「……会長がこうおつしやられていることでもあるし、今回は不問にします。以後このようなことの無いように」

 あわてて姿勢を正し、えつどうしゆうながらいつせいに頭を下げる一同に見向きもせず、摩利はきびすを返した。

 が、一歩踏み出したところで足を止め、背中を向けたまま問いかけを発した。

「君の名前は?」

 首だけでいた切れ長の目は、そのはしに達也の姿を映している。

「一年E組、達也です」

「覚えておこう」

 反射的に「結構です」と答えそうになった口をつぐんで、達也はため息をんだ。


        ◇ ◇ ◇


「……借りだなんて思わないからな」

 役員の姿が校舎に消えたのを見届けて、最初に手を出した、つまり達也にかばわれた形になったA組の男子生徒が、とげのある視線を向け、同じく棘のある口調で、達也へ向けてそう言った。

 達也は、やれやれ、という表情を浮かべて背後を見た。

 友人たち全員が、彼と似たような顔をしていた。

 無用にエキサイトするキャラクターが、少なくともこの場ではいなかったことにあんしながら、たつとげを生やしたA組男子生徒へ視線をもどした。

「貸してるなんて思ってないから安心しろよ。

 決め手になったのはおれの舌先じゃなくて深雪の誠意だからな」

「お兄様ときたら、言い負かすのは得意でも、説得するのは苦手なんですから」

「違いない」

 わざとらしい非難のまなしに、苦笑で返す。

「……僕の名前はもりさき駿しゆん。お前がいたとおり、森崎の本家に連なる者だ」

 兄妹の、見ようによってはほのぼのとしたやり取りに気をがれたのか、やや敵意のうすれた顔で、少年が名乗りを上げる。

「見抜いたとか、そんなおおな話じゃないんだが。

 単にはん実技の映像資料を見たことがあっただけで」

「あっ、そういえばあたしもそれ、見たことあるかも」

「で、テメエは今の今まで思い出しもしなかった、と。やっぱ、達也とは出来が違うな」

「何をえらそうに。起動中のホウキをつかもうなんてするバカに、頭の出来をうんぬんされたかないわよ」

「あぁ? バカとはなんだバカとは」

「あの……本当に危ないんですよ。ほかほうのサイオンで作り出された起動式は、魔法演算領域にきよ反応を起こしかねないんですから……」

「という訳なのよ。分かった?」

「エリカちゃんもよ? 直接手でさわらなくたって、かんしようを受ける可能性はあるんだから」

だいじよう。これ、シールド済みだから」

 背後では友人たちの話がそれなりに意味のある方向へ発展していたが、達也は森崎と目線を合わせたまま、動かない。

「僕はお前を認めないぞ、達也。司波さんは、ぼくたちといつしよにいるべきなんだ」

 森崎はそう捨てゼリフを残して、達也の返事を待たずに背を向けた。返事を必要としないからこそ捨てゼリフなのだろうが、相手をしきしているからこそ、のものでもある。

「いきなりフルネームで呼び捨てか」

 だから、ひとごとのように、ただしっかり聞こえる音量でつぶやいた達也の言葉に、森崎はピクッと背中をふるわせた。そこで立ち止まらず、そのまま立ち去ったのはある種の意地が作用したのだろう。

 聞こえよがしの呟きを放った達也のとなりでは、深雪がこんわくかべている。

 自省的な性格のくせに、敵を作るのを躊躇ためらわない自己めつ型のてつぽうさは、兄の大きな欠点だと彼女は以前から気に病んでいた。

 もっともそれ以上に、もりさきの思い込みにへきえきしている部分があったのだが。

「お兄様、もう帰りませんか?」

「そうだな。レオ、さん、しばさん、帰ろう」

 とにかく精神的につかれた、という実感を共有していた二人は、どちらからともなくうなずきあって、その場をはなれることにした。

 行く手をさえぎるように、事態を悪化させかけたあのA組の女子生徒が立っていたが、今日きようはもうこれ以上関わりたくないというのが本音だった。

 ゆきくばせして、そのまま通り過ぎようとする。

 兄の意をんで、また明日あした、とあいさつをしようとした深雪だったが、それより先に、相手が口を開いた。

みつほのかです。さっきは失礼なことを言ってすみませんでした」

 いきなり頭を下げられて、正直なところ、たつめんらっていた。

 先程まではひかに言ってもエリートしきかくしきれていなかった少女のこの態度は、ひようへんと言えた。

かばってくれて、ありがとうございました。森崎君はああ言いましたけど、大事にならなかったのはお兄さんのおかげです」

「……どういたしまして。でも、お兄さんは止めてくれ。これでも同じ一年生だ」

「分かりました。では、何とお呼びすれば……」

 思い込みが激しそうな目をしている。

 やつかいなことにならなければいいが、と思いながらも、げんな口調にならないよう注意しながら達也は答えた。

「達也、でいいから」

「……分かりました。

 それで、その……」

「……なんでしょうか?」

 素早いアイコンタクトの結果、深雪がほのかの前に出る。

「……駅までごいつしよしてもいいですか?」

 おそおそる、だが何かある種の決意を秘めた顔で、同行をうほのか。

 ほのかのセリフそのものよりその表情に意外感を覚えて、エリカはづきと、お互いの顔を見合わせていた。

 とは言っても、二人にもレオにも、もちろん達也・深雪の兄妹にも、こばむ理由はなかったし、拒める道理もなかった。


        ◇ ◇ ◇


 駅までの帰り道は、みような空気だった。

 メンバーはたつづき、エリカ、レオのE組の四人と、ゆき、ほのか、そして同じくA組のきたやましずくという名の、先ほどの登場によろめいたほのかをめていた女子生徒。

 達也のとなりには深雪、そしてその反対側にはか、ほのかがじんっている。

「……じゃあ、深雪さんのアシスタンスを調整しているのは達也さんなんですか?」

「ええ。お兄様にお任せするのが、一番安心ですから」

 ほのかの質問に対して、我が事のように得意げに、深雪が答える。

「少しアレンジしているだけなんだけどね。深雪は処理能力が高いから、CADのメンテに手がからない」

「それだって、デバイスのOSを理解できるだけの知識が無いとできませんよね」

 深雪の隣からのぞき込む様に顔を出して、美月が会話に参加してきた。少し苦笑い気味の達也のフォローは、あまり効果がなかったようだ。

「CADのシステムにアクセスできるスキルもないとな。大したもんだ」

「達也くん、あたしのホウキも見てもらえない?」

 かえりながら、レオ、エリカ。

 エリカの呼びかけが「くん」から「達也くん」に変わっているのは、みつさんに名前で呼ばせているんだからいいでしょ、との一方的な宣言によるもの。その代わり、あたしのこともエリカでいいから、というありがたいこうかん条件付だ。当然、美月も同じ取引を主張して、早くもせい事実化している。

「無理。あんなとくしゆな形状のCADをいじる自信はないよ」

「あはっ、やっぱりすごいね、達也くんは」

 達也の返事は本気なのかけんそんなのか分かりにくいものだったが、エリカの反応は裏表のないしようさんだった。

「何が?」

「これがホウキだって分かっちゃうんだ」

 達也に問われて、の長さにちぢめた警棒のストラップを持ってクルクル回しながら、エリカが陽気に笑う。

 ただ、その目のおくには、単純な笑み以外の光がある。

「えっ? その警棒、デバイスなの?」

 果たして、それが注文通りだったのか、美月が目を丸くしたのを見て、エリカは満足げに二度、ウンウンとばかりうなずいた。

つうの反応をありがとう、づき

 みんなが気づいていたんだったら、すべっちゃうとこだったわ」

 そのりを聞いて、レオがさらに、いぶかしげに問う。

「……にシステムを組み込んでるんだ? さっきの感じじゃ、全部くうどうってわけじゃないんだろ?」

「ブーッ。柄以外は全部空洞よ。刻印型の術式で強度を上げてるの。こうほうは得意分野なんでしょ?」

「……術式をがくもんようして、感応性の合金に刻み、サイオンを注入することで発動するって、アレか?

 そんなモン使ってたら、並みのサイオン量じゃ済まないぜ? よくガス欠にならねえな?

 そもそも刻印型自体、燃費が悪過ぎってんで、今じゃあんまり使われてねえ術式のはずだぜ」

 レオのてきに、エリカは少し目を開いて、おどろき半分、感心半分を表現した。

「おっ、さすがに得意分野。

 でも残念、もう一歩ね。

 強度が必要になるのは、しと打ち込みのしゆんかんだけ。そのせつつかまえてサイオンを流してやれば、そんなにしようもうしないわ。

 かぶとりの原理と同じよ。……って、みんなどうしたの?」

 逆に感心とあきがおがブレンドされた空気にさらされて、居心地悪げにたずねたエリカに、

「エリカ……兜割りって、それこそ秘伝とかおうとかに分類される技術だと思うのだけど。

 単純にサイオン量が多いより、余程すごいわよ」

 全員を代表して、ゆきが答えた。

 何気ない指摘だった。

 だがエリカのこわった顔は、彼女が本気であせっていることを示していた。

たつさんも深雪さんもすごいけど、エリカちゃんもすごい人だったのね……

 うちの高校って、いつぱんじんの方がめずらしいのかな?」

ほう高校に一般人はいないと思う」

 だが、美月の天然気味な発言と、それまでだまっていたきたやましずくがボソッとらした的確すぎるツッコミで、色々と訳ありの空気はかくしんが見えぬままさんした。

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