[1]

「納得できません」

「まだ言っているのか……?」

 第一高校入学式の日、だが、まだ開会二時間前の早朝。

 新生活とそれがもたらす未来予想図に胸おどらせる新入生も、彼ら以上にがっている父兄の姿も、さすがにまばらだ。

 その入学式の会場となる講堂を前にして、真新しい制服に身を包んだ一組の男女が何やら言い争っていた。

 同じ新入生、だがその制服はみように、しかし明確に異なる。

 スカートとスラックスの違い、男女の違い、ではない。

 女子生徒の胸には八枚の花弁をデザインした第一高校のエンブレム。

 男子生徒のブレザーには、それが無い。

お兄様が補欠なのですか? 入試の成績はトップだったじゃありませんか!

 本来ならばわたしではなく、お兄様が新入生総代を務めるべきですのに!」

「お前がから入試結果を手に入れたのかは横に置いておくとして……ほう学校なんだから、ペーパーテストより魔法実技が優先されるのは当然じゃないか。

 おれの実技能力はゆきも良く知っているだろう? 自分じゃあ、二科生徒とはいえよくここに受かったものだと、おどろいているんだけどね」

 激しい口調でってかる女子生徒を、男子生徒が何とかなだめようとしている構図だった。女子生徒が「お兄様」と呼んでいるところから察するに兄妹なのだろう。近しいしんせき、という可能性もゼロではないが。

 兄妹だとするならば。

 似ていない兄妹だった。

 妹の方は人の目をかずにはおかない、十人が十人、百人が百人認めるに違いないれんな美少女。

 一方で兄の方は、ピンとびた背筋とするどい目つき以外、取り立てておよぶところのないへいぼんな容姿をしている。

「そんなの無いことでどうしますか! 勉学も体術もお兄様に勝てる者などいないというのに! ほうだって本当なら」

 兄の弱気な発言を妹が厳しくしつする、が

「深雪!」

 それ以上に強い口調で名前を呼ばれて、深雪はハッとした顔で口を閉ざした。

「分かっているだろ? それは口にしても仕方のないことなんだ」

「……申し訳ございません」

「深雪……」

 うなれた頭にポンと手を置き、つややかな癖の無い長いくろかみをゆっくりでながら、さて、どうげんをとろうか、と、兄であろう少年は少しばかり情けないことを考えていた。

「……お前の気持ちはうれしいよ。俺の代わりにお前がおこってくれるから、俺はいつも救われている」

うそです」

「噓じゃない」

「噓です。お兄様はいつも、わたしのことをしかってばかり……」

「噓じゃないって。

 でも、お前が俺のことを考えてくれているように、俺もお前のことを思っているんだ」

「お兄様……そんな、『想っている』だなんて……」

(……あれっ?)

 か、ほおを赤らめる少女。

 何かしら無視し得ないが生じているような気がしたが、少年はせまった問題の解決のために、疑念をたなげすることにした。

「お前が答辞を辞退しても、俺が代わりに選ばれることは絶対に無い。このたんで辞退したりすれば、お前の評価が損なわれることはけられない。

 本当は、分かっているんだろ? ゆき、お前はかしこだから」

「それは……」

「それにな、深雪。おれは楽しみにしているんだよ。

 お前はおれまんの妹だ。

 可愛かわいい妹の晴れ姿を、このダメあにに見せてくれよ」

「お兄様はダメ兄貴なんかじゃありません!

 ……ですが、分かりました。わがままを言って、申し訳ありませんでした」

「謝ることでもないし、我侭だなんて思ってないさ」

「それでは、行って参ります。

 ……見ていてくださいね、お兄様」

「ああ、行っておいで。本番を楽しみにしているから」

 はい、では、としやくをした少女の姿が講堂へと消えたのを確認して、少年はやれやれとため息をついた。

(さて……俺はこれからどうすればいいんだろ?)

 総代をしぶる妹の付き添いでリハーサル前に登校した少年は、入学式が始まるまでの二時間をどう過ごすか、なやみ、ほうに暮れた。


        ◇ ◇ ◇


 ほんとう、実技棟、実験棟の三校舎。

 内部レイアウトが機械可変式の講堂けん体育館。地上三階・地下二階の図書館。二つの小体育館。こうしつ、シャワー室、備品庫、クラブの部室として使われている準備棟。食堂兼カフェテリア兼こうばいも別棟になっており、それ以外にも大小様々な付属建築物が建ち並ぶ第一高校のしき内は、高校と言うよりこうがいがたの大学キャンパスのおもむきがある。

 入場が始まるまでの待ち時間、少年はこしを落ち着ける場所を探して、れんを模したソフトコートそうの道を、左右を見ながら歩いていた。

 学校施設を利用するためのIDカードは、入学式終了後に配られる段取りになっている。

 来訪者の為のオープンカフェも、混乱をける為か今日きようは営業していない。

 けいたいたんまつに表示した構内図と見比べながら歩き回ること五分、視界をさえぎらない程度に配置された並木の向こう側に、ベンチの置かれた中庭を発見した。

 雨じゃなくて良かった、とらちもないことを考えながら、三人掛けのベンチに腰を落ち着け、携帯端末を開いてお気に入りのしよせきサイトにアクセスする。

 この中庭は準備棟から講堂へ通じる近道のようだ。

 式の運営にされているのだろうか。在校生(少年にとっては上級生)が少年の前を少しきよをとって横切って行く。彼ら、彼女たちの左胸には一様に、八枚花弁のエンブレム。

 通り過ぎて行ったその背中から、じやな悪意がこぼれ落ちる。

 ──あの子、ウィードじゃない?

 ──こんなに早くから……補欠なのに、張り切っちゃって

 ──しよせん、スペアなのにな

 聞きたくもない会話が、少年の耳に流れ着く。

 ウィードとは、二科生徒を指す言葉だ。

 緑色のブレザーの左胸に八枚花弁を持つ生徒をそのエンブレムのしようから「ブルーム」と呼び、それを持たない二科生徒を花の咲かない雑草(weed)として「ウィード」と呼ぶ。

 この学校の定員は一学年二百名。

 その内百名が、第二科所属の生徒として入学する。

 国立ほう大学の付属教育機関である第一高校は、魔法技能師育成の為の国策機関だ。

 国から予算が与えられている代わりに、一定の成果が義務付けられている。

 この学校のノルマは、魔法科大学、魔法技能専門高等訓練機関に、毎年百名以上の卒業生を供給すること。

 残念ながら、魔法教育には事故が付き物だ。実習で、実験で、魔法の失敗は容易に「チョッとした」では済まされない事故へ直結する。生徒たちはその危険性を知りながらも、ほうという自らの才能、自らの可能性に己が未来をけて、魔法師への道をすすむ。

 しような才能を持ち、それが社会的に高く評価されるものであるとき、その才能を捨てられる者は少ない。それが人格的に未成熟な少年少女であればなおのこと。「かがやかしい未来」以外の将来を思い描くことができなくなる。それは決して悪いことではないが、その固定化された価値観のゆえに少なくない子供たちが傷を負うのも、また事実だ。

 幸いノウハウのちくせきにより、死亡事故や身体にしようがいが残るような事故はほぼ根絶されている。

 だが魔法の才能は、心理的要因により容易にスポイルされてしまう。

 事故のショックで魔法を使えなくなった生徒が、毎年少なからず退学していく。

 そのあなめ要員が「二科生徒」。

 彼らは学校にざいせきし、授業に参加し、せつ・資料を使用することを許可されているが、最も重要な、魔法実技の個別指導を受ける権利が無い。

 独力で学び、自力で結果を出す。

 それができなければ、つう高校卒業資格しか得られない。

 魔法科高校の卒業資格は与えられず、魔法科大学には進学できない。

 魔法を教えられる者があつとうてきに不足している現状では、才能ある者を優先せざるを得ないのだ。二科生は最初から、入学を許されているのである。

 二科生を「ウィード」と呼ぶことは、建前としては禁止されている。

 だがそれは、半ば公然たるべつしようとして、二科生自身の中にも定着している。二科生自身が、自分たちをスペア部品でしかないとにんしきしている。

 それは、少年も同じだった。

 だから、わざわざ聞こえよがしに思い知らせてくれる必要は無い。そんなことは百も承知で、この学校に入ったのだ。

 本当に余計なお世話だ、と思いながら、少年はじようほうたんまつに落としたしよせきデータへしきを向けた。


        ◇ ◇ ◇


 開いていた端末に、時計が表示された。

 読書に没頭していた意識が、現実にもどされる。

 入学式まで、あと三十分。

「新入生ですね? 開場の時間ですよ」

 愛用の書籍サイトからログアウトし、端末を閉じてベンチから立ち上ろうとしたちょうどその時、頭上から声が降って来た。

 まず目に付いたのは制服のスカート。それから、ひだりうでに巻かれたはばひろのブレスレット。

 普及型よりおおはばうすがたされ、ファッション性もこうりよされた最新式のCADだ。

 CAD──術式補助演算機(Casting Assistant Device)。

 デバイス、アシスタンスとも呼ばれている。

 この国ではホウキ(法機)という呼称も使われる。

 ほうを発動するための起動式を、じゆもんじゆいんげいほうじん、魔法書などの伝統的な手法・道具に代わり提供する、現代の魔法技能師にひつのツール。

 一単語、あるいは一文節で魔法を使い分ける呪文は、今のところ開発されていない。呪符や魔法陣を併用したとしても、短くて十秒前後、ものによっては一分以上のえいしようが必要となるところを、CADは一秒以下の簡易な操作で代替する。

 CADが無ければ魔法を発動できないというわけではないが、魔法発動をやくてきに高速化したCADを使わない魔法技能師はかいに等しい。一定の技能に特化することをだいしようとして、念ずるだけでちようじようげんしようを引き起こすいわゆる「超能力者」も、起動式システムがもたらすスピードと安定性を求めてCADを愛用する者が主流となっているほどだ。

 ただし、CADがあればだれでも魔法が使えるというわけでもない。

 CADは起動式を提供するだけであり、魔法を発動するのは魔法技能師自身の能力。

 つまり、魔法を使えない者には無用の長物であり、CADを所持するのはほぼ百パーセント、ほうたずさわる者である。

 そして少年のおくによれば、生徒で学内におけるCADの常時けいこうが認められているのは、生徒会の役員と特定の委員会のメンバーのみ。

「ありがとうございます。すぐに行きます」

 相手の左胸には当然、八枚花弁のエンブレム。

 ブレザーを押し上げる胸のふくらみは、少年のしきとうえいされない。

 自分の左胸をかくす、ことはしない。

 そんなくつさは、持ち合わせていない。

 だが、れつとうかんが無いわけではない。

 生徒会役員を務めるような優等生と、積極的に関わり合いになりたいとは思えなかった。

「感心ですね、スクリーン型ですか」

 だが、相手はそう思わなかったようだ。少年の手で三つ折りにたたまれるけいたいじようほうたんまつのフィルムスクリーンに目をりながら、何が楽しいのかニコニコほほんでいる。

 少年はここに至り、ようやく相手の顔を見た。

 相手の顔の位置は、ベンチから立ち上がった少年より、二十センチは低い。

 少年の身長が一七五センチだから、女性としても小柄な方だろう。

 目線が、彼が二科生徒であることを確認するには、ちょうどいい高さ。

 だがそのまなしには、彼を見下す一切のしきさいが含まれておらず、単純な、あるいはじやな、かんたんがあった。

「当校では仮想型ディスプレイ端末の持込を認めていません。ですが残念なことに、仮想型を使用する生徒が大勢います。

 でもあなたは、入学前からスクリーン型を使っているんですね」

「仮想型は読書に不向きですので」

 彼の端末が年季の入ったものであることくらいだれにでも一目で分かるので、余計なことをかえしたりはしなかった。

 少年の言い訳じみた返事は、余り素っ気ないと、自分よりも妹の不利益になると考えた結果だ。新入生総代を務める彼の妹は間違いなく、生徒会に選ばれるだろうから。

 そんな打算の産物に、その上級生は一層感心の色をくした。

「動画ではなく読書ですか。ますますめずらしいです。

 私も映像資料より書籍資料が好きな方だから、何だかうれしいわね」

 確かにバーチャルコンテンツの方がテキストコンテンツより好まれる時代だが、読書を好む人間がそこまでしようということは無い。

 どうやらこの上級生は、珍しいくらいひとなつこい性格らしい。口調とことづかいが、段々くだけたものになってきている点から見ても。

「あっ、申し遅れました。私は第一高校の生徒会長を務めています、七草です。ななくさ、と書いて、さえぐさ、と読みます。

 よろしくね」

 最後にウインクが添えられていても不思議のない口調だった。美少女なルックス、がらながらも均整の取れたプロポーションと相まって、高校生になったばかりの男子生徒がかんちがいしても仕方がないわくてきふんかもしていた。

 それなのに、彼女の自己しようかいを聞いて、少年は思わず顔をしかめそうになった。

数字付きナンバーズ……しかも「さえぐさ」か)

 ほうの能力は遺伝的素質に大きく左右される。

 魔法師としての資質に、家系が大きな意味を持つ。

 そしてこの国において、魔法に優れた血を持つ家は、慣例的に数字を含むみようを持つ。

 数字付きナンバーズとは優れた遺伝的素質を持つ魔法師の家系のことであり、七草家はその中でも、現在この国において最有力と見なされている二つの家のうちの一つだった。その、おそらくは直系の血を引き、この学校の生徒会長を務める少女。つまり、エリート中のエリートというわけだ。自分とは正反対と言ってもいい、かもしれない。

 そんな苦みをともつぶやきを心の中にとどめ、何とか愛想笑いをかべて、少年は名乗り返した。

おれ、いえ、自分は、たつです」

「司波達也くん……そう、あなたが、あの司波くんね……」

 目を丸くしておどきを表現した後、何やら意味ありげにうなずく生徒会長。

 まあ、どうせ新入生総代、主席入学の司波ゆきの兄でありながら、まともにほうが使えない落ちこぼれ、という意味の「あの」だろう。

 そう思い、達也は礼儀正しいちんもくを選んだ。

「先生方の間では、あなたのうわさで持ちきりよ」

 だまんだ達也を気にした様子もなく、真由美は楽しそうな含み笑いの後、そう言った。

 それは、ここまで出来の違う兄妹もめずらしいだろう、と達也は思った。

 だが不思議と、そういうネガティブな感情は伝わってこなかった。含み笑いに、あざけりのニュアンスは感じられなかった。

 真由美の笑顔からは、親しみを込めたポジティブなイメージしか伝わってこない。

「入学試験、七教科平均、百点満点中九十六点。

 特に圧巻だったのは魔法理論と魔法工学。合格者の平均点が七十点に満たないのに、両教科とも小論文を含めて文句なしの満点。

 前代未聞の高得点だって」

 手放しのしようさんに聞こえるのは自分の気のに違いない、と達也は思った。なら、

「ペーパーテストの成績です。情報システムの中だけの話ですよ」

 ほう高校生の評価として優先されるのは、テストの点数ではなく、実技の成績だからだ。

 苦い愛想笑いをかべながら、たつは自分の左胸を指差した。

 その意味を生徒会長が知らないはずは無い。

 しかしは、達也の言葉に対して、笑顔で首をった。

 縦に、ではなく、左右に。

「そんなすごい点数、少なくとも、私にはできないわよ?

 私ってこう見えて、理論系も結構上の方なんだけどね。入学試験と同じ問題を出されても、くんのような点数はきっと、取れないだろうなぁ」

「そろそろ時間ですので……失礼します」

 達也は、まだ何か話したそうにしている真由美にそう告げて、返事を待たずに背を向けた。

 真由美の笑顔を、このまま彼女と会話し続けることを、彼は心のかでおそれていた。

 自分が何を恐れているのか、自覚しないままに。


        ◇ ◇ ◇


  生徒会長と話しこんでいたで、達也が講堂に入った時には、すでに席の半分以上がまっていた。

 座席の指定は無いから、最前列に座ろうが最後列に座ろうが真ん中に座ろうがはしに座ろうが、それは自由だ。

 今でも、学校によっては入学式前にクラス分けを発表してクラス別に並ばせる古風なところもあるが、この学校はIDカード交付時にクラスが判明する仕組になっている。

 従って、クラス別に自然に分かれる、ということもない。

 だが、新入生の分布には、明らかに規則性があった。

 前半分が一科生ブルーム。左胸に八枚花弁のエンブレムを持つ生徒。この学校のカリキュラムをフルにきようじゆできる新入生。

 後ろ半分が二科生ウイード。左胸のポケットが無地のままの生徒。補欠的なあつかいでこの学校に入学を許された新入生。

 同じ新一年生、同じく今日きようからこの学校の生徒となる身でありながら、前と後ろでエンブレムの有無が、きれいに分かれている。

 だれに強制されたわけでもない、にも関わらず。

(最も差別しきが強いのは、差別を受けている者である、か……)

 それも一種の生きるであるのは確かだ。

 あえて逆らうつもりもなかったので、達也は後ろ三分の一辺りの中央に近い空き席を適当に見つくろって座った。

 かべの時計に目を向ける。

 あと二十分。

 通信制限のかっている講堂の中ではぶんけんサイトにアクセスできない。たんまつに保存したデータは読み古しているし、何よりこんな所で端末を広げるのはマナー違反だ。

 いまごろ、最後のリハーサルをしているであろう妹の姿を思い浮かべようとして……たつは小さくかぶりった。

 あの妹が、こんな直前にじたばたするはずがない。

 結局、何もすることが無くなった達也は、クッションの効いていないに深く座り直して目を閉じた。そのまましきすいに委ねようとした、のだが、

「あの、おとなりは空いていますか?」

 その直後、声がかった。

 目を開けて確認すると、やはり、自分に掛けられた声。

 声で分かるとおりの、女子生徒だ。

「どうぞ」

 まだ空席は少なくないのにわざわざ見知らぬ男子生徒の隣に座りたがるのか、といぶかしむ気持ちが無いでもなかったが、ここの椅子は座り心地はともかくサイズだけはゆったりと作ってあるし相手は少女としても細身の体型(よこはばが、というちゆうしやく付きだが)だったので、隣に座られても達也としては不都合など無い。むしろ、むさ苦しい筋肉のかたまりに居座られるよりマシだ。

 そう考えて、達也は愛想よくうなずいた。

 ありがとうございます、と頭を下げてこしける少女。

 その横に次々と三人の少女が腰を下ろす。

 なるほど、と達也は納得した。

 どうやら四人一続きで座れる場所を探していたらしい。

 友人、なのだろうが、この難関学校に四人も同時に合格して、その全員が二科生というのもめずらしいんじゃないか、と達也は思った。一人くらい、成績上位者がいてもおかしくない気がする。──別に、どうでもいいことではあるが。

「あの……」

 ぐうぜん隣り合わせることになった同級生に対するそれ以上の関心を無くし、視線を正面にもどした達也に、また、声が掛けられた。

 一体なんだろうか?

 間違いなく知り合いではないし、ひじが当たってるわけでも足が当たっているわけでもない。

 自分で言うのも何だが、達也は姿勢が良い方だ。

 クレームを受けるようなことは、何もしていないはずだが──

「私、しばづきっていいます。よろしくお願いします」

 と、首をかしげたたつに、予想外のしようかい。気弱そうな調ちようと外見。人を見た目で判断するのは危険かもしれないが、アピールが得意なタイプとも思えない。

 多分、無理をしているのだろう、と達也は判断した。だれからか、「ただでさえハンデを負っているのだから、二科生同士助け合わなければならない」などと、余計なことを吹き込まれたのかもしれない。

達也です。こちらこそよろしく」

 そう思ってなるべくやわらかな態度で自己紹介を返すと、大きなレンズの向こう側のひとみにホッとした表情がかんだ。

 メガネをかけた少女は、今の時代、かなりめずらしいといえる。

 二十一世紀中葉から視力きようせいりようきゆうした結果、この国で近視という病は過去のものとなりつつある。

 余程重度の先天性視力異常でもない限り、視力矯正具は必要ないし、視力矯正が必要な場合でも人体に無害で年単位の連続装着が可能なコンタクトレンズが普及している。

 わざわざメガネを使う理由があるとすれば、単なるこうか、ファッションか、あるいは──

りよう放射光びんしようか……)

 少ししきを向けただけで、レンズに度の入っていないことが分かる。少なくとも、視力矯正を目的としたものではない。この少女の印象からして、ファッションでメガネを愛用しているというより、何か必要があってメガネをけているという方が、達也には自然に思えた。

 霊子放射光過敏症は、見え過ぎ病とも呼ばれている「体質」のことで、意図せずに霊子放射光が見える、意識して霊子放射光を見えないようにすることができない、一種の知覚せいぎよ不全症だ。とは言っても病気ではなく、しようがいでもない。

 感覚が、するどすぎるだけなのだ。

 霊子プシオンと、想子サイオン。どちらも「超心理現象」──ほうもこれにふくまれる──において観測されるりゆうで、物質を構成しているフェルミオン(フェルミ粒子)にはがいとうせず、物質間にそう作用をもたらすボソン(ボース粒子)とも異なる非物理的存在だ。想子サイオンは意思や思考を形にする粒子、霊子プシオンは意思や思考を産み出す情動を形作っている粒子と考えられている。(残念ながら、まだ仮説段階だが)

 通常、魔法に用いられるのは想子サイオンの方で、現代魔法の技術体系は想子サイオンの制御に力点が置かれている。魔法師はまず、想子サイオンを操作する技能から覚える。

 ところが霊子放射光過敏症者は、先天的に霊子放射光──霊子プシオンの活動によって生じる非物理的な光に過敏な反応を示してしまう。

 霊子放射光は、それを見ている者の情動にえいきようを及ぼす。それ故に霊子プシオンは情動を形成する粒子である、という仮説が立てられているわけだが、そのために、霊子放射光過敏症者は精神のきんこうくずしやすいけいこうにある。

 これを予防するための手立ては、根本的には、霊子プシオン感受性をコントロールすることだが、それができない者には技術的なだいたい手段が提供されている。その一つが、オーラ・カット・コーティング・レンズと呼ばれるとくしゆなレンズを使ったメガネだ。

 実は、ほうにとって霊子放射光びんしようは、それほどめずらしい体質ではない。霊子プシオンに対する感受性と想子サイオンに対する感受性は大体において正比例しているから、想子サイオンにんしきし操作する魔法師に霊子放射光に対する過敏な感受性になやむ者が多く見られるのは仕方のないことだと言える。

 だが、常時メガネで霊子放射光をしやだんしなければならないほどの「しようじよう」は、やはり珍しい。それが単にせいぎよ能力の低さに由来するものならばいいのだが、感受性がきよくたんに強いであれば、たつにとって困ったことになる。(本人にとっては逆だろう)

 達也には、かくしている秘密がある。

 つうなら見ても分からない、見られること自体を心配する必要のない秘密だが、霊子プシオン想子サイオンを可視光と同じように知覚できる特殊な目を持っているとすれば、ふとしたはずみで気づかれてしまうかもしれない。

 ──彼女の前では、いつも以上に注意深い行動をこころけておくべきだろうか。

「あたしはエリカ。よろしくね、くん」

「こちらこそ」

 達也のは、づきの向こう側に座った少女の声で中断された。

 ただそれは、タイミングのいいリリーフでもあった。

 達也の視線は知らず美月をめる形となっていて、美月のしゆうしんがそろそろ限界に近づいていたのだが、そのことに彼は気づいていなかった。

「でも面白いぐうぜん、と言っていいのかな?」

 こちらは友人と違って、ものじも人見知りもしない性格らしい。

 ショートのかみがたや明るい髪の色やハッキリした目鼻立ちが、活発な印象をぞうふくしている。

「何が?」

「だってさ、シバにシバタにチバでしょ? 何だかわせみたいじゃない。チョッと違うけどさ」

「……なるほど」

 確かにチョッと違うが、言いたいことは分かる。

(それにしても、千葉ね……また数字付きナンバーズか? 千葉家に「エリカ」という名前のむすめはいなかったと思うが、ぼうけいという可能性もあるしな……)

 彼がそんなことを考えているかたわらで、ホントだ、とか、面白~い、とか、いささか場違いな笑声が放たれたが、周りから白い目を向けられるほどではない。

 エリカの向こう側に座っている残り二人ふたりしようかいが終わったところで、達也はさいこうしんを満たしてみたくなった。

「四人は、同じ中学?」

 エリカの答えは、意外なものだった。

「違うよ、全員、さっき初対面」

 意表をつかれたたつの表情がしかったのか、エリカはクスクス笑いながら説明を続けた。

「場所が分からなくてさ、案内板とにらめっこしていたところに、づきが声をかけてくれたのがきっかけ」

「……案内板?」

 それはおかしいだろう、と達也は思った。入学式のデータは会場の場所もふくめて、入学者全員に配信されている。けいたいたんまつに標準装備されたLPS(Local Positioning System)を使えば、仮に、式の案内を読んでいなくても、何も覚えていなくても、迷うことは無いはずだ。

「あたしたち、三人とも端末持って来てなくて」

「だって、仮想型は禁止だって入学案内に書いてあるんだもん」

「せっかくすべめたのに、入学式早々目をつけられたくないし」

「あたしは単純に忘れたんだけどね」

「そういうことか……」

 本当は、納得したわけではなかった。自分の入学式なのだから、会場の場所くらい確認しておけよ、というのがいつわらざる思いだったのだが、それを口にはしなかった。

 無益な波風を立てる必要は無い──そう考えて、達也は自重した。


        ◇ ◇ ◇


 ゆきの答辞は、予想したとおり見事なものだった。

 この程度のことで妹がつまずくなどと、達也はじんも考えていなかったが。

 「みんな等しく」とか「一丸となって」とか「ほう以外にも」とか「総合的に」とか、結構きわどいフレーズが多々盛り込まれていたが、それらをく建前でくるみ、とげを一切感じさせなかった。

 その態度は堂々としていながらういういしくつつましく、本人の並外れてれんぼうと相乗して、新入生・上級生の区別無く、男たちのハートをわしづかみだった。

 深雪の身辺は、明日から、さぞかしにぎやかだろう。

 それもまた、いつものことだ。

 何のかのと言いながら、世間いつぱんの基準に照らしてシスコンと呼ばれる程度には深雪にあまい達也である。すぐにでも妹をねぎらってやりたかったが、あいにく、式の終了に続いてIDカードの交付がある。

 あらかじめ各人別のカードが作成されているわけではなく、個人認証を行ってその場で学内用カードにデータを書き込む仕組だから、どの窓口に行っても手続き可能なのだが、ここでもやはり、自然とかべが生まれてしまう。

 ゆきは多分、というか間違いなく、そんなものは無視してしまうだろうが、彼女は新入生を代表して、すでにカードをじゆされている。

 そして今は、らいひんと生徒会のひとがきの中だ。

君、何組?」

 ひとかたまりで窓口に移動し一列最後尾でIDカードを受け取ったたつに(つまりレディファーストのごとをしてみたわけだ)、エリカがワクワク感をかくせない顔でける。

「E組だ」

 達也の答えに

「やたっ! 同じクラスね」

 ねて喜ぶエリカ。少々オーバージェスチャーな気がしたが、

「私も同じクラスです」

 アクションをともなわないだけでづきも似たような顔をしていたから、新高校一年生としてはこれが当たり前なのかもしれない。

「あたし、F組」

「あたしはG組だぁ」

 だからといって、残る二人のあっさりした反応がはくじようということでもあるまい。要するに彼女たちは、高校入学というイベントにかれているのだった。

 この学校は一学年八クラス、一クラス二十五人。

 こういうところは平等だ。

 もっとも、開花を期待されていない二科生ウイードの所属クラスはE組からH組と決まっており、大輪の花を期待されている一科生ブルームと同じ温室クラスになることは無いのだが。

 別クラスとなった女子生徒二人とは、ここで自然と別行動となった。二人とも、自分のホームルームへ向かうようだ。A─D組とE─H組は使用する階段からして違うが、それでテンションを下げた様子はない。

 二科生徒の全員がこだわりを抱えているわけではないのだ。

 チョッと背伸びした名門校に受かっちゃった、というしきの生徒も結構いる。

 この学校は、ほう以外のレベルも全国上位クラスと評価されているからだ。

 あの二人は多分、それぞれのクラスで一年間を共有する友人を探しに行ったのだろう。

「どうする? あたしらもホームルームへ行ってみる?」

 エリカが達也の顔を見上げてそうたずねた。美月に訊ねなかったのは、彼女も達也の顔を見上げていたからだろう。

 古い伝統を守り続けている一部の学校を除いて、今の高校に担任教師という制度は無い。

 事務れんらくにいちいち人手を使う必要はなく、そんな人件費のづかいをするゆうのあるところも少なく、全て学内ネットに接続したたんまつ配信で済まされる。

 学校用端末が一人一台体制になったのは、何十年も前のことだ。

 個別指導も、実技の指導でなければ、余程のことでない限り情報端末が使用される。

 それ以上のケアが必要なら、専門資格を持つ複数多分野のカウンセラーが学校には必ず配属されている。

 ではホームルームが必要かというと、実技や実験の授業の都合だ。実技や実験を時間内に終わらせ、かつじよう時間を作らないようにするためには、人数を一定のレベルに保つ必要がある、ということだ。(それでも居残りは日常的に発生してしまうのだが)

 それに、自分用の決まった端末があった方が、何かと利便性が高いという理由もある。

 どんな背景があるにせよ、一つの部屋で過ごす時間が長ければ、自然と交流も深まる。

 担任制度が無くなることで、クラスメイトの結びつきは、むしろ強くなるけいこうにあった。

 何はともあれ、新しい友人を作るためなら、ホームルームへ行くのが一番の近道であることは確かだ。が、たつはエリカのさそいに、かぶりった。

「悪い。妹と待ち合わせているんだ」

 今日きようはもう授業も連絡事項もないと分かっている。

 達也は諸手続きが終わったらすぐ、ゆきいつしよに帰る約束をしていた。

「へぇ……くんの妹なら、さぞかし可愛かわいいんじゃないの?」

 エリカの感想とも質問とも取れるつぶやきは、何と答えればいいものか困ってしまうものだった。自分の妹なら可愛い、とはどういう意味だ、と達也は思う。理由と結論がくつながっていない気がする。

 幸い、無理に答える必要もなかった。

「妹さんってもしかして……新入生総代の司波深雪さんですか?」

 づきがもっと根本的プリミテイブな質問をしてくれたからだ。

 今度はなやむ必要がない。達也は一つうなずくことで確認の意味合いが強いその問いに答えた。

「えっ、そうなの? じゃあ、ふた?」

 エリカがそうたずねてきたのも、もっともだろう。達也にとっても、おみの質問だ。

「よくかれるけど双子じゃないよ。おれが四月生まれで妹が三月生まれ。俺が前に一ヶ月ずれても妹が後ろに一ヶ月ずれても、同じ学年じゃなかった」

「ふーん……やっぱりそういうのって、複雑なもんなの?」

 優等生な妹と同じ学年、複雑でないはずはなかったが、エリカも悪気があって訊いてきているのではない。達也は笑ってその質問を流した。

「それにしてもよく分かったね。司波なんてそんなにめずらしい苗字でもないのに」

 たつの反問に、二人ふたりの少女は小さく笑った。

「いやいや、十分めずらしいって」

 ただし、その色合いはずいぶん違う。エリカが苦笑混じりの笑みだったのに対し、

おもしが似ていますから……」

 づきの笑みは、か自信なさげな、ひかなものだった。

「似てるかな?」

 その美月の言葉に、達也は首をひねらずにいられなかった。先ほどのエリカのセリフと同じじように根ざしたてきなのだろうが、達也には全く実感が無い。

 というか、信じられない。

 ゆきは身内のひいきに見てもな美少女で、有り余る才能を抜きにしてもその場にいるだけで注目を集めずにはいられないという天性のアイドル、いや、スターだ。

 妹を見ていると、天はぶつを与えずということわざうそだという事がいやというほど理解できる。

 ひるがえって自分はというと、一応標準以上、中の上くらい、かな? というのが達也の自己評価だった。

 中学生時代、毎日のようにラブレター(というより、あれはファンレターだと達也は見ている)をけられていた妹をはたに、達也はその手の物をもらったことが一度も無い。

 一部とはいえ同じ遺伝子を共有しているはずだが、達也が血のつながりを疑ったことも一度や二度ではないのだ。

「そう言われれば……うん、似てる似てる。君、結構イケメンだしさ。それ以上に顔立ちがどうとかじゃなくて、こう、ふんみたいなものが」

 ところがエリカは、達也のけに、というより美月の言葉に、ウンウンとうなずいていた。

「イケメンって、の時代の死語だ……それに顔立ちが別なら、結局似てないってことだろう」

 エリカの言うことは多分に感覚的で少し分かりにくかったが、やはり顔が似ているということではないらしい。達也はそうかいしやくして、思わずつまらないツッコミを入れてしまう。

「そうじゃなくってさ、うーん、何て言えばいいのか……」

 エリカ自身も、く表現できないようだ。

 美月の助け船がなければ、そのまましばらくうなっていたかもしれない。

「お二人のオーラは、りんとした面差しがとてもよく似ています。さすがに兄妹ですね」

「そう! オーラよ、オーラ」

 ひざたたかんばかりの勢いで、エリカが大きく頷いた。

 今度は達也が苦笑する番だった。

さん……君って実は、お調子者だろ」

 お調子者ぉ? ヒドーイ、というこうはお約束どおり聞き流す。口調からして、エリカも本気でってかって来ているわけではない。

「それにしてもしばさん、オーラの表情なんて、よくそんなものが分かるものだ。

 ……本当に、目が良いんだね」

 それより、しみじみとした口調でつむがれた次のセリフの方にエリカは食いついてきた。

「えっ? づき、メガネ掛けてるよ?」

「そういう意味じゃないよ。それに、柴田さんのメガネには度が入っていないだろ?」

 んっ? という顔で、エリカが美月のメガネをのぞき込んだ。

 そのレンズの向こう側で、美月が目を見開いて、固まっていた。

 かれたことにおどろいたのか、かくしていたかったことがばれてしまってやんでいるのか、どちらにしても、そんなに気にすることではないように、達也には思える。

 そんな顔をしているのか、それをせんさくする機会は無かったが。

 ちょうど、時間切れだった。多分、この場はそれで「結果オーライ」だった。


        ◇ ◇ ◇


「お兄様、お待たせいたしました」

 講堂の出口に近いすみっこで話をしていた達也たちの背後から、待ち人の声が聞こえた。

 ひとがきに囲まれていたゆきしてきたのだ。

 少し早いような気もしたが、妹の気質を考えればころいかもしれない、と達也は思い直した。

 社交性に欠ける訳ではないが、お世辞やお愛想をきらけつぺきしようけいこういなめない。子供っぽさ、と言えなくはないが、幼い時分からめられる機会には事欠かず、その分、ねたみ・やっかみ混じりのうわだけのしようさんにさらされることも少なくなかった。

 それを考えれば、チヤホヤされることに多少かいてきになっても仕方がない。今日きようは、よくまんした方だと言える。

 かえりながら「早かったね」と応えた、つもりだったが、言葉は予定通りでも、イントネーションが疑問形になってしまった。

 予定されていた待ち人は、背後に予定外の同行者をともなっていた。

「こんにちは、くん。また会いましたね」

 ひとなつこい笑顔とことづかいを多少つくろったセリフに、達也は無言で頭を下げた。

 愛想にとぼしい応対にも関わらず、生徒会長・さえぐさほほみをくずさない。それが一種のポーカーフェイスなのか、それともこの年上の少女の地なのか、会ったばかりの達也には判断がつかなかった。

 だが彼の妹は、生徒会長に対する兄のみような反応よりも、兄のかたわらに親しげに寄り添う(?)少女たちの方が気になったようだ。

「お兄様、その方たちは……?」

 ゆきは自分が一人ひとりじゃない事情の説明より先に、たつが一人ではない理由の説明を求めてきた。いささかとうとつの感はあったが、かくす必要は全くない。達也はタイムラグゼロで答えた。

「こちらがしばづきさん。そしてこちらがエリカさん。

 同じクラスなんだ」

「そうですか……さつそく、クラスメイトとデートですか?」

 可愛かわいらしく小首をかしげ、ふくむところなんてまるでありませんよ、という表情で深雪が問いを重ねる。くちびるにはしゆくじよほほみ。ただし、目が笑っていない。

 やれやれ、と達也は思った。

 どうやら、式が終わった直後からずっと、歯のくお世辞のじゆうほうにさらされて、ストレスが結構たまっているようだ。

「そんなわけないだろ、深雪。お前を待っている間、話をしていただけだって。

 そういう言い方は二人ふたりに対して失礼だよ?」

 彼にとっては妹のこんなねた顔も可愛いのだが、しようかいを受けて名乗りもしないのは、上級生や同級生の手前、がいぶんが余りよろしくない。達也が目に軽い非難の色を乗せると、いつしゆんだけハッとした表情を浮かべた後、深雪は一層おしとやかな笑顔をつくろった。

「はじめまして、柴田さん、千葉さん。深雪です。

 わたしも新入生ですので、お兄様同様、よろしくお願いしますね」

しばづきです。こちらこそよろしくお願いします」

「よろしく。あたしのことはエリカでいいわ。貴女あなたのこともゆきって呼ばせてもらっていい?」

「ええ、どうぞ。みようでは、お兄様と区別がつきにくいですものね」

 三人の少女が、改めて自己紹介を交わした。

 深雪と美月のあいさつは、初対面としてとうなもの。だがエリカは最初からずいぶんと(良く言えば)フレンドリーだった。

 しかし、エリカの親しげな物言いに、まどいを覚えたのはたつの方だった。

 深雪はれしさと紙一重のくだけた態度に、気にした様子も見せずうなずいた。

「あはっ、深雪ってけによらず、実は気さくな人?」

「貴女は見た目通りの、開放的な性格なのね。よろしく、エリカ」

 深雪の方はお世辞とお愛想にウンザリしていた後でエリカのざっくばらんな態度が余計に好ましかったという事情もあるのだろうが、それ以上に、二人ふたりは何やら通じ合うものがあったようだ。すっかり打ち解けた笑みを交わす深雪とエリカ。置いてきぼりの感を自覚せずにはいられない達也だったが、このまま突っ立っているわけにもいかない。妹についてきた生徒会長の一行がいつしよだからじやものあつかいされることはないが、だからこそまでもこうしていては、通行の邪魔だった。

「深雪。生徒会の方々の用は済んだのか? まだだったら、適当に時間をつぶしているぞ?」

だいじようですよ」

 達也の質問と提案に対する応えは、異なる相手から返された。

今日きようはご挨拶させていただいただけですから。

 深雪さん……と、私も呼ばせてもらってもいいかしら?」

「あっ、はい」

 はなけられ、深雪は打ち解けた笑みをしんみような表情にえて頷いた。

「では深雪さん、くわしいお話はまた、日を改めて」

 真由美は笑顔で軽くしやくしてそのまま講堂を出て行こうとした。だが、すぐ後ろにひかえていた男子生徒が真由美を呼び止めた。その胸には当然のごとほこる、八枚花弁のエンブレム。

「しかし会長、それでは予定が……」

あらかじめお約束していたものではありませんから。別に予定があるなら、そちらを優先すべきでしょう?」

 なおも食い下がる気配を見せる男子生徒を目で制して、真由美は深雪に、そして達也に、意味有りげなほほみを向けた。

「それでは深雪さん、今日はこれで。くんもいずれまた、ゆっくりと」

 再度会釈して立ち去る真由美。その背後に続く男子生徒がかえり、舌打ちの聞こえてきそうな表情でたつにらんだ。


        ◇ ◇ ◇


「……さて、帰ろうか」

 どうやら入学早々、上級生、しかも生徒会役員のきようを買ってしまったようだが、今のはこうりよくに近い。もとより、この程度でクヨクヨできるような順風人生を辿たどって来たわけではないのだ。まだ十六年に満たない人生だが、その程度のネガティブな強さを身につけるだけの経験は有している達也だった。

「すみません、お兄様。わたしので、お兄様の心証を」

「お前が謝ることじゃないさ」

 表情をくもらせたゆきのセリフを最後まで言わせずに、達也は首を横にって、ポン、と妹の頭に手を置いた。そのままかみくようにでると、しずんでいた表情がとうぜんの色を帯びる。わきで見ていると少々危ない兄妹に見えなくもなかったが、そこは初対面のえんりよもあってか、づきも、そしてエリカも、その事については何も言わなかった。

「せっかくですから、お茶でも飲んでいきませんか?」

「いいね、賛成! しいケーキ屋さんがあるらしいんだ」

 代わりにけられたのは、ティータイムのおさそい。

 家族が待っているのではないか、とくつもりはない。こんなことを言い出した時点で、無用なづかいだろう。それを言うなら達也たちも同様だ。

 それよりも達也には、訊いてみたいことがあった。実にどうでもいいことなのだが、放置できない程度には気になってしまったのである。

「入学式の会場の場所はチェックしていなかったのに、ケーキ屋は知っているのか?」

 少し、意地の悪い質問だったかもしれない。

「当然! 大事なことでしょ?」

 だがエリカは、わずかなちゆうちよもなく、自信たっぷりにうなずいた。

「当然なのか……」

 あいづちのセリフが、うめき声になっていた。だが、それをだれが責められようか、と達也はごとのように思った。

「お兄様、どういたしましょうか?」

 しかしどうやら、エリカの暴言(?)にショックを受けているのは、達也だけだったらしい。

 深雪も、式場よりかんどころを優先した非常識に、気を留めているりがなかった。──もっとも深雪は、その経緯いきさつ自体を知らないのだが。

「いいんじゃないか。せっかく知り合いになったことだし。同性、同年代の友人はいくらいても多過ぎるということはないだろうから」

 とはいっても、同意の回答自体はほとんどかんがむことなく返された。特に急いで帰宅しなければならない用事もない。元々たつは、入学祝いにか適当なところで昼を済ませて帰ろうか、とも考えていたのだ。

 深く考えられたセリフではないので、そこには彼の何気ない本音が表れている。

 本音だということがエリカとづきにも分かったから、こういう言葉が返ってきたのだろう。

くんって、ゆきのことになると自分は計算外なのね……」

「妹さん思いなんですね……」

 められているのかあきれられているのか、配合がそれぞれに異なるまなしを前に、たつは苦い顔でだまむことしかできなかった。


        ◇ ◇ ◇


 エリカに連れて行かれた「ケーキ屋」は、その実「デザートのしいフレンチのカフェテリア」だったので、そこで昼食を済ませ、短くない時間おしやべりにきようじて(いたのは女性三人で、達也はほとんど聞いているだけだった)、家に帰り着いたのは夕暮れも近い時間になっていた。

 むかえる者はない。

 平均を大きく上回る広さのこの家は、ほとんど達也と深雪の二人ふたり暮らしのようなものだ。

 自分の部屋にもどり、まず制服をぐ。

 こんなそくな道具立てにえいきようされているとは思いたくないが、わざわざ「違い」をきわたせるように作られたブレザーを脱ぐと、少し、気分が軽くなったような気がした。そんな自分の心の動きに一度だけ舌打ちして、手早くえを済ませる。

 リビングでくつろいでいると、程なくして、部屋着に着替えた深雪が下りて来た。

 素材は大きく進歩したが、服のデザインは百年前からほとんど変化していない。

 今世紀初頭風のたけの短いスカートかられいきやくせんをのぞかせながら、深雪が近づいて来る。

 この妹のファッションはどういう訳か、家の中でしゆつが増えるけいこうにある。いい加減慣れてもよさそうだが、ここのところずいぶんと女性らしさを増して、達也としては目のやり場に困ってしまうこともしばしばだった。

「お兄様、何かお飲み物をご用意しましょうか?」

「そうだね、コーヒーをたのむ」

「かしこまりました」

 キッチンへ向かうきやしやな背中で、ゆるく一本に編んだかみれる。水仕事をするのに、髪がじやにならないように、なのだが、だんは長い髪にかくれている白いうなじが、えりぐりの広いセーターからチラチラと見え隠れして何とも言えぬいろかもし出していた。

 ホーム・オートメーション・ロボット(HAR/ハル)がきゆうしている先進国では、台所に立つ女性は──無論男性も──どちらかと言えば少数派になっている。本格的な料理ならともかく、パンを焼く、コーヒーをれる程度のことに自分の手を使う者は、しゆでもなければほとんどいない。

 そしてゆきは、そのほとんどいない少数派に属している。

 機械おんというわけではない。

 友人が遊びに来た時などは、大体HAR任せだ。

 しかしたつと二人のときは、決して手間をしまない。

 ガリガリと豆をく音と、ブクブクとお湯がふつとうする音が達也の耳に小さく届く。

 最も簡単なペーパードリップではあるが、旧式のコーヒーメーカーさえ使わないのは、何かのこだわり有ってのことだろうか。

 一度いてみたとき、そうしたいからです、という答えが返ってきたから、やはり趣味ということだろうか。それにしては、趣味なのか、と訊いたときにはねた顔でにらまれたおぼえもあるが。

 何にせよ、深雪の淹れるコーヒーが、達也の好みに一番合っていた。

「お兄様、どうぞ」

 サイドテーブルにカップを置き、反対側に回ってとなりこしを下ろす。

 テーブルのコーヒーはブラック、手に持つカップの中身はミルク入りだ。

い」

 賞賛に多言は不要だった。

 その一言で、深雪がニッコリとほほむ。

 そして二口目を含む兄の満足げな顔をうかがて、あんの表情をかべて自分のカップに口を付ける──それが深雪の常だった。

 そのままコーヒーをたしなむ二人。

 どちらも、無理に会話を作り出そうとはしない。

 相手が、自分の隣にいることが気にならない。

 無言の状態が続いて間が悪い思いをする、という経験は、この二人の間では絶えて久しい。

 話すことならたくさんある。今日きようは入学式だったのだ。新しい友人もできたし、何やら気がかりな上級生も登場した。深雪は予想どおり生徒会にさそわれている。思い出すことも、相談することも、一晩では足りないくらいにある。

 だが兄妹は、二人きりの家で、二人で隣り合って、ただ静かにカップをかたむけた。

「──すぐにお夕食のしたくをしますね」

 空になったカップを持って、深雪が立ち上がった。妹がばした手にコーヒーカップを預けて達也も立ち上がる。

 兄妹二人、いつもどおりの、夜がけていった。

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